12人 剥き出しの人間性が暴かれる密室劇 舞台『the Satisfied World』/『the Sacrificed World』ゲネプロレポート

Hisshigumi Projectが主催する舞台『the Satisfied World』 / 『the Sacrificed World』の2本立て上演が、5月28日より開幕した。 本作は2020年から続く「TSW」シリーズ作品であり、今回は佐藤信也が脚本、石毛元貴が演出を手掛けている。 本公演は6月7日まで萬劇場にて上演されており、チケットは現在LivePocketにて発売中だ。

今回それぞれ同時上演の舞台としては2チームに分かれているが、いわゆる単純なダブルキャストではなく、「Satisfied=満足」と「Sacrificed=犠牲」という異なるテーマを持った両作品である。

作品に共通するのは、目覚めると見知らぬ密室に集められていた12人の年齢も見た目もバラバラな男女。彼らは皆、一様に記憶を断片的に失っています。
舞台セットは劇場ほぼそのままのブラックボックス、舞台にあるのは人数分の椅子、そして後ろには大きな換気扇が見えるばかり。客席も含めて黒い会場で観客の目線は同じく閉じ込められた12人と同じ緊迫感があります。

一見ランダムに集められたかのような人々。
被験者なのか、患者なのか、それとも何かの犯人なのか。
観客は、彼らと同じように情報を持たないまま、この閉ざされた空間に放り込まれます。

無作為に集められた、いや話としてはどうやら集まったらしい12名が話し合いを行うというのは「12人の怒れる男」など往年の映画を彷彿とさせられます。映画と同じく番号で呼ばれる人物たちですが、キャラクター性というものは、名前、性別、年齢、職業など、それぞれに貼られたラベルで判断されることが多いもの。しかし記憶を失い、肩書きが一切見えなくなった状態で、囚人、または被験体のように番号で呼ばれる状況下において、剥き出しの人間をそのキャラクターたらしめるアイデンティティとは何なのか。

彼らの持つ人間性、振る舞い、特性、人間同士の感情の動き。
それらが少しずつ浮かび上がることで、「この人は何者なのか」ではなく、「この人は何を選んできて、これから何を選ぶのか」が見えてくる構成になっています。

『the Satisfied World』では円形を組むように並んだ椅子と座った12名。ここで初対面のはずのセブン(服部武雄)が進行役となりどこかからか与えられた議題について話し合いを行おうと進行役となっている状況だが、ヒステリックに騒ぎ出すファイブ(平田彩華)や反抗的な態度のエイト(牧浦乙葵)、高圧的なフォー(添田翔太)やシニカルに煽るツー(矢野冬馬)など平和な話し合いとは言い難い状況。どうやらこの話はジャッジメント(滝川達也)アシスタント(結城美優)によって何度も記憶を消してはリセットして繰り返している様子。・・・・・・と、いかにもモルモットのように実験体かのように扱われている人間たち。これはフィクションであるとはわかりつつも繰り返し何を実験して、何を探ろうとしているのか。

何も状況がわからない観客は被験体と同じく自分の中にある感情や欲望を探られる感覚になり、互いにわからない状況なのにファイブをなだめるシックス(海本博章)エイトに対して諭すような動きをするナイン(橘里依)、フォーに対して怯えるような振る舞いをするスリー(片岡あづさ)に対しては「なぜ知らないはずなのに知っているのか」という違和感を覚えつつ、進行をなんとかまとめたいトゥエルブ(中島明子)テン(室たつき)イレブン(海月陽斗)の振る舞いは彼ら自身が本来持っているアイデンティティのどこから来ているのか、ということを発言、行動、少しの振る舞いから探っていくこととなります。

