12月5日(木)から王子小劇場でmaars inc.の『夫婦』が上演される。開幕に先駆け、11月下旬の稽古場を取材した。
『夫婦』は劇団ハイバイを主宰する岩井秀人が、自身の家族をモチーフにして描いた自伝的作品だ。妻や子どもに対して理不尽な暴力を振るってきた父親。しかし外では優秀な外科医の一面も持ち、職場では頼りにされる存在だった。その父親が肺がんで亡くなった。治療内容をめぐり不信感を高めていく妻と子供たち。「死」を願うほどの凄まじい暴力を振るう父に、なぜ母は最後まで寄り添ったのか。主人公である息子は岩井の本名で登場する。家族の深部を赤裸々に描いた「ドキュメンタリー演劇」とも呼ばれ、話題を呼んだ作品だ。
2016年初演の本作を、今回、日本人演出家として初めて廣川真菜美が演出し、主宰の団体maars inc.で上演する。私小説的な作風が故に、これまで高校演劇や一部の例外をのぞいて自身の脚本の上演許可を出していなかったという岩井秀人。しかしmaars inc.の第一回公演『こどものじかん the Children’s Hour』を観て「(自分の作品を)やってみないか」と声をかけてくれたとのこと。
脚本はそのまま、セリフも一字一句変えずに演じられるそう。廣川自身も父親を病で亡くし、その医療に疑問をもった経験があるとのこと。
この日の稽古には「稽古も一緒に楽しむチケット」を購入した観客2人も同席していた。役者は主演の板橋廉平を筆頭に揃い、パイプ椅子を並べてセットに見立てた空間で稽古が始まった。中央のハンガーラックには、不思議な形に切り取られた青いビニールシートがかけられていた。 「お前たち満喫してるのか?自由を満喫してるのか!」と冒頭、父親の怒声が響く。子供たち3人を正座させ、酒に酔っているのか矛盾する言葉を発する。子どもは、父親に反抗するも暴力で跳ね返されてしまう。
父親役の山森信太郎は体の厚みもある大柄な男性で、そんな父親が子どもに暴力を振るうシーンは、リアルで迫力があり、観る者に強い印象を残した。岩井秀人役の板橋廉平も、兄役の安楽信顕も決して小柄ではないが、この父親には敵わないであろうとの説得力のある肉体だ。
小林春世演じる姉も黙っていない。強権的な父親にも言い返す、知的で勝ち気な女性を思わせる。しかし「誰に養ってもらってるんだ!」の言葉には敵わない。家父長制の頂点に君臨する父親とその従者である子どもたちの絶対的な関係性が見られる。
暴力を働く父親の怒声と子どもたちの悲鳴が響き、息苦しくなるほど。
そこに一本の電話が入り、父親は病院に息子を連れて駆けつける。父は病院に勤務する外科医であった。痛みに苦しむ急患を看ながら同僚とゴルフの話に興じる父親。
患者にとっては生死を分ける境目かも知れないのに医師にとっては、日常茶飯事のごとく雑談をしている。会話の内容や、そのディテールもリアルでまさにドキュメンタリーの一場面を見ているようだった。
そしてこの父親が家庭では暴君だが、有能な医師であり、ゴルフをするような体力も社交性もある成功した男性であることがうかがえる。
暴力に怯える子どもたちは「いつか殺そう」とも誓い合う。
そんな悪魔のような父親がガンで倒れた。
肺ガンだった。ベッドに横たわる父親は別人のようになっていた。
駆けつけた秀人に、姉は順を追って治療の経過を説明する。まずガンの手術自体は成功したが、その後、肺の切断面が塞がらず、そのため脇腹から穴を開け、その部分にわざと炎症を起こす薬液を投与し、癒着させると言う凄まじいものだった。
しかも何度も。淡々と説明する姉の言葉に時折、母の言葉が入る。明らかに治療法に不信感を抱いているようだ。しかし、この治療法は外科医である父も患者に施してきたものだった。「こんなに苦しいものだと思わなかった」と父が嘆いていたと母が言う。
自分が患者に施していた治療を自分の身をもって体験して、初めてその過酷さを知る。これが実話に基づいているとは、なんて皮肉なことなんだろう。
父の暴力に苦しめられてきた母だったが、父に施された医療は果たしてどんなものだったのか、今後の医療に役立てるためにも遺体を解剖し教えて欲しいと願う。
それと並行して葬儀の準備が進められていく。医師のほか、葬儀屋になったり牧師になって登場する大竹周作が狂言回し役で、アクセントになっている。
葬儀会場で父との馴れ初めを語り始める母。
母は大学時代アルバイトで細菌研究所に勤務し、医師である父とはそこで出会った。
若い日の父は今とは全く違い、女性の社会進出を応援するようなリベラルな思想を口にする男性だった。「これからは女性の時代だ」が口癖だ。
そして母は研究に楽しさを見い出すようなオタク気質の性格で、普通の若い女性のような恋愛や結婚願望はないようだった。そんな女性を菊池美里がはまり役のように演じている。
