井上ひさし×鵜山仁×内野聖陽による評伝劇 松尾芭蕉の俳人としての人生をほぼ一人芝居で描く

井上ひさし×鵜山仁×内野聖陽による評伝劇 松尾芭蕉の俳人としての人生をほぼ一人芝居で描く

 松尾芭蕉の人生を歌仙仕立ての全三十六景(36シーン)で作られた、こまつ座『芭蕉通夜舟』。2019年、2021年上演『化粧二題』に続き、作・井上ひさし、演出・鵜山仁、出演・内野聖陽の三者による公演が再び幕を開ける。本作は内野の“ほぼ”一人芝居で、場面転換やその景(シーン)を支える朗唱役の語りによって芭蕉の人生を描く。

―――この作品に出演することを決めたときのお気持ちを聞かせてください。

 「数年前に『化粧二題』という一人芝居をやらせていただき、それが自分の中ではおもしろい体験でしたので、一人芝居にまた挑戦してみたいという気持ちは心のどこかにあったんです。そうした時に、演出の鵜山さんから色々とご提案があり、無茶振りに近い文脈の中でお話をいただきました(笑)。そして、私にできるのならば、一人芝居でもう少し自分の腕を磨いてみたいという気持ちから挑戦させていただく運びとなりました。自分の中では、これを自分ができるのかという思いは今もまだあります。

 そもそもこの作品は、昭和の名優と言われた小沢昭一さんに当て書きされた作品なんですよ。小沢さんは本当に魅力的な話し方をされる話芸の達人。そうした方に書かれた作品を、自分にできるのかと大きな不安と恐怖があったのですが、自分なりのやり方でこの大きな山を登頂できればと今は思っています。僕の今までのキャリアにプラスして、さらに自分の中の知らない世界を導き出して良い作品ができたらという前向きな思いがあります」

―――戯曲を読まれてどんなところに本作の魅力を感じましたか?

 「最初に読んだ時は『これは芸術論なのかな』という印象でした。芭蕉は自分の理想とする俳諧の世界を求めていましたが、その人生の様々な局面で世俗という力に引っ張られています。自分は高みの芸術を目指したいけれども、庶民が求めているのはそこではない。それに苦しんでいましたが、ものを表現する人は大なり小なりそうした葛藤があると思います。自分自身も俳優をここまでやってきて、大衆性と芸術性というところは気になるところです。そういう意味で、この脚本における芭蕉の芸術家としての苦しみは、どこか重なるところがあるのではないかと自分も表現者の端くれとして感じました。

 この戯曲を読んだことで松尾芭蕉は凄い芸術家だと感じましたが、芭蕉の人生を三十六景の中に込めなくてはいけないので、戯曲の文字面だけ追っていても、どうしても深まっていかないんですよ。なので資料だけではなく、実際に芭蕉が見た風景や空気を感じたいと考えて、ついこの間“プチ奥の細道”に行ってきました。車で白河の関から始まり、松島、平泉、立石寺、最上川を舟で下り、日本海に抜け、酒田、象潟、出雲崎と。芭蕉さんの句を噛みしめながら早足の旅をしてきまして、少しだけ芭蕉が近づいたような気がします。まだまだ芭蕉さんの魂を感じるためにやるべきことはたくさんありますが、実際に訪れたことで少しだけ立体的になってきた感じがしています」

―――この戯曲の中で、松尾芭蕉に共鳴する部分はありましたか?

 「この戯曲を読むまで、僕の中で芭蕉は“いぶし銀”のイメージでした。清貧で厳格で。ある意味、孤高の芸術家というイメージが強かったのですが、ひさし先生の芭蕉は非常に人間味のある描き方をされています。歴史上の偉人は後世に語り継がれていくうちに神格化されるところがどうしてもありますが、実際にはきっとそうではなかった。その視点が楽しいなと思いましたし、『そうだよね』と思うところもたくさんありました。

 それから僕が一番大事にしたいのは、俳句を言葉遊びやダジャレから芸術レベルまで高めた、彼の苦闘の人生です。それが、この作品ではとても大切なので、説得力を持って描けたらいいなと思っています」

―――苦闘の人生という、松尾芭蕉の生涯については、どのように感じていますか?