一方、『the Sacrificed World』は整然と並んだ椅子から一転、空間にバラバラと椅子が並んで目覚めの瞬間も12人それぞれ。話し合いから始まっているなんて冷静な状況下からのスタートではありません。そこでいきなり突きつけられる己の罪。ジャッジメントアシスタント(渡邊隆義)の二人から問いかけられるも彼らに根幹となる軸の記憶はなく、互いに対する感情もない中で淡い関係性を手繰り寄せながら、点と点がつながらないもどかしさに怒りを覚える。トゥエルブ(北沢蘭)ツー(石井智也)は客?フォー(霧生多歓子)は家族?堂々と振る舞うスリー(小野瀬みらい)に対抗するシックス(石渡真修)は本当に夫婦なだけなのか?誰とも関係値が見えないワン(其原有沙)セブン(後藤夕貴)は本当に何も知らないのか。記憶を失ってもなお、テン(高橋晴輝)エイト(たかのあ茶み)イレブン(佑太)に対する憎悪を隠さず、ファイブ(篠原望)ナイン(藤田浩太朗)も軽い口ぶりに反して怒りと恨みが見え隠れしている。こちらのチームはどうやら「身内」の括りが多いように見えるが、家族だからといって何事も円満ではなく、現実世界でも、記憶がない世界でも「犠牲」というものは常に付きまとうというのは世の常のようです。
佐藤作品は時事・社会派風モチーフが多い印象ですが、今作についても両方とも「どこかで聞いたことのある事件・事故の話題」がそのものずばりではなく「これが己の身に起きた物語であったら、被害者・加害者両面共に彼らはなぜそこに至り、どう振る舞うのか」という観客に対する問いかけが織り込まれています。

そして今2作品は決してミステリーというわけではありません。ドラマチックな「犯人探し」のように見えてしまいますが、一つの物事というものは単発の出来事ではなく、起きたことが波紋となって次から次へとドミノ倒しのように続いていく。単発の出来事が起こるに至っても、ある日突然発生するのではなく日々コップに水が溜まっていくように積み上がっていき、何かの弾みでコップから水が溢れたり、割れたりしてしまう。ただそれだけのことが、結果的に思いもよらぬ出来事として帰着してしまう。それが同時多発的に発生していたら?
今作品は絡み合った糸を解く『対話』の物語です。対話は俳優が自分の出番が来たら舞台に出てきて、終わったら袖にはける『演劇的』表現では終わらせない。「密室」である舞台に12人の俳優たちが舞台上に居続けることによって、セリフを発していない時間も、物語の中でそのままであり続けないといけない。だからこそ、誰かが話している時の視線、呼吸、わずかな表情の変化、距離の取り方にも意味が生まれます。それらすべてが『対話』であり、メインで会話が進んでいる場面の奥で、別の人物が何を受け取っているのか。誰が誰を見ていて、誰が目を逸らしているのか。そうした細部を追っていく楽しさもあります。

密室劇であり、心理劇であり、群像劇。
けれど、決して情報量や役者の発する熱量だけで押し切る作品ではありません。

12人それぞれの記憶が解き明かされていくにつれ、観客側もまた「自分だったらどうするだろう」と考えざるを得なくなります。
満たされたいのか。
赦されたいのか。
やり直したいのか。
それとも、もう戻れないと知りながら、それでも何かを選びたいのか。
二つの作品は、似た入り口から始まりながら、まったく異なる方向へと観客を連れていきます。

過去シリーズと世界観や設定を共有する部分はありつつも、続編というよりは、それぞれ独立した作品。過去作を知っている人ならより一層深く楽しめますが、単独で観劇しても世界観に置いていかれることはありません。むしろ、単発で見ても「リセット」されて記憶を忘れているのは観客も同じ感覚で観ることができるのではないでしょうか。

どちらか一方だけでも成立する作品でありながら、両方を観ることで、「満足」と「犠牲」が決して別々のものではないことにも気づかされるはずです。

人は何かを満たすために、何かを犠牲にしているのかもしれない。
そして何かを犠牲にしたからこそ、満たされたと思い込んでいるのかもしれない。

己の欲望を満たすのか。
己の可能性を見出すのか。

閉ざされた空間の中で浮かび上がる12人の人生は、観客自身の選択にも静かに問いを投げかけてきます。

【公演アーカイブ配信&DVD予約情報】
本作の感動を何度でもご自宅でお楽しみいただける、アーカイブ配信の実施およびDVDの発売が決定いたしました。

■アーカイブ配信 
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  • 販売期間:6月21日 20:00まで
  • 視聴期間:6月21日 23:59まで

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  • 予約締切:6月21日 23:59まで

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