少年忍者の檜山光成が主演を務め、同じく少年忍者の久保廉が共演する舞台『揺れるはざまのトラベラーズ』東京・有楽町のヒューリックホール東京で上演中だ(17日まで)。
『揺れるはざまのトラベラーズ』は、演劇ユニット「Mo’xtra」を主宰し、新国立劇場で上演された一大連作舞台『デカローグI~X』の上演台本や、NYで上演された『Irreplaceable,A New Musical』(ダイジェスト版)の脚本など、国内外で精力的に活動を続ける須⾙英が書き下ろしたオリジナル作品。
ミュージカル作品を中心に多彩な演出活動を展開する中本吉成の演出をはじめとした鉄壁のクリエイター陣に、星野真里、藤本隆宏、ダンドイ舞莉花ら舞台経験豊富な実力派共演陣が揃い、自分の将来や置かれた環境に心揺れる思春期の終わりに、不思議な世界に閉じ込められた二人の高校生が、互いを知ることによって自分を見つめ直し、一歩を踏み出すまでが描かれていく。

【STORY】
須和日向(檜山光成)は山間の小さな村、八佐間村(はざまむら)に暮らす高校三年生。父が亡くなったのをきっかけに進学するのをやめ、地元に残って家業の民宿を継ごうと考えている。ある夜日向は、父の遺言通りに彼の進学を望む母の芙美(星野真里)と言い争いになる。伯父の剛蔵(藤本隆宏)が間に入ってとりなすが、日向は家を飛び出してしまう。
次の瞬間目覚めると、日向は奇妙な空間にいた。同じ空間に迷い込んでしまった東京の高校生・碧生(久保廉)と共にひとまず危機を乗り切るが、彼らは不思議な図書室に閉じ込められていることに気づく。そこに収められた本を開くと、物語の中に入り込んでしまうのだった。
一方、芙美と剛蔵は民俗学者の能神久(志村佳樹)とその助手の川井奈央(ダンドイ舞莉花)の力を借りながら、突然消えた日向の捜索を開始。神隠し研究を続けている久は日向の揺れる心と神隠しに関係があると予想する。
物語のなかに入り込んでも、帰ってくるのは決まって不思議な図書館という狭間の世界から、なんとか元いた世界に戻ろうとする日向と、ここに留まろうとする碧生。果たして二人は元の世界に帰ることができるのか…?

いまや世の中には「転生もの」と呼ばれる異世界ファンタジーを描いたコミックスや小説が数限りなくある。
当初は現実世界から熱中していたゲームの世界や、小説の世界に入り込んだ主人公がヒーローやヒロインとして大活躍するという世界観が主流だったが、やがて物語世界の脇役や、悪役に転生してしまい、定められたストーリーに抗って運命を変えるべく奮闘する作品や、現実世界からではなく、そもそもが架空の王国を舞台に、謀によって理不尽に処刑された主人公が死の瞬間時を遡り、未来を知る最大の強みを生かして自分を陥れた者たちへの復讐を成し遂げ、新たな人生を手に入れる等々、百花繚乱の世界が広がっている。
それらは一過性のブームではなくひとつのジャンルとして定着していて、ゲームや小説世界に飛び込んだり、過去に戻った登場人物が「私、転生したんだわ」のひと言で、なんらの混乱もなく事態を呑み込んでいることさえしばしばあるほどだ。

けれども、この『時のはざまのトラベラーズ』が描いた世界が一線を画しているのは、そうした異空間に飛ばされてしまった主人公がちゃんと混乱しながら、なんとか元の世界に戻ろうと試みるリアルさをきちんと描いていつつ、何故か落ち着き払っている同じ空間に閉じ込められた、好むと好まざるとに関わらない唯一の相棒。
運命共同体となった見知らぬ少年との会話を通じて、自分が抱えていた鬱屈だけでなく、相手のそれとも対峙していく様が、非常に凝った友情物語として怒涛のスピードを保ちながら丁寧に展開されていくことだ。
中でも素晴らしいのは、彼らが閉じ込められた空間が出口のない図書館で、「読書」が重要なキーワードになっていながらも、ただ単純に本を読むのは良いこと(私自身はとても良いことだと信じているが)、という教科書的な進め方ではなく、本そのものが現実世界とこの異空間をつないでいく仕掛けになっていることだった。