 「やっぱり俳諧師を志してからの芭蕉は、求道者というか修行僧のようで、俳句への向き合い方は尋常じゃなかったと感じます。なぜそこまでストイックに、世俗から自分を遠ざけて一人になろうと思ったのか……ということこそが、この物語を探求する1つの手がかりになると思います。芭蕉は、だんだんと“自然”に目を向けていきますが、自然や宇宙と交信するためにはどうしても一人でいなくてはいけなかったのではないか。“世俗”というノイズが入ると宇宙の声を聞くことができなかったのではないか。まだまだ自分の中ではその疑問符に対する答えは出ていませんが、そうしたところも読み解いていきたいと思っています。そして、僕が演じることで、芭蕉が目指したものが、台詞の裏側にある言外のものとして立ち上がってきたらうれしいなと思っています。

 例えば、僕の今までのイメージでは、芭蕉には女性の影があまり見えなかったんです。ですが色々な資料を見ていくと、女性に興味がなかったわけではないし、女性をイメージする句を詠んでいたりもします。ひさし先生はそうした人間味のある部分もしっかりと描いてくださっているので、僕自身もそこは大切に演じたいと思っています」

―――そうした松尾芭蕉を演じるために、役作りはどのように進めていきたいと考えていますか?

 「まずは芭蕉の書かれた物を読むということも大事にしたいと思っています。この作品はあくまで井上ひさしさんが作り上げた芭蕉像です。例えば、この戯曲ではひさし先生の芭蕉へのちょっと意地悪な目線も感じます。『私は一人で生きるんだ』と強い覚悟を持って旅に出ますが、実は一人で出たわけではなく、弟子を必ず連れていっているんですよ(笑)。世間で芭蕉に否定的な目を向ける人はほとんどいないと思いますが、『そうは言っても、ここは本当は違うでしょう』というツッコミどころも実はけっこうあるんです。それをひさし先生がしっかり面白く描かれているので、僕自身の芭蕉さんのイメージも取り込んでを多面的に取り組めたらと思います」

―――先ほど、芸術性と大衆性のお話も出ましたが、内野さんは俳優としてはそうした点についてどのように考えていらっしゃるんですか?

 「僕自身は、役者は芸術家だとは思っていません。役者として入れ込んで、非常に深いメッセージでものを作っても、見る方にとってはそれが味わいやすいものになるとは限らないので、表現者として追求していくものと大衆が求めているものはどこかちょっと違うという気はします。でも、やはり大衆性を忘れてしまうと、表現者たちの自己陶酔でしかなくなります。芭蕉は、芸術性を求めていたと思いますが、その中でも常に世俗との引っ張り合いがあったから、ここまで頑張れたのではないかとも思ったりします。俳諧という庶民の芸術の中で『もっともっと』と上を目指し、どんどん理論化、哲学化されていきますが、それは庶民が噛み砕けないものであってもいけないなぁと考えていたのではないかと思います」

―――今作は『化粧二題』に続いての一人芝居になりますが、一人芝居のおもしろさをどこに感じていますか?

 「まず、今回は舞台を真に回していくのは僕1人ですが、若手の方がシーンをつないでいく朗唱役をしてくださるので、あくまでも“ほぼ”一人芝居です。その上で、ですが……一人芝居のおもしろさについては、まだ語れる境地にいないですね。むしろ恐怖です(笑)。普通のお芝居は、相手役とのセッションがある。つまり、会話の中で関係性をつくったり、自分の立ち位置を見つけたりしていくのですが、一人芝居はそうはいかない。しかも前回は一人芝居ではありますが、“見えない透明な座員”がいましたので、孤独感はなかったんですよ。ただ、今回はそうもいかなくて。誰とセッションすればいいんだ!?(笑)という感じで……。でも、それは、きっと芭蕉さんの感じた大自然かもしれないし、お客さんの想像力かもしれませんね」

―――そうした恐怖は、どのタイミングで解消されるものなのでしょうか?

