野村家親子3代が揃う、芸の継承を目撃できる狂言の会 野村万作による「狂言芸話」は横浜ならでは

野村家親子3代が揃う、芸の継承を目撃できる狂言の会 野村万作による「狂言芸話」は横浜ならでは

 今年で25回目を迎える、『よこはま「万作・萬斎の会」』。野村万作はどのような想いでこの公演
を始めたのだろうか。

万作「1996年に開場した横浜能楽堂は、戦争で焼け残った東京の染井能舞台を移築したもので、私も立ったことがあるとても懐かしい舞台です。ここが出来たことで色々な企画が始まりました。狂言では大蔵流や関西の茂山流などの会が始まったので、自分も横浜で会を持ちたいと思い、2000年に始めました。東京でも西側に住む人は来やすいし、帰りに中華を食べにいけますし(笑)」

 そもそも狂言は能の間に挟む形で上演されるが、狂言会では狂言だけを抜き出して上演される。上演の仕方で狂言師の心構えは異なるのだろうか。

万作「狂言会は演者としての独立精神や普及、芸術性を広める絶好の機会です。喜劇であるが故に、能に比べて一段低く見られていた狂言の状況を変えようと、父やその仲間たちが尽力してきました。おかげさまで新作狂言が出来たり、父も狂言界初の日本芸術院会員になったりと、狂言が広まっていきました」

 野村万作・萬斎親子の名前を冠するこの狂言会。現在は更に孫の裕基も加わり、3代が揃って舞台を勤めている。

万作「伝統を繋ぐ上で、親子・孫で継承できることはとても大きなことです。だから私に萬斎がいて、萬斎に裕基がいることは有り難いと思っています。やんちゃな子どもだった裕基が立派に成長してくれて。とても嬉しく思っています」

 その野村裕基は、自身主催の狂言会を企画するなど、精力的に活動を拡げている。狂言師になるという意識はいつから芽生えたのだろうか。

裕基「きちんと自覚したのは高校を出た頃ですが、それ以前からやらなくてはいけないものだと意識していました。宿命を背負わされると反発もあるのでしょうが、僕は割とすんなり入りましたね。周囲に歳が近い仲間がいて、お互いに話せる環境があったのが良かったんでしょうね。今は祖父や父と同じ空間で狂言をすることもあります。そんな時は呼吸や息づかいまでもが伝わる、もう一番の特等席にいる訳ですから、貴重な体験をさせてもらっています」

 常に学ぶその姿勢は、狂言師としての成長に欠かせない。将来が楽しみだ。

裕基「僕は『首引』に出演します。横浜でのシテは初めてですから、精一杯勤めたいです。また父の『入間川』、祖父の『寝音曲』も個性が滲み出る面白い番組になっています。ぜひ楽しみにしていただきたいです」

(取材・文:渡部晋也 撮影:間野真由美)

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野村万作さん
「2年前に引っ越しをした際に、デパートで新しく『岩谷堂箪笥』を購入。岩手の伝統工芸品で、ガッチリとしたかたち、民芸風のデザインに満足している。仕事に欠かせない紋付と狂言面を入れるのに使用している」

野村裕基さん
「珪藻土マットです。公演が終わり自宅に帰ってくると、大抵は最初に風呂に入ります。身体の緊張をほぐし、筋肉を緩ませてリラックスするためです。風呂上がりに濡れ足で立ってもすぐに吸収してくれるので、珪藻土マットは重宝しています」

プロフィール

野村万作(のむら・まんさく)
東京都出身。祖父・故初世野村萬斎及び父・故六世野村万蔵に師事し、3歳で初舞台。秘曲『釣狐』に長年取り組み、その演技で芸術祭大賞を受賞したほか、数々の受賞歴を持つ。さらに狂言師として新たな試みにもしばしば取り組む。重要無形文化財各個指定保持者(人間国宝)。文化功労者。日本芸術院会員。2023年、文化勲章を受章。2025年、NHK 放送文化賞を受賞。

野村裕基(のむら・ゆうき)
東京都出身。野村萬斎の長男。祖父野村万作及び父に師事。3歳の時、『靱猿』で初舞台。2018 年、パリで開催された野村万作・萬斎・裕基×杉本博司『ディヴァイン・ダンス 三番叟』では、祖父・父と日替わりで三番叟を勤めた。2023 年、世田谷パブリックシアターで上演された舞台『ハムレット』のハムレット役で現代劇に初出演するなど、狂言以外の活動も展開。

公演情報

第二十五回『よこはま「万作・萬斎の会」』
at紅葉坂ホール

日:2025年5月6日(火・振休)
  15:00開演(14:15開場)
場:神奈川県立青少年センター 紅葉坂ホール
料:S席6,000円 A席5,000円 B席4,000円
  学生席[B席後方]3,000円
  (全席指定・税込)
HP:https://www.mansaku.co.jp
問:万作の会
  tel.03-5981-9778(平日11:00~17:00)

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