解釈が自由な作劇の余白が熱狂を呼ぶミュージカル『フランケンシュタイン』

衝撃のストーリー展開、キャスト全員が一人二役を演じるという演劇の魅力にあふれたトリッキーな構成、美しく、力強く、多彩なミュージカルナンバーの数々で、熱狂的ファンを持つミュージカル『フランケンシュタイン』が池袋の東京建物Brillia HALLで上演中だ(30日まで。のち5月5日~6日愛知・愛知県芸術劇場 大ホール、5月10日~11日茨木・水戸市民会館 グルービスホール、5月17日~21日兵庫・神戸国際会館こくさいホールで上演)。


ミュージカル『フランケンシュタイン』は、ゴシックロマンの名著として知られるメアリー・シェリーの「フランケンシュタイン」に、大胆なストーリー解釈を加えて韓国で創作されたミュージカル。2017年、キャストの心情変化に注力した板垣恭一の潤色・演出により日本初演の幕が開き、壮大でスピーディかつ余白の多い物語世界が、様々な解釈を可能にしたことがある種のカルト的な人気に火をつけ白熱。2020年の再演も同様の熱い視線が注がれ続けた。今回三演目となる2025年の上演は、初演以来のレジェンドキャストに、新たなキャストを加え、人による“生命創造”という神の領域へと踏み込んだ禁忌が生む、壮絶なドラマが展開されている。

【STORY】
19世紀初頭。科学者ビクター・フランケンシュタイン(中川晃教/小林亮太・Wキャスト)は執事のルンゲ(鈴木壮麻)を伴い、軍の指揮の元、戦死した兵士を生き返らせる兵士再生の研究を行っていた。ある日ビクターは、敵兵の治療を行ったかどで銃殺されかけていた軍医のアンリ・デュプレ(加藤和樹/島太星・Wキャスト)の命を助ける。ビクターの研究を神の摂理に背くものだとはじめは疑問視したアンリだったが、“生命創造”に挑むビクターの理念に感銘を受け、研究を手伝うことを決意。二人は篤い友情で結ばれる。
やがて戦争が終結。ビクターの叔父でジュネーヴ市長のステファン(松村雄基)の館では終戦記念の舞踏会が開かれ、ビクターの姉エレン(朝夏まなと)と、ステファンの娘ジュリア(花乃まりあ)が、無事に帰還したビクターたちを出迎えるが、ビクターの態度は素っ気なく、住人たちが送る冷めた目線にアンリは戸惑う。
エレンから20年前のある出来事を聞かされたアンリは、亡き父の城で研究に励むビクターを支え続ける。ところがビクターは、研究に絡んだ予想外の殺人事件の渦中に。ビクターを救うため、身代わりとなったアンリはそのまま命を落としてしまう。アンリを生き返らせようと、ビクターはその亡き骸に自らの研究の成果を注ぎ込むが、誕生したのは、アンリの記憶を失った“怪物”で……

初演からずっとこの作品に接する度に感じるのは、人間こそが“怪物”だと突き付けられているとしか思えないテーマの重さだ。特にこの作品のトリッキーな魅力を増幅している、ビクターの手によって再生されてしまった“怪物”が、辛酸を舐めてきた2幕の闘技場の回想シーンで、舞台上に流れるリアルタイムの物語世界のなかでは、母性や清らかな心や忠誠の象徴のようだったキャストたちが、全く別の欲望と自我を剥き出しにする役柄を演じること。その設定が演劇手法としては非常に面白いだけに、一拍置いて背筋の凍る空恐ろしさを感じずにはいられない。正直なところ、自分の命か他者の命かという究極の選択に迫られた時に、己を守ろうとするのは生き物の本能で、理性や知性による判断力がそんな本能を抑え込むことができるのか?と問われたら、とてもではないがその自信はない。“怪物”なぞ実はそこらじゅうにいるという提示は、だからあまりにも辛辣だ。一方、神の摂理に対する畏怖の念も、この作品から放たれる大きなもので、ひと皮剥けば誰もが“怪物”である人類に、生命創造という神の領域に立ち入る資格などあるはずがないという、本来は宗教観に寄って立つはずのものが、普遍性を帯びることにも恐懼させられる。

そんな重く刺さるテーマを持った作品が、初演、再演、そしてこの三演と常に注目と熱狂を集め続けているのは、前述した演劇的構成の面白さや、壮大なミュージカルナンバーの多彩な魅力ももちろんだが、ストーリー展開に残る多くの謎と、ある種の隙とも言える余白の多さが、観る人の数だけ存在する自由な解釈や、考察、更には想像力による補完を可能にしているからこそだろう。実際この作品を誰の視点で観るか、またどの角度から観るかによって、物語はまるで違った色彩を帯びていく。敢えて括るとすればビクター・フランケンシュタインとアンリ・デュプレのブロマンスとしての見え方が大きいようにも思うが、森雪之丞の訳詞にある「恋をした」というひとつの言葉から、別の意味を見出す向きも少なくないだろうし、Scene2でアンリが歌う「けれど君は」からScene3のステファン邸までの、舞台では全く描かれていない時のなかで、研究を続けた二人の日々だけでもサイドストーリーが山ほど生まれていそうだ。ビクターに対するエレン、ジュリア、ルンゲ、怪物に対するカトリーヌ等々、それぞれの想いにも様々な解釈ができるし、幻想世界と舞台上のリアルがどこかで地続きになっている描き方が、想像の翼を更に広げやすくさせている。

