数々の演劇賞を受賞したブロードウェイミュージカル『カム フロム アウェイ』が3月7日、日比谷の日生劇場60周年イヤーの締めくくりを飾って開幕した(29日まで。のち、4月4日~14日大阪・SkyシアターMBS、4月19日~21日愛知・愛知県芸術劇場 大ホール、4月26日~28日福岡・久留米シティプラザ ザ・グランドホール、5月3日~4日熊本・熊本城ホール メインホール、5月11日~12日群馬・高崎芸術劇場 大劇場で上演)。
トニー賞、ローレンス・オリヴィエ賞、ニューヨーク・タイムズ紙の批評家賞をはじめ、数々の演劇賞を受賞したこの作品は、2001年9月11日、ハイジャックされた旅客機がマンハッタンのワールド・トレード・センターに激突したのをはじめ、アメリカ合衆国で起き、世界を震撼させた同時多発テロの裏で、カナダにある小さな町・ニューファンドランド島のガンダーで実際に起こった奇跡のような5日間、つまり実話を基に描いたミュージカルだ。
舞台に登場する12人のキャストはそれぞれに、“カム・フロム・アウェイズ”(遠くから来た人たち)と、ガンダーの町の人々総勢100人近くのキャラクターをノンストップ100分間の舞台に出ずっぱりで次々に演じ、人種、国、宗教を越えて生まれたドラマを紡いでいく、極めて独創的で、演劇的醍醐味にあふれた舞台が展開されている。
STORY
2001年9月11日、ニューヨークで勃発した同時多発テロによって、アメリカの領空が急遽閉鎖されるという事態が起こった。
これにより4.000機以上の飛行機が最寄りの空港への着陸を余儀なくされる。そのなかで、ヨーロッパからの便が向かったのがカナダのニューファンドランド島にあるガンダー国際空港だった。かつて長距離飛行には給油が必要だった時代、そのジャンクションとして利用されていた国際空港は、役目をほぼ終えたあとも島の面積からすれば、巨大な空港を擁していたからだ。
次々と着陸する飛行機は、ついに38機に及ぶ。乗客、乗員はおよそ7.000人。対してカナダの最東端ニューファンドランド島の北東部にある、小さな町ガンダーの人口はわずか1万人。ほとんどの町民同士が顔見知りという町の人々が、一夜にして人種も、宗教も、職業も異なるこれだけの“カム フロム アウェイズ”を迎えるのは、誰も経験したことのない挑戦だった。人々はいかにしてこの日々を過ごしていくのだろうか……
「9.11」という言葉の響きにはいまも尚、名状しがたい思いが去来する。突然テレビに映し出されたにわかに現実のこととは思えなかった映像は、情報が錯綜するなか「同時多発テロ」「旅客機のハイジャックによる自爆テロ」という心も凍る言葉と共に新たな角度、新たな惨状を加えながら、繰り返し、繰り返し放映され続けた。当時はそれが実体験でなくても、こうした映像や報道が見る者の心に深いトラウマを残す危険性が、いまほどは一般に認識されていず、専門家から警鐘が鳴らされ、それら衝撃的な映像の放映が自粛の方向に進むまで、日本の一視聴者の漠然とした記憶だが、1週間近くはかかったのではないだろうか。その間、報道番組はもちろん、ワイドショーなど、とにかくテレビをつければ感覚的にはほぼひっきりなしに、それらの映像が流れていた。それは極東の島国の申し訳ないほど傍観者でいる以外になす術がなかった身にすらも、「9.11」という日付と分かち難く結びついて心を重く閉ざすものになった。その後、様々な検証が進み、陰謀論まで登場するなか、多くのドキュメンタリーが製作されたし、さらに時がゆき、ハイジャックが自爆テロを目的としていると気付いた乗客が、旅客機奪還に動いた『ユナイテッド93』や、救出に向かった警察官や消防隊員を描いた『ワールド・トレード・センター』などの映画も製作された。ただそれらはあくまでも「9.11」に起きたあまりに多くの事柄に、謂わば直接巻き込まれた人々を描き、事実の重さを改めて伝えるものだった。
だが、今回日本に初上陸したこの作品、ミュージカル『カム フロム アウェイ』が照射したのは、そうした惨劇の記憶として刻まれている「9.11」に起きた、もうひとつの出来事、奇跡のような実話に基づいた物語だった。
