日本発のオリジナルミュージカルとして、ミュージカル『この世界の片隅に』が東京日比谷の日生劇場で上演中だ(30日まで。のち、北海道・札幌文化芸術劇場 hitaru、岩手・トーサイクラシックホール岩手 大ホール、新潟・新潟県民会館 大ホール、愛知・御園座、長野・まつもと市民芸術館、茨城・水戸市民会館グロービスホール、大阪・SkyシアターMBS、広島・呉信用金庫ホールで上演)。
こうの史代による同名漫画を原作としたこの作品は、太平洋戦争下の広島県呉市に生きる人々が、戦時下にあっても、互いに助け合い、つつましくも懸命に日々を生きていく姿を淡々と丁寧に描き、生きることの美しさが胸に迫る作品となっていて、2度に亘る映画化、実写ドラマ化と多様なメディア展開が続けられている。
今回の舞台は、そんな不朽の名作のミュージカル化で、脚本・演出に、同じく漫画原作のミュージカル化である『四月は君の嘘』を成功へと導いた上田一豪。
ミュージカル全編を彩る音楽を、歌い継がれ続ける 国民的合唱・卒業ソング「手紙 ~拝啓 十五の君へ~」を作詞・作曲し、2014年に渡米してミュージカル音楽を学んで、10年ぶりに再始動するアンジェラ・アキが手掛け、メインキャストにも当代ミュージカル界で大活躍する面々が集結。非常に贅沢な布陣での舞台が制作された。
【STORY】
昭和20年7月、広島県呉市の北條家。布団に横たわるすず(昆夏美・大原櫻子Wキャスト)の脳裏には、大切な人と過ごした時間が蘇り、やがてその一つひとつの記憶が動きはじめる──
広島・江波で海苔の養殖を営む父・浦野十郎(川口竜也)、母キセノ(家塚敦子)、兄・要一(加藤潤一)、妹・すみ(小向なる)に囲まれ、祖母・イト(白木美貴子)が暮らす草津と行き来しながら穏やかに育ったすずは、昭和19年2月、江波から30キロ離れた呉の高台に位置する辰川の北條家に嫁ぐ。物静かな夫の周作(海宝直人・村井良大Wキャスト)、優しい両親・円太郎(中山昇)とサン(伽藍琳)、亡き夫の実家と離縁した義姉の黒村径子(音月桂)とその娘の晴美(大村つばき・鞆琉那・増田梨沙 トリプルキャスト)も加わり、新たな環境での暮らしが始まった。
様々な制約のある戦時下、すずは家族や隣組の人たちと助け合いながら毎日を過ごす。そんな中で周作との束の間のデート、二葉館の白木リン(平野綾・桜井玲香Wキャスト)との出会い、水兵になった幼馴染の水原哲(小野塚勇人・小林唯Wキャスト)との邂逅など、一つひとつの一見小さな、だがすずにとって大切な、また心に刺さる出来事が積み重なっていく。
そんな日々のなかで迎えた昭和20年3月19日、呉は初めての空襲を受ける。生活への影響は更に大きくなるものの、それぞれの居場所で日々の営みを続けていく人々。だが、戦況は悪化の一途をたどり……
戦争、それも第二次世界大戦という、近い時代の戦いを描いた作品に接するには、やはり少なからぬ、覚悟を必要とすると思う向きも多いのではないだろうか。自分のこととして考えてもそれは正直のところ大きくある。というのも、日本が欧米列強諸国のほとんどを相手に戦争をしたことをまだきちんと理解できていなかった幼い頃、はじめてその事実を知ったのは、小学校時代の夏休み課題図書を通してだった。
「ひめゆり部隊(学徒隊という記載ではなかったと記憶している)の最後」「アンネの日記」など、おそらくは子供が読んでわかりやすいように、という配慮からだったのだろうが前者はドキュメンタリー調ではなく小説仕立てだったし、後者もアンネ自身の日記が途絶えたあと「その後のアンネ」として、強制収容所に送られたのちのことが、やはり物語の形で綴られていた。
