人間が見て見ぬふりをしている現実、感情と向き合う時間を制作する劇団として、脚本家・演出家谷碧仁が主宰する劇団時間制作10周年記念公演『トータルペイン』が、10月19日~29日赤坂RED/THEATERにて上演される。
ファンタジーが、崩壊の始まりだった
“当たり前”が“当たり前ではない”
その事を知ってから数年が経った
今では事故で亡くした母の事を笑って話せる
時々淋しくなる事もある
時々今の自分を母はどう感じてるのだろうと
そんな事を考える時もある
死後の世界を信じているわけではない
かといって、全く信じていないわけでもない
言ってしまえば、別に深く考えた事がないのだ
今日までは・・・。
劇団時間制作10年ぶりのファンタジー。
・・・痛みは、人を壊す
『トータルペイン』は、8月東京芸術劇場シアターウエストで上演された『哀を腐せ』に続く、劇団時間制作10周年記念公演の第二弾となる作品。『哀を腐せ』のテーマが「どう生きていくか」であったのに対して、今回の『トータルペイン』のテーマは「どう死んでいくか」。
現在明かされている情報は、『哀を腐せ』同様に交通事故が題材になっていることと、劇団時間制作が10年ぶりに手掛けるファンタジーである、ということくらいで、松本紀保、小西成弥、松田るか、佐瀬弘幸、田野聖子、5人のキャスト陣が演じる人間関係を含め、あらすじ以外はまだベールに包まれている。
そんな作品の一端を知るべく、永遠に続くかと思われた猛暑がようやくくたびれてきた10月初旬、「ファンタジーが、崩壊の始まりだった」とキャッチされている新たな物語が紡がれている稽古場を訪ねた。
キャストが銘々にストレッチをしたり、フロアに座って話したりそれぞれの時間をすごしたあと、稽古はスタート。
実はこの日が場面作りとしては初めてになるという、作品のおそらく最も大きな山場になるシーンの稽古がはじまった。
脚本・演出の谷からはこの場面の大切なところ、作っていくにあたっておそらく難しさがあるだろう、というポイントが丁寧に提示されるが、一方で佐瀬弘幸から出た「最初の位置は?」という、謂わば「はじめの一歩」的な質問に対して「あんまり決めずに、話し合いながらいきましょう」と谷が答えているのがまず耳に残る。
演出家・谷碧仁の自分が書き下ろした作品にもかかわらず、絵作りを決して指定せずに、キャストと共にその場、その場で動きながら作品を創っていく姿勢が10周年記念の今回も、変わらずに貫かれていることが感じられる。
そこから稽古は、劇団時間制作初参加となる松本紀保の長台詞からはじまる。大舞台のミュージカル作品から小劇場公演まで「演劇」の世界で柔軟に作品や役に向かっている松本の声の強さが、このモノローグとも言えるような台詞から際立って感じられる。その台詞が終るあるきっかけで、他のキャストたちが登場してくる。
ここで、時間制作の舞台らしく、ソファーのあるリビングや、キッチンテーブルだろうダイニング、仏壇が置かれた部屋など、様々な切り取り方のできる空間のどこに誰が座るかが話し合われていく。おそらく劇団時間制作の舞台に馴染んだ人にならおなじみだろう、こうした固定された美術が、ライティングを中心にした様々な仕掛けのなかで姿を変えていく部分に対してのテクニカルな質問も出て、谷が「自分としてはこう思っているけれども、もう少しセクションと詰めないといけないからちょっと待ってください」という回答もあって、舞台が総合芸術だということを改めて感じさせる。実際、同じ場面の稽古に音楽が入るだけで、表現の効果が倍増されることに目をみはる思いがした。
ここから、一つひとつの台詞、動きを細かく緻密に考え、反芻しながらの稽古が続く。例えば松本の台詞に対して、田野聖子の役柄の反応が「少し落ち着きすぎているかもしれない」というサジェスチョンが入る。「やっぱりこの言葉が出た時にとまどっていいし、落ち着いていなくてもいい。動揺するというひとつのリアクションがあったあとで、得心してから淡々と話す方が怖いんじゃないか」という趣旨の説明のあとで、田野が淡々と話す言葉や、笑顔が確かにとても怖く感じたし、だからこそ美しくもある田野の居住まいに目を奪われた。
