Yusuke
恐竜博士から、美容と仮想通貨を突き詰めるインフルエンサーへ
配信アプリ・ミクチャ(MIXCHANNEL)の韓国モデルコンテストで初代グランプリを受賞し、一気に活動の幅を広げたたゆうすけ。人前に立つ表現者として、憧れをうむインフルエンサーとして魅力を放つ。そこには、たゆまぬ努力と、目指す一本道への緻密な戦略があった。次代を切り開かんとするゆうすけに、その原動力を聞いた。
好きなことなら、応援してくれる人のためなら、いくらでもやれる
―――どんな子どもでしたか?
「勉強は嫌いなんだけど好きなことにはのめり込む、そんな子どもでした。今も変わらないですね! 小さい頃は恐竜博士になりたくて、とくにバリオニクスが好きでした。でも中学生になる頃には『あまり現実的じゃないよな』と思って、中・高・大と続けた陸上の長距離選手や、警察官とかの公務員も考えたり、めちゃくちゃ迷走しました。でも大学2年生の時に芸能関係に興味を持って、それが今に繋がっています」
―――今、力を入れていることは?
「配信ですね。はじめはスカウトだったのですが、ありがたいことに周りの方に恵まれて、最初に出場したミクチャの韓国モデルコンテストで初代グランプリを受賞させていただいたんです。それまでは『ここで頑張って知名度が上がればいいな』くらいの気持ちでしたが、駅やビルのビジョンや雑誌に載せていただいたりするうちに、配信って努力次第でもっと成果を出せるんじゃないかと思うようになりました。
それほど、たくさんの方々が応援してくださることが力になったんです。皆さんは自分で稼いだお金を僕にかけてくださったり、休みの日を僕の配信に時間を使ってくださったりと、すごく応援してくれる。とてもありがたかった。そのぶん自分が頑張らないと、やっぱりファンの方々も付いてきてはくれないので、応援してくれる人が1人でもいるのなら全力でやらなきゃなと思っています」
―――かなり熱心に配信されていますね。
「そうですね。結果を出すためには時間をつぎ込まないといけないので、とくにコンテストの期間は半年間プライベートでも遊ばず、欲しい物も買わず、外食も行きませんでした。できるだけ応援してくれた方に還元したいんです。
今でもプライベートの時間はまったく取らないです。配信が楽しいということもありますが、自分のプラスになることならいくらでも集中できる。興味のあるものはとことん学んで、逆に、自分に必要のないものはパッて切っていくタイプなので、今は目の前にあることに集中するのみですね」
未来の起業のために、今がある
―――夢や、目標は?
「30歳までには経営者として、自分で事業を広げていきたいです。そのためにまずはインフルエンサーになりたくて、とくに美容と仮想通貨には力を入れています。
例えば、今は女性だけじゃなく男性にもメイクが流行ってきていたり、美容大国の韓国からいろいろな情報が流れてきているので、日本でも広める発信者になっていきたい。起業したら美容サロンを展開して、いろんな方に美容を楽しんでいただきたいですね」
―――美容系に興味があるのは、なぜ?
「韓国といえば美容のイメージがあるからですかね。親が韓国人ですし、それを知らない方からも韓国のファッションが似合うと言われたり、韓国モデルオーディションでも注目していただいたこともあって、韓国のイメージが強いコスメや美容が自分としてもしっくりきやすいですね」
切磋琢磨できる人たちがそばにいるから
―――もうひとつ、興味があるのは仮想通貨ということですが、なぜですか?
「将来の起業のためですね。これからお金はもっとデジタル化していくので、必ず需要がりますから。やっぱり、時間とお金がないと何もできないです。やりたいことを実現するためにも、将来のために投資をしています」
―――それほどまでに頑張れる楽しさや、原動力はどこから?
