「人間が見て見ぬふりをしている現実、感情と向き合う時間を制作する劇団」を旗頭に活動を続ける劇団時間制作 10周年公演『哀を腐せ』が、8月17日(木)~8月27日(日)池袋の東京芸術劇場シアターウエストにて上演される。
劇団時間制作は、脚本・演出を担う谷碧仁が2013年に立ち上げた劇団。
いま社会に起きている問題を丁寧に掬いあげ、決して正義を押し付けるのではなく、でも「他人事ではありませんよ」と、演劇を通して観る者に考えるきっかけを届ける数々の作品を発表し続けている。
そんな「劇団時間制作」が10周年にあたって上演する第一弾公演が『哀を腐せ』(アイヲクサセ)。
多くの犠牲者を生んだ一件のバス事故で結成された「被害者の会」の人々が、刑事裁判も民事裁判も望む形で終結したあと、終わったことによってはじまった対話によって、腐る事のない哀しみに目を向けざるを得なくなっていく様が、谷碧仁ならではの対話、対話、対話によって描かれていく作品だ。
テーマは「どう生きていくか」で、10月に上演予定の『トータルペイン』のテーマ「どう死んでいくか」と一対になっているという。
その『哀を腐せ』で「どう生きていくか」に向き合っているキャスト、スタッフが本番まで2週間を切った猛暑の午後、稽古を重ねているスタジオを訪ねた。
総勢10名のキャスト岡本夏美、青柳尊哉(稽古場見学日は欠席)、安西慎太郎、松田るか、鬼頭典子、杉本凌士、長内映里香、山口まゆ、佐々木道成、太田将熙が、各々の役柄に扮して、演出の谷が見つめるなか、対話を続けている。
それぞれが扮しているのはバス事故の被害者本人、被害者家族という役柄だが、各々が置かれた状況は大きく異なっている。事故によって障害を負った者。家族を失った、或いは未だ入院中の者。家族構成が変わったことで、残された身内の生活に責任を負わざるを得なくなった者等々立場を異にする者同士は、ある意味「裁判」を戦うことで繋がっていられた。
それが結審したいま「被害者の会」が今後どうあるべきか、という方向性を出そうとしたとき、考え方も違ってくるのは思えば当然かもしれない。
展開されていたのは、そんな10人が意見を交わすうちに、次第に激しい口論になっていく場面だったのだが、稽古場の一角に座らせてもらってほどなく、感情が激して台詞の順序が逆になった松田るかが「いつもここで迷う」という思いを訴えると、なぜそうなるのか?に谷が丁寧に向き合い「こう考えてみて」と示唆し、またそこから松田と谷の解釈のすり合わせが行われたことに新鮮な驚きがあった。
脚本も自ら書いている演出家に対して「台詞を言い間違ってすみません」ではなく、率直な疑問や気持ちを伝えられる姿にいきなり接して、あぁ、この稽古場の風通しは非常に良いに違いない、と早くも期待感が高まる。
その期待はあっという間に確信になった。とにかくひと言、ひと言の台詞を揺るがせにしない稽古のなかで、全員が考え、意見を出し合う様が目の前に積み重なっていく。誰もがどんどん疑問をぶつけるし、それに対して演出家もとにかく柔軟で、演出席から幾度となく飛び出し「じゃあこうしたらどうだろう」と、一人ひとりの位置や、動きを確認しながらの稽古が続く。
「被害者の会」のなかで、まとめ役的な位置にあるのかも?と思われる役柄の太田将熙が、周りをよく見ている役どころだけに、流れのなかで台本にない反応、台詞を言ってしまいそうになる、という問いかけにも、谷は「言っていい、その方がいいこともあるよ」と実にフランクで、一人の役柄が発した台詞を他の人がどう受け止めるかから、新たに生まれる緊張感や、臨場感をとても大切にしていることが伝わってくる。