群像劇を得意とし、大人数の心情を緻密に描き出すことに長けた潤色・演出の板垣恭一が、初見では「えっ?何が起きたの?」「何故こうなったの?」と面食らう観客も多いだろう怒涛のスピードで展開されるドラマを、おそらく敢えてこと細かく説明することを避けているのは、観客の自由な解釈にこそ作品の深い魅力の沼が広がることを知っているからではないか。実際板垣自身が公演ブログラムで、三演目にしてラストシーンの演出を変えているのは、コロナ禍や世界情勢など再演から五年の時のなかで自分の感じ方が変わったからだ、という趣旨のことを述べていて、創作の最前線で指揮をとる演出家にも、こうした柔軟な発想を可能にするミュージカル『フランケンシュタイン』の奥深さを感じずにはいられなかった。

だからどんな解釈で、どう観るかによって千差万別の嗜好が発生するだろうこの作品に、新鮮なキャストが加わったこの三演の、キャストの組み合わせによる変化は絶大で、新たな『フランケンシュタイン』が日々生まれ出ていると言って、決して過言ではない。

日本オリジナルキャストとしてビクター・フランケンシュタイン/ジャックを演じ続ける中川晃教は、ミュージカル界に激震を起こして初登場した『モーツァルト!』から、現在大きなレパートリーとなっている『ジャージー・ボーイズ』に至る、“天才”を演じさせたら右に出る者がない存在感を、このビクター役でも如何なく発揮し続けている。特に中川演じるビクターは、化学によって人を創造する、不遇の死を遂げた人々を再生させるという信念、凡人から見れば天才の狂気に迷いがなく、己の理想に突き進む為の障害を取り除くことにも迷いが薄い。それでいて一瞬にして少年にもなれる稀有な演技力が、ドラマ進行を自分の信念が禁忌だったと気づいていく、ビクターの道程に感じさせて深い。韓国ミュージカルならではの大ナンバーを盤石に歌いきる歌唱力は最早言うまでもなく、どこかにチャーミングさを残すジャック像も含めて、オンリーワンのタイトルロールとして屹立している。

そんな中川に伍して新ビクター・フランケンシュタイン/ジャックとして初登場した小林亮太に、どれほどのプレッシャーがあったかは想像に難くないが、その負荷を神への怖れを抱えているビクターというアプローチに変換した、繊細な芝居心が突出している。それほど小林ビクターは自らが取り憑かれている生命創造への執着を、はじめから禁忌だと理解していて、にも関わらず制御できない己の情熱に慄き、誰かが自分を止めてくれることを根底では求めていた、中川ビクターとは真逆のプロセスを踏むビクターに感じられる。だからこそ「僕を放っておいてくれ」も「僕を理解しようともしないで」も全く違う台詞に聞こえるし、長足の進歩を遂げつつ、時に芝居歌も加味される歌唱も小林ビクター像に相応しい、とても放っておけないビクターがそこにいた。一方のジャックも悪人でありつつ、品性の維持に抑制が効いた丁寧な芝居が生きている。

そのビクターと篤い友情で結ばれるアンリ・デュプレ/怪物をやはり初演から演じ続けている加藤和樹は、他の登場人物たちとは唯一異なり「一人二役」と言い切ってしまっていいのかにためらいの残る二役の造形に、ますます磨きがかかっている。初登場時点で医師として命を繋ぐ使命を全うしようとする姿勢のなかに、作品の中で描かれていないアンリの生い立ちや、どんなに力を注いでも助けられない命を日々見ているしかない医学への絶望も抱えているのでは?という仄暗さを宿していることが、ビクターへ傾倒していくアンリに説得力を与えている。そのアンリの精神が残っているのは脳なのか、心なのか?という大きな問いを根底に湛えつつ、何故脚や腕が本来の可動とは逆になっていて動けるのだろうと、純粋に驚愕する身体能力でまずビジュアルから圧倒させる怪物像も、創造されてから脅威の成長スピードを見せる怪物の変化を際立たせている。上演を重ねるごとに伸びやかになる歌声と共にオリジナルキャストの矜持を示した好演だった。