「応援してくださる方はもちろん、僕が目指すインフルエンサーや芸能系の方にもビットコインをしている方が多くて、まわりの方々の存在は刺激になっています。活動もいろいろと工夫されていて、例えば、Instagramには『女性に人気のファッショントップ10』や『女性の使っている人気の香水トップ10』といった女性向けの美容情報ははすごく多いけど男性向けはあまりないから男性バージョンを作ろうとしている人もいますし、真剣にYouTubeを頑張っている人もいます。そうやって『自分達こうやした方がもっと伸びるんじゃない?』という意見交換ができる人がまわりにいるのはやる気に繋がっています。つねに自分で将来のための環境作りをしている人達がお互い助け合って刺激しあいながら頑張っていくのは、楽しいですね」
ゆうすけ(福田雄介)
愛知県出身。1999年5月5日生まれ。20歳より芸能活動後、現在、俳優、モデル、ライバーとして活動中。ミクチャの韓国モデルコンテストMr.オルチャン、初代グランプリ。雑誌『smart』などに掲載。趣味はランニング、ダンス。好きなものは、焼き鳥、ラーメン、焼き肉、マック。
ne-ne
「人生のすべてに音楽がある、だから音楽を人生のすべてにしたい」
ne-neの歌は、繊細だけれど芯のある声で心を震わせる。あらわれた本人は、「ピアスが素敵ですね」と声をかけると「ライブとか、勝負の時につけているものなんです」と柔らかく笑った。2022年2月に路上ライブを始める時に、自分のモチーフにできたらいいなと購入した花のピアスが揺れる。自身の歌そのもののようなne-neに、音楽への思いを聞いた。
歌手と理学療法士。好きなことを頑張りたいから
―――やりたいこと、目指していること、夢は?
「5年後の30歳までにメジャーデビューをして『Mステ(ミュージックステーション)』に出るのが目標です。そのためにはまず1年後の誕生日までにオリジナル曲を10曲作ってワンマンライブをしたい。セトリも、演出も、すべて自分で考えて主催したいんです。もちろん大変だけれど、好きなことだから絶対に楽しいし、やり甲斐がある。自分の音楽を届けるためなら頑張りたい。そして最終的には音楽だけで食べていけるくらい、歌のことだけを考えて生きていきたいです」
―――今は理学療法士としても働かれているんですよね?
「はい、理学療法士のお仕事も好きなんです。人と触れ合うことが好きなので、リハビリの仕事は面白そうだなと思って資格をとりました。もちろん小さな頃から歌手になるつもりだったんですが、自分の好きなことをやるには手に職がないといけないと考えていたんです。歌手の夢を絶対に叶えたいからこそ、安心して活動できるベースになる安定したお仕事が必要で、理学療法士が素敵だなと思いました。夢はずっとブレていないので、最終的には音楽でいっぱいの人生にしたいです」
音楽は人生の一部、ずっとそばにあった
―――歌手になりたいと思ったのは、いつから?
「わからないんですよ。小さい頃のホームビデオに映っている自分はずーっと歌っているんです。気がついたら『歌手になりたい』と言っているので、もう、いつからだろうな。物心つく前から、両親がずっと音楽を流していたので、音楽は生活の一部でした。
ただ、小学生の頃から『歌手になるためにはどうしたらいいんだろう?』と考え始めて、『表現力が必要だ! 歌だけじゃなくてダンスだ!』と思って親を説得しました。1年お願いしてやっとダンスのスクールに通わせてもらいました。ダンサーを目指していたわけじゃなくて歌手になるためのダンスなので、Jポップ・洋楽・ジャズダンス・ロックとかいろいろ勉強しました」
―――ずっと音楽がそばにあったそうですが、どんな音楽が好きでしたか?
「恋愛の曲です。自分が恋愛していなくても、失恋していなくても、感情移入しやすいなって。1本の物語になっている曲が多いので、1本のドラマを見ているような感覚になれるのが好きなんです。だから歌詞に心を打たれることが多いかも。外国の曲でも絶対に訳詞を見ます。私も素敵な歌詞を書いて、ストーリーを感じられる曲を届けたい。恋愛観に共感してもらえたり、つらい時や受験の時に応援したりできたら、嬉しいですね」
誰かの人生とともにあるような音楽を
―――ne-neさんの音楽の売りは?