舞台は、木々が立ち並ぶ簡素にすら感じられる飾りこみのなかではじまる。冒頭のナンバー「Welcome To The Rock (ザ・ロックへようこそ)」ではガンダーの町の人たちの日常がテンポよく歌い演じられていて、それぞれの職業や、いまバスがストライキ中であることなどを交えながらも、「普通の一日」を綴っていく。
そこからあの第一報が入り、舞台は一気に急展開を見せる。領空が突然閉鎖されたということはすなわち、あの日アメリカに向けて飛んでいた全ての飛行機は、目的地に向かうことができなくなった。言われてみればその通りの、だが短慮にして全く想像がついていなかったそんな行き場を失った人々のうち、7,000人もの“カム フロム アウェイズ”を、人口1万人にしかならないガンダーが受け入れる決断をすることを、12人のキャストが次々と交わす言葉、ワンフレーズずつと言えるほどの歌い合いの応酬で伝えてくる。何しろいきなり町の人口が倍近くに膨れ上がるのだ。まず心配になるのは、自分たちの食べ物や、生活に必要不可決な消耗品などが足りなくなるのでは?という、我が身への影響だったとしても不思議ではない。けれどもガンダーの人々は、突然見知らぬ島の見知らぬ町に逗留せざるを得なくなった“カム フロム アウェイズ”に何が必要か、何を用意するべきかを最優先に物事を進めていく。できるだけゆっくり休める寝具、着替え、消耗品、妊娠可能な女性も大勢いるはずだから生理用品は必須、子供のケア、人だけでなくペットもいるに違いない、と次々に出される提案と必需品の確保のために人々は八方手を尽くす。“カム フロム アウェイズ”の移動に必要なら「文句があるのは経営者にで、飛行機に乗っている人たちにじゃない」と膠着状態だったバスのストライキも凍結される。また、食料の備蓄のために楽しみにしていたアイスホッケーの試合を中止して、巨大な冷蔵庫として使用しようという協議もあっという間にまとまる。しかも、寄付が集まり過ぎて「トイレットペーパーの募集は一時中止します」とアナウンスされるほど、その献身ぶりは徹底している。
一方、同じ12人のキャストが、例えば帽子をかぶるかとるか、メガネをかけるかかけないかなどの、極小さな小道具の変化で見事に演じ分ける“カム フロム アウェイズ”は何故自分たちが、向かっていたニューヨークではなく、カナダの最東端の見渡す限り何もないと思える空港に降ろされたのかが全くわからない。起きた惨劇と航空機が密接に関係していた為に、情報がシャットアウトされているのだ。苛立ちを露わにする者、酔っぱらう者、こんな時にこそ平静を保たなければと考える者、それぞれを取りまとめようとする機長もクルーも真実を知りながら伝えられないまま、様々な対応を迫られる。
そんななかで、救世軍のセンター、協会、学校、公民館などにやっと移動できた“カム フロム アウェイズ”がいま起きている事態をついに知ることになる。その時最も必要なのは、自分の無事を家族に知らせる、また家族の安否を知る電話だと気づけば、ガンダーの人々によってたちまちにして電話が増設されていく。事実を前にすればアラブ人、イスラム教徒への偏見や恐怖も当然広がるし、いくら愛し合うカップルでも直面している事態への受け止め方はそれぞれ異なっていく。もちろんいいことばかりが起こる訳ではない。だからこそ“カム フロム アウェイズ”には、せめて気晴らしが必要だと、町をあげてのバーベキューや名誉ニューファンドランド島市民になる為の馬鹿騒ぎ「Screech In(ラム酒を飲め)」が行われる。その日々からこの事態にならなければ決して生まれなかったロマンスも芽生える。
そうした5日間のあらゆる親切に“カム フロム アウェイズ”が、せめてお礼を受け取って欲しいと申し出るのに、ガンダーの人々は言うのだ。「必要ない、あなただって同じことをしたでしょう」と。
たぶん、これが実話だと知らされていなかったら、こんな天使みたいな人たちがそうそういる訳がない、あまりに物語を美しく飾りすぎると穿った見方をしてしまったかもしれない。
けれどもここに描かれるエピソードが実話を基にしていて、登場人物たちは実在の人々だと聞かされた時、長い年月傍観者でさえも重い影として抱えていた「9.11」という数字に感じる心の澱が、浄化されていく思いがした。ここにあるのは確かに「人って捨てたものじゃない」という希望の光だ。
