劇団創立35周年記念作品は「人に備わる無垢なる善意」が主題 世に悪意が溢れる今、善意や無垢に浄化されるひとときを

劇団創立35周年記念作品は「人に備わる無垢なる善意」が主題 世に悪意が溢れる今、善意や無垢に浄化されるひとときを

 2025年に劇団創立35周年を迎えたカムカムミニキーナが、今秋『くまむく~閻魔悪餓鬼温泉騒動記~』を上演する。2013年に同劇団で上演された『熊の親切~閻魔悪餓鬼温泉騒動記~』をベースに、グレードアップした内容になるという。作・演出の松村武、劇団員でありキャストの八嶋智人に、本公演に寄せての意気込みや、長く関わり続けている演劇への想いをざっくばらんに話してもらった。


―――劇団創立35周年という節目の年に、松村さんが『熊の親切』という作品に再び目を向けたいきさつを教えてください。

松村「カムカムミニキーナでは、再演ってそんなにやらないんです。逆に言うと、狙った節目のタイミングみたいなところでやったりはする。今回も周年で、それなりに色々打ち出していこうと考えたときに、いつものペースで新作をやるとギリギリまで内容がわからないし、チラシに書いてあることと実際が違ったりするな……と(笑)」

八嶋「ウチはほぼ100%、そうですけどね(笑)」

松村「過去の作品に『またやってもいい』と思えるものはいくつもあるので、こういうときに、昔、好評だったものをやるのはいいかなと。それに『熊の親切』は若手の人たちが中心の公演でしたが、今回は本公演の予算規模とキャストが揃う環境であり、作品自体も“拡大”するイメージが持てたので、タイトルを変えてまたやってみようかなと思いました」

―――『熊の親切』は説教節(※中世末から近世にかけて行われた語り物芸能の1つ。僧侶による説教に節がつき、音楽的に語られるようになったもの)の『小栗判官』をベースにしているそうですね。

松村「中世に僧侶などが道端で演じていた説教節みたいな作品は、当時はきっとたくさんあったはずですが、今は根幹のところだけが残っているのだと思います。『小栗判官』は1,000年ぐらい残っていて、物語にちなんだ寺や温泉などもある。いずれ劇作にしたいラインナップは僕の中に色々ありますが、2013年はその中から『小栗判官』を選んだということです」

―――八嶋さんは『熊の親切』はご覧になりましたか?

八嶋「僕は出演していなかったので2回観に行って、2回とも号泣しました。前半はすごく笑って、後半に圧巻の見せ場があるんですけど、僕にはとてもグッとくるものがあって。演劇の表現としても非常に面白いものになっていて、とても感動したのを覚えています。
 だから今回、その作品をもとに公演をやると聞いたときは嬉しかったですね。自分の心を打ったあの世界の中に入れるというのは。ありがたい機会だなと思っています」

―――松村さんは現在、構想を膨らませているところかと思いますが、どのようなグレードアップを考えていますか?

松村「まず、出演人数が大幅に増えるのですが、『熊の親切』に出ていて今回も出る役者というのは数人ぐらいしかいないんです。それにオーディションの人たちもたくさんいますから、その顔ぶれを作品に反映させていくというのがまず1つ。
 そして物語に、今の時代と響き合うところを増幅していこうと考えています。物語の内容的に『小栗判官』は大きな柱ですが、もう1つ、僕が好きなアメリカの小説家 ジョン・アーヴィングの『あの川のほとりで』という小説もひっかけていて、その要素ももう少し混ぜたい。この小説も陰ながらずっとある人を守り続ける守護霊みたいな男の話で、熊が出てくるんです(笑)」