 「一人芝居に限らず、どんな作品でも恐怖は毎作感じていますよ。僕たち役者は、シナリオや企画、台本があって、それをどう立体化するかという作業をしていくわけですが、自分の中でどうなるのか見えていないことがほとんどで、毎回、恐怖はあります。その上で、一人芝居に限って言えばとにかく逃げ場がない(笑)。セリフに詰まればそれは自分のせいだし、仮に体調が悪くてあまり乗れなかったとしてもそれも自分のせい。全てが自分に返ってくるんですよ。そしてお客さんは僕だけを観ているので、飽きさせないためにはどうしたらいいのかという苦悩も出てきます。なので、そこには今までにない挑戦がたくさんあるんですよ。

 その恐怖をどうやって克服していくかと言ったら、それは稽古しかない。失敗と試行錯誤を重ねて『ここはいい感じじゃない?』というポイントをいっぱい増やしていくしかない。ですから、恐怖を解消していくためには稽古時間をどれだけ充実させて、密度の濃い稽古ができるかに尽きるのではないかなと思います」

―――そうした意味でいくと、今回の作品は、過去のキャリアの作品と比べて恐怖の度合いは大きいですか?

 「最高級ですね。これまで自分は役者としてキャリアを積んできましたので、役を演じるという意味では自信はなくはないのですが、話術でみなさんを引き込み、楽しませ、繋いでいくという、ある意味、得意分野ばかりではない作品なので、その恐怖は早めになくせるように頑張りたいと思っています」

―――改めて、公演を楽しみにされてる方にメッセージをお願いします。

 「ほぼ一人芝居なので、内野聖陽という役者から逃げられない公演になるかと思います(笑)。鬱陶しく熱苦しく思われる方もいるかもしれませんが、内野という仮の肉体に宿る松尾芭蕉の魂を感じ取っていただけたらという思いで作り上げていきたいですね。日本人の心の底に今も確実に流れている『わび・さび』の感性を、命がけで句に込めた松尾芭蕉の人生を一緒に旅していただけたら嬉しいです」

(取材・文:嶋田真己 撮影:間野真由美 ヘアメイク:佐藤裕子(スタジオAD) スタイリスト:中川原 寛(CaNN))

遠征・帰省のときについ買ってしまうお土産は?

「その土地でつくられたお酒。日本酒やら焼酎ってその土地の郷土料理と共に、大昔から一緒に育ってきた文化みたいなものでしょう? なので、個性がおもしろいし、ついつい買ってしまいますね」

プロフィール

内野聖陽(うちの・せいよう)
1968年9月16日生まれ、神奈川県出身。1993年俳優デビュー。数々の舞台に出演。舞台・映像を問わず高い評価を得ており、受賞歴も多く、第33回紀伊國屋演劇賞 個人賞、第6回読売演劇大賞 最優秀男優賞、第20回日本アカデミー賞 優秀新人賞、第6回日本映画批評家大賞 新人賞、第39回日本アカデミー賞 優秀主演男優賞、令和元年度芸術選奨・文部科学大臣賞(演劇部門)など。2021年には、紫綬褒章を受賞。井上作品には、2005年『箱根強羅ホテル』、2019年・2021年『化粧二題』に出演。

公演情報

こまつ座 第151回公演『芭蕉通夜舟』

日:2024年10月14日(月・祝)~26日(土) ※他、地方公演あり
場:紀伊國屋サザンシアター TAKASHIMAYA
料:一般8,500円
  U-30[観劇時30歳以下]6,000円
  高校生以下2,000円 ※こまつ座のみ扱い
  (全席指定・税込)
HP:http://www.komatsuza.co.jp
問:こまつ座 tel.03-3862-5941

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