人と人とのめぐり会いが、人生を変えていく瞬間を、悠久の彼方から捉えたミュージカル『Once』が東京日比谷の日生劇場で上演中だ(28日まで。のち10月4日~5日愛知・御園座、10月11日~14日大阪・梅田芸術劇場 メインホール、10月20日~26日福岡・博多座で上演)。
『Onceダブリンの街角で』は、2007年に全米で僅かに2館のみで公開されたジョン・カーニー監督によるアイルランド映画。移民の街ダブリンを舞台に、美しい音楽と共に描かれた人生の再生の物語は口コミで話題が広がり、140館まで拡大公開され、世界中で大ヒットを記録。代表曲「Falling Slowly」は、主人公とヒロインの繊細な心の揺れ動きを見事に表現した名曲として、第80回アカデミー賞最優秀歌曲賞を受賞した。
そんな作品が、ミュージカルとして生まれ出たのは2011年。翌年2012年2月には早くもブロードウェイへ進出し、トニー賞11部門でノミネート、作品賞、演出賞、脚本賞、主演男優賞を含む8部門を受賞する快挙を成し遂げ、キャストレコーディングCDも2013年のグラミー賞にてベストミュージカルシアターアルバムに選出。更に同年、物語の舞台となったダブリンでも映画およびミュージカル版が上演され、後にロンドン・ウエストエンドでの上演と世界を席巻。日本でも2014年に来日公演、2023年海外プロダクションによるコンサート版上演と、折々に注目を集め続けてきた。今回の上演は、そんな作品初となる日本カンパニーでの上演で、主演にミュージカル界での進境著しい京本大我を迎えたのをはじめ、sara、鶴見辰吾、斉藤由貴など個性溢れるキャストが集結。独特の世界観を持つ演出の稲葉賀恵の視点が、ダブリンという小さな街での物語を、悠久の彼方へと続く人々の出会いの物語へと飛翔させた日本版として生まれ出ている。
【STORY】
舞台はアイルランドの首都ダブリン。“ガイ”(京本大我)は、自作の歌を路上で弾き語りしている貧しいストリートミュージシャンで、父親の店で掃除機修理をして働いている。
だが、情熱を注いできた音楽は一向に評価されず、失恋を機に音楽をやめようと考えたガイは、最後の路上ライブで歌っていた時、その音楽に心惹かれたチェコ移民の“ガール”(sara)と出会う。
“ガール”は“ガイ”に掃除機修理を依頼し、代金として自身のピアノ演奏を提案する。渋々“ガール”に連れられて訪ねた楽器店で、“ガイ”はギター、“ガール”がピアノを奏で、二人は“ガイ”が前の恋人に向けて作った曲「Falling Slowly」を一緒に歌う。
出会ったばかりの二人は音楽によって互いに心を通わせていき……
いきなり自分の話で恐縮だが、どちらかと言うと宇宙にロマンを感じるタイプではなく、月食が綺麗に見えると言われても、いまそれどころじゃないとパソコンに向かっているのが常にもかかわらず、そんな徹夜明けのある朝、白みはじめた空にひと際大きく輝いている明けの明星、金星の光に惹きつけられたことがある。金星はとても人類が住める星ではないと聞くし、多くの探査機が打ち上げられていて、その気温や大気に順応した生命体もいる様子はないとわかってはいる。それでも金星から見たらいまこうして日々必死になっている自分はもちろん、地球で起きているユートピアには遥か遠い現実も、ただひとつの光に見えるんだろうなと、ふいに何もかもがとても小さく、だからこそ健気に感じられたのだ。
その感覚を、この日本版ミュージカル『Once』は強烈に想起させる感触を持っていた。実際それは、作品の基になった映画とも、来日したミュージカル版とも全く異なる、まごうかたなき演劇というひとつの小宇宙を形成していた。