それでも子供が読むことを想定して、「ひめゆり部隊の最後」は主人公を生き残る女学生に置いて救いを与えてくれていたが、アンネとなると残念ながらそれも難しく、「その後のアンネ」でドイツの強制収容所に一家が送られたあと「男は右、女は左、二列に並ぶんだ」と命じられ、家族が単なる男女の記号として引き離され、それぞれの収容施設にYの字に分かれて進んでいく行進の光景が、文章からくっきりと目の前に立ち現れる思いに胸をえぐられた。
そのYの字に分かれていく人々の列は、実のところ未だに時折夢に見て飛び起きることがある。当時は自分が幸いにも体験したことではないにも関わらず、まるでその場にいたかのようなフラッシュバックに悩まされるのが何故なのかがわからなかった。
だが、近年では特に、ニュースなどによる戦争や、悲惨な事故現場などの生々しい映像は、疑似体験としてのトラウマを生む恐れのあることが周知されるようになっていて、あぁ、そういうことだったのか、と個人的にも得心がいった。それでもそんなフラッシュバックが苦しく、戦争を描いた作品をできる範囲で避けていた時期もかなり長い。
けれども、やはりこうした事実は伝えていかなければいけないし、知らないほど恐ろしいこともまたない。そんな悩みのなかで出会ったのが井上ひさしの作品群で、戦争末期国土の大半が焦土と化しながら、尚全体主義が貫かれていた日本でも、市井で懸命に生きる人々は時に笑ったり、ふざけあったりもしていた、という家庭内の描写にホッとしつつ大切なことはきちんと伝えるという作劇にずいぶん助けてもらった。
やはり舞台には想像力に訴える抽象的な表現が多いし、あくまでも舞台演劇を楽しみながら、知識や思考を深めることのありがたさが感じられたものだ。
そうした演劇、更にそこに豊かな音楽が加わって、目に見えている事象だけでなく、登場人物の心の機微や思いの丈を歌として届けたり、時には音楽の力で遥か遠い世界に飛翔したりも叶う、ミュージカルという形態の強みを如何なく発揮しているのが、今回初めてミュージカル化された『この世界の片隅に』だった。
元々こうの史代の手になる原作漫画もまた、軍港があった呉の激しい空襲や戦災を描きながらも、すずを中心とした市井の人々が助け合い、時に笑い合い、時にすれ違いもしながら明日に向かってひたむきに生きていこうとする物語だ。そこからこのミュージカル版は、1幕の全体をすずの回想として位置づけ、時系列を行き来させるなかに楽曲を有機的に入れ込みながら進んでいく。
その舞台全体の美術のモチーフを、絵を描くことが大好きなすずが、日々起きたことを書き留める帳面=ノートにしつらえていて、折々に描かれるすずの絵が、舞台奥に映像として浮かび上がってくるのが効果的だ。悲しいことも楽しいこととして描きとめればみんな楽しい思い出になる、と話していたすずが、絵を描くこと自体を失いかける意味をはじめ、多くの情報がひとつの台詞や音をきっかけに当時へと飛ぶことで、入れ子細工のように提示されていく。
さらにそれらの記憶が、厳格な家父長制度のなかで、人生の岐路を自ら選び取ることがほとんど許されていないこの時代の女性であるすずが、自分の居場所がどこなのかに確信が持てずにいる心もとなさをも浮かび上がらせていた。
そんな流れが2幕に入ると一気にほぼ時系列になり、大きな喪失が起こるなかで、すずは自分の意志で呉の嫁ぎ先から出て、広島市街にほど近い実家の江波に帰ると言い張る。それも昭和20年の7月末に。原作のある、しかも大ヒットした作品だから結末が頭に入っていてさえ、ダメだ、行くな、帰っちゃいけない、と、どうしたって心が動く。この時点ですずという女性が、まるで隣に住んでいる親しい人であるかのように、そばにいると感じられていることに気づいた。
市街の大半が襲われた空襲、機銃掃射、時限爆弾、それらを描いていない訳ではないのに、目に残るのはすずが描きとめた忘れたくない楽しい記憶の断片の紙が降り注いでくる光景や、満開の桜、波にはねるうさぎたちなのは不思議なほどだ。
