生きた証を残す市井の人の輝き ミュージカル『生きる』レポート

生きた証を残す市井の人の輝き ミュージカル『生きる』レポート

名匠・黒澤明の代表作のひとつ、映画「生きる」をもとに生み出されたオリジナルミュージカル『生きる』が、新国立劇場中ホールで上演中だ(24日まで。のち9月29日〜10月1日大阪・梅田芸術劇場メインホールで上演)。

ミュージカル『生きる』は1952年に発表された同名映画を原作に、宮本亞門演出、高橋知伽江脚本・歌詞という、日本のオリジナルミュージカルに欠かせない才能と、本年度トニー賞で優秀作曲家賞にノミネートされるなど、今もっともブロードウェイが注目する作曲家のジェイソン・ハウランド作曲・編曲によって、2018年に誕生した作品。役所務めを無欠勤で続け、定年を間近にしている主人公が突然余命僅かの病に侵されていることを知り、茫然自失のなかから、自分の人生の価値を見出そうと立ち上がる姿が、壮大なミュージカルナンバーで描かれていく舞台は好評を博し、2020年に再演。3度目の上演となる今回も、主人公の渡辺勘治役にミュージカル界のレジェンド、市村正親鹿賀丈史が揃い、新たに加わったキャストと共に、日本のオリジナルミュージカルの大きな可能性を感じさせる舞台が展開されている。

【物語】

市役所で市民課長を務める渡辺勘治(市村正親/鹿賀丈史Wキャスト)は、間もなく迎える定年の日を前に、ことなかれ主義がはびこる役所内で、住民の陳情もやり過ごし、書類の山に判を押すだけの勤務を黙々と続けていた。

だが、ある日渡辺は体調不良のために診察を受けた病院で、医師から胃潰瘍だが手術の必要はなく、好きなものを食べてゆっくりしなさいと告げられ、自分が「胃がん」を患っていて、余命いくばくもないことを悟る。

あまりにも突然訪れた死への恐怖を前にして、これまでの人生はなんだったのかと懊悩する渡辺は、同居している息子夫婦(村井良大実咲凜音)が将来の夢を語るのを耳にし、死期が迫っていることを打ち明けられないまま、貯金を手にあてもなく街に出る。そこで偶然知り合った売れない小説家(平方元基上原理生Wキャスト)に、せめて人生の愉しみを教えて欲しいと乞う渡辺だったが、夜の繁華街でいくら金を使っても心の平安は得られない。そんな時役所を辞めたいので、退職願に判を押して欲しいと訪ねてきた小田切とよ(高野菜々)のある言葉をきっかけに、渡辺は残り少ない人生の時間に、これを成し遂げたと言える仕事をしようと思い至り……

生前のその人の功績を称えて刻まれる、その人がどんな人であったのか、人となりがひと目でわかると言われる「墓碑銘」は、「〇〇家の墓」の継承が難しくなっている日本でも、近年人気を高めているそうだ。生前自らその文言を書きおいている人もいると聞く。もちろん自分の人生を言葉にできるのは素晴らしいことだが、ある日突然僅かな余命を宣告されてしまうという悲嘆のなかで、自分が人生に何を成したのか?を、即答できる人はどれほどいるだろう。それは実のところ非常に困難な命題に思える。

