【公演レポート】苦悩と激情を愛の献身に昇華する異色のベートーヴェン誕生!ミュージカル『ベートーヴェン』

クラシック音楽史に燦然と輝き、最も偉大な音楽家の一人として「楽聖」と称されるルードヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェンの苦難に満ちた人生を、ベートーヴェンの原曲に基づく数々のミュージカルナンバーで描くミュージカル『ベートーヴェン』が、東京日比谷の日生劇場で上演中だ(29日まで。のち、2024年1月4日~7日福岡・福岡サンパレス、1月12日~14日愛知・御園座、1月19日~21日兵庫・兵庫県立芸術文化センターKOBELCO大ホールで上演)。

ミュージカル『ベートーヴェン』は、『エリザベート』『モーツァルト!』『レベッカ』『マリー・アントワネット』『レディ・ベス』など、日本ミュージカル界でも屈指の人気作品群を手掛けてきたミヒャエル・クンツェ(脚本/歌詞)とシルヴェスター・リーヴァイ(音楽/編曲)のゴールデンコンビが、構想10年以上の歳月を費やし、ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェンが、音楽家として致命的な聴力を失うという苦難に見舞われながらも、うちなる音楽への希求を続けた、その原動力は何か?を、ベートーヴェン自身の音楽に基づくミュージカルナンバーを用いて描き出そうとした作品。

ベートーヴェン研究のなかで、いまも特定されていない、彼が遺した差し出された形跡のない「不滅の恋人」への恋文の相手ではないか、と有力視されている一人である、アントニー・ブレンターノ、通称「トニ」をその「不滅の恋人」とし、二人の叶わぬ恋に焦点を当てたのみならず、「悲愴」「月光」「英雄」「運命」「田園」「皇帝」「エリーゼのために」「第九」などのメロディが新たなアレンジによって舞台に横溢する野心作となっている。

【STORY】

1827年3月28日深夜。

帰らぬ人となった天才作曲家ルードヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン(井上芳雄)の元を、深紅の薔薇に変わらぬ思いを託して、アントニー・ブレンターノ(通称トニ・花總まり)が訪れる。二人の間にはどんな交感があったのだろうか……

時は遡り、1810年ウィーン。

作曲家としてだけでなく、類まれなピアニストとして称賛を集めていたルードヴィヒは、パトロンであるキンスキー公爵(吉野圭吾)の舞踏会で演奏をはじめるが、白い鬘をつけず礼装もしていないルードヴィヒを揶揄する貴族たちの囁きや哄笑は、招待客の一人だったトニの制止も空しく、演奏中にも関わらずやむことがない。ついに激高したルードヴィヒは演奏を中断して会場をあとにする。

そのつけはすぐに回ってきて、ルードヴィヒの念願だった宮廷劇場でのコンサートは突然中止に。抗議に向かった公爵邸には、この顛末の差し金である公爵の弁護士フィッツオーク(渡辺大輔)とトニも居合わせていて、無礼だったのはルードヴィヒではなく貴族たち、とのトニの進言が功を奏し、コンサートは仕切り直せることになる。

ことの顛末を聞いたルードヴィヒの弟・カスパール(海宝直人小野田龍之介Wキャスト)は、トニにきちんと謝意を伝えるべきであることや、耳の不調に悩まされているルードヴィヒに診療を受けるようになど助言を重ねるが、当のルードヴィヒはカスパールが運命の人に出会ったと言い続ける恋人ヨハンナ(実咲凜音)との結婚に猛反対。遂に二人は口論の末決別してしまう。

一方トニは実家であるビルケンシュトック宮殿で父の遺産を整理する日々を送っていたが、義妹のベッティーナ(木下晴香)が恋人について熱く語るのを聞き、その感情がわからない自分と夫のフランツ(佐藤隆紀坂元健児Wキャスト)との関係を顧みるようになる。そんな彼女のもとにルードヴィヒが謝辞を述べに訪れ、互いにぎこちないながらも二人の距離は少しずつ近づいていく。そんな折も折、ルードヴィヒは医師からいずれ聴覚を失うとのあまりにも厳しい宣告を受けた。

音楽しかない自分の人生に、その音楽も聞こえなくなったとしたらいったい何が残るのか、絶望に打ちひしがれるルードヴィヒの前に現れたのはトニその人で……

楽聖ルードヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェンの生涯を描いた作品は数多い。
ここ数年の日本の舞台に限っても、『No.9 ─不滅の旋律─』、『Op.110 ベートーヴェン「不滅の恋人」への手紙』、『fff─フォルティッシッシモ─』~歓喜に歌え!~、MUSICAL『ルードヴィヒ 〜Beethoven The Piano〜』などが次々に上演されている。

