【稽古場レポート&インタビュー】45年の歴史を刻む「轍の会」。両輪を担う本田光洋と櫻間金記の挑戦

【稽古場レポート&インタビュー】45年の歴史を刻む「轍の会」。両輪を担う本田光洋と櫻間金記の挑戦

左から櫻間金記と本田光洋

金春流シテ方の名手、本田光洋と櫻間金記による演能会「轍の会」が7月7日に45回を迎え、今回は節目の公演となるという。テーマは「境地への挑戦と継承」。能楽の最秘奥といわれ、演じられることが稀な「伯母捨 古式」に櫻間金記が、「清経 恋ノ音取」に本田光洋の長男、本田芳樹が挑戦する。
公演日まであと一ヶ月に迫った稽古場を訪ねた。この日は「伯母捨」の囃子方も揃った下申し合わせ(通し稽古)が行われた。シテの老婆を櫻間金記が、地頭を本田光洋が務め、本田布由樹も地謡に加わった。

「伯母捨」のワンシーンから。シテ櫻間金記

「伯母捨」は、中秋の名月の夜、旅人の前に姥捨山に捨てられた老女の霊が現れ、舞を見せる。杖をついて現れた老女が、やがて扇を手に笛や囃子に呼応するように舞う。そしてまた杖を手に一人帰っていく。時折、微妙な立ち位置などを調整する以外は途切れることなく1時間30分も続き、その世界に魅入られた。

終了後、本田光洋と櫻間金記両氏にインタビューした。

「轍の会」の轍(わだち)とは車輪という意味。初期のチラシには車輪の絵がデザインされていたそう。本田光洋と櫻間金記が両輪となって回り出した轍の会。そもそもの発端はどちらからだったのだろう。

36歳と38歳の若手が立ち上げた演能会

本田「どちらからと言われても、飲んでる時だからわかんないよ(笑)。若い頃は毎週二人でテーマを決めて、舞や謡の稽古をしていたんですよ。そのうちに金記さんのお父樣の(瀬尾)乃武先生がそれを見て『じゃあ囃子をあしらってあげるよ』とおっしゃって、囃子をつけてくださったんです。
それを続けているうちに『そんなにがんばっているのなら、少しくらい援助してあげるから能の会をしなさいよ』と後援を申し出てくれる方が現れたんです。それが『轍の会』のはじまりです。
私が38歳で金記さんが36歳。当時は36歳と38歳の若手が会を興すなんて、大変なことだったんですよ。よく思っていない先生もいたと思います。それこそ50歳で芸術新人賞をとるような時代です。今はさすがにそんなことはないですが」

雨漏りがする能舞台でバケツを持って走り回った幼少期

本田「私と金記さんは、もう小学生の頃からの仲なので、70年以上の付き合いになります。金記さんは昭和19年生まれで僕は17年生まれ。お互い稽古を始めたのは戦争が終わったばかりの頃でした。
日本中が焼け野原で、あちこちから雨漏りがするような能舞台で、バケツを持って走り回っていたのが最初の記憶です。それこそ能の最中で停電になる。戦後は電力が足りなかったので、たびたび停電になっていたんですよ。
それから能舞台もどんどん良くなっていって昭和58年には国立能楽堂ができました。今の若い人は立派な施設で安定して公演ができて恵まれていると思います」

45年の間には休演した期間はなかったのですか。

本田「二人で始めて45年間、間は空かなかったよね。震災でもコロナ禍でも続けてきました。この歳だから病気をしたこともあったけど、お互い時期がうまくずれてね。会を続けていくという緊張感が健康でい続けられることにつながってきたのかな」

本田氏の言葉に静かに頷く櫻間氏。息のあった友人同士のような長年の絆が感じられた。

特別なことは何もない。だから難しい「伯母捨」

「伯母捨」は、能楽の最秘奥といわれ、めったに演奏されることがない曲。限られた人しか舞うことができない。その難しさはどこにあるのかと聞くと、意外な答えが返ってきた。

本田「僕に言わせると難しくないように見える。年相応になってきたということもあるのかな」

櫻間「まだ難しさがわかるほど舞いこんでないけどさ(笑)。基本的なことをやっているだけ。特別なことは何にもないの。普通の型をずっと持続してやっていかなくちゃならないから、かえって気を抜けない」

