能とクラシック音楽による夢の饗宴が三度上演される。東京アート&ライブシティ実行委員会が中心となった意欲的な試みは、2019年に銀座の王子ホールでの『はごろも』に始まり、翌20年には観世能楽堂にステージを移しておこなわれた。
シテ方観世流能楽師・武田宗典に、NHK交響楽団第1コンサートマスターの篠崎“マロ”史紀、国内外での主要オーケストラと共演してきたオペラ歌手の森谷真理ら、一流のアーティスト達が織りなす世界は多くの観客を魅了。第三弾では能楽の代表的演目の1つで、福島に伝わる鬼女伝説を描く『安達原(あだちがはら)』を題材に、前作以上の化学反応が期待される。
里女・鬼女を演じる武田と、鬼女の心情や場面の空気感を歌で表現する森谷の2人に本作への意気込みを聞いた。
――――お二人は2019年の初演からの参加になりますが、第三弾が決まっての心境をお聞かせください。
森谷「前回、前々回とは違う初めての作品ですね。私が頂いた楽譜と実際の能と、実際に共演してみるまでどんな空気感になるか分からないので、すごく楽しみにしています。前回よりも面白いものに仕上がりそうな予感はあります」
武田「敢えて前回の『はごろも』からもう一歩踏み込む形でチャレンジしてみようということで、『安達原』を選びました。クラシックと能を合せる試みは他の団体でもやっていると思うんですが、この『安達原』を演目に選ぶことは多分あまりないのではないかと。『はごろも』は舞と謡で進む舞踊劇なので、親和性が高くクラシックに入り込みやすい余地はあるんですね。でも本作は鬼が出てくるお芝居なので、そこにクラシックを組み合わせる選択肢はあまり取らない。そういう意味で『はごろも』以上にお客様にどう見えるかが我々も想像しにくいので、とてもドキドキしながらも楽しみにしています」
森谷「初めて『安達原』というお話を読ませてもらって、主人公が年寄りの鬼女ということに驚きました。オペラではソプラノの主人公が年配という設定があまりないので、とても新鮮に感じました」
武田「それはすごく分かります。老いを描いた作品自体が日本の伝統芸能独特なんですね。
西洋の作品は若い人が主人公ということが多いんですけど、能の場合は難しい作品になれば年老いた役ばかりになっていくんです」
森谷「そうなんですね。自分の年齢よりも年上の役は初めてです」
武田「そこが『安達原』の深みというか、心優しい女性が人生を重ねて山の中の一軒家で独り寂しく、毎日同じルーティンで生活しているという孤独から、ある時に鬼になってしまう。そういう人間なら誰しもが持つ二面性みたいなものを描かれています。決して寝室を覗いてはいけないという約束を破った山伏が悪いのか、はたまた人を取って食っていた鬼女が悪いのか。その行動の是非を問う普遍的なことがテーマになっているので、能にあまり親しんだことがない方でも見て頂きやすい作品だと思います」
森谷「起承転結というか、きちんとお話に山があって、日本独特なドラマチック性も感じますね。
そういう西洋との作品の違いもすごく楽しいです。私は能の中で完結している鬼女の役をクラシック音楽を通して可視化する役目なのかなと感じています」
武田「僕は森谷さんの声と『安達原』の女性がシンクロする気がしたんです。森谷さんのオペラも拝見した上で、お声の質に品があって、尚且つ強い。それが『安達原』の女性を表現するのに合っていると感じました。それで前作『はごろも』に続いて出演をお願いした訳でもあります」
森谷「私もそういうドラマチックな役と聞いて非常に楽しみです。少しでも鬼女の心情を歌で表現できればなと思います」
――――クラシック向けの王子ホールと観世能楽堂、音響や雰囲気の違いはどのようにありますか?
森谷「その違いは前作『はごろも』で体感しました。王子ホールさんはその空間自体にいる感覚だったのに対して、観世能楽堂さんではあたかも自分がその空間を構成する要素の1つになったような、すごく貴重な体験をさせて頂きました」
武田「王子ホールさんもすごく音響が素晴らしいですよね。私達が普段声を出している能楽堂に比べて、反響の良さを感じるので、舞台に立つとこれがクラシックのコンサートホールかと感動しましたね」
――――能とクラシック、お互いに共演を通して感じたことはありますか?