ここにはミュージカル化にあたって、脚本・演出の上田一豪と音楽のアンジェラ・アキが費やした4年間という歳月、オリジナルミュージカルを生み出す為の様々な工夫とやりとりが詰まっている。実際、キャストたちとの稽古に入ってからでさえ、ソロの予定の楽曲がデュエットに変更されるなどの練り直しが続いた、というエピソードからだけでも、クリエイターが如何にアイディアを出し合い、トライ&エラーを繰り返し続けたかは想像に難くない。
それが戦時下に生きる普通の人々という、作品のテーマにあくまでも寄り添いながら、いまは会えなくなっている人たちを覚えていることで、この世界からあなたの居場所をなくさないという「記憶の器」のナンバーに結実していく美しさは圧巻だった。
なかでも、これぞアンジェラ・アキだ、と思うメロディーラインももちろんあるが、多くの楽曲が驚くほど多彩なのは、優れたシンガーソングライターであるこの人が、ミュージカルの作曲家として上質な仕事をした証だし、その彼女から「台本が歌っていた」という表現を引き出した上田一豪の創意工夫を、楽曲だけでなく、前述した美術の二村周作や、照明の小川修らのスタッフワークが具現化していった丁寧な仕事ぶりのいずれにも、温かな質感が宿っていることが、舞台の色温度を決めている。そんなオリジナルミュージカルの初演を共に創り上げたオリジナルキャストの面々が、作品に与えた力もまた絶大だ。
主人公浦野すずの昆夏美は、空想家でぼーっとしていることの多いすずが見ているもの、感じていることが物語を進めていく作劇のなかで、目の奥に宿る強い光や、雄弁な表情が非常に印象的だった。
それが望まれたとはいえ、本人はほとんど相手のことを知らぬまま嫁いできた周作に次第に惹かれていったからこそ、知らない方が良かったと思う周作と白木リンとの縁に敏感に気づく、すずの決してただぼーっとしているわけではない一面を浮かび上がらせ、ミュージカルのヒロインとして立たせている。
「歪んだ世界」「端っこ」などのソロナンバーに、これぞミュージカルの香りが匂い立つのも、昆が演じるすずの魅力を際立たせた。
もう一人のすずの大原櫻子は、そこからすると原作イメージにより近いすず像で、天然とも言いたい、人とは少し異なるテンポ感のあるすずの、自分の世界がありつつ、何事にも一生懸命で、失敗をも笑って許される人となりを自然に納得させる、愛すべきすずがそこにいた。
それが後半ストレートに感情を表すようになる主人公の変化をより強めているが、アーティストとしても活躍しているだけに「端っこ」の歌い方にポップスに寄せた趣があるのが良い効果になっていて、人格が変わるわけではなく、成長していくすずの心情をよく感じさせてくれている。
すずの夫、北條周作の海宝直人は、口が重く幼い頃に出会ったすずとの思い出を大切にしていながら、それをこと改めて言葉にはしない周作が、内心に抱えている愛情や葛藤を、台詞がないところでの表情で実直に伝えてくる様が目を引いた。非常に人間的な周作になっていて、言わなくていいのでは?と思うことを口にしてしまう役柄の不器用さも、愛おしく感じられる人物造形が魅力的。
当代の歌い手である海宝が演じるからには、そんな複雑な心情を吐露するソロナンバーが欲しいが、そこは生まれたてのオリジナル作品。上演を重ねることで作品もさらに育っていくだろうし、すずとのデュエット「醒めない夢」の幸福感に宿る切なさを美しく聞かせてくれた。
一方、村井良大の周作は、演技巧者の村井のことだから様々な感情が秘められているのは十分に伝わりつつ、最後に目に残るのは穏やかな笑顔、という周作像が、原作や様々なメディア展開のなかでも村井が演じるからこその周作として印象的。『RENT』や『デスノート THE MUSICAL』など、現代の青年もきっちりと演じられる人だが、どこかクラシックなほど端正な顔立ちが昭和の男にぴったりと合っていて、キャスティングの妙も感じる。