―――松村さんの作品には、動物がよく登場しますね。

松村「そうですね。僕の作品では神話を扱うことが多くて、神話というと動物がだいたい重要な登場者だからなんですけど。舞台作品に動物が登場するというのは、演劇表現において何か工夫が必要です。本物を出すわけにはいかないので、そのやり方を考えたりするのも、ウチの劇団の楽しいところかなと思ったりしています。ちなみに2013年は『熊の親切』と『クママーク』という作品、2本クマものをやりまして、熊の表現を追求した年でした(笑)」

―――公演に向けて、5月には『くまむく』のプレ稽古をされたと聞きました。

松村「オーディションの人たちは劇団公演初参加になるので、その人たちがどんな人物かを知るという狙いがあります。もちろんオーディションで見てはいますが、ウチの劇団のワークショップ的な芝居の作り方を体験してもらう中で、『彼(彼女)は、こういう役で出たら面白いんじゃないか』というようなことを発見するための稽古で、最近はプレ稽古を必ずやっています。その場での気づきを盛り込みつつ構想を練り、1カ月ほど前から脚本執筆に着手。八嶋さんに託す役どころに関しては、まだ迷っているところです」

―――八嶋さんは、松村さんの脚本が上がるまでにどのような準備を?

八嶋「今回はベースの作品がありますし、プレ稽古でやった題材も目を通しています。参考文献的なものを教えてもらったりもするので、それを読んだりして、作品の世界観をざっくり把握するという感じですね。どの座組に行ったときも、向き合い方は基本的に変わりません」

―――では台本をもらってから、自分の役を掘り下げていく?

八嶋「そうですね。ただウチの劇団の作り方としては、個々が役を掘り下げるよりもまず、台本にある膨大なト書きを我々でどう具現化していくか、そのクリエイションが圧倒的に多いんですよ(笑)。それが僕にとっては大きな醍醐味というか、楽しい作業です」

―――35周年と長く劇団活動をされていますが、おふたりはこのように長く劇団活動をするイメージをお持ちでしたか?

八嶋「僕は俳優なので、“役者として外に出て、帰る場所がある”という感覚ですが、松村は劇作家なので、どういう作品を紡いでいくのか、劇団という集団である意味など、劇団について僕たち俳優よりも考えることは多いのかなと思います。僕は結果的に、劇団に爆発的な人気が出なかったから(笑)、継続的に色々チャレンジし、フェーズも変わりながら続けてこられたのかなと思っています。
 今は劇団の数も少ないですし、これだけ継続している劇団というのも、お兄さん方はいらっしゃいますが多くはない。松村的な作品も、若い子からするとアングラみたいな(笑)。他では見ないテイストで、その凄みはあるのではないかなと思うんですね。俳優としては、そういうところに参加しているのはラッキーだと感じていますし、今後も続けていけたらなと」

松村「それこそ20代の頃、こういう取材で『将来、どうなっていきたいですか?』と聞かれたときには、だいたい『長くやりたいです』と答えていました。20代前半は『武道館を目指す!』とか言っていましたが(笑)。25歳を超えたぐらいでそんなことは言わなくなり、『ちょっとでも長く続けばいいなと思っています』と言っていたので、そのとおりになったかな。
 八嶋さんが言ったように、ウチは爆発的に売れていない(笑)。1回、3割5分とか打ってしまうと、2割5分の年に『(成績)落ちたな』とか言われるでしょうが、ずっと2割7分ぐらいでコンスタントに毎年打っているというのが、継続するにはよかったんでしょう。劇団活動に対して『もうええか』と思う契機もないし、批判が集中したわけでもないしね」

八嶋「あとはやっぱり、松村が“書ける”からじゃないですか。一時は年4~5本(作品を)書いていたこともあったし、今年は劇団公演1本に『しめんげき』(※フットワーク軽く少人数芝居で地方巡演をするシリーズ)、外部公演もあって、コンスタントにめちゃくちゃ書いている、書けているっていうのがすごいなと思います。我々は、書いてもらわないと何もできませんから」

