【公演レポート】浅利演出事務所『アンドロマック』

【公演レポート】浅利演出事務所『アンドロマック』

芳醇な言葉の泉のなかから湧き上がる人間模様の妙!

あまりにも濃く、熱く、一途にすれ違う男女四人の恋情が思わぬ最後を迎える、ジャン・ラシーヌの傑作戯曲による舞台『アンドロマック』が東京・浜松町の自由劇場で上演中だ(29日まで)。

『アンドロマック』は、フランス演劇の巨匠ジャン・ラシーヌが、トロイ戦争後のギリシャを舞台に繰り広げられる、男女四人の恋愛悲劇を描いた作品。
交錯する思いと駆け引き、恋する相手を道理も責任も打ち捨ててわがものにしようとする人間ドラマが、実はたった1日に起こった出来事という、濃密な会話劇が展開されている。

【STORY】

トロイ戦争にギリシャ軍として参戦したエピール国王ピリュス(阪本篤)は、その武勲を讃えられ、スパルタ王より王女エルミオーヌ(坂本里咲)を婚約者として与えられる。ところが彼は、捕虜として連れ帰った敵方の妃アンドロマック(野村玲子)に心を奪われ、ギリシャ軍の意向に背き、その息子アスティアナクスともども宮殿内に匿っている。そのピリュスに対して広がるギリシャの不信と不満を収拾すべく、今は亡きギリシャの総大将アガメムノンの息子オレスト(近藤真行)がピリュスのもとを訪れる。表向きはトロイ王家の血を引く遺児アスティアナクスを生贄として差し出させるのが訪問の理由だが、オレストの心中は熱愛する従妹のエルミオーヌのことでいっぱいだ。

ピリュスはアンドロマックを愛するあまり、エルミオーヌとの婚礼を延ばし延ばしにしているが、当のアンドロマックは、亡夫エクトールへの貞節を守り、彼の求愛を拒み続けている。一方エルミオーヌは、ピリュスに裏切られた怒りと嫉妬のあまり、彼とアンドロマックの仲を引き裂こうと謀る。そして自分に思いを寄せるオレストを利用し、恐ろしい復讐の企てに引き込んでいく。

自分の意に添わないアンドロマックに業を煮やしたピリュスは、遺児をギリシャに生贄として差し出し、エルミオーヌを妻にすると言い出す。アンドロマックは愛息の命乞いにエルミオーヌのもとへやって来るが、彼女が憎いアンドロマックの言葉に耳を貸すはずもない。絶望したアンドロマックに残されたのは、ピリュスの慈悲にすがることだけだった。未練たっぷりのピリュスは、自分の妻になってくれるならエルミオーヌとの婚約を破棄し、アスティアナクスの命を助けようと申し出る。

愛息を守るために決断を迫られるアンドロマック。裏切りに憎悪の炎をたぎらせるエルミオーヌ。国運を賭けて愛を選択するピリュス。思いがけない展開に混乱するオレスト。運命の歯車が回り、愛と復讐劇にはどんな結末が訪れるのか……

舞台の幕が開いてから最後の瞬間まで、迫ってくるのはあまりにも芳醇な言葉の洪水だ

何しろ一人の台詞が長いだけでなく、そのほとんどが状況を説明しているというよりも、激情にかられ千々に乱れる胸のうちを語り続けていくものなのだ。しかもそれぞれが本来取るべき立場を知りながら、分別では押さえられない恋の炎に身をこがしているから、こうであれねばならぬと、こうありたいの間で、誰もが揺らめき、せめぎ合い、己と戦い続けている。それはもうその場、その場ではある種の一人芝居にも聞こえるほどの葛藤の連続だ。けれども、その長い台詞の数々が、ひと言も欠けることなく耳に届くばかりか、どこかでは歌を聴いているような気持ちにさえなってくる、野村玲子以下俳優陣の巧みな「朗誦術」がなんとも心地よい。