ミュージカル『カム フロム アウェイ』が、たくさんの登場人物、わけても“カム フロム アウェイズ”とガンダーの町の人たち双方を12人のキャスト全員が兼任し、あたかも入れ子細工のように立場を変えながら、5日間の出来事を怒涛のようなスピードで進めていく見事な台本構成、キャストが互いの立場をひっきりなしと思えるほど細かく、しかも頻繁に演じ分けていくことの意味がここにある。このミュージカルを観る誰もが、いつどちらの立場に立つか知れない。その時「あなただって、同じことをしたでしょう」と言ってもらえる行動に出られるのかどうかも正直わからない。けれども、そうできた人々が現代の、この地球上に確かにいて、育んだ友情が続いていると、キャストたちが、作品が伝えてくれることで、自分以外の他者を見る目が例え僅かでも変わっていく希望が生まれる。困った時には人と人とが手を差し伸べあえる可能性がある。敢えて繰り返せば、人って捨てたものではないのだ。少なくともそう信じてみようかと思わせてくれる力を持つ、このミュージカル『カム フロム アウェイ』を日本で上演してくれたことに感謝したい。
その尊さを大きく押し上げたのが、よくぞ集まれたと感嘆するしかない、日本初演を担うキャストの面々、安蘭けい、石川禅、浦井健治、加藤和樹、咲妃みゆ、シルビア・グラブ、田代万里生、橋本さとし、濱田めぐみ、森公美子、柚希礼音、吉原光夫(五十音順)という12人だ。言うまでもなく、このメンバーはそれぞれが看板を張れるミュージカル界の大スターたちだ。その12人が誰一人として、自分が自分がと前に出る芝居をせず、プリンシパルでありアンサンブルでもある群像劇を担い、見事に調和しながらちゃんとそれぞれの個性を発揮している。逆説的に言えば、これができる人たちの集まりだからこそ、必要以上に自我を張ることなく作品に献身できるのだと、改めて感嘆させられた。
しかも物語展開のスピードが非常に早いので、大きな役柄は別として、いま役が変わった?と疑問符がつくところが全くないと言ったら嘘になるが、キャストの個性が立っていることで、その混乱も大きなものには決してつながらない。おそらく日生劇場よりはもう少し小さな劇場を想定して作られている作品だと思うが、その空間を楽々と埋めたのもこれだけのスターが揃ったからこそだ。
そんな面々が演じる数多の魅力的な役柄は、変身の妙味の最たるところだから、実際に観劇して確かめて欲しいので、ここでは代表的なところだけを語ると、テキサスから来た離婚経験者で昔気質のダイアンの安蘭けいの、分別ある行動をしようとする理性がふと揺れる瞬間と、それをまた押しとどめようとする心の綾の表現の見事さがいつもながら素晴らしい。それに対して、仕事一筋のイギリス人石油技師ニックの石川禅の、どんな役柄も適役に見せる卓越した演技力のなかでも、こうした「良い人」の造形に流れる温かさが最も心を打つ、じれったくなるほどの微妙な好意の伝え方から生まれる二人の交流は、最後の最後まで気を揉ませて展開が予想できないうちに、いつのまにかついつい肩入れしていたほど。この二人の交流の行方も是非見届けて欲しい。
アメリカン航空初の女性機長ビバリーの濱田めぐみは、「9.11」にこの立場で向き合わなければならないビバリーの深い懊悩と、初の女性機長という立場だからこそ重くもなり、大きくもなる職責への矜持を、力感のある演技で立ち上らせている。劇中随一と感じるソロナンバーがある役柄でもあり、心震わす歌声と共に伝わる思いに涙させられた。
マンハッタンの消防士の母ハンナの森公美子は、役柄の説明だけで案じるしかない思いになるキャラクターの焦燥を的確に表現して、その必死さと共にある微細な表情変化に目を奪われる。根底に明るさのある役者だけに、パッションとバイタリティがある役柄に代表作が多いだけに、こうした役どころはむしろ新鮮で、大ベテランに対してと思いながらも新境地と言いたい芝居が胸に響いた。
ロサンゼルスの環境エネルギー会社社長のケビンTの浦井健治は、自分の順応力の高さが恋人のそれと少しずつすれ違っていくことを、なんとかはぐらかそうとする、その振る舞いがすなわち恋人への愛情の深さを感じさせる、この人らしい優しさの表出が温かい。別のポイントで歌う場面も、どこか牧歌的な慈愛があるのが、あぁ浦井の良さだなとしみじみと思わせてくれた。
