2009年に惜しまれながら閉館した、新宿シアタートップスが待望の復活! トップス⇄紀伊國屋間をキャストが外を走って成立させた前代未聞の舞台を、朗読劇として上演!

 1985年から2009年3月に惜しまれながら閉館するまで、新宿地域を代表する小劇場として親しまれてきた「新宿シアタートップス」が今年8月、待望の復活を遂げる。そのオープニングシリーズの一つで上演されるのが、「朗読劇『トップスまで、あと5秒!』~伝説の舞台版『ダブルブッキング!』より~」である。
 新宿にある紀伊國屋ホールと、シアタートップスの2劇場で話が同時進行するという、前代未聞の舞台『ダブルブッキング!』が初めて上演されたのは2008年のこと。老舗劇団「天空旅団」と若手ユニット「デニス・ホッパーズ」がそれぞれ初日を迎えるが、ホッパーズの座長が天空旅団に出演するという情報がネットに書き込まれて、騒動になり――
 出演者23名全員が両劇場を行き来しなければならないストーリー展開。両劇場が入るビルは目と鼻の先だが、ともに4階にありエレベーターも使えないので、かなりの苦労があったという。初演に出演していた水谷あつしと柏進、プロデューサーを務めた難波利幸にその想いを語ってもらった。


――今回は、朗読劇で伝説の舞台『ダブルブッキング!』を上演されます。最初にお話を聞いた時のお気持ちをぜひ教えてください。

水谷「シアタートップスが復活すると聞いた時に、一番最初に『ダブルブッキング!』の舞台を思い出しました。でも、まさか、もう1回『ダブルブッキング!』をやるなんて全く思わずに、ただ難波さんから連絡が来て、トップスでと聞いた時に、あぁ、やるんだなと(笑)。ただただ嬉しかったですね。僕の中でも『ダブルブッキング!』という作品は、とてつもなく大きい作品。未だに13年前の記憶が残っているぐらいなので。細かいことは分からなかったけど『はい、やります』と答えました」

柏「僕は利根川渡という役を未だにやってきている。なかなか利根川渡として舞台に出る機会はないので、難波さんに動いてもらわないといけない(笑)。一人芝居をやっていてもキリがないというか、心折れるなと感じている矢先のオファーだったので、とても救われました。しかも、シアタートップスの復活公演。僕は新宿区が地元なんですけど、いろいろなお店が潰れていってしまう最中、全部がおめでたいニュースだったので、お仕事ができることがとにかく嬉しかったです」

――13年前の初演の話を伺います。色々と思い出があると思いますが、何を最初に思い出しますか?

柏「とにかく、きつかったですよね(笑)

水谷「稽古場も2箇所を借りて、走って、稽古して。『本当にこんなことできるの?』と最初は思いましたよ。堤さんのように、頭がいい人でないとできない演出だよね」

柏「そうですね」

水谷「ダメ出しのほとんどが微妙な時間調整なんですよ。間合いとかお客さんの反応によって微妙にずれてくるでしょう? その時間調整にとにかくこだわっていました。よく千秋楽まで来れたなと思います」

難波「稽古場が2箇所で、演出の堤さんは一人なので、演出卓にモニターを置いて画面越しで両方の稽古を見てもらいました。強烈に覚えているのは、どうしても時間がずれて芝居に待ちができてしまったりするので、通し稽古の時に堤さんが、『この通し稽古は紀伊國屋側の開演を45秒遅らせてスタートさせます』と言ったことですね(笑)」

柏「なぜか遅れてしまうんですよね。でも、逆にタイミングがあうと、みんなで『うおー!』と叫んで喜んで。それから、階段を上がってくるのも、最初は全然余裕なんだけれど、疲労でだんだん疲れて。集団から遅れていく人も出てきましたよね」

難波「猛暑の中で走るので、ロビーに酸素ボンベや飲み物や濡れタオルを置いたりして、マラソンの中継所のようでした」

――「普通の舞台」ではなかったことがよく分かります。みなさんにとっても、観客にとっても忘れられない舞台でしょうね。

水谷「ああいう舞台は他にはないですからね。しかも、みんな役者の役だから。もちろん役はあるんだけれど、そのままでいられた」

柏「そうですね。あんなド派手な格好でもなぜ平気でいられたのか(笑)。むしろ、あの格好で劇場の外を歩くときも、恥ずかしさはなくて、勝ち誇っているような気分でした。本番期間中、新宿エイサーまつりの期間とかぶったこともあったのですが、我々も負けないぞと思ったことを覚えています」

――水谷さんは“チャーリー若松”役、柏さんは“利根川渡”役といういずれも「天空旅団」の役者の役を演じられていました。

水谷「台本を一番最初に読んだ時に、未だに覚えているのが、ト書きに“天空旅団の団員がいる。全員声が枯れている”と書かれていたこと。確かに若い頃観ていたアングラ演劇の役者の方々は声が枯れている人たちがたくさんいた。役の生々しさを追求するために、どうやったら声を枯れさせることができるのか、随分悩みましたね(笑)」

柏「僕は意外とあっさり声が枯れましたけどね(笑)」

――演劇史に残る作品ですけども、またやりたいなと思いますか?