作品はそもそも1667年にフランスで初演されていて、しかもラシーヌの原文は、12音節の韻文で綴られているという。この母国語でない戯曲が韻を踏んでいるというのは、翻訳の困難をいや増しに大きくするものだと思うが、そんなリズムを持った言葉で綴られた戯曲を、宮島春彦が格調高く日本語に翻訳するという偉業を成し遂げての日本初演は1966年。日生劇場プロデュース公演として浅利慶太演出で上演され、そのわずか2か月後の再演でテアトロン賞を受賞しているというから、さぞ見事な舞台だったに違いない。

そこから長い時を経た2002年と2004年、既に劇団四季が日本を代表するミュージカル劇団として勇名をとどろかせていたころ、作品に再び取り組んだ浅利慶太にはどんな思いがあったのだろう。全く想像の域を出るものではないが、そこには劇団経営者として優れた手腕を発揮し続けた浅利が、のちに一演出家として人生をまっとうしようとした心根とが、どこかで重なっているように思えてならない。それほどこの2002年と2004年の上演は、歌とダンスに彩られたミュージカルの魅力とは全く異なる、「言葉」だけで綴られた人間ドラマの力強さと美しさを示していて、ここにもうひとつの大きな演劇の醍醐味がありますよと、教えられた思いがしたものだ。

350年も前に書かれた古典劇が、どこか身近に思えるほどの感覚

そしてまた時が流れた2018年の上演を経て、浅利の演出を継承すると共にタイトルロールとして舞台に立ち続ける野村玲子をはじめ、キャストの面々が紡ぎ出すこの2022年の舞台には、やはり会話劇の力の真髄があった。それは、トロイの木馬であまりにも有名な「トロイ戦争」の後日談とも言える350年も前に書かれた古典劇が、そのしつらえにもかかわらず、全く遠い世界のこととは感じられず、登場人物たちの思いや、慟哭と決断が、どこか身近に思えるほどの感覚だった。つまりそれほど、恋するあまりに我を忘れる激情や、嫉妬、憎しみ、所有欲等々の、人の感情というものは古今東西変わらないのだろう。しかもSNSが行き渡り、文字情報の伝達が当たり前で、電話すら億劫がられるこの時代に、「言葉」にはこれだけ大きなドラマを生み出す力があるのだと、力強く伝えてくる舞台が尊い。

そんな作品で、タイトルロールのアンドロマックを演じた野村は、ある意味でファムファタールでもある傾国の美女を、あくまでも夫への貞節を守り抜く妻と、是が非でも我が子を生かしたい母の両面に引き裂かれる心根を持つ、貞淑な女性として語りつくしている。途中侍女セフィーズが説くように、とりあえず子供を優先して虜囚の身の上から、エピール王妃となった方が、亡き夫も喜ぶのではと思う瞬間もあるのだが、子供を盾に自らに求愛しているピリュスが自分の夫をはじめ、一族を惨殺した様が語られると、彼女の懊悩に一気に共感させられる。この血塗られた過去もまた言葉だけで伝えられるのだが、野村の台詞術と吉井澄雄の照明が相まって、惨劇のありさまが目に見えるように浮かび上がることも、舞台に鋭さを加えていた。

登場人物たちは全て一途だが

そのアンドロマックに王である自ら、ひいては自国の安泰さえ危うくするのをわかっていて求愛を続けるエピール国王ピリュスの阪本篤は、恋の狂気に囚われた王という面よりも、むしろ何はさて置いても突然落ちてしまった恋情に純粋であろうとする、誠実な部分がより強く見えたのがこの役どころとしては新鮮だった。上背もあり堂々とした立ち居振る舞いが舞台映えすることも併せ、散々な目にあっているはずの婚約者エルミオーヌが、恋心を捨てられないことに説得力があるピリュスだった。

