劇団初のシアタートップスで、2年ぶりの本公演! 「いつも冒険している感覚」 妄想と現実の狭間で広がる、父と子の物語

劇団初のシアタートップスで、2年ぶりの本公演! 「いつも冒険している感覚」 妄想と現実の狭間で広がる、父と子の物語

 長塚圭史率いる劇団「阿佐ヶ谷スパイダース」の2年ぶりの本公演。
 息子が住んでいた街を、その家族・友人たち、また時にいるはずのない息子本人と対峙しながら巡ることに。この街は妄想なのか、それともハッキリと現実なのか。現実世界から一歩踏み外し、未知なる思い出の迷宮に迷い込んだ(あるいはそう思い込んだ)者を、奇想の手管で案内する目玉探偵社の力を借りて、どん底から這い上がる男の冒険譚。
 作・演出の長塚圭史と、劇団員の中山祐一朗・大久保祥太郎に話を聞いた。

―――2年ぶりの本公演。『ジャイアンツ』の脚本は現在鋭意執筆中とのことですが、どのあたりから本作の着想を得たのか教えてください。

長塚「前回、『老いと建築』(2021)で女系の家族や繋がりを書きましたが、今度は父と息子の話をどこかでやりたいなと思って。自分で書いた作品に刺激を受ける形でしょうか。
 とはいえ、僕はこれまで数多く父と子の話を書いてきて。今作は2011年に上演した『荒野に立つ』という芝居の影響も多分に受けています。『荒野に立つ』は“他人の目に入る”という共感の話だったんですが、今回は“客観の目を得る“ことができないかなと。
 つまり、夢中になって自分のことが見えない状態を、客観的に見るようなことができたらと思って。……そんな手法を使いながら、長年会わなかった親子の話を書こうと思いました。今、絶賛書いているところです」

―――現時点での配役は?

長塚「想定としては、中山(祐一朗)がお父さんで、(大久保)祥太郎が息子と思っていますが、何せ今日(※取材日)が稽古初日ということで、まだ流動的ではあります。いろいろと可能性を探って、重層的に稽古してみたいなとも思っているので」

―――あらすじを読むと、息子の影はあるのかないのか……その辺りも気になります。

長塚「あらすじって、いい加減なものですよ(笑)。実際に書くまでにまたいろいろウロウロしていくのでね。
 場面としては、息子との再会から始まる。ただ、息子に再会して、その直後に見失って、その息子の影を追いかける。文字にするとくだらないけど『目玉探偵』と一緒に探していく――。
 だから息子の正体は入口の部分しか読んでいない2人(※中山さんと大久保さん)にもよく分からないと思うんですけどね。再会を繰り返していくような、久しぶりに会うことが劇中何回も起きるようなことをしてみたいなと目論んでいます。現段階では」

―――なるほど。では、中山さんと大久保さんは2年ぶりの本公演ということも合わせて、今の現段階の脚本を読んだ感想はいかがでしょうか。

中山「多分、初めて(長塚)圭史の作品に出る人が読んだら面白く感じると思う。謎だらけだから(笑)。
 でも僕は、長塚圭史が書いているものだから、こうなるんじゃないかな、とか『荒野に立つ』に出てきた目玉探偵が出てきたから、こうなるんじゃないかな、といろいろ考えて読んでしまう。自分の中にヒントがあって、そこに寄せて読んでしまうから、あんまり面白くない。……というぐらいの感想しか、僕にはまだ浮かびません(笑)」

大久保「僕も1回さっと読んだときは、何がどうなっているのかよく分かんなかったです。でも2回目、3回目と読み進めていくうちに、勝手に『これが息子であろう』と想像していて。『男1』などと名前も何も書いていないのに。気がついたら息子の立場で本を読んでいて、中山さんが父親だろうと勝手に思いながら読んでいることに気がつきました。読んでいくうちに、ちょっとずつぼんやりしていたのが見えてくる感覚はありましたね」