もちろんどんな人にとっても困難極まりないことだが、分けても音楽家にとって聴力を失うことの絶望がいかばかりであったかは想像に難くない。にもかかわらず音のない世界からベートーヴェンが紡ぎ出した音楽の、特に失聴して以降の後期に属する作品群の圧倒的な完成度は、神から才能を授かった者の、人知の及ばない世界への到達に対する驚異として、現代のクリエイターたちの創作意欲を掻き立てるのだろう。

日本ミュージカル界にウィーン旋風を巻き起こしたゴールデンコンビ、クンツェ&リーヴァイもそんなクリエイターの一人で、実に構想十年以上を費やしたという、この作品ミュージカル『ベートーヴェン』は、トニのソロナンバー「千のナイフ」を除いた全てが、ベートーヴェンの数多の楽曲からメロディを複雑につなぎ合わせて出来上がっていて、その着想が大きな個性を放っている。

このクラシック音楽を用いたマッシュ・アップ・ミュージカルとしての制作過程では、まずリーヴァイがベートーヴェンの全ての楽曲にあたって歌えるメロディを抽出し、旋律がドラマツルギーにあっているかをクンツェと調整していったとのことで、その過程を思い浮かべただけでちょっと気の遠くなる思いがする。既に神童ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトの生涯を描いた『モーツァルト!』を、自身のオリジナル楽曲で大ヒットさせている二人が、ベートーヴェンを題材にした新作にベートーヴェン自身の楽曲を用いる決断をした。

そこから既に二人の楽聖に対する敬意と挑戦を感じるが、果たして出来上がったミュージカルナンバーの数々は、ピアノ・ソナタ第31番の終楽章の旋律を用いた「運命はこの手で」や、クラシックファン以外にも馴染深い交響曲第9番を用いながら、最も知られたメロディは外すなどのマニアックなものから、ピアノ・ソナタ第14番「月光」第1楽章で歌われる「魔法の月」。同第8番「悲壮」第2楽章の「愛こそ残酷」「答えはひとつ」。ピアノ学習者ならほぼ間違いなく通っている「エリーゼのために」の「秘密の花園」等々、良い意味でベタな楽曲選択までと実に幅広い。

そこに、日本人にも非常に耳馴染み良く、わかりやすいキャッチーなオリジナル曲を書いてきたリーヴァイらしさが屹立しているし、ドラマの進め方も、ベートーヴェンが次々と苦難に見舞われるのは、音楽だけに人生を捧げよとの音楽の神からの啓示、ベートーヴェンが才能と引き換えにした宿命だという展開には、やはり如何にもクンツェの永遠の文学青年の趣が溢れていて、二人の作品が日本で愛され続ける所以を見る思いがした。

一方でそれら全てを凌駕して、トニをベートーヴェンにとっての「不滅の恋人」とし、二人の叶わぬ恋がドラマのほとんどを占めている作劇には新鮮な驚きがあった。特にトニの側の懊悩を深く描く2幕で一層その傾向が顕著になり、ここまで恋愛を前面に出したベートーヴェンものはあまり多くないだけに、こう来たかという印象が強い。

そこにはこの作品が韓国で初演されていることがやはり大きな要素としてあるのだろうと思われる。日本でも『冬のソナタ』を皮切りに一世を風靡し、『愛の不時着』を経たいまでは一過性のブームでなく、ひとつのジャンルとして定着した「韓流」と呼ばれる波乱万丈の恋愛ドラマの香りが、この作品の成立過程と無縁だったとは考えにくい。

ルードヴィヒとカスパール兄弟の濃い関係性も然りで、そうした人間ドラマの膨らみが、作品のドラマティックな面を増した一方で、1幕、2幕の冒頭の展開や、同じく終幕の見せ方がかなり似通っているなど、ブラッシュアップの余地もあると思う。もちろんこれは日本初演の作品だから、ここから育っていく過程が楽しみだし、それぞれ創られた時期はまちまちだとは言え、2023年を振り返ると上演された作品には、「愛」が主軸に置かれたものが目に立つことに気づく。

やはり世界も日本も先行きが見通せない困難な時代だからこそ、人と人が愛しあうことの強さと眩しさを誰もが無意識に求めているのだろうか。ミュージカル『ベートーヴェン』がこの時季に日本初演されたことにも、何か大きなめぐりあわせを感じた。