また、佐瀬の役柄は同じ松本の台詞に対して、即座に真意を悟っているのだなということが、佐瀬の視線や表情から伝わるが、「理解していて、賛同もしているけれども、方法に対しては疑問もあるし、受け入れてしまっていいのか?という葛藤の反応をしていいと思う」と谷が語ると、佐瀬の演技も即座に陰影が強まって、笑っているのだけれども、泣いているような、表現に引き込まれた。
そんな松本の台詞から、大人たちが理解していくことを、小西成弥と松田るかの若い役柄は到底受け入れられない。それをある意味論破するかのように続く、松本の台詞がとても重い。けれども谷が「いま、見て思った!」と、そこから続く台詞は若い彼らに言っているというよりは、自分との対話なんじゃないか?と提示したことで、また場面がガラリと違う色になっていく。
「いま、見て思った」というのは、脚本家・谷碧仁と、演出家・谷碧仁はある意味で全く別の人格で、この戯曲は創るのが大変だ、と感じることさえあるという趣旨の思いを書いていた谷が、自分の作品でありつつ、演出家としては作品を客観視できるという、稀有な才能を持っていることを感じさせる瞬間だった。
そんな谷だから、怒涛の展開に動揺している小西成弥が、起きていることを咀嚼していくなかでも「やりにくい?」「どこにいたい?」と、一つひとつ確認していく時間や手間を決して惜しまない。特におそらく客席から見るとかなり奥になる位置で、自分の台詞が終わったあとも小西の上体が動いているのを「とてもいいね、台詞が終わってもずっと『そうか、そういうことか』と言い続けているのがよくわかるよ」と声をかけていて、小西の芝居力の確かさがこちらにもよく伝わってくる。だからこそ劇団時間制作の舞台は、目が足りない気持ちになるんだ…と、客席で感じる思いにアンサーをもらった気がした。
そして、物語が進んでいくなかで、松本と激しい言い合いになる松田るかの台詞や動きにも熱量がどんどん増していく。食い気味に語る台詞や、同時に話す形になる台詞にも細かい推敲が重ねられていて、『哀を腐せ』にも出演していた松田の、感情が昂った台詞のなかだからこそ感じる波立った心のうちや焦りが、強い光を放つ瞳と共に伝わってくる演劇的興奮が、『トータルペイン』でも存分に披露されるだろう期待が高まった。
おそらく『トータルペイン』というタイトルと、「どう死んでいくか」というテーマで、何が明かされていなくても、これだけは描かれていることが誰にでもわかるはずの、作品のなかで重要なテーマになる「死」について、稽古のなかではとても明るく話されているのが印象に深い。なかでも谷が非常に重要なある行為を「演劇的にはソファーでやるといいのかと思う」と言ったすぐあとに、役者からの「床のイメージでした」との言葉を受けて「じゃあ床にしましょう!」と即断したのに、本当に全員がフラットな立場で『トータルペイン』という作品を創り上げているんだなと、積んではならし、積んではならす、という形でひたすらコツコツと続く稽古が、なお清々しい理由が見える気がした。
特に新たな場面に臨んでいた為に、それぞれの台詞や場面に対して思うことをそれぞれが語り合う時間も長く、「諦めるって決して悪いことじゃない。諦められたら楽なことってたくさんある。選択するより諦める方がいいと思っている」と谷が語ったひと言が、新鮮な価値観としてずっと胸に残った。ほんの二時間あまり稽古場に同席させてもらってすら、そんな目からうろこが落ちる気持ちになったのだから、日々作品と向き合うキャストが、感じ、得るものはどれほど多いかしれない。それがきっと舞台から客席にも降り注いでくることだろう。
そうした発見も多く散りばめられている稽古場で、作品はおそらくいまもどんどん進化し、奥深いものになっているに違いない。こんな作品です、と現時点で語れることは非常に限られるが、ひとつだけ、劇団時間制作作品をはじめて観る人はもちろん、むしろ劇団時間制作の舞台を観続けてきた人ほど、新鮮な驚きを持って劇場をあとにすることができる作品に仕上がる予感がする。
そんな新作『トータルペイン』が赤坂RED/THEATERの、あの濃密な空間に全貌を表す瞬間を、多くの人に目撃して欲しい。そう感じた稽古場での時間だった。
(取材・文・撮影/橘涼香)
劇団時間制作10周年記念公演「トータルペイン」
公演期間:2023年10月19日 (木) ~2023年10月29日 (日)
会場:赤坂レッドシアター
作・演出:谷碧仁
出演:松本紀保 / 小西成弥 / 松田るか / 佐瀬弘幸 / 田野聖子