「高校を卒業するタイミングは自由に自分で決めることができる」という世界観で繰り広げられる「高校生たち」の日々や、内心の葛藤をディープに描く『しばしとてこそ』が、初台の新国立劇場 小劇場にて上演中だ(3月2日まで)。
『しばしとてこそ』は、非日常と日常のあわいをふわりと飛び越えた世界観を丁寧に表出するヨーロッパ企画の大歳倫弘が書き下ろし、斬新な発想で作品のエンターティメント性を高める小沢道成が演出・美術を担当する作品。
誰もが当たり前だと思っている枠組が、そうでなかったとしたら?から生まれる登場人物たちの複雑な心理に、不思議なリアリティを感じさせる作品になっている。
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【STORY】
いつの頃か、学校制度における〈卒業〉は自分自身で決断する行事となっていて、高校の3年制はもはや標準的なガイドラインでしかない時代。
ダイチ(阿久津仁愛)・ミツル(押田岳)・タクロウ(坪倉康晴)の仲の良い3人組は、いよいよ3年生の終わりが近づいたある日、卒業のタイミングを自由に選べる〈N学年〉にそろって進級し、「もう少しだけ……」と、〈やり残したこと〉に一緒に挑戦してから卒業することを決意する。
……恐る恐る足を踏み入れた〈N学年〉の教室にいたのは、年齢不詳の生徒から30代、40代、50代……最年長は60代の生徒。そして、混沌とする教室で翻弄される若い担任教師。ダイチたち3人だけでやり遂げるはずだった大切な〈卒業イベント〉に、なぜか次々と介入してくるこのクセ強なクラスメイトたち。
彼らはなぜ卒業しないのか?そして、それぞれの「卒業」への思いと選択とは―?
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新国立劇場 小劇場に足を踏み入れた瞬間に感じたのは、この劇場はどんなクリエイターの発想にも対応できる柔軟な機構を持っているんだな、という感嘆だった。舞台面は劇場の真ん中に設置されていて、この言い方が正しいのかもかなり迷うが、正面、背面、そして側面をぐるりと客席が取り囲んでいる。つまり舞台面こそ四角だがほぼ円形劇場に近い造りで、観客は四方から舞台で起きている出来事に立ち会うことになる。
そう、この演じる側と観る側に決められた方向性がなく、舞台と客席を隔てるプロセニアムもないことが、この日常と地続きの、だが決して2025年の日本と同じではない世界観の作品に生きる登場人物たちのドラマを鑑賞していると言うよりも、その行動に立ち会っているという気持ちにさせられる。
この時点で既に、演出・美術の小沢道成のマジックに取り込まれている感覚が強くあった。
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そのなかで繰り広げられるのが、高校生活を3年間で終わらせず、卒業の時期を自由に決められる〈N学年〉に進級することを選択した3人組の高校生ダイチ、ミツル、タクロウが過ごす、卒業の時期は自分で選んでいい日々だ。
「しばしとてこそ」とは平安の終わりから鎌倉時代の歌人、西行の短歌に由来し、その意味するところは「少しの間だけ、と思っていたのになぁ……」だという。まさにそのタイトル通りに、「少しの間だけ」と思っていたのだろう、ダイチ、ミツル、タクロウが進んだ〈N学年〉には、何年高校生を続けているのか?という個性派中の個性派が揃っていて、3人がもう少しだけ高校生をやって、青春の思い出を作ろうよ、との気持ちは彼らの介入によってどんどん変容していく。
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実際、「高校生活の卒業は自分で選んでいい世界」という作品内容を聞いた時「確かに子供でいるって気楽だからなぁ、選べるとなったら迷うかも…」などと思った気持ちにあっさり肩透かしを食わされた感があったほど、3人が〈N学年〉への進級を選んだ理由は恐ろしく軽い。だが、その「えっ?それだけ?」と思わせることこそが、物語のファンタジーをリアルに染めていく。
その選択がやがて自由に伴う責任を浮かび上がらせていく、大歳倫弘の脚本が鮮やかだし、しかもそれが、あくまでもドタバタと賑やかな会話や、やりとりで浮かび上がってくることに大歳の真骨頂がある。銘々の手荷物であり椅子にもなる道具を、常に生徒たちが持ち歩いて場面を進めていく小沢の発想力も、作品の色を決めていた。