戦況が悪化するなか家を空けなければならなくなる思いや、すずと心がすれ違っていく様も歌声によく乗せて、尚優しさが前に出る周作になった。
闇市で道に迷ったすずを偶然に助ける遊郭の女性白木リンの平野綾は、そのパッショネイトな歌声から比較的に突き抜けたキャラクターを演じることが多かった人だが、運命に竿をささず、全てを受けいれていくリンの諦観と共にあるしなやかな強さを表現して、微かに妖しさのある美しさを見せてくれている。このミュージカルでは、物語が時系列で進みはじめるポイントを担う重要な役柄でもあって、実力派の平野がそこに果たした力が大きかった。
一方、Wキャストの桜井玲香は、この人のミュージカルデビューだった『レベッカ』でも平野と同じ役柄を演じた縁があり、初めてのミュージカルに体当たりしていった当時の桜井を思い出すだけに、そこから積んできた舞台経験がリンという繊細な役柄に生きているのを強く感じる。リンのなかに少女性が覗くのも特徴で、それがすずの名を聞いた瞬間の鋭利な感覚につながるインパクトになっていた。
すずの幼馴染で、互いに憎からず思っていた水原哲の小野塚勇人は、自由恋愛が非常に珍しいことだったこの時代、さらにいまでは人の妻になっているすずに、友情以上の情愛を感じている水原の心情をむしろストレートに出していて、周作をイラつかせる展開がなんとも自然。これぞ現代の香りを持つ小野塚が、こうした時代の男性も手中に収めているのは嬉しい発見だった。
Wキャストの小林唯は、劇団四季で数々の大役を務めた歌唱力とダンス力の持ち主で、これが退団後の初舞台。演じぶりのすべてにおおらかな大きさがあって、海をゆく水兵らしい逞しさも感じさせる安定感ある再スタートになった。これからミュージカル界でどんな活躍を見せてくれるのかも楽しみだ。
すずの妹浦野すみの小向なるは、映像、舞台と活躍を続けている逸材で、大劇場でのミュージカルにはこれが初登場だが、舞台での居方が大きく、台詞も歌声もよく通り、姉思いの妹を温かく表出している。この人も別の役柄も是非観たいと思わせる存在感で、今後に期待を抱かせた。
この時代には珍しいと書いた「自由恋愛」を貫いたモダンガールで、いまは故あって実家に戻っている周作の姉、黒村径子の音月桂は、すずにとって小姑にあたる口やかましさを随所に見せながらも、徹底的に嫌な人物にならないのが、音月のスター性に裏打ちされた絶妙な演技力の賜物。すずの人生の鍵を握る役柄でもあり、娘の晴美を思う心にも、すずに思いを吐露する「自由の色」のビッグナンバーにも涙させられる、作品のなかでの重責を担う好演だった。
ほかにも、様々な役柄を演じる面々にも、それぞれ大きな役割があるのがこの作品の美点でもあって、すずの祖母・イトの白木美貴子は、『レ・ミゼラブル』日本初演でエポニーヌ、のちにコゼットも演じたミュージカル界での高い実績を誇る人が、こうした役柄で場を締めてくれる貴重さが、この作品の「記憶をつなぐ」というテーマを体現。
すずの父・浦野十郎の川口竜也も、同じく『レ・ミゼラブル』のジャベール役、高い評価を得た『ラグタイム』のお父さん役など、メインキャストも堂々と張りつつ、様々な役柄も演じる柔軟さが役者としての幅をますます広げていて、すずに見せる温かな気遣いが心に残る。
すずの兄・要一の加藤潤一は、すずが「鬼いちゃん」として物語を書く豪快な人物を、コメディリリーフから誠実な役柄まで演じ分ける加藤らしい勢いを持って演じてくれた。
すずの母キセノの家塚敦子、周作の父の北條円太郎の中山昇、周作とすずの祝言の仲人の小林のおばさんの飯野めぐみらミュージカル常連組の安定感、周作の母サンの伽藍琳の原作世界から抜け出したような造形、径子の夫や、コーラスでの歌声が特段の印象を残す小林遼介、周作の幼少期が爽やかな小林諒音をはじめ、鈴木結加里、高瀬雄史、丹宗立峰、般若愛実、東倫太朗、舩山智香子、古川隼大、麦嶋真帆が舞台狭しと躍動。