「高音です。もともとの声が高いし、恋愛の歌で切なさを出す時って高音で歌うとすごく伝わるじゃないかなと思っています。あとは、透明感を大事にしていますね」
―――好きなミュージシャンや、影響を受けた人はいますか?
「まずダンスを始めるきっかけになったのは“モーニング娘。”さんです。ダンスと歌が一緒になるとこんなに気持ちを伝えることができるんだ!って小学1年生の時に感じて、私もダンスを習いたいと思いました。中学に入ると、今度はYUIさんですね。ダンスと歌じゃなくても、弾き語りでも人の心を動かせることができるんだって衝撃で、その頃からギターを始めました。恋愛の曲が好きだなって気づいてからは、ずっと西野カナさんが好きです」
―――曲づくりはどうしているんですか?
「どうやって作ればいいのかわからなかったので、独学なんです。小さい頃はiPodに鼻歌を録音していました。1曲全部を作るのはなかなかできなくて、ワンフレーズだけ歌ったりしていましたね。大きくなってから、その時の思いを歌詞にするような気持ちで書いたりしています」
―――どんな歌手になりたいですか?
「誰かの記憶に住み着くような音楽を届けられる人になれたら、私はすごく幸せです。私の人生を振り返っても、どの記憶にも必ず音楽があるんですよ。小学校の卒業式、受験の時、楽しい時、悲しい時、嬉しい時……どんな時でも『この時にはあの曲を聞いていたな』って思い出します。そんなふうに、誰かの人生の素敵な一部になれるような歌を届けられたら嬉しいですね」
ne-ne(ねいね)
1997年1月6日生まれ。宮崎県出身。大学卒業後、就職と音楽活動を兼ねて上京。救急病院にて理学療法士として働き始める。2020年11月よりオリジナル曲制作やライブ配信・路上ライブ・ライブハウスにて音楽活動を開始。最近では、ラジオ番組、ポートレートモデル、ファッションショーにも出演。代表曲は「さようなら、ありがとう」、「ライトアップfeat.ne-ne」。
オキ ダイチ
令和の坂本龍馬になる! ──1000年残るアイコンを目指して
「これからは、個の時代だと思うんです」と優しい声音で力強く語るオキダイチ。素直に柔らかく吸収しながらも、自分の道を自分で決めていく。そんな信念を持つオキは、令和時代の俳優なのかもしれない。これからを生きる俳優として、その道への心意気を聞いた。
1000年残る人になりたくて
―――夢、やりたいことは?
「俳優として輝き続けたいんです。演技が演技じゃなくなる瞬間を体現したい、ウソのない演技をしたいな、っていう思いがずっとあって。たとえば19歳の役なら、19年間の人生を歩いてきたことを感じられるような自然体のまま、役の人生をしっかりと生きたい。そういう俳優を目指しています。
とくに映像の中で実現したいですね。台本ってその人の人生の切り取りだし、映像だと画角も切り取られる。その中で役の人生そのものを体現できたらすごいですよね。カットがかかるたびにその世界に入っていける力をつけたいな」
―――いつ頃からその目標を抱くようになったんですか?
「はっきりとは覚えていないんですが、遡ってみると小学1~2年生の時くらいから『人に忘れられたくない、1000年先でも生きていきたい』という思いが強かったですね。僕の出身の高知県には坂本龍馬の銅像があって、剣道をやっていたこともありよく目にしていたんです。『あんなふうに形に残り続ける存在になれたらな』、『その時代を語るに欠かせないアイコンになりたいな』という思いは持ちつつ『じゃあ自分は何で残っていくんだろう?』と。そのピントが合いはじめたのは高校1~2年生くらい。映像として残っていきたいなと思った時に『よし、東京に行こう』と決めました。もちろん高知にもいろんなメディアがあるけれど、当時は何も知らなくて、やるなら東京だろうと思い込んでいたんですよね。
その後、20歳前後くらいに事務所に入って、ワークショップなどで演技の勉強をしていくうちに『あ、僕はこういうことがしたいんだな。これじゃないと僕は本物じゃないな』って思うようになていきました。演じることを自分の表現として突き詰めていきたいな、と」
―――演技や俳優に憧れたというより、映像に残る人になりたいという思いから演技に繋がっていったんですね。
「そうですね。演技をするようになって、いろんな俳優さんを見るようになって、かっこいい憧れの人がたくさんできました。当時ものすごく観ていたドラマ『クローズ』の山田孝之さんが渋くて憧れたり、菅田将暉さんも素敵ですね。今、一番追いかけている存在は滝藤賢一さんです」
―――この先、やってみたい役は?
