【公演レポート】「衝撃の現場を撮る」危うさと対峙した舞台『1993-The Bang Bang Club-』

【公演レポート】「衝撃の現場を撮る」危うさと対峙した舞台『1993-The Bang Bang Club-』

世界に衝撃を与えピューリッツァー賞に輝いた『ハゲワシと少女』を撮影した戦場カメラマン、ケビン・カーターの人生を、史実を基に彼に関わる人々の証言を重ねて描くという独自の視点で捉えて、新たなストーリーを構築した意欲作、舞台「1993-The Bang Bang Club-」が六本木の俳優座劇場で上演中だ(30日まで)。

「1993-The Bang Bang Club-」は、ハゲワシが餓死寸前の少女を狙っている様を写し撮った1枚の写真『ハゲワシと少女』でスーダンの飢餓を世界中に知らしめた功績が称えられ、ピューリッツァー賞を受賞した戦場フォトジャーナリストのケビン・カーターが、絶賛と同時に「なぜ少女を助けなかったのか?」との多くの批判にさらされ、「報道か人命か」というメディアの姿勢を問う大論争に巻き込まれていく様を描き出した作品。今日、ジャーナリズムに関わる人間のみならず、社会全体の問題にもなっている「衝撃の現場を撮る」という行為の危うさに正面から立ち向かった作品になっている。

【STORY】

1993年3月11日。スーダン南部コンゴール州アヨド村。カメラを抱えた男が、取りつかれたように空き地にうずくまる一人の少女を撮影している。男の名前はケビン・カーター(馬場良馬)。この時彼のカメラに収められた写真は、すべての運命を変えていく……

数日後、アメリカ「ニューヨーク・タイムズ」編集部に、南アフリカの雑誌社「ザ・スター」編集部から1枚の写真が入った封書が届く。飢餓の少女が今にもハゲワシの餌食になろうとしている悲惨な瞬間が切り取られたその光景に、一同は言葉を失う。あまりにインパクトがありすぎると掲載をめぐって社内で議論があがるも、報道とは何か、自分のペンで社会に何を伝えることができるのかを考え続けていた記者ピーター・マクラウド(安里勇哉)の、この写真でスーダンが置かれている悲惨な現状を世に知らしめるべきだ、との意見に編集部が賛同する形で、到着から10日後その写真は、NYタイムズ紙の一面を飾ることになる……。

それから一年。
「ハゲワシと少女」はピューリッツァー賞を獲得。真っ先に掲載したNYタイムズ社内は歓喜に包まれる。そんな中、ピーターに受賞者であるケビン・カーターへの取材の命が下る。早速、南アフリカにある「ザ・スター」編集部まで足を運んだピーターだったが‥‥‥

「報道か人命か」現代社会そのものに問われているメッセージ

1994年にピューリッツァー賞を受賞したケビン・カーターと、その仲間達の戦場カメラマンで結成された「バンバン・クラブ」は、1991年にメンバーのグレッグ・マリノヴィッチが南アフリカ共和国で1948年から1994年まで実施されていた、法によって定められた人種隔離と差別の制度である「アパルトヘイト」の維持と撤廃を支持する政党間の争いによる殺害現場を捉えた写真で、ケビンに先んじてピューリッツァー賞を受賞するなど、大きな功績を残した戦場フォトジャーナリストチームだ。

彼らの使命は繰り返される戦闘や、いわれなき差別など世界中のあちこちで起きている現実を、写真に残し発信することで問題を知らしめ、すべての人々が遠い他国の出来事、他人事ではなく「いま起きている現実の問題」だと実感してもらうことにあった。

ただ、その為に常に命の危険と隣り合わせの戦場に身を置き、できる限り被写体に近づくことを是とする彼らの精神は疲弊し、悲惨な現場のフラッシュバックに苦しめられていく。

この舞台はそうした「戦場フォトジャーナリスト」として生きたケビン・カーターの人生を、彼を一躍時の人にし、また糾弾の対象にもした『ハゲワシと少女』が撮られた瞬間から、いまがいつで、ここはどこだという字幕を効果的に使いつつ、ある時は時系列を追い、またピーターがケビン・カーターに取材をしようと奔走し、周りの人々の証言を得ていくという形のなかで、過去や現在を行き来しながら進んでいく。

