【公演レポート】音楽劇『スラムドッグ$ミリオネア』

インド社会が抱える貧困、格差、虐待、搾取といった問題に鋭く切り込みつつ、「スラム街の孤児《スラムドッグ》が、なぜクイズ番組で《ミリオネア》になりえたのか?」の謎解きを、群舞やパルクールを取り入れた疾走感のある音楽劇に仕上げた意欲作、音楽劇『スラムドッグ$ミリオネア』が日比谷のシアタークリエで上演中だ(21日まで)。

『スラムドッグ$ミリオネア』は、2008年に製作されたイギリス映画(監督:ダニー・ボイル)の大ヒットにより世界を席捲した作品。厳しい階級制度が敷かれたインド社会で、スラム街の孤児として生まれた主人公が辿った壮絶な人生と、そこからの大逆転が描かれた作品は2009年アカデミー賞8部門を受賞するなど、世界各国で高い評価を得た。

そんな作品の世界初となる今回の舞台化では、その著名な映画版ではなく、映画の原作となったヴィカス・スワラップの小説「Q&A」(邦題「ぼくと1ルピーの神様」)、つまりこの物語の原典を元に、瀬戸山美咲が上演台本と演出を手掛けた、非常に新しい感覚を持つ『スラムドッグ$ミリオネア』となっている。

STORY

スラム街出身の青年・ラム(屋良朝幸)は、人気クイズ番組《億万長者は誰だ!》に出演し、司会者である国民的人気タレントのプレム・クマール(川平慈英)や番組スタッフ、オーディエンスの予想を裏切り、12問にも及ぶ難問を次々とクリアしていく。だが、「教養があるはずも無い彼がなぜ答えを知っていたのか?不正を働いたに違いない」との、番組制作会社の決めつけによって、ラムは詐欺の疑いで逮捕されてしまう。警察の拷問で自白を強要されるラムだったが、突如現れた弁護士スミタ・シャー(大塚千弘)に救われ釈放される。

スミタはラムに、どうしてクイズに正解することができたのか?と改めて問うが、ラムの答えは「全てを知っていたから」だった。この謎が、彼のこれまでの人生に関わっていると感じたスミタは、ラムに人生のすべてについて語るよう促し、昨夜オンエアされた番組のDVDを再生するなか、ラムはこれまでの来し方を語り始める。

捨て子として教会で神父に育てられたが、育ての親の神父が殺されたこと。孤児施設に入り、映画スターを目指す親友のサリム(村井良大)と出会ったこと。怪しげな占い師から幸運の1ルピー硬貨を渡されたこと。通っていた職業訓練校で子供たちへの虐待を目撃し、施設を抜け出したこと。父親の暴力に怯える隣人の少女を助けようとし、その父親を殺害し逃亡したこと。娼婦のニータ(唯月ふうか)と出会い、燃えるような恋に落ちたこと。

次々とラムから明かされる彼の過酷な運命が、真実彼にクイズの答えを教えたのか?そもそもラムは何故《億万長者は誰だ!》に出演しようと決意したのか?その答えは、賞金を払いたくない番組制作会社の思惑を乗り越え、果たしてラムをミリオネアにすることができるのか……

舞台に接してまず感じるのは、作品の雰囲気が映画版とは相当に違うということだった。

クイズ番組の出題と、ラムの語るこれまでの壮絶な人生が交錯していく作りは変わらないのだが、出題される問題そのものが異なる=ラムが経てきた人生のどこに重きを置いてフォーカスするのかがそもそも違っているから、目の前で起きている事柄が新鮮に感じられる。

特に脚本・演出の瀬戸山美咲が、様々に降りかかる困難のなかで、ラムが手にしている1ルピーのコインが切り開いていく未来、おそらく現実ではなかなか起こりえないだろう“奇跡”を信じているに違いないことが、展開に希望を与えていく。

ここには、映像のリアリティからひとつ離れた舞台作品だからこそ描けるファンタジーと、その幸福な嘘を観客が共有し得る、エンターティメントの力が根底に流れ続けている。それは階級社会による分断、貧困、虐待、搾取といった様々な負の要因を、インドのカースト制度故と一歩引いて見ることが難しくなってしまった、いまの日本のここにある問題とすべてが重なっている2022年の厳しいリアルに、瀬戸山が見せてくれたひとつの夢であり、救いだった。この社会は変えられる。生きている全ての人がその現実を知り、変えようとさえ思えば。苦味も痛みもある作品から放たれるそんな希望がとても美しい。