水谷「やりたいですね。走れるものなら(笑)」

難波「確かみんなに『次回公演の時は季節を考えてください』と言われました(笑)。初演は真夏の炎天下、下北沢のときは雪が降る真冬でしたので」

柏「そうそう。ちょうどいい季節にやりたいなと思う反面、真夏で汗かいて、めちゃくちゃになるのもいいなと思う自分もいます」

水谷「今のお客さんって、綺麗なものが好きじゃない。それはそれでいいんだけど、こういうものが演劇の根本という感じがするよね」

柏「演劇史に残るといえば、トップスの支配人と紀伊國屋の支配人は、この作品までお互い会われたことがなかったんですよね!」

難波「舞台稽古の時に、シアタートップスの支配人さんが紀伊國屋ホールに来られて、『初めまして』と名刺交換されたんですよね。対立していたわけではなく、両劇場とも大ヒット劇場だったので単に交流がなかっただけで。何だか感動しちゃって、泣きそうになりました(笑)」

柏「“壁”を崩壊させた、革命家みたいだなと思いました(笑)」

――演劇論や俳優論がたくさん盛り込まれた作品ですが、どのような部分が印象的ですか?

水谷「僕は、もともと東京キッドブラザーズという劇団に18歳の時から入っていました。この天空旅団のような劇団で、チャーリーを演じている時はその時代のことを思い出しました。劇団の空気感とか熱量とかを肌感覚で理解できる時代の役者なんです。つらかったら、本当は他の劇団に行けばいいんだけど、“俺たちはここしかない”と信じている。本当は芝居に自信ないだけかもしれないし、他を見たくないだけかもしれない。ある種の物悲しさを感じるんだけど、その劇団を信じている健気な若い子たちがいてね」

柏「そうなんですよね。キャスティングがマッチングしているんですよね。あつしさんは、劇団にいらしたから、理不尽に怒るのがめちゃくちゃうまい(笑)。急に、理不尽に、怒るんですけど、あれはあの時代の体育系の人にしかできない。スリッパとか勢いよく、でもきれいに投げますもんね(笑)」

水谷「そういう姿を見てきたからね。今、やったら絶対ダメでしょう(笑)」

柏「僕は口上で『止めてくれるな、おっかさん 背中の銀杏が泣いている そんなおいらの行き着く先は』と語るんですね。そのセリフを言うたびに、本当にこんなことをやっている自分の姿をおふくろは喜んでいるのかなとか考えつつ(笑)、でも未だに利根川渡の役をやらせていただいている。難波さんと堤さんが13年前に、僕の役者人生を予測してくれたのかなと本気で思うぐらい。1つか2つしかない、自分がずっとやっていきたい役の一つですね」

難波「その後の利根川渡の人気はすごかったですね。柏進か利根川渡かわかんなくなっちゃって(笑)。当時、『○日○時に代々木公園で利根川渡が絶叫します!』と告知したら、100人ぐらいの人が集まってびっくりしました。ただ絶叫するだけですよ(笑)。こんなにくだらないことを観るためになぜわざわざ人が集まるのか。
 結局、利根川が必死で叫ぶ姿に人々が感動し、それはきっと演劇の原点なのかなと思います。天空旅団のチャーリー若松が、ダブルブッキングをしようとしたデニスホッパーズの柏木幸太郎に最後に言うんです。『柏木、覚えとけ。役者が劇場を選ぶんじゃない、劇場が役者を選ぶんだ』これは演劇に携わる人間すべてに響く、堤さんの名台詞だと思います。同時に、冷静に考えると、これだって一般の方々にとってはどうでもいいことですよね(笑)。くだらないことに必死になる人種だからこそ伝わる感動って不思議ですよね」

――最後に観客のみなさんにメッセージをお願いします!

水谷「僕が役者を始めて、もう40年くらいになるんですけど、お芝居を始めた当初はこんなに役者さんっていなかった。けども、近年、舞台が注目されて、人気が出てきて、すごいじゃないですか。ちょうど初演があった13年前って、その始まりというか。新しいことを生み出して、“舞台っていいよね”となった時代だったと思うんですね。そこから需要が増えて、いい劇場で、人気者を集めて、お客さんたくさん集めて、ギャラをしっかりもらえてできるようになったきっかけだったような気がして。とても大事な作品です。この作品があったから、今、こうなっているよと。
 最近のキラキラしたお芝居もいいんですよ。でも、芝居の根本って、僕はこういうところにあると思っていて。僕が観ていた時代の作品は、大した作品ではないけど、役者のエネルギーと魅力と個性と気持ちがどんどん飛んできて、泣いちゃうみたいな状況だった。そういう、色々なものが詰まっているのが、天空旅団。“『ダブルブッキング!』なんか知らないよ”という人にも観てもらえたら。そのために、僕たちは13年前に戻り、死ぬほど努力したいと思います」