そんな作品で、主演のルードヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェンを演じた井上芳雄は、拗れた役柄をやらせたら天下一品、右に出る者のない持ち味を存分に発揮して、拗れまくりながらトニへの愛をただひたすらに求め、その愛をついに自己犠牲にまで昇華させる展開を支えて盤石だ。

映像効果を多用した雷鳴や驟雨を背景に、ルードヴィヒの精神世界の象徴のように変化するピアノと共に、時に荒れ狂い、時に絶望し、時に献身の限りを尽くすルードヴィヒの激情の全てをエネルギッシュに演じながら、フォルムのいちいちを美しく決めて、あらゆる体勢でクラシック歌唱が不可欠なナンバーを悠々と歌う力には感嘆するばかり。

井上以外にこの役柄を演じきり、センターを担える人材がいるだろうかと思わせたほどで、2023年のこの人の働きぶりには改めてただ敬意を払うのみだが、この作品はまさしく、もうプリンスはとうに卒業していると常々感じさせてきた井上の「ミュージカルキング」宣言。
井上芳雄ここにあり、の力感を持つ仕上がりになった。

その井上ルードヴィヒに対峙するアントニー・ブレンターノの花總まりも、特に2幕ではルードヴィヒへと子供たちへのそれぞれの愛情に悩み苦しむトニが中心になることもあって、永遠のヒロイン女優・花總まりの面目躍如たる芝居を披露。

二人の子供を命より大切に思う母親でありつつ「はじめての恋」に一喜一憂する姿に、欠片もわざとらしさが生まれないのは、花總の持つ少女性の賜物。クラシック唱法の歌唱もよく声が伸びているし、作中唯一のオリジナル曲「千のナイフ」はリーヴァイメロディの真骨頂で、クンツェ&リーヴァイ作品に縁の深い花總の白眉だった。

脚本が二人に集中しているだけに、ポイントの出番が大半のメインキャストがカーテンコールに並ぶと、主役が張れる面々が立ち並ぶ贅沢さに圧倒されるが、その筆頭カスパールの海宝直人は、ルードヴィヒをモーツァルトのような神童にしたかった父親の暴力的な教育を日々目にしてきた弟、というカスパールのトラウマを強く感じさせる役作りを披露。

兄に守られてきて、その兄の天才故の欠落も誰よりも知っているからこそ、自立したい、誰かを守る存在になりたいと願う心と、それは兄に認めてもらえてこそ果たせるという切実な思いの狭間で揺れるカスパールが、決別した兄と再び向き合う終幕は涙なくしては見られない。井上との初共演で、可愛いと表現したいような雰囲気を久しぶりに醸し出した姿も目に残る。

一方、Wキャストでカスパールを演じる小野田龍之介は、兄が天才だからこそ抱える日常生活に不向きな気難しさやプライドの高さを理解し、ある意味で守れるのは自分だけだと自負している、兄に敬意を抱く弟でありつつ、精神的にはむしろ彼こそが兄のようでもある、というカスパール像が独自の色を出していて面白い。

海宝が東京公演のみの参加なことから、全国公演ではシングルキャストとなることもあって、役柄の深化も楽しみだ。海宝、小野田共に抜群の歌唱力がもったいないと思う希少なソロナンバーも見事に聞かせてくれていて、「いい声だ」というルードヴィヒの評価に全面的な賛意を表したい。

トニの義妹ベッティーナ・ブレンターノの木下晴香も、ミュージカル界で躍進を続けている勢いを維持して、トニに「愛」を語る役割を可憐にかつ溌剌と演じている。一説ではルードヴィヒとも交流があったとされる女性で、作中にも関心を引こうとする場面もあるものの、それをあくまでも偉大な芸術家への憧れで収めたバランス感覚が良い。

ルードヴィヒとトニとの関係を兄に進言する辺りの心理がややわかりにくいが、木下の清楚な持ち味が少なくとも嫉妬からではないことを伝えているのも良い効果だった。

その兄であり、トニの夫のフランツ・ブレンターノの佐藤隆紀は、トニの全てを支配しなくては気が済まない夫を高圧的に演じている。ピアノ・ソナタ第17番「テンペスト」を用いた「他人同士」のソロ歌唱は胸がすくほどで、スッキリと絞った体躯からこの声量が失われなかったことも、常にどこかで良い人を感じさせていた個性を封印した俳優としての可能性の広がりも共に嬉しい。

