2019年に本屋大賞第2位を受賞した小説、『ひと』(著者:小野寺史宜/祥伝社刊)を原作に、吉村卓也が脚本・演出を担う舞台『ひと』が、2024年12月3日(火)~8日(日) 三越劇場・12月14日 (土)~15日(日) 近鉄アート館にて上演される。
初日まであと3週間をきった11月某日、徐々に作品を紡ぎ、積み重ねていく今作の稽古場を訪ねた。
稽古場にはすでに美術が建て込まれており、そこには作品を象徴する惣菜屋「おかずの田野倉」があった。
盆が回り、シーンに合わせてセットが転換されていくことで、この作品の世界観に一層入り込み、物語をよりリアルに感じることが出来た。
稽古場では、キャスト各々が入念にストレッチを行い、立ち位置を確認し台詞を反復しながら、声と身体を温めていく中、演出の吉村卓也の「それでは始めますか!」の合図でキャストが集まり、稽古が始まった。
一定と緊張感と高揚感はあるが、日常から緩やかに稽古に移って行く様子は、主催のTie Worksと吉村がタッグを組んだこれまでの作品でも感じた「日常へ物語が溶け込んでいく感覚」を思い出した。
物語は「<柏木聖輔(以下、聖輔)>が、二十歳で両親を亡くし大学を辞め、動き出せない日々の中、空腹に負けて吸い寄せられた商店街の惣菜屋で、最後に残ったコロッケを見知らぬお婆さんに譲ること」から運命が動き出す。
その主人公<聖輔>を演じるのは、今作が初舞台で初主演となる杉本琢弥。
テンポよく進んでいく稽古の中、そこに<聖輔>として立ち、相手の言葉を受け入れ台詞を発し、心情が動いていく姿に、自然と<聖輔>へ感情移入しまう。
作品の軸となりながらそこへ居る佇まいはとても初舞台を感じさせず、「孤独」の中で”ひと”と出会い優しさに触れ、成長していく<聖輔>を演じられるのは杉本しかいない。と思わせるほどであった。
そんな<聖輔>の高校時代のクラスメイトである<井崎青葉(以下、青葉)>を運上弘菜が演じ、<青葉>の元彼<高瀬 涼>を岡田翔大郎が務める。
<聖輔>と<青葉>が再会し、夜道ベンチに腰掛け2人きりで話すシーンは、今作が「青さ弾ける傑作青春小説」と呼ばれる意味が分かる、まさに青春の輝きを感じる2人のやり取りに胸を打たれた。
運上も今作が初舞台とのことだが、舞台上での立ち姿と混じり気のない真っ直ぐな言葉は、<聖輔>だけでなく見るものの心を動かし、物語に彩りを添える。まさに今作のヒロインとして適任であった。
岡田演じる<高瀬>は、平気で赤信号を渡ったりするなど常識から少しズレていたり、<聖輔>と<青葉>の仲が深まっていくことを良く思わないなど、脚本上でみるとイヤな奴だが、岡田へ「イヤな奴を演じるのではなく、ピュアに青葉が好きで自信に満ち溢れたシティボーイを意識して」と吉村からの演出が入る。
演出を踏まえて行った杉本と岡田の喫茶店のシーンでは、お互いの心情を探りながら自分の意見を曲げない2人。それまでの稽古より深みが増し、その場がどんどん加熱していくことで、譲れないものがある男同士のやり取りを一段と印象付けた。
惣菜屋「おかずの田野倉」の店主である<田野倉督次(以下、督次)>を演じるのは、松田大輔(東京ダイナマイト)。
お笑いコンビ「東京ダイナマイト」のイメージが強いが、近年ではドラマや舞台で俳優としての活動も多い。各所から引く手あまたであることは今作を見れば、すぐに理解できるであろう。
松田が舞台上にいることで、その世界観のリアリティが高まり、台詞一つ一つが心に響く。
自分の惣菜屋とコロッケへ愛着を持つ松田演じる<督次>が、コロッケを頬張る仕草で老後の夢を語るシーンはどこか愛着が湧き、この『ひと』が主人公目線だけでなく、親目線として引き込まれるファンが多いことにも納得する。
<聖輔>と2人だけのシーンでは、動きが少ないことを懸念して色々と動きを試す中「やっぱり動きはほとんど要らないですね、椅子に座って話しているだけで充分です」と吉村。
確かに松田の説得力のある言葉と、謙虚に耳を傾ける杉本で、十二分に満たされている空間であった。
樽見ありがてぇは、生前に母が借金していたと<聖輔>に金を強請む<船津基志(以下、基志)>を演じる。
樽見ありがてぇは、俳優/芸人/イベントMCと様々な経歴を持つ中で、これまで場を盛り上げる明るい役どころが多かったが、今作では初めてイヤな奴を演じるとのこと。「新しい一面を見つけることができたら」と語っていたが、まさにイヤな奴がそこには居た。
「おかずの田野倉」へ訪れ、金を強請むのシーン。
一方的に威張るイヤな奴ではなく、表面的な笑顔と体裁の良い言葉でその場を掌握しようとする樽見演じる<基志>は、傲慢が滲み出るイヤな奴特有の雰囲気に包まれ、まさに新しい一面を垣間見ることが出来た。
<督次>の友人の息子で「おかずの田野倉」で働く<稲見映樹(以下、映樹)>を蒼井嵐樹が演じる。
<映樹>は、愛嬌があり要領も良く、仕事も難なく(サボりがちだが)こなす明るい若者である。
多くのシーンでは、その場をパッと明るくするムードメーカーであるが、樽見との同シーンでは横柄な態度をとる樽見演じる<基志>に対し苛立ち、店から追い返す。