『Once』は「ダブリンの街角で」という副題がついていた通り、北海道よりもやや小さいというアイルランド共和国の、首都ダブリンで起こる物語だ。しかも京本大我演じるストリートミュージシャンの男性の役名が“ガイ”、sara演じる彼と出会うチェコ移民の女性の役名が“ガール”であることに象徴されている、大英帝国の植民地支配による多くの入植者と、そこから逃れるべく国外に希望を求めて旅立つ人々が交錯する歴史を持っているこの国の、いつどこで誰に起こっても不思議ではないひと組の男女の交感に、普遍性を持たせたものだ。“ガイ”はギターを、“ガール”はピアノを弾き、もちろんそこに多くの心情は乗っているものの、ミュージカルナンバーは、実際に自作の楽曲を舞台上で「歌っている」形式で登場する。つまり方法論として厳密に言えば、ミュージカルというよりは音楽劇の形式を持った作品だ。観客はその日常とまるで地続きの物語と、登場人物たちが織り成すとある日々を共にする。ささやかで温かくて切ない、そこにあるのはそんな滋味深い世界観だった。
だが、日生劇場でいま展開されているミュージカル『Once』は、そうした平凡な人の営みを描くことを手放さないままに、その営みが何十年、何百年、何千年と続く歴史のなかのひとコマであり、更に宇宙から見たとしたら、いま起きていることは全てが過去の残像となる、真理を持った愛おしい物語になっていることに驚かされた。
それは時に街中、時に“ガイ”の部屋、時にビリーの店へと変化していく場面、場面をキャストたちが動かす最小限の出道具で表すだけでなく、彼らの動きとはまるで無縁かのように回る盆によって、舞台全体をひとつの宇宙に感じさせるものだった。ここには演出の稲葉が演劇に対して抱いている愛と、一人ひとりが孤独のなかで、それでも誰かと手をつないで生きていくことへの憧憬や祈りの表現が詰まっているのだろうと感じさせる。稲葉にとって、かくも演劇という表現形態は唯一無二であり、全てとも言えるものなのかと圧倒される思いがした。
そんな稲葉の目指すところを、十全に受け止めた乘峯雅寛の美術、マイムの多いキャストの動きを統括する小野寺修二のステージング、そして舞台に寄り添い続ける音楽をタクトする音楽監督の古川麦の仕事が、共に回り続ける地球の如き円環を成して、舞台は進んで行く。ここではあるはずのものが登場しなかったり、それまで舞台上になかったものが、アンサンブルメンバーが演じる人々によって忽然ともたらされたりする。その謂わば究極の嘘を共有できる「演劇」というジャンルだけが持つ想像力を、キャスト、スタッフが信じ具現する様には、静謐な高揚がある。なかでも数百個もの電球が、キャストの言葉、歌声、音楽、想いに呼応して瞬き、光量を増していく光景や、舞台に半円形の光が虹のような橋をかけていくなど、照明の松本大介が織りなした光のページェントの圧倒的な美しさには息を飲んだ。それは奇しくも同じ日生劇場で1988年劇団四季によって『オペラ座の怪人』が初演された時、オペラ座の地下深くに進む怪人とクリスティーヌの乗った船を照らし出した無数のキャンドルの光が瞬くのを観た瞬間(いまとなっては極当たり前の光景だが、当時、舞台に登場するキャンドルを模した電球は瞬かないのが常だった)の驚きと感動がフラッシュバックしたほどで、こんなにも美しく、しかも人の心にダイレクトに伝わる照明が観られた幸福感には大きなものがあった。
こうしたすべてがつながっていると感じさせること。喜びも悲しみも出会いも別れも、人々が営々と紡いできた歴史のひとコマであり、それはまた未来へと続いていくという感触が、異なる文化や宗教、言語を持つ人々の関係が急速に排他的な方向に傾いている2025年のいまの世界もまた、いずれ歴史のひとコマになると思わせてくれる。人は間違いながら、躓きながら、それでも未来への道はきっと止まらずに拓いていく。しかもそれは遥かな宇宙から見ればたった一瞬の出来事だ、そう気づかされるものがこの舞台には満ちている。