そんなピリュスに何度も婚姻を引き延ばされ、誇りを傷つけられ続けているスパルタ王女エルミオーヌの坂本里咲は、ピリュスに復讐を誓い計略をめぐらせる誇り高き王女の顔と、そのピリュスに尚恋焦がれている夢見る少女の顔とが、めまぐるしく入れ替わる役柄を威厳ある声と、軽やかに浮き立つ声の変化で巧みに表現していく。一途と言うなら、この作品に出てくる登場人物たちは全て一途だが、そのなかでもエルミオーヌの一途さは突出していて、そうした思いを持った姫が謀を企てることの恐ろしさを感じさせた。

敵将の忘れ形見をギリシャ方に差し出せとピリュスに迫る為にやってくる全ギリシャの使者オレストの近藤真行は、エルミオーヌを愛しているばかりに己の運命を狂わせていく人物を、むしろ自ら運命を引き受け切り拓こうとする勢いをもって演じているのが、舞台に一陣の風を吹かせていく。おそらくこの物語のなかで最も大きな理不尽を背負う役柄だと思うし、それだけに共感も呼ぶ武人を潔くただ懸命な人物に見せたことが、オレストにすべてが集中する終幕を支えていた。

言葉の泉に満たされ、幸福を感じる舞台

彼ら見事なまでにそれぞれのベクトルが一方に向いていく男女に、ある時は心の揺れを諫め、ある時は案じながら、結局は主人のどんな決断をも受け入れて共にあろうとする従者が付き従っていることも、観る者の共感を助けてくれる。オレスト付きのピラドの坂本岳大は、オレストに対して「親友」とも取れる立ち位置で、二人の関係に磊落さがあるのが魅力。特に声に独特の個性があり、場所が自由劇場ということも作用したとは思うが、ふと日下武史を思わせたのが殊更に印象深かった。

エルミオーヌに従うクレオーヌの田野聖子は、気持ちが揺れ続ける姫君を心から案じつつも、どんな決断をも受け入れる「母」の慈愛を感じさせて、台詞のないところでもクレオーヌの反応が気になる温かさを示した。一方虜囚となったアンドロマックに一身を捧げているセフィーズの服部幸子は、敬愛する妃をなんとか助けたい「姉妹」のような物言いに、この人の言うことを聞き入れて欲しい!とこちらの感情を同調させる力があり、終幕ののちのセフィーズの運命にも思いを馳せた。そして、ピリュスの従者フェニックスの山口嘉三は、なんとか主人に国王の使命を思い出させようとする「父」の如き存在を、矜持をもって表現していて、ピリュスのひと言一言に得心し、また落胆する様が、少ない動きのなかでも手に取るように伝わってきて作品を引き締めた。

他に兵士として登場する折井洋人関廣貴高山裕生政田洋平は、舞台への出番そのものこそ多くはないが、この作品の稽古から本番を共にした時間は俳優としての彼らの未来に大きな糧になったことだろう。

全体としてこの激動のドラマがたった一日の出来事であることを伝えた吉井澄雄の照明に照らされ、金森馨の装置のなか登場人物がまるで一幅の絵画のように舞台空間に在る浅利慶太の演出を、忠実に守り引き継ぐ野村演出と共に、言葉を伝えることに最も適した自由劇場の空間が、言葉の泉に満たされる幸福を感じる舞台だった。

(取材・文/橘涼香 撮影/友澤綾乃)

『アンドロマック』

公演期間:10月22日(土)~10月29日(土) 
会場:自由劇場

出演
野村玲子 阪本篤 坂本里咲 近藤真行
山口嘉三 坂本岳大 田野聖子 服部幸子
折井洋人 関廣貴 高山裕生 政田洋平

スタッフ
原作◇ジャン・ラシーヌ
翻訳◇宮島春彦
演出◇浅利慶太
2022年再演版演出◇野村玲子
装置◇金森馨
照明◇吉井澄雄
コスチューム・デザイナー◇ルリ・落合
音楽◇松村禎三
美術監督◇土屋茂昭

料金:6,600円(全席指定・税込)
お問い合わせ:サンライズプロモーション東京 0570-00-3337(平日12時~15時)
公式サイト:https://asarioffice.jp/andromaque2022/

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