その後、父が結核に罹り入院。病室にお見舞いに行ったことで距離が縮まったが、その描写が本当にリアルで印象的なのだ。特にドラマチックなことはなく、父が手に持っていた絡んだチューブをほどく作業を母が何気なく手伝うシーンが微笑ましい。
このように本筋とは関係なく、一見無駄とも思えるシーンや会話が散りばめられていて、その切り取り方の鮮やかさに驚嘆する。とりとめのない会話が実はその人の本質を表していると感じる。
母と父のその後の結婚生活も描かれ、リベラルな思想を口にしていた普通の青年が、支配的な夫になっていく片鱗を見せる。言葉の端々に妻とは何であるかを匂わせる父との不穏な会話と、医療ミスを巡る医師と緊迫した問答が並行して進行する。自分の言葉で語ることができない若い医師を南川泰規が演じ、緊迫感を加速させていく。
公開された稽古はここまで。全編の5分の3あたりまでになると言う。
ここまで観て、この作品を最後まで見たら、今、SNSでもたびたび話題になる「普通の優しい男性が、なぜDV夫になるのか」の一つの答えが見える気がした。そして医療が発達した今でも、日本人の死因トップであるガン。残される家族にとって何が最善の治療なのか、考えを深める経験にもつながると思う。このように扱うテーマは重たく、つらいシーンもあるが、家族の日常や葬儀に関するやりとりは大真面目だからこそコミカルで、思わず笑いがもれる。
休憩に入る前に廣川から役者一人一人に向けた短い言葉があった。セリフをなるべく役者自身の肉声に近づけ、実感を込めた言葉に落とし込むことに注力しているようだった。
そして新しい試みとして夫婦の過去のシーンを息子がハンディカメラで撮影し、それを舞台上に設置したモニターに上映するとのこと。その調整作業も行われた。
昔のホームビデオのようなブレもある画像が、どんな視覚効果をもたらすのか、こちらも楽しみだ。
そして今回の「稽古も一緒に楽しむチケット」のほか、各回の終演後に「帰りの会」(参加チケット1000円)を設け、観客同士が自由な感想を話せる時間を作るとのこと。こちらも初めて知り、ぜひ参加したいと思う。
実際に稽古を観た後、あらすじを友人3人に話すと医療従事者や母親など、それぞれ異なる立場から違った見解を聞いて目が開く思いがした。友人から両親2人を看取った話も初めて聞いた。誰かに話したくなる演劇なのだ。
演劇は「他人事」であるからこそ、それを叩き台にして私的な体験も語りやすくなる。医療ミスやDVと言った問題を、演劇を通して話しやすい環境を作る。社会的にも意義のある試みだと思う。
(取材・文・撮影/新井鏡子)
公演情報
maars inc.『夫婦』
公演期間:2024年12月5日 (木) 〜 2024年12月8日 (日)
会場:王子小劇場(東京都北区王子1丁目14-4 B1F)
■出演者
板橋廉平
菊池美里
山森信太郎(髭亀鶴)
大河日氣
小林春世(演劇集団キャラメルボックス)
安楽信顕
片桐美穂
大竹周作(演劇集団 円)
南川泰規(空晴)
■スタッフ
作:岩井秀人
演出:廣川真菜美
稽古場進行:前原麻希 舞台監督:織田圭祐
舞台美術:新村明佳 照明:黒太剛亮
音響:星知輝 映像:高畑陸
衣裳:小泉美都 宣伝美術:茶谷果倫
Environment Manager:西村高史
舞台写真:保坂萌 制作:三國谷花
助成:公益財団法人東京都歴史文化財団 アーツカウンシル東京[スタートアップ助成]
協力:演劇集団 円 / 空晴 /演劇集団キャラメルボックス / 黒猿 / 株式会社地球儀 / ナッポスユナイテッド /ニュービデオシステム / ハイバイ / 髭亀鶴 /マッシュ / 豆庵 / ロットスタッフ /(株)WARE(50音順)
主催/製作:maars inc.
■公演スケジュール
12月5日(木)19:30
12月6日(金)14:00/19:30
12月7日(土)13:00/18:00
12月8日(日)13:00
※開場は開演の30分前
■チケット料金
【基本自由席/一部指定席】
●自由席
前売り:4500円
前売り+帰りの会参加チケット:5,500円
ふうふ割(2人1組):8,500円
ふうふ割+帰りの会参加チケット(2人分):10,500円
稽古も一緒に楽しむチケット(序):7,000円
稽古も一緒に楽しむチケット(破):7,000円
稽古も一緒に楽しむチケット(急):7,000円
稽古も一緒に楽しむチケット(序破急):10,000円
●指定席
お弁当差し入れチケット:20,000円
スペシャルチケット:40,000円
(税込)
※チケットの内容に関しては【公式HP】をご覧ください。