松村「“書けなくなった”という人が僕の周りにもいて、その理由はなんとなくわからないでもないんですよ。書く題材がなくなるんじゃないかなと思う。僕はあるとき”何を書くか“から“何を劇作の題材として追い求めていくか”をメインに据えて活動するようになり、神話や伝説を題材にしました。そうするとネタは膨大にあり、次はどこへ突っ込んでいくかというセレクトの問題になる。そうすると、自分の作品のグレードみたいなものを考えなくなるんです。書けなくなる人はおそらく“作品のグレード”をまず考えてしまい、題材に行き詰るのでしょう。
 また僕は当て書きを大事にしていて、演じる人のことを知り、その人からどんな役を思い浮かべるかという作業を今も重視しています。職業作家になっていくと、面識のない人がキャスティングされ、稽古始めで初めて顔を合わせるということもあったりして、いつもそういう状況で書くとなるとやっぱり難しくなっていくでしょう。大きくいうとその2つが、劇作をずっと続けていられる理由で、2つとも劇団だから堂々やれてきたことかなとも思います。その上で劇団公演にはゲストを必ず入れており、新人も定期的ではありませんが入ってくるので、顔ぶれがそこまで固定化しないというのも大事なことかなと」

―――今回もゲストの方や新人3名が入りますが、選ぶポイントは?

松村「僕らは芝居の作り方がわりとワークショップっぽくて、自分の役を追究するというより全体の流れを全員で作っていくので、そういうことを楽しめるかどうか、そんな場に入ったときに光るかどうかを見ています。個人勝負の割合が強い人の場合、逆に埋没してしまったり作品を阻害する存在になったり、本人が腐ってしまったりということもよくあるので。
 それから演出に委ねすぎる人、指示待ちみたいな人は、ウチの作り方では全然ダメですね。こちらの意図を理解して、自主的に動いてくれる人でないと」

八嶋「そういう人って、舞台に出て来られなかったりしますよね。『上手ですか、下手ですか?』、『どのタイミングですか?』と人に聞くのではなく、『それは考えようよ』というのはあるかもしれない」

松村「先日、久しぶりにプロデュース公演を演出した際、最近の演劇の作り方では、稽古始めの1週間はミザンスを作ると演出助手に言われて戸惑ったんですが、若い役者に聞いたら『そういうものです』と。『どこから出て、どう動くかを決めてもらわないと』と言われ、今はそれが当たり前なんだと痛感しました。
 僕らはどこから出るというのも役者が考えたり、演出の方で指示したりと色々なパターンを試しますが、今の商業演劇では、稽古でキャスト全員が揃わなかったりもする。そうなると先にミザンスを整えて、休んだ人はそれを映像で覚えて次の稽古に参加するという責任の取り方をせざるを得ない。ウチの作り方とは、ものすごく違うなぁと(笑)。ウチの台本は延々ト書きだったりするわけで、そうするとミザンスもクソもないからね」

八嶋「でも役者の頑張りによっては、よりいいミザンスを得られるということもありますからね! もちろん松村の頭の中にイメージはあり、そういう誘導もワークショップ中にあったりしますが、それを超えるものが出てきたときに、採用されると嬉しいという喜びを味わえます(笑)。クリエイションの根っこですね。
 また俳優側からすると、人の稽古を見るというのは、僕が好きだからかもしれないけれど、大事だと思います。あまりにも区画割りされた稽古では、なかなか人の稽古を見られない。昔、先輩から『自分の役のヒントは、自分のセリフじゃなくほかの人のセリフにある』と言われたことがあって、人の稽古で発見することって多いし、人のノートも聞いた方がいい。稽古場で色々なことを共有しないと、1つの世界を作れないんじゃないかなと思います」

―――八嶋さんにとって、劇団公演で若手の方やゲストの方と稽古を共にするというのはどのような刺激がありますか?