中山「でもさ、初めて読んだときの広がりがあった段階の方が面白かった気がしない?」

大久保「そうですね。あ、それから、去年『下北沢のみち』の中で『「ケイトウ」のための序曲(プレリュード)』という芝居をやったんです。今回この『ジャイアンツ』というタイトルとあらすじを読んだときに、もう『ケイトウ』は全くないことになったなと思いながら読んでいたら、ぱっと出てきたので、あ、よかったなと(笑)。時空が歪んでいる芝居だったんですけど、その欠片みたいなものが見えました」

長塚「あれ、『荒野に立つ』は観たんだっけ?」

大久保「いや、当時は中学3年生とかなので(笑)。ただ、去年『下北沢のみち』で観ましたし、伊達(暁)さんの朗読ワークショップのお手伝いで作品には触れています」

長塚「そうか。『荒野に立つ』の脚本が出来上がったときのことは今も鮮明に覚えています。意味がわからなすぎて騒然とした。誰もわからないから、本当に空を掴むような状態。立ち上がってみないとわかんないし、言うなら立ち上がってもわかんないぐらい」

大久保「去年、伊達さんも『今もよくわかんないこと多いけど、当時はもっとわかんなかった』と言っていました」

長塚「でも最終的に作り上げてみると、自分にとっては新しい書き方をした、インパクトがある作品となったんです。どこかでまたやりたいなと思っていたんですよね。僕はあんまり続編や同じ手法を使うことないんですけど。ましてや、同じキャラクターを出すことはほとんどないんですけど。そういった意味でちょっと珍しいかもしれません」

―――このタイミングで上演に至ったのは?

長塚「いろいろ理由はあるんですけど、1つにはシアタートップスという場所。どういう風に空間を活用していこうかなと考える中で、言葉の木が茂るように広がっていくイメージが立ち上がったんですよね。
 それから『荒野に立つ』のときは、夢がきっかけだったんです。ある日、寝ていた僕がバッと起きて、慌てていた。妻が『どうしたの』と尋ねると『目玉を忘れてきた』と僕が言ったらしくて。僕は全然覚えていなかったんだけど、妻が『昨日、圭史、めちゃくちゃ面白かった。目玉を忘れてきたらしい』と言って。そこから広がっていった作品。
 で、『ケイトウ』も、自分の目がぼこって浮かんで、自分を客観的に見る夢から始まって。それからこの1年間で、自分の中でいろいろと積み上がったイメージを実際にセリフに書き起こしている感じでしょうか」

―――父と子の話は王道といえば王道ですが、その描き方がチャレンジングになってくるのかなと思いました。中山さんと大久保さんにとって「父と子」を描いた作品に立つことについては何か思いはありますか?

大久保「……そうですね。僕は6歳ぐらいからずっとこの仕事をしているので、旅行に行った思い出だったり、一緒に連獅子を踊ったことぐらいは覚えているんですけど、明確な思い出はそこまでないかもしれない。父と一緒にお酒を飲んだりもしますけど、父に対しての特別な思いはないかなぁ」

中山「自分の話でも圭史の作品の話でもないけども、なんとなく父と子ということを考えると、母と子の絆の方が絶対に強い気がして。父親は気遣ったり、演じたり、嘘ついたりしながら接しているというか、いつか離れていってしまう可能性を感じる。
 父親が借金取りに追われて、飲んだくれていたら『知らねえよ』というと思う。でも、母親が頭がおかしくなっても、アルコール中毒になっても、『お前だけしかいない』と泣きつかれれば、息子は何とか助けようと思うと思う。あくまで僕の考えですが」

―――その違いはどこから生まれるのでしょうね。

中山「独立していかなくてはいけないという本能なのかなぁ。もちろん母と子でもね、ダメになっちゃうこともたくさんあると思うんだけど、父の方が不利な気がするんだよ。
 現代的なナイスの父親とナイスな息子って、そういう本能的なところに対して、何かしらの“嘘”がないと到達しない気がしている。ナイスな父親たちは、昔みたいに好き勝手飲んだくれてて、子どもが寝てから帰る……みたいなことをしなくなってきてると思うし、幸せな関係を子どもと結びたいと思っているだろうけど、それは新しい人間としての生態系というか、本能的に何かを諦めている気もするんだよね」