その世界を支えているのが、“ガイ”を演じる京本大我だ。元々『Once』が描いている普遍的な日常の物語には、日生劇場はいささか大きいのではと企画発表当初こそよぎった危惧を、見事に杞憂に変えたのは京本その人のスター性、空間掌握力の大きさの賜物だが、今回更に京本が示したのは、そうした本人が持つキラキラ感を包み込んで尚、きちんと作品の中心になりえる演技力の深まりだった。舞台に登場した時点から京本の“ガイ”には音楽と言うよりも、むしろ人生を諦めてしまったかのような厭世観が漂っていて、“ガール”の絶賛にも容易に心を動かさない。けれどもそんな“ガイ”が少しずつ変わっていくこと。若者らしい短慮も含めて、その繊細な変化が確かに伝わり、“ガール”によって“ガイ”の人生が新たな舵を切るに至るのに得心がいく。しかも彼らの未来は観る者の感性に委ねられているとも言える作劇のなかで、そこに確かな希望があると感じさせるのは、アイドルであると同時に、1人のミュージカル俳優としてコツコツと実直に経験を重ねてきた京本大我その人の歩みが、“ガイ”の将来に重なってくるからこそだ。あくまでもミュージカルナンバーではなく、ストリートミュージシャンが自作曲を歌っているという相当に手強い設定も、京本演じる“ガイ”の歌として届けていて、これまでのキャリアのなかでもかなりの難役に属するだろう“ガイ”と人々が織りなす宇宙の要として、京本が舞台に位置してくれたことが嬉しい。
その“ガイ”の人生を動かしていく側である“ガール”のsaraは、持ち前の豊かな歌唱力はもちろんのこと、際立った演技力が“ガール”役を大きく輝かせている。ひと言、ひと言の台詞にキレがあり、意訳も多く含む一川華の訳詞・翻訳の意図するところに飛び込んでいく小気味よさが絶妙だし、あるものがなく、ないものがある、演出が求めた演劇の想像力の具現化も抜群。何よりあたかもなんの演出もなく、決まり事もないかのように、その場に生きていると感じさせる自然な生命力の発露が素晴らしい。ミュージカル界のニューヒロイン誕生を予感させてから今日までの道のりには、苦難もあったことだろうが、すべてを確かな自力で乗り越えてきたsaraの、この“ガール”役はひとつの代表作として記憶されることだろう。チェコ移民という背景を持つ役柄を幸せになってと応援したくなるのはもちろん、それを更に越えてきっと幸せになると信じられる、生きる強さに溢れた“ガール”だった。
その“ガール”に想いを寄せる、楽器店の店員ビリーの小柳友も、恵まれた体躯を活かしたビリーの威勢の良さと、相反して内包しているデリケートさを巧みに表現した演技力が光る。非常に難しい台詞劇を着実に演じてきている人だが、音楽が媒介するミュージカル作品に出演した折に、特に感じる磊落なエネルギーの発露もまた魅力で、今後も是非様々な作品で活躍して欲しい人材だ。
スタジオエンジニアのエイモンに上口耕平が扮したのも非常に贅沢な配役で、上口が出てくるからには、この役柄は重要人物に違いないと思わせる、俳優としてのキャリアと実績が役を大きく際立たせていて、これはキャスティングの勝利。年年歳歳頼もしい俳優になっているのを感じる。
また、それぞれがチェコ移民である“ガール”の同居人は、いずれも非常に個性的に描かれていて、「チェコ移民」というある意味のラベリングが全く正しくないことを強烈に示唆してくれる存在。デスメタルバンドに所属していたシュヴェッツ役のこがけんが、怪我の為休演中なのは非常に残念で、一日も早い本復を願っているが、司会者役の新井海人が二役を演じ分けて立派に代役を務め、『千と千尋の神隠し』ロンドン公演で大役のハクを演じた勢いを持続させているのが頼もしい。
やはり“ガール”の同居人でチェコ移民のアンドレは、竪山隼太と榎木淳弥のWキャスト。土井ケイト演じる“ガール”の友人レザとの芝居が多く、土井がいつもながら舞台に出て来た瞬間に視線を一身に集める強烈なインパクトを持ってレザを演じているなかで、堅山は鋭角に、榎木はどこかまろやかにそのレザと対峙している面白さがある。
“ガイ”と“ガール”から融資の相談を受けるバンク・マネージャーの佐藤貴史は、慇懃無礼な銀行員と思わせてからの大転換が爆笑を生み、演じ甲斐のある役どころを手中に納めているし、“ガイ”が半年前まで付き合っていた元カノの青山美郷は、 “ガイ”が彼女の為に創った歌を唄う時、ふと気づくと後ろにいるという、盆が回る舞台を活かした演出意図によく応えて、“ガイ”のなかで真の意味では終わっていない女性の面影を描き出した。