八嶋「僕は旗揚げメンバーですし、昔は『自分の劇団だ!』という想いがすごくあったけど、今は正直、中堅ぐらいの劇団員の方が作品のことや劇団のことを考えている時間は圧倒的に多い。そういう人たちのことはやっぱり、自然とリスペクトします。
 最近は僕も小道具を作るなど、色々な作業を後輩たちにイチから教えてもらいつつやっていたりするのですが、仕込みやバラシを手伝っていると、この集団がどういうものなのかを感じ取れていいなと思います。
 ゲストに関しては、今回は夕輝壽太(ゆうきじゅった)くんという、以前に『G(ギガ)海峡』でカムカムにしっかり携わってくれた子が出てくれます。劇団公演に出演経験のあるゲストが座組にいると、また違う化学反応が起きたりして、それも面白い。
 劇団って、ずっと一緒だと淀むと僕は思っていて。僕はカムカムに古くからずっといるから、淀みの原因だったりするかもしれないわけです。だから、淀まないことを意識しつつ、現場にいたいなと思っています」

―――演劇とはとても時間や労力を要する“手間のかかる表現”だと思いますが、お2人が演劇に関わり続けている理由とは?

八嶋「僕は俳優なので、お客さんの目の前で表現する、作品を届けるというところに意義を感じています。若い頃は『俺を見ろ!』、『俺だけを見ろ!』と思ってやっていましたが(笑)。今はお客さんもそんなふうに観ている人より、“作品を観たい”というニーズの方が多い。作品を目の前で観る人に届けて、観た人も作品に参加し、10人いたら10人の頭の中でおそらく違うものが完成し、それを自分の人生や日常に持って帰るという、この作業の一部になっているという喜びは、最近しみじみ感じているところです」

―――観客側としては、「自分がどこまで作品に参加できているのか」と思ってしまう部分もあるのですが……。

八嶋「自分のお金と労力を遣い、劇場の席についているという時点で、かなりの参加度合だと僕は思いますよ!
 僕自身、今もそうですが中高生時代からお金を払ってお芝居を観に行くお客さんで、公演日をワクワクして待ち、劇場に行って目まぐるしく展開する舞台を目にし、多少わからない部分も含めて塊として持って帰ってきて、数年後にハッと気づくことがある……という、それはほかでは得難い経験です」

松村「僕の場合は八嶋さんのように映画やテレビと関わる機会があまりないので、演劇と一般社会のビジネスを並べて、なぜ演劇なのかという話になりますが……。なぜ演劇をやっているのかと考えると、若いときは“こっちのほうが楽しい”というようなシンプルな理由で、わりと自分寄りの事情で考えていた部分が多かったと思います。しかし年を重ねるにつれ、“演劇という文化的な活動は、社会を構成するとても大事な一翼である”という自負をもつようになりました。
 しかし一方で親族なんかには、今もずーっと『何の役にも立たない人生を送っている』と思われ続ける面もあるわけです(笑)。演劇が縁遠い人たちからすると、『東京に行ってずっと遊んでいるやつに、何がわかるのか』という思いがあるようで。
 確かに、人間が生きるのに直接物理的に役に立つものを生み出しているわけではないけれど、人間が健全な心身で生きていくために担っている部分、その最前線にあるのが演劇ではないかと僕は思っています。“人々のためにやっています”ということではないですが、この仕事、職業はとても大事で確立することが重要だし、しっかり継承していくことも大事。“演劇は重要だ”ということを、世の中にアピールしていかなければならないと思います」