こう書くとかなり複雑な物語を想像されるかもしれないが、舞台進行は意外なほどにスムーズかつスピーディで、ドラマを的確に届けてくれる脚本の鈴木智晴(劇団東京都鈴木座)、演出の扇田賢(Bobjack Theater)の手腕にまず感心した。

しかも、30年前に実際に起きた出来事が、いま現在の社会の問題としてストレートに迫ってくる様は鮮烈だ。劇中でも巧みに触れられているのだが、インターネットの発達は人間社会の在り方を根底から変えたと言っても過言ではない。

この作品のなかで、1枚の写真を世に出すか否かが多くの人々によって議論されている光景。その写真自体が撮影されてから編集部に届くまで数日を要するという当時の現実は、いま見るとどこかファンタジーのようだ。それほど、2023年の現実社会は全ての出来事──日常の他愛ない風景から、センセーショナルな事件現場まで──が、瞬時にしてネットの海のなかに拡散されていく。

誰もが手にしているのが当たり前のスマートフォンのカメラ機能は驚くほど高性能になり、かつてはフォトジャーナリスだけが常にシャッターチャンスを逃さないために持ちまわっていたカメラを、気づけば大半の人々が常に手にしている世の中がやってきていた。実際今や見渡せば、報道を職業にしていない人々によって撮られた天災、人災、事故、事件現場の映像や動画を、大手メディアが「視聴者提供」として使用しているケースは枚挙に暇がない。

誰もが偶然遭遇した事件、事故現場を記録できてしまい、それがひとつの議論も検証もないまま発信され、拡散されていく。果たして、写真のシャッターを切った動画を録画したその瞬間に、全ての人が「報道か人命か」という、極めて重い判断をしているのだろうか。

そうした、個々のモラルに任せているだけでは到底解決できないほど、ツールだけがあまりにも早く進化してしまった現代社会に、命の危険と常に隣り合わせにいながら戦場を駆けた、30年前に実在したフォトジャーナリストたちの生き様を描いたこの作品が気づかせてくれるものの多さに改めて驚かされる。題材を求めた視点ももちろんだが、目の前で不測の事態が起きた時に「衝撃の現場を撮る」ことを誰もが、しかも無自覚に第一義とすることの怖さを、この作品はまっすぐに伝えてくる。それだけでなく、その提示の仕方、ケビン・カーターを主筋に置き、ピーター・マクラウドが取材として彼を追っていくなかで、数々の証言によって「事実」が二転三転していく舞台作りには、演劇作品としても大きな醍醐味があった。

そんな骨太な作劇は、一人ひとりの「証言」である長台詞が多用されている上に、事態を説明している台詞から、当時の状況の芝居へと瞬時に入っていく、スイッチが切り替わる頻度が非常に多く、役者への負荷はかなり高いものだと思うが、その脚本構成をキャスト一人ひとりの迫真の演技が支えていく。

ケビン・カーターの馬場良馬は、周りの人物たちの証言によって、尋常ならざる才気を持ったカメラマンとしての本能から生まれる、自分でも制御できない衝動に衝き動かされ、名誉欲、嫉妬、良心の呵責、心にのしかかる「現場」のトラウマなど、あらゆる感情と本能の間で心身のバランスを崩していく様に、鬼気迫るほどのリアルがある。特にどの角度で、何を切り取るかによって全体の状況とは見え方が異なってくる「写真」というものの、可能性と共にある怖さを実感させるケビンの告白には、観ていて心が痛む思いがした。

そのケビンを取材するピーター・マクラウドの安里勇哉は、客席の視点を代表していて、彼の疑問や理解がそのまま、観客のそれにつながっていく流れを丁寧に演じている。キャラクターにエキセントリックな部分がほとんどないぶん、W主演として作品に位置するという意味では、逆説的に難しい役柄でもあったと思うが、記者としての使命感や高揚、転がっていく事態に対して生まれる自問自答をきちんと届けていて、作品のなかにありつつ、全体を俯瞰している役割をきちんと果たしていた。