「周りから見られている印象と真逆の役をやってみたいけど、そもそもどう見られているんだろうなぁ……。ふだんの自分とはかけ離れている役に挑戦してみたいですね。サイコパスなシリアルキラーとかやりたいな。『永遠に僕のもの』というアルゼンチンの映画に出てくるシリアルキラーのような役がいい。その映画に出てくる『世界は泥棒と芸術家のもの』っていう台詞がものすごく刺さっちゃったからかな(笑)もちろん青春映画もやってみたいですし、クズみたいな役とか、まったく冴えない町の人に徹するのもいいなと思います」
今は、“個”が配信で信頼を身につける時代
―――目指す俳優像のために、今力を入れていることは?
「もちろん俳優としての現場経験や、演技力を磨くことも大事ですが、配信に力を入れていますね。今って個人が力を持っている時代だと思うんです。そこで生き抜いていくためには、知名度、実績が必要。そういうことも現場での信頼度に繋がるはず。オーディションやワークショップなどに積極的に参加して演技力をつけながら、配信を頑張っていきます」
―――配信には人間性が出ると思いますが、大事にしていることは?
「ずっと意識し続けていることは『そこで勝つだけじゃだめ』ということですね。勝った先で結果を残したい。その場だけ頑張ればいいわけじゃなくて、中身にこだわって未来へ繋げていきたい。そして多くの人に知っていただき、信頼を得て、実績に結びつけていく。その瞬間にやっている配信イベントだけを応援してくださるよりも、その先にある最終目標を応援してくださるととても嬉しいです。そうやって一人の人として長い信頼を得ていくために、鉄則として『こびない・頷かない・なびかない』を心がけて配信しています」
―――剣道(武道)にも通じる精神かもしれませんね。
「そうかも(笑)」
演じることが、子どもの頃から辿り着くべき道だった
―――プライベートでは、趣味はゲームや作曲だそうですね。基本的にはインドア?
「気持ちはものすごくインドアです(笑)。家の中で完結しちゃいますね。。そのなかでも世界が完結しちゃうんで、外に出ていろんなアクションをして得られることももちろんあるんですけど、今は、家の中にいたら配信がすぐできるというのもあります。あと、歌を作ることはその時の自分の世界を残しておけるので好きですね。やっぱり形に残るものにやりがいを感じる。朽ちていくものだとしても、足跡を残していきたいので」
―――ひとりで過ごすことがリラックス法?
「リラックスもできますけど、実は、家ではぬいぐるみに話しかけています。小さい頃からままごととかごっこ遊びが好きなんです。ぬいぐるみに命を吹き込んで、しゃべりかけていますね。大きなスヌーピーと小さなスヌーピーと、すみっこぐらしの青い恐竜が僕の話し相手です。ちょっと恥ずかしいんですけど(笑)。想像や妄想をするのが好きなんでしょうね。だから、俳優をまっとうすることがしっくりくるんだと思います」
オキ ダイチ
1998年7月25日生まれ。高知出身。「俳優として輝き続ける」を最終目標にライブ配信などで活動中。週刊女性、chfiles、原宿駅広告・渋谷ヴィジョンなどに掲載されるほか、映画やCMのエキストラ出演も多数。特技は剣道、作詞作曲。趣味は古着、ゲーム。
(取材・文&撮影:河野桃子)