「私たちは愛し合っていなかった」というトニの述懐に納得がいく、一度は愛し合っていると錯覚させたのだろうフランツ像だった。

もう一人のフランツ坂元健児はモラルハラスメントが服を着ていると思わせるほどの、徹底的に嫌な奴を極めている、いつながらの役者魂が天晴れのひと言。

佐藤とはひと味違う、だがやはり劇場中に響き渡る歌声も健在で、こちらは恋人を思うだけで胸が高鳴り、心が熱くなると語るベッティーナに、それはどんな感情なんだろう、と自身の中にその覚えがないことに暗澹とするトニに説得力を与えるフランツだった。

カスパールの妻となるヨハンナの実咲凜音は、夫の死後、遺言による息子の壮絶な親権争いをルードヴィヒと繰り広げた史実が有名な女性で、作中でもわずかにその片鱗を感じさせる描写があるものの、出番も書き込みも極端に少ない役柄に、美しく登場することで余白を残している。これによってルードヴィヒとカスパールそれぞれの目から見た両極端なヨハンナ像の、どちらが真実なのかが決定的にはわからないことが、終盤の兄弟の関係に無理を生じさせない作用になった。

はじめキンスキー公爵と、続いてフランツと手を組み、ルードヴィヒとトニに立ちはだかる弁護士フィッツオークの渡辺大輔は、近年果敢に役幅を広げてきた経験値を生かし、ずるがしこく立ち回る弁護士役を色濃く演じている。歌唱力もますます充実していて、演じろと言われればカスパールもフランツも演じられるだろう人が、この役柄で舞台を闊歩しているのもまた贅沢なことだ。

そして贅沢と言えば、そのキンスキー公爵の吉野圭吾も忘れてはならず、この人ほどの個性とアクセントを利かせられる演技力がなければ、プリンシパルとして印象に残すのが極めて難しいだろう役柄を楽々と演じて気を吐いている。役柄の出番や台詞の過多に頓着せず、どんな持ち場でも瞬間に空気を攫うことができる吉野の存在はやはり貴重だ。

ほかに冒頭クラシックを主体にした、オペラ感覚もある作品だということをその美声で一気に印象づけるグリルパルツァーの中西勝之、ルードヴィヒに厳しい宣告をする医師シュミットの中山昇をはじめ、ソロのある役柄が極めて多く、ユリアの家塚敦子を筆頭にいずれにも高い歌唱力が求められる要求に応えた粒揃いのカンパニーが頼もしい。ゴースト=音楽の精霊として、トートダンサーを彷彿とさせる岡崎大樹、鈴木凌平、福永悠二、樺島麻美、松島蘭、横山博子の精鋭ダンサーチームも、クンツェ&リーヴァイの世界を着実に表現していて、完売のチケット難に沸く公演の配信が決まったことも何よりで、是非多くの人にこの新たなミュージカルの船出を見届けて欲しい。

(文/橘涼香 写真提供/東宝演劇部)

ミュージカル『ベートーヴェン』

脚本/歌詞:ミヒャエル・クンツェ
音楽/編曲:シルヴェスター・リーヴァイ
演出:ギル・メーメルト

出演
井上芳雄
花總まり
海宝直人(東京公演のみ)/小野田龍之介(Wキャスト)
木下晴香
渡辺大輔 実咲凜音 吉野圭吾
佐藤隆紀(LE VELVETS)/坂元健児(Wキャスト)
ほか

【東京公演】
2023年12月9日(土)~12月29日(金)
会場:日生劇場

【福岡公演】
2024年1月4日(木)~1月7日(日)
会場:福岡サンパレス

【愛知公演】
2024年1月12日(金)~1月14日(日)
会場:御園座

【兵庫公演】
2024年1月19日(金)~1月21日(日)
会場:兵庫県立芸術文化センターKOBELCO大ホール

<配信情報>
2023年12月24日(日) 17:00東京公演
Wキャストカスパール・ヴァン・ベートーヴェン:海宝直人フランツ・ブレンターノ:佐藤隆紀
2024年1月21日(日) 12:00兵庫大千穐楽公演
Wキャストカスパール・ヴァン・ベートーヴェン:小野田龍之介フランツ・ブレンターノ:坂元健児

視聴チケット
5,500円(税込)
公演プログラム付き特別視聴チケット
8,300円(税込)*送料800円込み(uP!!!のみ。数量限定販売)

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