大役を立派に務めているすずの幼少期の桑原広佳、澤田杏菜、嶋瀬晴、子供らしい愛らしさがきちんと出ている黒村晴美の大村つばき、鞆琉那、増田梨沙の子役陣も揃い、初演のオリジナルミュージカル立ち上げに力を尽くした全員に拍手を贈りたい。
総じて、様々な暗喩や想像力に委ねて、暗いフラッシュバックを生むことを緩やかに回避しつつ、記憶をつないでいく尊さを伝える作品になっていて、舞台となる呉で行われる大千穐楽まで、全国を丁寧に回る作品を多くの人に体感して欲しいと思う、ミュージカル『この世界の片隅に』の誕生を喜びたい。
(取材・文/橘涼香 舞台写真提供/東宝演劇部)
ミュージカル『この世界の片隅に』
イントロダクション
こうの史代による原作漫画は、太平洋戦争下の広島県呉市に生きる人々の物語でありながら、つつましくも美しい日々とそこで暮らす人々が淡々と丁寧に描かれ、それゆえにいっそう生きることの美しさが胸に迫る作品です。2度に亘る映画化、実写ドラマ化と、様々に形を変えて永遠に残り続けるであろう不朽の名作を、ミュージカルとして新たに上演いたします。脚本・演出は、原作コミック『四月は君の嘘』をミュージカル作品として成功へと導いた実績もある上田一豪が、そして、ミュージカル全編を彩る珠玉の音楽を手掛けるのは、歌い継がれ続けている 国民的合唱・卒業ソング「手紙 ~拝啓 十五の君へ~」を作詞・作曲し、2014年の渡米からミュージカル音楽作家として10年ぶりに再始動するアンジェラ・アキに決定!キャスト陣には、絵を描くことが大好きな主人公の浦野すず役を昆夏美と大原櫻子がWキャストで、すずが嫁ぐ相手の北條周作役を海宝直人と村井良大のWキャストで、すずと周作の三角関係となる白木リン役を平野綾と桜井玲香がWキャストで、すずと幼馴染で淡い恋心をいただいていた水原哲役を小野塚勇人と小林唯がWキャストで、すずの妹の浦野すみ役には小向なるが、周作の姉ですずにとっては義姉の黒村径子役を音月桂と、人気実力派が勢揃いいたしました。
日生劇場で開幕の後、全国ツアーを展開し、『この世界の片隅に』の舞台である広島県呉市にて大千穐楽を迎える予定となっております。
クリエイティブ&キャスト
原作:こうの史代 『この世界の片隅に』(ゼノンコミックス/コアミックス)
音楽:アンジェラ・アキ
脚本・演出:上田一豪
浦野すず:昆 夏美/大原櫻子(Wキャスト)
北條周作:海宝直人/村井良大(Wキャスト)
白木リン:平野 綾/桜井玲香(Wキャスト)
水原哲:小野塚勇人/小林 唯(Wキャスト)
浦野すみ:小向なる
黒村径子:音月 桂
白木美貴子 川口竜也 加藤潤一
飯野めぐみ 家塚敦子 伽藍 琳 小林遼介 小林諒音 鈴木結加里 高瀬雄史
丹宗立峰 中山 昇 般若愛実 東 倫太朗 舩山智香子 古川隼大 麦嶋真帆
桑原広佳 澤田杏菜 嶋瀬 晴
大村つばき 鞆 琉那 増田梨沙
上演スケジュール
【東京公演】
5月9日(木)~5月30日(木)日生劇場
【全国ツアー公演】
北海道公演 6月6日(木)~9日(日) 札幌文化芸術劇場 hitaru
岩手公演 6月15日(土)~16日(日) トーサイクラシックホール岩手 大ホール
新潟公演 6月22日(土)~23日(日) 新潟県民会館 大ホール
愛知公演 6月28日(金)~30日(日) 御園座
長野公演 7月6日(土)~7日(日) まつもと市民芸術館
茨城公演 7月13日(土)~14日(日) 水戸市民会館 グロービスホール
大阪公演 7月18日(木)~21日(日) SkyシアターMBS
広島公演 7月27日(土)~28日(日) 呉信用金庫ホール
作品公式サイト
https://www.tohostage.com/konosekai/