 この作品が描いている主人公・渡辺勘治はその「自分の人生の証を残す」ことに文字通り命を懸けた人物だ。それが颯爽としたヒーローでも、人並外れた才能の持ち主でもなく、ごく普通の市井の人だというところに、この作品の真価があり、それこそ世界に今なおその名を残している黒澤明の代表作と謳われるゆえんだろう。そんな作品をミュージカルにしようとした発想そのものと、クリエーターたちの英知には何度観ても感嘆するものがある。実際のところ、一見ミュージカルとはかけ離れているように思える、静謐なモノクロ映画のテーマを、渡辺が残りの人生でまだできることがある、今日から生まれ変わろうと決意を歌うナンバー「二度目の誕生日」に代表される、自らの心情を歌いあげることが全く自然な「ミュージカル」という形態が豊かに届けてくれる効果は絶大だ。役所や役人のことなかれ主義や、縦割り行政による縄張り意識をどこかコミカルなナンバーでブラックユーモア的に見せたり、親世代との考え方の違いに葛藤する子供世代の心情もきちんと聞かせることで、幅広い年齢層に共感できるポイントも増えている。何よりも1953年、敗戦から8年という時代設定の舞台に「生きる」人々の生活感とエネルギーが舞台全体から迸っているのがこのミュージカルの感触を特別なものにしている。おそらくこの舞台で生きている人々は、いまの家庭に当たり前にある電化製品のほとんどを持っていない。それでも明日は変えられる、未来への希望は自分の手でつかみとれると歌う人々のパワフルさに、どれほど胸を打たれるかしれない。このあくまでも生活感を手放さない高橋知伽江の脚本と、宮本亞門の演出が終幕の静けさに収れんされていく作劇が、各場面にメリハリも意外性もある二村周作の美術、佐藤啓の照明をはじめとしたスタッフワークの結集によって、見事に紡がれている。

そんな舞台の、渡辺勘治・鹿賀丈史と、小説家・平方元基の回を観たが(※ダブルキャストの市村正親&上原理生回については、後日掲載予定)、まず俳優生活50周年を迎えるという鹿賀が、この人の舞台に常にある洒脱さやダンディーな香りを封印して、女性とのつきあいはもちろん、息子に対しても思いを率直に伝えることのできない昭和の男の、老いと不器用さを何ひとつ飾らずに表現する役者魂がより深まり、舞台の陰影を一層濃くしている。それがために、渡辺勘治の人生が更に切なく、また一方でその不屈の精神への感動を深めていて「二度目の誕生日」「最後の願い」のビッグナンバーに乗せられた思いに、頭を垂れる思いがした。

勘治の息子、渡辺光男の村井良大は、作品のなかで度々交わされる「人の話を聞かない男だ」という言葉に集約されている、思い込みによって父親とのすれ違いを深めてしまう役どころを、定評のある高い演技力で表出している。この人の凄さは役柄によって端正な顔立ちが全く違って見えることで、父親を慕い、敬愛もしているのに視野が狭くなっていく光男の苛立つ姿はある意味少しもカッコ良くないのに、わかりあえない悲しみを歌うナンバーでは、一転、切ない表情がなんとも美しく見えるという、俳優・村井良大の真価を感じさせた。

物語の狂言回しも兼ねる、小説家役で初登場の平方元基は、どこか飄々として粋な前半ももちろん十分に視線を集めるが、やはり勘治の生きざまに共感してなんとか助けようと奔走する後半に、平方ここにありの真骨頂を感じさせる。物語を語っている小説家自体が、作品のなかで変化し、人間として成長していく様が前面に出た、平方ならではの小説家像が観られたことが嬉しく、作品に新しい風を吹かせている。

小田切とよの高野菜々は、日本のオリジナルミュージカルを創り続けている「音楽座ミュージカル」のヒロイン女優として活躍している人で、音楽座ミュージカルが長年描いてきた世界と、このミュージカル『生きる』が追求している市井の人々のエネルギーのベストマッチぶりが実に見事。表情豊かに生き生きととよを演じる高野の溌剌とした姿が、舞台に大きな弾みを与えていた。

光男の妻、渡辺一枝の実咲凜音は、ロイヤルから庶民派まで演じ分けられる人らしい、決して足を揃えない一枝の立ち姿から一般的な家庭の妻を表現。夫がいつかは社長になる!と夢見ている、2023年のいまから考えると、日本はなんと平和で前向きだったのだろうと思える一枝の無邪気さや、それ故の無意識に出る鋭い本音を嫌味なく見せてくれた。

ドラマに大きなアクセントを残す、ヤクザの組長の福井晶一は、パワフルな歌唱力とアクの強い演技で勘治の前に立ちはだかる強敵を活写。ポイントの出番で色濃い印象を残す、ミュージカル俳優としての力量の高さを改めて感じさせてくれた。