森谷「とても勉強になりました。私は西洋音楽をずっと勉強してきましたが、日本人であることは消えないんですね。共演を通してそのルーツをまざまざと見せつけられた衝撃を感じたと同時に憧れを抱きました。それは私の日本人としての魂が焦がれるもの、故郷に対する郷愁と言いましょうか。
私は数十年、オペラの技術を磨いてきましたが、この和の世界にそぐうものとして、どうにか自分の楽器(声)を使えないか。どう表現したら彼ら(能楽師)の域に少しでも近づけないかと模索しているところです。そういう意味では自分の楽器を多面的に見直す良い機会になったと思います」
武田「クラシックの皆様は超一流の方々ばかり。私からすれば胸を借りるという思いで共演をさせて頂いています。どちらかというと、クラシックの皆様に我々、能の世界に入ってきて頂く感じがあるので、普段とは違うことをして頂く大変さはあると思うんです。それでも前作『はごろも』の舞台で、ある種のキャッチボールが出来たなという瞬間が結構ありました。今回で共演は3回目になりますが、同じメンバーで継続する意味も感じているので、今回もそういう瞬間が『安達原』の中で発揮できたらいいですね」
森谷「“音楽は国境を越える”と言われてきたじゃないですか。それを実際に体現できる機会だなと思います。言葉ではなく心で通じる瞬間があって、それを体験できたのは嬉しかったです」
――――伝統から一歩踏み出して新しいものに挑戦する。何が後押ししていますか?
武田「自分達がやっている古典を知るのに新しいものを創っていくと、元々どういう想いで創られたものかと気づくことができると思うのです。一見斬新な事をやっているようでも、俯瞰的に観ればこれまでやってきた事へのアプローチを見直すきっかけにもなる。非常に貴重な機会を頂いていると思います」
森谷「とてもやりがいがあるチャレンジだと言えます。だから初心に帰るのでしょうね。
コラボレーションをしたからと言って、能やクラシックの世界を壊すものではなく、互いの良さはきちんと生きています。だから余計に若い方に観てもらいたいですね」
――――公演を楽しむ上での視点はありますか?
武田「これは能全般に言えることですが、構えて観ないでもらいたいですね。客席にゆったり座って眺めて頂くと、色んな情報が入ってきます。そこに浸って頂くと、例え意味が分からない所があったとしても、複合的な解釈があるから面白い。決して『こうですよ』と提示するものじゃない。一番は感じてもらいたいです。ですので、まずはリラックスして客席に座るところから始めて頂きたいです」
――――最後に読者にメッセージをお願いします。
武田「こういった時期ですが、超一流のメンバーが集まる滅多にないチャンスですので、能やクラシックをまだ観たことがないという方にこそ、観て頂きたいです。
終演後には出演者や作曲・演出担当らを交えてのアフタートークもあって、お互いにこう思っていたんだなというちょっとした反省会が見られる。そこも見どころだと言えますね。是非多くの方にご来場頂いて楽しんでもらいたいです」
森谷「きっと前回公演『はごろも』以上に能とクラシックの世界が深まり、多くの方に楽しんで頂けると思いますし、私自身もすごく楽しみにしています。少しでも能やクラシックに興味があれば、必見のステージです。皆様のご来場を心からお待ち申し上げております」
(取材・文&撮影:小笠原大介)
プロフィール
武田宗典(たけだ・むねのり)
(公社)能楽協会会員。重要無形文化財総合指定保持者。(一社)観世会理事。早稲田大学第一文学部演劇専修卒。父・武田宗和および二十六世観世宗家・観世清和に師事。2歳11か月で初舞台、10歳で初シテ(主役)、以後、『石橋』、『乱』、『道成寺』、『望月』、『翁』等を披く。海外公演多数。2014年アメリカにて、能と現代オペラの二部作競演『Tomoe&Yoshinaka』を企画し、両作品で主演を果たす。2021年(一社)EXTRAD主催公演において、試作能『桃太郎』を製作・主演。「武田宗典之会」主宰。舞台公演の他、「謡サロン」等の能楽講座・ワークショップを国内外で多数開催している。
森谷真理(もりや・まり)
武蔵野音楽大学大学院首席修了後、ニューヨーク・マネス音楽院プロフェッショナル・スタディーズコース修了。メトロポリタン歌劇場『魔笛』夜の女王で成功を収めた後、リンツ州立劇場(オーストリア)専属として『マリア・ストゥアルダ』、『椿姫』のタイトルロールなど、様々な役を演じ、ウィーン・フォルクスオーバー、ライプツィヒ・オペラなどにも客演。びわ湖ホール『リゴレット』ジルダで国内オペラデビュー以降、同『ローエングリン』エルザ、日生劇場『ルチア』や二期会『ルル』、『蝶々夫人』、『サロメ』いずれもタイトルロールで高評を得る。コンサートでも国内外のオーケストラと共演し、最近ではオペラ・アリアによるN響公演で絶賛を博す。令和元年「天皇陛下御即位をお祝いする国民祭典」で国歌独唱を務めた。
公演情報
「ADACHIGAHARA」―銀座の地下に鬼が棲む
日:2022年2月25日(金)19:00開演(18:15開場)
場:観世能楽堂(GINZA SIX地下3階)
料:5,000円(全席指定・税込)
HP:https://www.artandlive.net
問:芸団協 tel.03-5909-3060(平日10:00~18:00)