ここには多くの派生作品を生んでいるジャック・フィニィの「愛の手紙」をふと思い出させるロマンがあふれていて、本を通して全てがつながっていく終幕の見事さにはただ圧倒させられる。読書、友情、親子と親族の情愛、ミステリーハンター、そして人と人との出会い。そうした全てが「あなたの味方は必ずいるよ」「迷うのは当たり前、何度だってやり直せるよ」「人生決して悪いものじゃない、生きていることを楽しまなくちゃ」等々のメッセージをしみじみと伝えてくる。このエンターティメント性豊かで、かつ濃密な会話劇の出来栄えには、しばし呆然としたほどだった。
そんな大成功の要因にはまず須貝英の確かな脚本力があるし、どこかミュージカルを観た感覚さえも呼び起こした西出真理の雄弁な音楽の力も見逃せない。また「本」をテーマに、あたかも絵本のなかにいるようなカラフルで愛らしく、廻り舞台の要素も取り込んだ渡邉景子の美術を軸に、照明の藤井逸平、松野由奈、高野睦寛。
音響の橋本達也、村上恵子、音響部の西川雅美。映像のO-beron inc. 風間由鶴未、津島那奈、磯部美巴子、大塚心誉、横山翼が時空を自在に飛ばすなど、連携の妙を感じさせるスタッフワークを、演出の中本吉成が統括して、脚本が描いた「読書」による想像力の喚起を、演劇の想像力のそれへと繋げた手腕が光る。
だからこそノンストップ約1時間50分の上演時間中ずっと、次はどうなるの?という興味を引かれっぱなしだったし、その興奮が前述したラストの余韻に収斂される醍醐味にはなんとも大きなものがあった。

その作品の良さの中心にいた主人公、須和日向役の檜山光成は、「少年忍者」の一員として活躍するなかで「演技の仕事がやりたかった」という言葉に得心がいく、ナチュラルで自然体な演じぶりにまず感心させられる。
父の死をきっかけに、大学進学に意味を見出せなくなる日向の惑いのなかに、母への思いやりや、父と十分に話し合えなかったという後悔があることをちゃんと感じさせながら、どうってことない、というそぶりを見せる強がった部分にも愛おしさがあり、日向の成長物語でもある作品を存分に支えた主演となった。

その日向が迷い込んだ異空間の図書館で出会う東京の高校生・碧生の久保廉は、元々読書が最大の趣味で、やっていることは変わらないから、別に現実世界に帰らなくてもいいと、達観している碧生の、我関せずの態度にまずクスリとさせられる。
日向の言葉を借りれば確かにものすごく「めんどくさい奴」なのだが、それが碧生の唯一の自己防衛であることが日向との会話によってわかっていく、つまりはいつしか日向に心を開いていく過程の表現も巧みで、日向ももちろん碧生も幸せになりますように、と自然に願う人物像を創りあげていた。

この二人が膨大な台詞量を、自然さを残しながらこなしていることにも拍手を贈りたいが、彼らの周りを固める共演人陣がまた豪華で、日向の母・芙美の星野真里は、優しさと同時に、どこかおおらかさもある母親を美しく演じている。日向は「お母さん綺麗だね」とさぞ級友たちから言われていただろうなと想像させる、息子が守らなくてはと思うことが自然な母親になっていて、作品の発端から説得力を感じる貴重な存在になった。
また、伯父の剛蔵の藤本隆宏の、美丈夫な体躯のなかにある繊細な持ち味が、妹や甥をひたすら案じる役柄によく生きていて、宮司という設定の衣裳や方言での台詞も抜群に似合い、作品の世界観を体現している。剛蔵もまた神隠しにあった経験がある、という流れがのちのちに生きてくるが、まぁそんなこともあった、と特に問題なく受け入れている心持ちの大きさの表現も朗らかだった。

民俗学者の能神久の助手、川井奈央のダンドイ舞莉花は、カナカナ語を英語風に語る台詞回しに役柄の個性があり、神隠しの謎に耽溺している久に負けず劣らずの神隠しオタクぶりを、決して嫌味にならずに表出して微笑ましい。藤本も同様だが、この人がせっかく出ているなら歌って欲しい、という気持ちもありつつ、会話劇で躍動している姿が新鮮だった。
その民俗学者の能神久は金井勇太の持ち役で、登場時点から金井にある意味あてがきされていることがわかるエキセントリックな可笑しみを持った学者役だっただけに、降板は非常に残念だったが、病状が安定しているとの発表には心から安堵したし、一日も早い全快を願っている。代わって能神久を演じたスウィングの志村佳樹が大役を立派に務めて、一人息子が行方不明になっている、という事態の設定を重くなり過ぎさせない軽やかな演技で、作品カラーを守ってくれたことに感謝したい。


他に日向の父や、小説世界の住人など重要な役柄を演じ分けた森大、碧生のクラスメイトや担任の先生など、清々しく嫌な奴をブラックな笑いで演じたのをはじめ、いくつもの役柄を担った黒田秀穏、矢吹桃子、釜野真希も充実。
観終わって人と人との絆や、愛の大切さがあたたかく心に残る、是非早い時期に再演を考えて欲しい秀作が生まれたことを喜びたい舞台になっている。

(取材・文・撮影/橘涼香)
「揺れるはざまのトラベラーズ」

<大阪公演>
公演期間:2025年6月4日(水) 〜 2025年6月8日(日)
会場:COOL JAPAN PARK OSAKA TTホール
<東京公演>
公演期間:2025年6月11日(水) 〜 2025年6月17日(火)
会場:ヒューリックホール東京
出演
檜⼭光成
久保 廉
志村佳樹
ダンドイ舞莉花
星野真⾥
藤本隆宏
<Ensemble>
黒田秀穏
矢吹桃子
釜野真希
森 大
<Swing>
高橋 咲
廣岡真帆
スタッフ
脚本:須貝 英
演出:中本吉成
音楽:西出真理