ピーターと同じく「ニューヨーク・タイムズ」編集部の記者だが、芸能欄担当というスコット・アカーマンの伊勢大貴は、実在の人物が多い作品のなかに書かれたオリジナルキャラクター。ピーターとは当然ながら次々に起こる出来事に対する視点が違っていて、一見飄々としている彼なりの正義や野心の表出が、作品全体の良いアクセントになっていた。

同じく「ニューヨーク・タイムズ」編集部で上司としてピーターと、戦地でケビンと深い関わりを持つ女性である、ナンシー・ビュルスキーとジュリア・ロイドを二役で演じた石井陽菜は、所謂理想の上司と、戦場で真実を見抜く目を持った女性とを的確に演じ分けていく。特に時系列が錯綜とする作劇のなかで驚異的な早替りもこなして頼もしい。

アルフ・クマロの小笠原健と、ソニー・ナクトウェイの宮崎卓真は、昨今の演劇界の潮流通り人種の違いをメイクなどでは全く表さずに、話し方、立ち方で表現した力量が光る。なかでも「アパルトヘイト」がドラマに大きく関わる作品のなかで、激しい迫害にさらされる側であった黒人種を、二人が全く異なるテンションで演じることで、決してドラマの駒としての記号的な存在ではなく、それぞれが生きた人間であると感じさせる効果には大きなものがあった。

「バンバン・クラブ」のリーダー、ケン・ウースターブルックの宮下貴浩は、個性の強い「戦場フォトジャーナリスト」たちをまとめている兄貴分的な存在感を自然に醸し出していて、同じ「バンバン・クラブ」のメンバー、ジョアオ・シルバの横山涼と共に、カメラマンたちの間でも、特別な存在であるケビンの天才性と、それ故の突飛な行動を、同じ職業を選んだ人物たちだからこそ、複雑さも持ちながらも深いところで理解している人物造形が、それぞれに鮮やかだった。

そんな彼ら「バンバン・クラブ」と密接に関わっていくロビン・コムリーの藤江萌も、どうしても衝突する事態も生じる彼らのなかで、ひとつの緩衝地帯的な役割も果たす女性を懐深く見せている。

そして、「戦場フォトジャーナリスト」として駆け出したばかりの新人時代から、ケビンの薫陶を受け、「バンバン・クラブ」に迎えられて、誰よりも早くピューリッツァー賞に輝くグレッグ・マリノヴィッチの高崎翔太が、劇中での成長が最もはっきり描かれている人物の変化を的確に表現。笑顔がなんとも爽やかなだけに、終幕に向かって高崎の演技に泣かされる大きな存在感を示していた。

また、アンサンブルとクレジットされ様々な役柄を演じる在原桂馬、佐藤祐亮、東井隆希、広瀬登紀江、花沢詩織にも、それぞれに個性のあるキャラクターや、大きな役割が随所にあり、一人ひとりの顔が見える作劇や演出が丁寧で、やりがいも大きいことだろう。全体に、重いテーマを内包しながらテンポ良く進んでいく舞台に躍動する若いキャストたちから、伝わるものが極めて多い作品で、関わった人々に敬意を表したいのと同時に、多くの人に作品のメッセージを受け止め、考える機会を持って欲しいと願っている。

【取材・文・撮影/橘涼香】

舞台「1993-The Bang Bang Club-」

公演期間
2023年7月21日 (金) ~2023年7月30日 (日)

会場
俳優座劇場

出演
馬場良馬、安里勇哉
伊勢大貴、石井陽菜、小笠原健、宮下貴浩
横山涼、宮崎卓真、藤江萌
高崎翔太

<アンサンブル>
在原桂馬、佐藤祐亮、東井隆希、広瀬登紀江、花沢詩織

スタッフ
脚本:鈴木智晴(劇団東京都鈴木区)
演出:扇田賢(Bobjack Theater)
主催:De-STYLE(De-LIGHT/style office)

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