本田「ただ、我々の若い頃にはなかった曲なんですよ、昭和48年に復曲して、歴史的に定着している曲ではない」

櫻間「普通の能だと型付けって、こうと決まってるんでしょうけど『伯母捨』にはそれがない。決まった型がないんですよ。そこがまた大変だけど面白い」

本田「珍しいことをやっているなら、それで魅せられるけど、ただ当たり前のことをやっているだけだからね」

櫻間「それでもやっぱり難しい曲ですね。何もやらないなかに、その人が出てくると思っています。それこそ45年間、何をやっていたのか出てくるんじゃないのかと」

人はひとりだと気づく中に美しさがある

「伯母捨」は悲しい物語ですよね。

本田「悲しくはないんですよ。囃子方ももっと乗って、というような感じの曲ですし。普通の演劇ですと、このお婆さんは山に捨てられてしまってかわいそうなんですけど、能の世界が描くのは死後の世界です。
お婆さんが、どうやって亡くなったかと思うと、多分、月を見て西の世界ばかり見て、もう自分も西方の極楽浄土に行っちゃった気になってるんじゃないかと。そうやってスッと亡くなったのかと。僕はそう思うんですよ。
でも旅人が来て現実の人に会うと、ちょっと心乱れるというか。でもやはり旅人も去って『ああ、やっぱり人間はひとりか……』と終わる」

櫻間「恨みつらみを言って出てくるのがシテだけど、これはそういうのがあんまりないんだよね。極楽浄土の話ばかりで、終わって橋がかりを帰っていく時に月の世界に帰っていくような心もちになれればいいかなと思ってます」

本田「天上天下唯我独尊。人はひとりで生まれてひとりで死ぬということを思いますね」

恨みや怒りという人間の宿業から解き放たれる境地。晴れ晴れとした寂寥感を感じたのは、そのためだろうか。

武将の恋に令和の若手が挑む

そして今回は「清経 恋ノ音取」を光洋の長男、本田芳樹がシテを舞う。

本田「これを舞って欲しいと僕が決めました。実はシテを舞うより地頭の方が難しいんですよ。シテが『今度これを舞うんですが、どうしましょう』と言うと、地頭の先生が『お前何を言う、俺が舞わしてやるから』と言ったりする。シテより地頭の方が大変なんです。舞を見ながら演出意図を見たり。意図なんてないと言われるかもしれないけど」

もう息子さんのお稽古は始まっていると思いますが、ご覧になってどう思いましたか。

本田「時代の流れを感じます。我々の世界はそれこそ幕末生まれの先生がいたりして、厳しかったです。そういう頃から比べると今の時代は良く言えばソフト。昔はもっと気迫があった気がします。喧嘩することもあったんですよ。
そして、この『清経』のテーマは恋ですが、武将の恋なんですよ。生き死にを覚悟している上での夫婦の愛情です。そういう気迫っていうものが主体にあって、その上で情愛っていうものがある。そうであって欲しいなと思っています。昔の人は生死に肉薄したものが多かった気がします」

世阿弥700年の歴史を創る気持ちで

今後「轍の会」はどうなっていくのでしょうか。

本田「もう僕からは去年でやめると言ってるの」

櫻間「そう。もうお互いにね、それは言っている。そういう状態です」

本田「今後は若い人が主体でやるようになって、会の名前が変わっても続けていって欲しいよね。金春流の流儀というものもね、続いて欲しいです。
僕らの頃は世阿弥生誕600年と言われていたの。今は世阿弥生誕660年かな。でも今、僕らは80歳になってる。600年というとすごく長いように感じるけど、そのうち60年、70年と能楽師をやってるから、1割の歴史を担ってる。世阿弥600年の歴史の一旦を担ってるけど、その責任は果たせたのかどうかと。そうやって能は続いてるんでね。
会一つを続けていくことじゃなくて、これから世阿弥700年の歴史を創っていくという気持ちで続けていって欲しいです」
(取材・文・撮影/新井鏡子)

公演情報

『第45回轍の会』
公演日時:2024年7月7日 (日) 開場13時/開演14時
会場:国立能楽堂(東京都 渋谷区 千駄ヶ谷 4-18-1)

■出演者
金春憲和、本田光洋、櫻間金記、金春安明、櫻間右陣、本田芳樹、本田布由樹、他

■チケット料金
【指定席】
S席(正面):15,000円(完売)
A席(正面・脇正面):13,000円
【自由席】
B席(中・脇正面) 一般:8,000円、25歳以下:4,000円
(一部指定・税込)

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