抽象的なセットを駆使しつつ、最も高みにクイズ番組のセットが威圧感をもって登場してくる原田愛の美術が、時代も場所も多岐に渡る物語のスピーディな転換をよく支えていて、多国籍なメンバーで作られた楽曲の数々も面白い。世界初の舞台化らしくやや長いかと思える展開もあり、ブラッシュアップの余地も残るが、観劇後の後味の良さが全てをポジティブに変換してくれていた。

そんな物語の主人公、スラム街の孤児・ラムの屋良朝幸は、強い瞳に感情を映し出す印象的なルックスが、びっくりするほどラム役にピッタリで、舞台経験は非常に豊富な屋良の、現時点での代表作になるのではないか?と思える当たり役ぶりが鮮やかだった。

幼少期の芝居にも無理がなく、ラムがいま何に気づき、何を決意したのかが手に取るように伝わってくる。舞台化の大きな見どころとしてのHAYATEによるパルクール(※自分の体のみを用いて障害物が設けられた環境を、走る・跳ぶ・登るといった移動に重点を置く身体動作で克服し、心身を鍛えるスポーツ)のアクションが見事で、ラムの前向きで、決して諦めない生き方をよく表現していた。

映画スターを目指すラムの親友サリムと、後に彼にそっくりだという設定で登場するシャンカールの二役を演じる村井良大は、いずれもがラムにとってかけがえのない心を通じ合える間柄だということを、屈託のない笑顔で表現していく。

特に失語症という設定で、意味として理解できる台詞がないシャンカールは相当な難役だが、それでも真っ直ぐな心根と意志が伝わってくるのは村井の演技力の賜物。しかもこの人のすごさは、演じる役柄によって、整ったビジュアルを全く違う印象に見せられることで、今回の二役では飛びぬけた二枚目だということをどこかで忘れさせる、親しみがあふれる村井が堪能できる。

パルクールも屋良と変わらない長尺をこなしているなかで、どこか不器用で必死にやっているように見せる技量に感嘆した。

ラムと恋に落ちる娼婦ニータの唯月ふうかは、唯月の個性としては新鮮な世慣れた立ち居振る舞いが、ニータの置かれた環境故にそうならざるを得なかったもので、ラムと心を交わしていくに従って、本来の優しさや少女らしさが際立ってくる役柄の変化をよく表現していて実に魅力的。
確かな歌唱力も貴重だった。

ラムを支援する謎の弁護士スミタ・シャーの大塚千弘は、この人がキャスティングされた理由がわかる、ストーリーテラーの要素も加えた重要な役どころを、颯爽と演じていて見ごたえ十分。年々役幅が広がっていると感じさせる舞台ぶりも頼もしい。

そして、人気クイズ番組《億万長者は誰だ!》の司会者で国民的スターのプレム・クマールの川平慈英が、独特の個性で場を掌握する力が圧巻。華やかでありつつ、十分に胡散臭さも残す役柄の造形が的確で、ベテラン俳優の川平をもってして、更に新境地を感じさせる抜群の存在感だった。

他にも、ラムが運命を託す1ルピーを手渡す占い師をはじめ、多くの重要な役柄を演じる池田有希子の鮮やかな演じ分けをはじめ、ラムの人生に光を当て、また影をさす多様な役柄を演じる辰巳智秋吉村直も、数々の役どころを全く違う人物として見せてくれるし、嫌な奴の造形が上手すぎて目が離せなくなる野坂弘阿岐之将一。ラムの人生に関わる少女役が印象的な當真一嘉。全体を通じて少年性が際立つ中西南央と、カンパニー全員が躍動。色の変わる楽曲を時に芝居に寄り添い、時にライブパフォーマンスのように届ける大林亮三マスダミズキKAYO-CHAAAN粕谷哲司による生バンドの演奏も舞台を弾ませる大きな要素になっていた。

とりわけクイズ番組が終わりを告げた時、張られた伏線が鮮やかに回収されるだけでなく、思わず膝を打つ意外な事実も飛び出してくるなかで、これぞインドを舞台にした物語!と言うべき、キャスト全員が明るく踊るフィナーレに至る作劇が快調。

どんな厳しい境遇にあっても、きっと明日には希望がある、信じていれば人生は変えられる、というメッセージがこもった1ルピーの存在が胸に残る作品になっていた。

(取材・文/橘涼香 写真提供/東宝演劇部)

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