遠く離れた夫を待つ妻の狂気を描く 「能楽は博物館の陳列物ではありません」

遠く離れた夫を待つ妻の狂気を描く 「能楽は博物館の陳列物ではありません」

 金春(こんぱる)流能楽師の山井綱雄が『第十七回 山井綱雄之會』で上演するのは、晩年の世阿弥が自画自賛したといわれる傑作『砧(きぬた)』だ。能楽界の金字塔と謳われるとともに、シテの難度の高さでも知られる名曲を「変化球なしの直球勝負」で挑むと山井は語る。

 「これまでいろんなジャンルの人たちと共演してきたことが、能楽にも非常に生きているんですよ。自分が何の疑問もなくやってきたものが多角的に見えるようになって、意義や意味を見つめ直すきっかけになりました。私の場合、やっぱりそれを自分のホームに活かしていかなければいけないと思うのです。学んだものを能楽に戻して、能楽の素晴らしさを私自身が見直し勉強させてもらう。それが今回の会です」

 ジャンルの垣根を越えた交流のなかで、山井が影響を受けたもののひとつがシェイクスピアだという。

 「前回の『鷹姫』で演出をしていただいたシェイクスピア劇演出家の木村龍之介さんは、シェイクスピアと世阿弥の世界観が非常に近いと言うんですよ。『砧』は上京したまま帰ってこない夫を待ち続ける奥さんのお話ですが、奥さんは最後には幽霊になり、地獄にまで堕ちてしまいます。愛するがゆえの狂気ですよね。幽霊に狂気、これはシェイクスピア作品にも通じています。人間の奥底にあるドロドロした何か。これはいつの時代にも普遍的にあり続けるでしょうし、過去や未来、洋の東西を問いません」

 また山井は、「能楽は古いものですが、博物館の陳列物ではありません」と訴える。

 「能楽というのは、名前のない、市井の人々にも光を当てて、幽霊という役柄で永遠の命を与えます。そういう人たちがいたことを作品として伝えることによって、その人物を未来永劫に浮かびあがらせることができると世阿弥は考えた。これが能楽のすごさなんです。『砧』で描かれる女性はとてもかわいそうですが、現代でもコロナによって人と直接顔を合わせることが難しくなり、孤独を抱えている人は多いじゃないですか。人と人の距離感の持つ宿命というものは、700年前から変わらずあるんです。能楽は現代に生きている我々に対する励ましであり、慰めであり、糧でもある。『砧』を通してそんなメッセージもお届けしたいと思います」

取材・文:いつか床子 撮影:山本一人(平賀スクエア)

「食欲の秋! オススメの秋の味覚はなんですか?」

「秋の味覚と言えば、私の大好物の梨です。瑞々しい梨は程よい甘さで冷やして食べると最高ですね。そして、秋刀魚。知り合いの方に千葉県銚子市から直送して頂く秋刀魚は、脂が乗っていて最高に美味です。そして日本人として忘れてはならないのが、新米。秋の収穫直後の新米を口にした時のふっくらとした旨さは格別ですね。日本人で良かったと思える瞬間です。古来より農耕民族として田畑を耕し、実りへの願いと感謝、それが日本の伝統芸能の礎となっています。能楽はその最たる芸能です。新米を口にする時、改めて日本の素晴らしさを実感します」

プロフィール

山井綱雄(やまい・つなお)
1973年生まれ、神奈川県出身。シテ方金春流能楽師。重要無形文化財(総合指定)保持者。公益社団法人「能楽協会」理事。公益社団法人「金春円満井会」常務理事。79世宗家 金春信高、80世宗家 金春安明、富山禮子に師事。祖父は金春流能楽師 梅村平史朗。5歳初舞台、12歳初シテ、以降『乱』、『石橋』、『望月』、『道成寺』、『翁』、『正尊』、『安宅』を披演。山井綱雄能の会「山井綱雄之會」を主宰するほか、初心者の為の能ワークショップ、学校公演なども多数開催。ロックバンドや三味線プレイヤーなど、他ジャンル芸術家との共演、創作作品にも多数取り組み、能楽の新たな可能性に挑み続けている。『第十六回山井綱雄之會』でタッグを組んだ木村龍之介との出会いを機に、2022年4月には自身初のシェイクスピア作品『ハムレット』に出演した。

公演情報

第十七回 山井綱雄之會

日:2022年11月4日(金)18:30開演(17:45開場)
場:国立能楽堂
料:S席10,000円 A席8,000円 B席6,000円
  学生席B席3,000円(全席指定・税込)
HP:https://www.tsunao.net/
問:山井綱雄の会事務局 tel.070-6526-0270(平日10:00~17:00)

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