ただ明るいだけでなく、仲間想いの一面が垣間見えるこのシーンは何度も稽古が返された。
いつもの明るい雰囲気で強めのセリフを言うパターンや、より軽く相手を苛立たせるような言い回しのパターン、相手が入る隙も与えないように捲し立てるなど。
蒼井が様々な演出を飄々と演じていくその姿に、これまで培った芝居経験を感じ、これから稽古を重ねていく中で、最終的に舞台上でどんなシーンになるのか今から待ち遠しくなった。
吉村は演出の際、ただこうして欲しいと伝えるだけでなく、自ら立ち位置につき台詞を発し、その言葉で相手をどうしたいのかという脚本上だけでは描かれていない、各々の台詞の裏にある心情まで丁寧に伝えていくことが印象的で、他の誰よりも稽古を楽しんでいるように見えた。
各シーンの終わりには、「いいですね」であったり「このシーン好きです」など、「うんうん」と自分自身で納得しながら、その場の空気を作り演出を加え、そのシーンに奥行きを作っていく。
稽古を行う中で、「脚本にはないですが、ここで相槌をいれますか」であったり、「各々この台詞に反応してください」など、その瞬間のグルーヴ感を重視して創り上げていくことに感懐を覚えた。
特に、その人物の心情を大切にして、心の中でどんなプロセスがあってその台詞を発するのか、そしてその時どんな行動をするのか、気持ちを基に動きをつけたり、動きをつけることで相手との距離や言葉を投げる方向が変わり台詞に影響するなど、気持ちと動きをとても大切にしていることを感じた。
吉村が演出をつける際、細かい言い回しよりも気持ちやその状況・環境を伝えることで、キャストはそのやり方に縛られるのではなく、そのシーンの在り方を見つけたかのように存在感や表現力が増すことを目の当たりにした。
そして「おかずの田野倉」で働くシングルマザー<芦沢一美(以下、一美)>を原 幹恵が、その一人息子<芦沢 準弥(以下、準弥)>を樋口琥大が演じる。
<準弥>は中学生でまさに青春真っ只中である。樋口は、<準弥>のピュアで希望に溢れた青年を等身大で演じ、中学生特有のシャイさや、母親との距離などがとても絶妙であった。
原は、この日が立ち稽古初めての参加であったということで、立ち位置や台詞のタイミングを図るところから始まったが、徐々にシーンに馴染み、繰り返す中でどんどんブラッシュアップされていくスピードに目を見張った。
母親としての強さと弱さの表裏一体を見事に演じ、息子に対する愛情、そして周りを包み込む優しさは、この作品全体の温もりを高める大きな役割を果たしていた。
その他にも、この日の稽古では出番がなかった、主人公と同じバンドメンバーである<篠宮剣>を演じる井上港人(BUGVEL)や、<映樹>の彼女<野村杏奈>を高倉萌香が担い、物語を紡いでいく。
たった1つのコロッケから動き出した主人公<聖輔>の運命は、“ひと”と関わり、出会い、優しさに触れ、自分はひとりじゃないと気付き、人生がより豊かになっていく。
原作『ひと』は、書店員が「おオススメしたい」と推薦する本屋大賞を受賞したり、読後には「この本をあのひとに伝えたい!」と声が上がるなど、まさに “ひと” との関わりを見つめ直すキッカケになる作品であり、原作の著者である小野寺史宜は、「この本があなたの味方になりますように。何度でも音楽を聴くように、何度でも読んでもらえたらうれしいです。」とコメントしている。
演出の吉村と11人のキャストで贈る舞台『ひと』は、劇場で観る“ひと”の心にも寄り添う作品になるはずだ。開幕までの期待が膨らむ稽古場であった。
(文・撮影:カンフェティ 野田)
舞台『ひと』
<公演期間/会場>
2024年12月3日 (火) 〜 2024年12月8日 (日)
三越劇場
2024年12月14日 (土) 〜 2024年12月15日 (日)
近鉄アート館
<STORY>
たった一人になった。
でも、ひとりきりじゃなかった。
両親を亡くし、大学をやめた二十歳の秋。
見えなくなった未来に光が射したのは、
コロッケを一個、譲った時だった。
母の故郷の鳥取で店を開くも失敗、交通事故死した調理師だった父。
女手ひとつ、学食で働きながら一人っ子の僕を東京の私大に進ませてくれた母。
―― その母が急死した。
柏木聖輔は20歳の秋、たった一人になった。
全財産は150万円、奨学金を返せる自信はなく、大学は中退。
仕事を探さなければと思いつつ、動き出せない日々が続いた。
そんなある日の午後、空腹に負けて吸い寄せられた
商店街の惣菜屋で、買おうとしていた最後に残った50円のコロッケを
見知らぬお婆さんに譲った。
それが運命を変えるとも知らずに …… 。
<出演>
杉本琢弥
運上弘菜
蒼井嵐樹
井上港人(BUGVEL)
高倉萌香
岡田翔大郎
樽見ありがてぇ
樋口琥大
遠山景織子
原 幹恵
松田大輔(東京ダイナマイト)
<スタッフ>
原作:小野寺史宜『ひと』(祥伝社刊)
脚本・演出:吉村卓也
音楽:TAKE(FLOW)
プロデューサー:熊坂涼汰
主催:Tie Works
Ⓒ小野寺史宜/祥伝社