その恋人で秘書のケビンJの田代万里生が、この事態に戸惑いと苛立ち、そして恐怖も感じていて、一刻も早く帰りたいと願う気持ちにはストレートに共感できるだけに切なさが募る。この二人の行く末も気がかりだし、12人それぞれがそうなのだが、田代はなかでも兼任する役柄が大きく、立ち姿の変化で人物が入れ替わる妙に、近年高め続けている役者魂の噴出を観る思いがする。
役者魂と言えば、筋金入りのニューヨーカー・ボブの加藤和樹がまたとびっきりで、台詞のないところの表現も含めて舞台上で役を入れ替わることを、本人も楽しんでいるのだろうな、がよく伝わってくるのが舞台の熱量を高める。どの役柄も、どのキャストもそうなのだで嬉しい悲鳴と言うはかないが、なかでも特に1日割り切って加藤を観る日を作りたいと思えるほど、その存在から演劇の喜びがあふれている。
その演劇の喜びが、こちらも舞台の一挙手一投足からこぼれ出るのが、ガンダーの町長クロードの橋本さとしで、うろうろと慌てたり、情けない表情も見せつつ、いざとなったら全ての責任はちゃんと担ってくれるだろう、政治をする人はこうでなければと思える町長を造形して、豪華カンパニーの要になっている。実はこの「町長」にも仕掛けがあるので、是非注目して欲しい。
ガンダー・レジオン(在郷軍人会)会長ヒューラの柚希礼音は、決断が早く行動力に優れ情にも厚い、こちらも理想のリーダー像が柚希の持ち味にピタリと合ったことも奏功して、役柄と本人の存在感が際立った。短い言葉に様々な思いが含まれている台詞の彩も耳に残り、柚希が発する包容力の豊かさが、群像劇のなかでより鮮明に感じられたのがなんとも印象的だった。
その耳に残るという意味では、ガンダー警察署巡査オズの吉原光夫が、役柄に一気に没入していく日頃の燃えるような演じぶりとはひと味異なり、軽やかさを保ちつつも、歌声や台詞の一つひとつをズシッと届けるバランス感覚がいい。どうしたって焦燥に耐えられない者も出る事態のなかで、怒らせずに相手も説得する、また諦めさせる言葉にも不思議な可笑しみがあるのが、良い効果になっている。
三児の母でガンダー地区動物愛護協会会長ボニーのシルビア・グラブは、動物を守るためになら規則もなんのそのの深い愛情に、ちょっとしたユーモアを潜ませる間合いの良さが絶品。長い台詞もひと言の台詞にも、思いがこもりそこで生きている人を確かに感じさせる力量が光った。ここでも石川禅が別の役柄で大きな役割りを果たしているので、関係性の異なる色合いも楽しんで欲しい。
一方地元テレビ局の新米レポーター・ジャニスの咲妃みゆは、役柄上現況をレポートしている、つまり客席に状況説明をしている台詞が最も多く、その全てをきちんと届けつつ、レポーターという仕事のシビアさに打ちのめされていく様に人間味を感じさせて惹きつけた。12人のなかにいると可憐さが自然ににじみ出るが、芝居や動きは深く鋭いギャップの魅力も興趣を生んでいる。
この12人それぞれが、前述したように“カム フロム アウェイズ”とガンダーの人々とを兼務するだけでなく、更に多くの役柄を演じる舞台は、回り舞台も駆使した100分間ノンストップ。100分と聞いた時には短い?と感じたものだったが、観終わってみれば目の前で人が演じている、演劇にしかできない構成と演出の妙が、本当に100分?と驚くほど濃密な、心に響くものが多くある見応えある作品を形成していた。そんな舞台に出ずっぱりの12人の役柄をたった4人でいつでも演じられる状態にしているという、頭を垂れるしかないスタンバイキャストの上條駿、栗山絵美、湊陽奈、安福毅の4人と、ミュージシャン、そしてこの作品を創り上げたスタッフ全てに敬意を表したい。殺伐とするばかりの世の中に、この舞台が灯してくれる希望の光を多くの人に受け取って欲しいと願っている。
(文・撮影/橘涼香)
ブロードウェイミュージカル『カム フロム アウェイ』
■公演期間:2024年3月7日 (木) ~2024年3月29日 (金)
■会場:日生劇場
■脚本・音楽・歌詞:アイリーン・サンコフ/デイビット・ハイン
■演出:クリストファー・アシュリー
■出演:安蘭けい、石川 禅、浦井健治、加藤和樹、咲妃みゆ、シルビア・グラブ、田代万里生、橋本さとし、濱田めぐみ、森 公美子、柚希礼音、吉原光夫(五十音順)
■スタンバイ:上條 駿、栗山絵美、湊 陽奈、安福 毅(五十音順)