大久保「確かに、僕の家庭は、単純に一緒にいる時間は母の方が長かった」

中山「でも、お父さんはお師匠さんでもあるでしょう?」

大久保「はい。でも他の師弟関係に比べたら全然。稽古するときは『よろしくお願いします』『ありがとうございました』といったことはありますけど、それ以外は普通だと思いますよ。
 ……それに、小さい頃は父にあまり教えてもらってなかったです。尾上菊紫郎さんのところで教わっていたので。その理由は改めて聞いたことないですけど」

中山「お父さんもやっぱり息子だから『好き』だと思うけどさ、他のお弟子さんもいて、どこか割り切って教えないといけないから、葛藤したんじゃないかなぁ?」

―――家族の形に「普通」というのはないと思いますが、長塚さんはその辺りどう作品に反映させようと?

長塚「ギリシャの時代から家族の話はいっぱいあるので、思わずメジャーな話を手にとりそうになるけども、僕は幼少期、両親が離婚して母子家庭で育ったんですね。母子家庭の人は集まるんです。小学校で、お父さんが亡くなっているとすごく仲がよくて。父親なり母親なりがそばにいない分、どこか特別な存在になっているのも感じるし、その喪失や欠けているものを埋めながらやっている感じもあって。
 経験やこれまでの僕の創作からすると、母親の愛情のあり方は分かるけど、父親が何を考えているのか謎な部分が広がっている。その分からなさから自由に発想して作っていけるのかもしれないなとは思うんですよね。僕が20代のときに中山と一緒に作っていた、ちょっとセンチメンタルな気分からは随分離れている部分がある。だから何が生まれてくるのかなという考察でもある。
 まぁ、家族ってネタが濃いから。どうしても毎回考察せざるを得ないんですよね。20代の考察、30代の考察、50歳手前にしての考察とね。いつも冒険している感覚です」

(取材・文&撮影:五月女菜穂)

プロフィール

長塚圭史(ながつか・けいし)
1975年5月9日生まれ、東京都出身。1996年に演劇プロデュース・ユニット「阿佐ヶ谷スパイダース」を旗揚げ、作・演出・出演の三役を担う。近年の作品に、KAAT神奈川芸術劇場プロデュース『アメリカの時計』(演出)、新国立劇場の演劇『モグラが三千あつまって』(脚本・演出)など。2021年4月より、KAAT 神奈川芸術劇場の芸術監督に就任。

中山祐一朗(なかやま・ゆういちろう)
1970年9月9日生まれ、岐阜県出身。俳優。1998年に演劇プロデュース・ユニット(当時)「阿佐ヶ谷スパイダース」第3回公演に参加し、以降メンバーとして全公演に関わる。映像では、『深夜食堂』シリーズや『サラリーマンNEO』シリーズ、『黒い十人の女』、『グーグーだって猫である』など話題作で印象的な役割を担う。

大久保祥太郎(おおくぼ・しょうたろう)
1995年8月27日生まれ、東京都出身。俳優。幼少期から舞台・映像、映画の吹き替えなどで活躍。ワタナベエンターテインメントの俳優集団「D-BOYS」のメンバーで、2018年から劇団「阿佐ヶ谷スパイダース」にも加入。

公演情報

阿佐ヶ谷スパイダース『ジャイアンツ』

日:2023年11月16日(木)〜30日(木)
場:新宿シアタートップス
料:一般6,500円
  開幕割[11/16・17]4,500円
  U25[25歳以下]2,500円
  ※U25は要身分証明書提示。
   他、各種割引あり。詳細は団体HPにて
  (全席指定・税込)
HP:https://asagayaspiders.com
問:阿佐ヶ谷スパイダース
  mail:info@asagayaspiders.com

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