一方、ワルという意味では表向きその顔をしていない分、むしろたちが悪い助役の鶴見辰吾が、食えないを絵に描いた如くの役人をずるがしこいと思える慇懃無礼で演じていて、自分本位が強ければ強いほど良い役柄を堂々と表現していた。

他にも、この人のキャリアから考えるとかなり贅沢な使い方になった田村良太が、だからこそ役所の人間の中でスーッと抜け出て見える、孤立無援の役所のなかで勘治の側に立ってくれる青年を真摯に演じているのをはじめ、佐藤誓重田千穂子はもちろん、治田敦内田紳一郎鎌田誠樹齋藤桐人高木裕和松原剛志森山大輔あべこ彩橋みゆ飯野めぐみ五十嵐可絵河合篤子隼海惺原広実森加織ら、海外ミュージカル常連組も多い面々が、日本の復興期の土着と言いたい香りをまとって作品の世界観を支えている。高野の代役を務める彩橋の代演で登場した大倉杏菜はじめ、スウィングの齋藤信吾安立悠佑高橋勝典を含めて、全員が紡ぐ日本発オリジナルミュージカル、海外に向けた上演の可能性を高く感じさせる作品の更なる熟成を、是非劇場で感じ取って欲しい。

(取材・文・撮影/橘涼香)

ミュージカル『生きる』

<東京公演>
期間:2023年9月7日(木)~24日(日)
会場:新国立劇場 中劇場

■アフタートークイベント
【対象日程】
・9月13日(水)18:00(登壇者:村井良大・平方元基)
・9月15日(金)13:00(登壇者:村井良大・上原理生)
※対象公演回のチケットをお持ちの皆様ご参加いただけます。
※登壇者は急遽変更になる場合もございます。

■キャスト:
渡辺勘治:市村正親/鹿賀丈史(ダブルキャスト)

渡辺光男:村井良大
小説家:平方元基/上原理生(ダブルキャスト)
小田切とよ:高野菜々(音楽座ミュージカル)
渡辺一枝:実咲凜音
組長:福井晶一
助役:鶴見辰吾

佐藤 誓
重田千穂子
田村良太

治田 敦、内田紳一郎、鎌田誠樹、齋藤桐人、高木裕和、松原剛志、森山大輔
あべこ、彩橋みゆ、飯野めぐみ、五十嵐可絵、河合篤子、隼海 惺、原 広実、森 加織
スウィング:齋藤信吾、 大倉杏菜 安立悠佑

■スタッフ:
原作:黒澤 明 監督作品 「生きる」(脚本:黒澤 明 橋本 忍 小國英雄)

作曲&編曲:ジェイソン・ハウランド
脚本&歌詞:高橋知伽江
演出:宮本亞門
美術:二村周作
照明:佐藤 啓
音響:山本浩一
衣装:宮本まさ江
ヘアメイク:小沼みどり
映像:上田大樹
振付:宮本亞門、前田清実
音楽監督補:鎭守めぐみ
指揮:森 亮平
歌唱指導 板垣辰治
稽古ピアノ兼音楽監督補助手:村井一帆
稽古ピアノ:安藤菜々子
演出助手:伴 眞里子
舞台監督:加藤 高

主催:ホリプロ/TBS/東宝/WOWOW
後援:TBSラジオ
特別協賛:大和ハウス工業

企画協力:黒澤プロダクション
企画制作:ホリプロ

■来場者キャンペーン実施決定!
渡辺勘治&小説家コンプリートキャンペーン
東京公演期間中、渡辺勘治・小説家それぞれのダブルキャストをS席にてご観劇のお客様にシークレットムービーをプレゼント!

【対象出演者】
①渡辺勘治コンプリート:市村正親、鹿賀丈史
②小説家コンプリート:平方元基、上原理生

シークレットムービーは①と②それぞれ一つずつになります。

【対象席種】S席
【受取方法】劇場の特典引換所にて、コンプリート該当公演のチケット券面をご提示の上、お受け取りください。
※チケットに済印を押させていただきます。
※該当公演が中止の場合はチケット払い戻しをさせていただくとともに特典のお渡しはございません。

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