【7/27(日)まで上演!】『消えていくなら朝』オフィシャル公演レポート公開!

【7/27(日)まで上演!】『消えていくなら朝』オフィシャル公演レポート公開!

自分や自分の家族とは全然違う。
それなのにこの会話にはどこか心当たりがある。
自分の理解を超えたような彼らの発言や行動に、なぜ一喜一憂してしまうのだろうか──。


蓬莱竜太の描く、もがきながらなんとか生きていこうとする等身大の人々の姿には、反発心を覚えながらもどうしようもなく心ひかれてしまう生々しさがある。

新国立劇場のフルオーディション企画第7弾、蓬莱竜太作・演出による『消えていくなら朝』が7月10日に開幕した。
2018年に蓬莱が新国立劇場に書き下ろし、当時の新国立劇場演劇芸術監督・宮田慶子の演出により上演され、第6回ハヤカワ「悲劇喜劇」賞を受賞した話題作を、今回は蓬莱自らが演出を手掛けた。

物語は、劇作家の定男(関口アナン)が5年振りに帰省してくるところから始まる。
穏やかな波音響く夕方のリビングでうたた寝していた父の庄次郎(大谷亮介)と定男が久しぶりに顔を合わせ、言葉を交わし始める。どこかかみ合わないちぐはぐさも含め、ごくありふれた父子の会話が淡々と続くのかと思いきや、2人は唐突に本作の核心ともいうべき“問題”について話し出す。母の君江(大沼百合子)の信仰について、そして父は母との離婚を考えており、定男と兄の庄吾(松本哲也)に続いてこの家の男は全員バツイチになる、とどこか他人事のように父は話す。

定男は、彼女で俳優のレイ(坂東 希)を連れてきていた。その夜、父、母、兄、妹の可奈(田実陽子)と定男の家族5人が18年ぶりに揃い、他愛のない会話で楽しそうにしているが、レイがいるにも関わらず、家族は皆、定男のことを「ダメ男」だの「詐欺師」だの、あけすけな物言いをする。なかなか実家に顔を出さない定男への不満からか、家族は定男に対して攻撃的とも取れる発言を重ねていき、笑ってそれらの言葉をやり過ごしていた定男だが、レイに対する家族の発言をきっかけに、彼らの会話は不穏な空気になっていく。

定男は、次に書く新作舞台では、自分の家族をありのままに書いてみようと思っていることを打ち明ける。家族は戸惑い、混乱し、可奈は「そんなの家族の恥だ」と反発する。彼らは、書かれたくない事情をそれぞれに抱えていた。母は子どもたちが小さい頃から宗教にのめり込み家族を「引っ搔き回し」てきた。兄は宗教内で結婚するも掟に反したため離婚し破門させられた。可奈は40歳の独身で自ら「女の人生は諦めている」と言う。そして父は、そんな彼らの反応をじっと見つめている。

フルオーディションで選ばれた俳優たちが、本作の登場人物たちを絶妙な人間臭さで舞台上に立ち上げている。家族の中で明らかに浮いた存在の定男を、関口アナンは軽やかで親しみを感じさせながらも、次に何を言い出すのかわからずハラハラさせるような危うさもはらんだ、一筋縄ではいかない人物として見せる。大谷亮介は父の威厳を保ちつつ、老いていく者の弱さや寂しさをのぞかせ、時にはとぼけた味わいで客席の笑いをたびたび誘う。大沼百合子は、妻そして母としてこの家族の中で生き抜いてきた強さや、自身の信念を貫いて宗教に執着する激しさを持ったしたたかな女性として存在感を放つ。

松本哲也は長男としての責任感やプライド、自分の好きに生きているように見える弟への苛立ちと羨望、宗教から破門されたことによる孤独、と複雑な事情を様々に抱えた兄という役を、決して弱い人間ではなく、むしろふてぶてしさを感じるような力強さで表現することで、彼の生命力を感じさせている。家族の中で一番の年少者として、皆の顔色をうかがいながら家族のバランスを取るためにうまく立ち振る舞おうとしてきた田実陽子演じる可奈の、脆く優しい人物像が作品に柔らかさを加味している。坂東 希が、家族から一歩離れたところにいるレイを、彼らの熱量の高さに対しても冷静さを失わず、公平な視点から寄り添おうとする温かさで物語に救いをもたらしている。

定男が“家族”という名の池に投げ込んだ小石は大きな波紋を作り出し、長年積もった互いへの負の感情がより大きな波動となって次々と噴出する。家族同士という関係ゆえに、互いにぶつけ合う言葉には遠慮がない。好むと好まざるとに関わらず、どうしたって自分が生きていく上での礎となるのが“家族”という存在(あるいはその不在)なのである。今の自分が作り上げられたのは家族という礎があるからで、自分が満たされていれば家族に感謝することもあるだろうし、不満があればその原因を家族に求めたくなることもあるだろう。

一人として同じ人間は存在しないように、同じ家族というものも存在しない。家族とは個々の人間の集まりであり、特に多様性がより重視されるようになってきている今、家族という“集団”においても“個”が尊重されるべきである、という風潮になりつつある。親子だからといって愛せないこともある、というこれまではタブー視されていた考えも一般的に語られるようになり、「毒親」「親ガチャ」など、親を敬うべき絶対的存在として見ていた時代からは想像できないような言葉も市民権を得ている。

だからこそ、定男の家族は決して特別ではない。家族はその小さな世界の中で完結しがちなので顕在化されることは多くはないが、世の中には家族の数だけ問題や特性も多種多様にあるはずだ。唯一、定男の家族の外の人間として登場するレイの視点が、ともすれば自分に酔っているようにも見える彼らの狭く内向きな世界を外に開く空気弁のような役割となり、混沌と絶望だけで終わらない物語として成立させている。

朝になってもすべてが消えるわけではない。家族という関係性はそのままだし、起こした行動も、放った言葉も、なかったことにはできない。人生は繋がり、続いていく。離婚なり、親子の縁を切るなり、家族との関係を断ち切って前に進むこともできるし、それは選択肢の一つだが、完全にリセットできるかといえば、それは難しいことにも思える。生きていく中で最小単位の社会である家族は、文字通り己の血肉のはじまりであり、精神的にも原点となる。自分は家族の中でどう生きていくのか、その問いはそのまま、この社会の中でどう生きていくのかにも繋がっている。だからこそ時代を超え、国や地域を超えて、家族の問題は人類における永遠のテーマとして追い求められているのである。
朝を迎えた定男、そして登場人物全員の踏み出す一歩が、未来へとつながるものであって欲しいと祈らずにいられない。彼らはきっと、過去か未来のどこかにいるいつかの自分なのだ。

文=久田絢子
撮影=田中亜紀

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