―――コロナ禍であらゆる文化活動がストップしたとき、非常な息苦しさを感じ、再開したときにその必要性を痛感したという方は多いですね。

八嶋「僕はイマジネーション力が低いのかもしれないけれど、コロナに直面したとき初めて、“今みんなが、大変なことに直面している”という実感を味わいました。ウチの劇団は2020年7月という非常に早い段階に、座・高円寺で『猿女(サルメ)のリレー』という公演を打ったのですが、おそらくコロナ禍で最初に動き始めた公演の1つだったと思います。僕は自分が出るはずだった公演が全中止になったので、手伝いで毎日劇場に来ていましたが、あの状況下でお客さんがいらっしゃるということに『すごいな』と感動しました。あの経験をしたから、演劇をやることの意味をイメージしやすくなったと思います。
 『猿女のリレー』では舞台上に河原を作り、客席にも小石を積むということをやったのですが、そういった“境目のない”演出もあいまって、僕は客席でものすごい一体感を味わいました。“演劇ってタフだな”、“人間ってタフだな”と思ったし、“先人たちも戦争があろうが疫病が流行ろうが、こういう活動を続けてきはったんだな”と思ったんですよね。“演劇は、人が健全に活きるための装置として確実に機能している”ということを感じられた場でした」

松村「娯楽やエンタメというのは、現代になって出てきたもの、余裕があって生まれたもののように思われがちですが、演劇的な文化はそれこそ説教節の時代からこの国にあるわけです。日本全国で戦争が起きている時代に、滅びゆく都で敗れた者の心を盲目の法師が語る一人演劇が『平家物語』で、それが現代までに残っているのは、やっぱり人間にとって必要なものだったからでしょう。
 こうした文化は、この殺伐とした時代になってより必要になっていると思いますが、一方で“具体的に生活の役に立たないものより、実業の方に金を投入しろ”と攻撃の的にもなっています。僕らも補助金とか色々ありますから戦々恐々としていますが、ここはもう、かなり頑張らないといけないだろうなと思っています。とくに“劇団演劇”という、経済原理ではないところでやっているものを守らないと、人間にとって本当に大事なものが消えてしまうという危機感がある。
 演劇を全然観ない人もいますが、そういう人たちに『ウチを観てくれ』というわけじゃなく、人が目の前でやっていて、話す顔を見てセリフを語る声を聞いて、まず何でもいいから何か演劇を体験してみてほしいです」

八嶋「うん、劇場に行ってもらいたいです。演劇だと、『よくわからないから、行かない』はあるあるですが、たとえばラーメンは、グルメサイトで調べて行列に並んで食べるということを多くの人がしますよね。『サイトでの点数は悪いけど、行ったらすごく美味しかった』というケースだってあります。“行ってみないと、わからない”という経験自体はしているはずなのに、演劇だと急に足が重くなってしまうのはもったいないなと思います。
 この前、とある人気者の方が出ている舞台に僕も出演していて、その舞台を観に来てくださった方が『舞台がこんなに面白いなら、他のものも観てみたいと思って、『くまむく』のチケットを取りました』と言ってくださって、それはものすごく嬉しかった。地道ですが、そんなふうに一人ひとりに『ウェルカム!』と言っていくしかないですね」

松村「演劇公演はフラッと入れない、というのも難しいところですよね。どこもギリギリで予算を組むから、前売りで満員にしなければいけないというしがらみがある。本当は“観たい”と思ったときに、フラッと入れるような環境が理想なんですけど……。中世は道端で、投げ銭でやっていたわけですから」

八嶋「本を読むのがしんどい人は代読アプリで楽しんでいるわけで、演劇は劇場の席に座れば、いやおうなしにバンバン物語が入ってくるわけです(笑)。こういう物語の受け取り方もある、と知ってもらいたいですね。チケット代が高騰する中、劇団カムカムミニキーナはだいぶ抑えてやっています。ですから、ぜひ気軽に足を運んでいただきたい!」

―――今回の本公演で、挑戦していきたいことについてお聞かせください。

松村「『熊の親切』では“親切”という言葉をターゲットにしていたのを、今回は“むく”に変えました。人の無垢なる善意、無垢な状態で備わる善意が主題です。“自分しかいない状況で、目の前に誰かが倒れていたら、ほぼ100%『大丈夫ですか?』と声をかけるんじゃないか”。これは哲学などの命題でもあります。
 今は善意とは正反対の、人を傷つけることを目的とした悪意が社会を席巻しています。そして作品も、悪意を主題としているものが多い気がします。でもこんな時勢だからこそ、善意をしっかり描く作品が響くのではないか、そういう考えで、作品の構想を考えています」