そして、作品の根幹を成すひとつでもある、家族の絆を象徴する二人、“ガイ”の父親ダの鶴見辰吾は、死別して1年になる妻、つまり“ガイ”の母親と三人で築いていたであろう家族の姿を感じさせる、慈しみと悲しみを共に持った父親像を体現。誰よりも“ガイ”の幸福を願っている、静かなる強さを表出していて、厳しい役柄ももちろん巧みに演じる人だが、こうした根底に温かさのある役柄が、やはり鶴見の真骨頂だと感じさせた。
もう一人“ガール”の母バルシュカの斉藤由貴は、東宝製作作品である以上に、日本ミュージカルの財産演目である『レ・ミゼラブル』コゼット役のオリジナルキャストで、マリウスがひと目惚れをすることに絶大な説得力があったとびきりの愛らしさと、負の要素の少ない大人のコゼットを非常に難しい役柄ときちんと捉えた、当時から非常に確かだった演技力を、時を経てまた日本初演の作品で披露してくれていることが嬉しい。目を引く美貌も健在なら、娘を深く愛しつつ、それだけではどうにも叶えられないものがある現実を総身に背負ったバルシュカの表現にも卓抜したものがあり、作品の大きなアクセントになっていた。
また、守るべきものとしての愛らしさを体現するイヴォンカのトリプルキャスト浅利香那芽、遠藤桜子、清水七喜咲の子役陣。この日本版の目指したところ、長い、長い時のなかで続いていく人の営みを表した石井千賀、漆間良尚、小宮海里、澤根エイジアグレース、下総源太朗、永原万里奈、樋口祥久、廣瀬喜一、ユーリック永扇。どこからどこまでを覚えているのですか?と訊いてみたい気持ちになるスウィング山川大智を含めた、作品の色合いを決めたと言えるほどの大活躍を見せるアンサンブルメンバーに惜しみない拍手を贈りたい。
更に、俳優が自ら演奏していた音楽パートを受け持つ、つまり俳優の呼吸とシンクロした演奏をしたミュージシャン、ギターの中村大史/中山彰太、ギター/マンドリンのかわぐちシンゴ、ギター/マンドリン/バンジョーの高橋創、パーカッション/ドラム/マンドリンの石崎元弥、バイオリンの奥貫史子と、さいとうともこ、チェロの巌裕美子、ピアノ/アコーディオンの西井夕紀子、ベースの千葉広樹が、アイルランドと言えば最も馴染深いアイリッシュ音楽の要素を感じさせる楽曲を豊かに表現して、日本版ミュージカル『Once』を創り上げてくれていた。
そんな一人ひとり、すべてのセクションが出し合った英知で、稲葉演出が目指した、悠久の時のなかに連綿と続く大切な人々の人生のひとコマが紡ぎあげられたこと。日本版にしかない演劇の想像力を信じた小宇宙が劇場に生まれ出たことが、作品を全く新しい美しさで示してくれた貴重な舞台になっている。
(取材・文・撮影/橘涼香)
公演概要
ミュージカル『Once』
脚本◇エンダ・ウォルシュ
音楽・歌詞◇グレン・ハンサード/ マルケタ・イルグロヴァ
原作◇ジョン・カーニー(映画「ONCE ダブリンの街角で」脚本・監督)
翻訳・訳詞◇一川華
演出◇稲葉賀恵
音楽監督◇古川麦
ステージング◇小野寺修二
美術◇乘峯雅寛
照明◇松本大介
出演◇京本大我
sara、小柳友、上口耕平、こがけん、竪山隼太/榎木淳弥(Wキャスト)、佐藤貴史、土井ケイト、青山美郷
鶴見辰吾、斉藤由貴
浅利香那芽、遠藤桜子 清水七喜咲 (トリプルキャスト)
石井千賀、漆間良尚、小宮海里、澤根エイジアグレース、下総源太朗、永原万里奈、樋口祥久、廣瀬喜一、ユーリック永扇
山川大智(スウィング)
MUSICIAN
ギター 中村大史/中山彰太、ギター/マンドリン かわぐちシンゴ、ギター/マンドリン/バンジョー 高橋創、パーカッション/ドラム/マンドリン 石崎元弥
バイオリン 奥貫史子、バイオリン さいとうともこ、チェロ 巌裕美子、ピアノ/アコーディオン 西井夕紀子、ベース 千葉広樹
9月9日~28日◎東京・日生劇場
〈全国ツアー〉
10月4日~5日◎愛知・御園座
10月11日~14日◎大阪・梅田芸術劇場 メインホール
10月20日~26日◎福岡・博多座
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