だからこそ決められた動きではなく、感情で動いてOK。というスタンスも貫かれているのだが、とは言え、10人が舞台に居続けるため、当然交通整理が必要になることも多い。けれども谷は一度創ったことに全く頓着せず、「ここどう動いてたっけ?」のような話になって「こうじゃなかった?あ、思い出した!」と稽古場が笑いに包まることもあれば「こう動いてみたくなったんだけど…」との役者の思いに「それがこの解釈からきているならあり」だと、真摯な説明をしていく流れに繋がることもある。
谷脚本らしく、「被害者の会」の面々が話している“いま”から、事故が起きた“あの日”へと時空が飛ぶ場面が、照明も作りこまれたセットもない状態で全く混乱なく提示されるのも脚本、演出の妙はもちろん、一人ひとりの俳優の理解度の高さ故だろう。
その緊張感が持続しているなかで、劇団員の佐々木道成のある動きにツッコミが入り、そこにまた演出家がツッコんで爆笑が生まれるなど、メリハリがとてもクリアだ。この場面では動きが多くない岡本夏美、安西慎太郎、長内映里香、山口まゆも、頻繁に動き回らないからこそ、ひとつの移動、ひとつの会話でのそれぞれの存在が強烈に意識に残っていく。
そこから鬼頭典子と杉本凌士の迫真の演技が続く。
それもはじめ「親でしょう?」という呼びかけを「?」でなく「親でしょう」と言い切った方が次につながるという谷のサジェッションからはじまった流れで、次の台詞を鬼頭の役柄から杉本の役柄に対する、一対一の会話ではなく「周りに広げてみたらどうだろう、みんなを巻き込んでもいいかもしれない」という谷の提案で、場面の見え方が全くと言っていいほど変わったのに目を瞠った。
瞬時に対応する鬼頭や杉本もすごいが、その芝居の変化に的確にキャッチして反応していくキャスト全員の瞬発力も半端ではない。
演劇ってひとつの解釈でこんなに広がっていくものなのか…は、もちろん本番をリピートした客席で思えることも多いが、未だ完成していない作品の、模索の最中の稽古場だからこそ顕著に感じられる、演劇の醍醐味の神髄を目の当たりにした思いがした。
と、ここまでで1時間20分ほどの時間が過ぎていたのだが、稽古が進んだのはなんと台本にして4ページ弱。谷によると「2ページで2時間かかることも珍しくない」のだそうだ。創っては壊し。創っては壊して一つひとつの台詞、解釈を全員で考えていく。
重くないとは決して言えない谷の生み出す世界観は、こんなにも緻密な稽古を重ねて、キャスト全員の力の結集で生み出されていくのかと、しみじみと感じられた。繰り返し、繰り返し、同じ台詞を口にしながら、一回ごとに感情を昂らせ、涙し、激高し、また醒めてもいく俳優たちの熱量は休憩に入っても変わらず、それぞれが反芻し、年齢やキャリアの垣根なくフランクに話し合い、谷に質問にいく姿勢に現れていて、ここから本番の舞台がどこまで高みに昇っているのかに、ドキドキするような思いで稽古場をあとにした。
常々「天才」を感じさせる脚本家・谷碧仁の紡ぎだす台詞は、カンパニー全員で作品を作り上げる演出家・谷碧仁のあくまでも柔軟な姿勢と、俳優たちとの緻密な稽古によって形になっていく。その一端を見せてもらえた貴重な時間だった。ここから築き上げられる本番の舞台『哀を腐せ』を是非、劇場で体感して欲しい。
(取材・文・撮影/橘涼香)
劇団時間制作 10周年記念公演「哀を腐せ」
<あらすじ>
多くの犠牲者を生んだ一件のバス事故
刑事裁判も民事裁判も、被害者の会が望む形で終結した
しかし終わった事で始まった対話により
腐る事ない哀しみが襲い掛かる
解散か。存続か。それとも…
禁断の後日談が幕を開ける
‘‘哀しみ‘‘で繋がっていたはずだった
・脚本・演出
谷碧仁
・公演期間
2023年8月17日 (木) ~2023年8月27日 (日)
・会場
東京芸術劇場 シアターウエスト
・出演
岡本夏美
青柳尊哉
安西慎太郎
松田るか
鬼頭典子
杉本凌士
長内映里香
山口まゆ
佐々木道成
太田将熙
前回公演『12人の淋しい親たち』
◆『12人の淋しい親たち』公演レポート