柏「当時13年前は、走って、芝居をして、当時の二刀流だったなと思うんです。ところが、今回は朗読劇。大谷選手がバッティングもピッチングも封じられていて、走塁する大谷選手を見せるような、そんな状況。座ってやる『ダブルブッキング!』ということで、また新たな違う境地に行けるのかな。初演当時をこういうことがあったんだなと感じ取っていただけるように、演劇界の大谷選手になれるように、頑張っていきたいです!」

難波「2つの劇場を走って成立させたことがすごかったのではなくて、2つの劇場を走らざるを得なかった堤さんのストーリーがあったからこその芝居。それをまったく走らない朗読劇というカタチで演劇人の生き様が伝わればと思います。
 コロナというあり得ないことが起きた中で、今、演劇の在り方というものをみんな試行錯誤していると思います。最近思うんですけど、こんな状況の中でも熱く語りながら芝居をやろうとしている我々って何なんだろう、我々のこの“病”は何なんだろう、と思います。中止になるかもしれない、キャンセルになるかもしれない、そんな状況下で、役に立っているのか立っていないのかわからない芝居を必死でやる。よっぽど深刻な“病”だなと。
 飲食業の方々が店を開けていないといけないのと同じで、我々も芝居をやっていないと終わってしまう。“くだらないことにプロが必死になって臨めばそれはエンタテインメントになるんだ”ということを信じて、今回も取り組みたいと思います。このチャンスをいただいた本多愼一郎さんに感謝いたします。そして、あっちゃん、カッシーと話せて良かったです。ぜひ観にいらしてください! 最高に面白いものをお届けしますので!」



(取材・文:五月女菜穂 撮影:間野真由美)


最近新しく始めたこと・始めたいと思っていることは何ですか?

水谷あつしさん
「髪を全部白髪にしてみたい! この夏に56歳になりました。あと数年で還暦を迎えます。先日まで舞台『盾の勇者の成り上がり』でシルバーヘアの王様を演じまして、年齢考えたら、そろそろかなと。そして、めちゃくちゃ短髪にしたいですね。あ、そんな役のお仕事お待ちしています」

柏進さん
「自分の持つYouTubeワタルームチャンネルで、利根川渡やマリカに次ぐ新たなキャラを発掘するひとりキャラ育成企画を始めました。新たなキャラクターを多数生み出し年の最後にお客様から人気投票をしグランプリを決めます!」

難波利幸さん
「漢字の練習を始めました。最近、パソコンを使いまくってることにより、あまりにも漢字が書けなくなり大ショック。先日手書きで稽古の稽の字が一本多かったり、休憩の憩の舌と自を逆に書いたり、強硬とするところを強行としてしまったり……。読むのはまだしも書くことが劣り始めているので漢字練習をしています。ただ、それをパソコンでやっているというのはいかがなものでしょうか。打芽ですよね」

プロフィール

水谷あつし(みずたに・あつし)
1965年7月26日生まれ、横浜市出身。東京キッドブラザーズの看板俳優として全国公演で活躍。萩本欽一氏が手がけるバラエティー番組にJA-JAとしてレギュラー出演し幅広い人気を獲得。退団後、ストレートプレイからミュージカル、小劇場から大劇場と多様なジャンルの舞台で活躍。

柏 進( かしわ・すすむ)
1972年3月16日生まれ、東京都出身。俳優。自身が作・演出を手掛けるWATARoom プロデュース公演を年数回上演中。主なプロデュース作品は『VIVID CONTACT』シリーズ、『中野喫茶室』、『―芸祭―』、『4649』など。また、利根川渡として、『ダブルブッキング!』はじめ、『abc ☆赤坂ボーイズキャバレー』シリーズなどの作品に出演している。

難波利幸( なんば・としゆき)
1958年2月19日生まれ、大阪府枚方市出身。演劇プロデューサー。(株)エヌオーフォー代表。舞台の原案・演出・脚色・作詞・作曲・演者と活動は幅広く、近年は『バクステ!3rd stage.』、『画狂人北斎』、『ガリレオ☆CV』、『5 years after』など。水谷・柏とは『ダブルブッキング!』、『bambino!』、『abc☆赤坂ボーイズキャバレー』シリーズなど、旧知の間柄である。

公演情報

朗読劇『トップスまで、あと5 秒!』~伝説の舞台版『ダブルブッキング!』より~

日:2021年9月4日(土)~12日(日)
場:新宿シアタートップス 
料:5,500円(全席指定・税込)
HP:https://twitter.com/topsdb2021
問:エヌオーフォー mail:info@no-4.biz

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