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そうした世界観のなかで躍動するキャストでは、〈N学年〉に進むことを選択した3人組ダイチの阿久津仁愛が、あくまでも明るく、ついつい可愛らしいと表現したくなるようなビジュアルにピッタリの軽いノリの登場時点の印象から、実は周りの空気に人一倍敏感なダイチの深層心理が見えてくる役柄の複雑さを的確に表現している。
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ミツル役の押田岳は、自分の感情に正直で、喜怒哀楽の表現もストレートな、言ってしまえば単細胞な高校生男子がピッタリ。
高校生活の3年間では結構モテたんじゃないか…と想像させるのは、押田のビジュアルの良さとカラッとした演じぶりの相乗効果あってのことだろう。
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タクロウの坪倉康晴は、自分の意見はあまり言わず、2人がそうしたいならそれでいいよという優しい性格が「3人組」のバランサーになっているのがきちんと伝わる。
だからこそそんなタクロウの劇中の変化が2人に与えるものが大きく、実はドラマを動かしていることを全く感じさせない柔らかな表現が光った。
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3人が進んだ〈N学年〉の生徒たちでは、チヒロの小島梨里杏が人との関わりに線を引き、極力1人で行動していることが、逆に目を引くミステリアスな雰囲気を醸し出している。
冒頭ゆっくりと舞台の外周を歩いてゆくシーンから存在感を発揮していて、チヒロが何を考えているのかを知りたくなる造形が巧みだった。
ユメの富山えり子は、曲者揃いの〈N学年〉の生徒のなかでは気さくでざっくばらんな言動が楽しいだけに、ひとたび、ひとつことに打ち込んだ豹変ぶりが絶品。
この物語のファンタジーのなかのリアルを体現している存在だった。
ワタナベの中川晴樹は、相当長く〈N学年〉生徒をやっていることがひと目でわかるビジュアルの造りこみと、ワタナベ自身のあくまでも高校生であるという内面のはっちゃけぶりとのギャップが面白い。
作家の描きたいものを着実に捉えている関係性が貴重だ。
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便宜上、クレジットの順に倣わず〈N学年〉の生徒役を続けて、セワの池津祥子は何事にも首を突っ込まずにはいられない押しの強さが、惚れ惚れするほど鬱陶しく(褒めている)、同じクラスにいたくないな…と思わせる力量はたいしたもの。
何故セワが高校生を続けているのか?にも注目だ。
そして、最年長で最早用務員状態のアサオカの大鷹明良が、〈N学年〉に居続けることをまるで達観しているかに見せることが、やはりこの人に何があるんだろう…と感じさせる妙味になっている。
クラスの面々と過ごしていても椅子に座っている時間が非常に長いことも、アサオカの実年齢を感じさせた。
そんな彼らの担任教師であるスズキの安西慎太郎が、遥かに年上の生徒もいるクラスのなかで、常に落ち着きなくむしろおどおどしているのも非常にリアルで、このクラスの先生は大変だろうな、を実感として届ける芝居力に秀でる。
颯爽としたヒーローを楽々と演じられる人だが、近年非常に難しい役柄に挑戦しいて、俳優としての地力の蓄えを感じさせた。
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そんなキャストが、方向性のない舞台面、また舞台の外周、そして待機と、一度登場したら全く引っ込みがない劇場空間で演じているだけに、座席位置によって個々の姿が全く違って見えてくるだろう。
後半の展開を知ってからもう一度観ることも、伏線回収も含めて興味深いはずの、ここにしかない独特の味わいと余韻を残す舞台だった。
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(取材・文:橘涼香)
(撮影:橘涼香・野田紅貴)
MMJプロデュース公演『しばしとてこそ』
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【公演⽇程】2025年2月21⽇(金)~3月2⽇(⽇)
【会場】新国立劇場 ⼩劇場
【作】 ⼤歳倫弘(ヨーロッパ企画)
【演出・美術】 ⼩沢道成
【出演】
阿久津仁愛 押田 岳 坪倉康晴 ⼩島梨里杏 富山えり子 中川晴樹/安西慎太郎 池津祥子 ⼤鷹明良
【企画製作】
株式会社メディアミックス・ジャパン(MMJ)