八嶋「『熊の親切』を客席から観て受け取りつつも具現化できていなかったものを今、松村に言語化してもらいましたが、僕はあのとき、善意とか無垢というものにすごく撃ち抜かれたんだと思います。それだけ当時の僕には、悪意がたくさんあったのかな(笑)。
 悪意だらけのこの世の中で、何もしなければきっとどんどん悪意に染まっていってしまうし、“悪意の方にも物語がある”というような話を見る機会が増えてしまっています。僕自身が『熊の親切』の善意や無垢で浄化されたようなあの経験を、ぜひ『くまむく』でみなさんにも体験してもらいたいです」

(取材・文:木下千寿 撮影:間野真由美)

 

11/4は「いい推しの日」。あなたの推しを教えてください(人に限らず)

松村 武さん
「僕の今一番の推しは、来年の大河ドラマの主役・豊臣秀長です。太閤秀吉の天下統一を最も傍で支えた文武人格に秀でた弟でありながら、兄と違って派手さがなく、堅実で温厚な性格で、その地味さゆえか、あまり今までクローズアップされませんでした。この人が生涯の最後に兄から任された100万石の城が、奈良県にあります大和郡山城。何を隠そう、僕はそこの城下町出身です。今、地元はまさかの大河主役に相当気が動転して盛り上がっております」

八嶋智人さん
「僕の推しには、推しがいます。
 僕の推しは、時に単身チケットを取りライブ会場、はたまたリアルミーグリとやらに乗り込んでゆきます。
 また時に仲間と集い、いろんなグッズを引っ提げてライブへ行き、声をしこたま枯らして帰ってきたり、配信ライブを仲間で購入したと言っては、画面の前で、一糸乱れぬ動きでペンライトを汗だくで振っております。
 それを見ていると『本当に楽しそうだな』と思うのです。
 僕の推しは高校生の息子です。彼が部活や学業に勤しめているのは、推しを推しに推しているからなんだそうです。素晴らしい。
 そんな彼を僕は推して、楽しく生きております」

プロフィール

松村 武(まつむら・たけし)
1970年10月24日生まれ、奈良県出身。早稲田大学在学中の1990年に、「カムカムミニキーナ」を旗揚げ。役者として出演しつつ、劇団の全作品の作・演出を担当する。外部公演への出演、プロデュース公演の作・演出も多く手掛けており、舞台を中心に広く活躍中。

八嶋智人(やしま・のりと)
1970年9月27日生まれ。奈良県出身。1990年、松村武、吉田普一ら5名と共に「カムカムミニキーナ」を旗揚げ。以降、強烈な印象を残す演技で看板役者として劇団公演に出演するほか、舞台やドラマ・映画などの映像作品、バラエティ、CMなど多岐にわたり活動。

公演情報

カムカムミニキーナ vol.75
『くまむく ~閻魔悪餓鬼温泉騒動記~』

【東京公演】
日:2025年11月13日(木)~23日(日・休) 
場:座・高円寺1

【大阪公演】
日:2025年11月29日(土)~30日(日)
場:近鉄アート館

料:スペシャルチケット[特典付]9,000円
  一般チケット6,000円
  平日夜割5,600円
  35周年シルバー割5,600円
  障がい者割5,400円
  学割[大学・専門]3,000円
  小中高生割1,000円
  ※35周年シルバー割・障がい者割・学割・小中高生割は要身分証明書提示(全席指定・税込)
HP:https://kumamuku.3297.jp
問:カムカムミニキーナ mail:ccm@3297.jp

Advertisement

インタビューカテゴリの最新記事