もう一人のアンリ・デュプレ/怪物として初登場した島太星は、抜群の歌唱力を武器にミュージカル界で躍進を続けている期待の新星で、むしろ伸び伸びと舞台に位置しているのに感嘆させられる。島のアンリにはまるで太陽のような明るさと同時に包容力があって、新たな生命創造によっていまの人類では成し得ていない、誰もが安らかに暮らせる理想の世界を実現したいというビクターの理念に心酔し、神の摂理に反する行為としてではなく、光ある道へビクターと共に行こうとするアンリの純粋な憧憬が見える。だからビクターの為に命も投げ打つ姿に殉教者の趣さえあって「君の夢の中で」の歌唱が胸を打つ。そんなアンリ像だからこそ、怪物となった鋭さとの対比が大きく、それでいてそもそも熊に襲われたカトリーヌを助けた怪物が、敵兵の命も分け隔てなく救おうとするアンリの姿と絶妙に重なり、作劇のドラマ性を強く感じさせた。

そんな二人のビクター、二人のアンリが全く異なるだけに、組み合わせが生む化学反応にも非常に大きなものがある。なかでレジェンドと呼びたい中川ビクターと加藤アンリの組み合わせの盤石さはやはり突出していて、自由度のある中川ビクターのどんな変化にも自然に対応していく加藤アンリの、唯一無二の「友」としての居住まいも、ある意味攻守逆転していく加藤怪物VS中川ビクターのせめぎ合いも、同じ舞台は二度とない演劇の醍醐味を感じさせるに十分だった。

対する新コンビ小林ビクターと島アンリは、天才故の偏狭さを感じさせるビクターが、ルンゲが嫉妬するほど瞬時に、アンリに対して心を開いたことがスーッと納得できる陰と陽が照射しあう陰影が色濃い。互いが初役であることによって、創り上げながら正面からぶつかり合ってきたのだろう勢いも強く、怪物とビクターとの息詰まる攻防にも見応えある新コンビの誕生だった。

だから、当初この新キャストが発表になった第一報を聞いた瞬間には「固定かな?」と頭をよぎった4人の組み合わせがシャッフルする事実にまず驚いたのものだったが、いざ蓋を開けてみると、中川ビクターと島アンリ/怪物が、まるで歌のシャワーを浴びているような、韓国ミュージカルの醍醐味を引っさげた歌い合いで魅了すれば、小林ビクターと加藤アンリ/怪物が、表に出てくる表現の裏に更に別の顔があると感じさせる、味わいある芝居と芝居で作品の余白を埋める妙味を見せて、それぞれの組み合わせにハッキリと個性があり、ミュージカル『フランケンシュタイン』恐るべしの魅力を放っている。特に島アンリの明るさが中川ビクターの少年性を、小林ビクターが湛える怖れが加藤アンリの、もっと言えば怪物からさえも包容力を増幅させているのが面白く、なんとかして4組観てください、としか言い様のない深い魅力の広がりに全面降伏の気分になった。

また、メインキャストの顔ぶれも大きく入れ替わり、ジュリア/カトリーヌ役の新キャスト花乃まりあは、宝塚のトップ娘役として築いてきたひたすらヒーローを信じ、思い深く待ち続けるという、ある意味手の内に入っているジュリアを楚々とした美しさで魅せたのはもちろん、観ていて息苦しいほど辛い設定のカトリーヌが、生きていることになんの意味があるのかと思い悩んでいた、つまり一筋の理性を保っていたところから、ただ明日も生きたいという本能だけになっていく姿に、人の業や哀しさを感じさせた演技が秀逸。「生きるということは」のビッグナンバーも、ポイント、ポイントの切り替えを聴かせて見事に歌いきっている。

中川、加藤と共に初演からのオリジナルキャストとして作品に位置するルンゲ/イゴールの鈴木壮麻は、ソロの持ち歌がないのがもったいない歌唱力の持ち主だが、ビクターに忠誠を誓うルンゲを喜怒哀楽大きく表現しても、決して品を失わない芸風がドラマを急展開させるキーマンに生きている。一転イゴールでは太々しく、人の命も尊厳も奪い取る役柄を演じつつ、ビクターの二役であるジャックにはやはり忠誠を誓っている、作品の構成の妙をきちんと活かし、作品のもう一人の顔と言える存在感を示している。

ステファン/フェルナンドは初役で松村雄基が登場。『ムーラン・ルージュ!ザ・ミュージカル』で演じたジドラー役の初演から再演で、ミュージカル俳優としてひと皮もふた皮も剥けた松村が、ビクターの叔父でありジュリアの父であるステファンを厳格に、一転闘技場に暗躍する高利貸しのフェルナンドを、常に音楽やリズムを感じさせる造形で表出したことが、作品のミュージカル度を底上げする力になった。

そして、エレン/エヴァ役も初登場の朝夏まなとが演じ、ビクターの姉のエレンを慈愛深く演じている。高音の歌唱が公演ごとに安定していて、本来はリトル・エレンが存在しておかしくない年齢設定のなかで、エレンだけが回想シーンも含めて全て大人であること、エレンにとってのビクター、ビクターにとってのエレンに姉弟であると同時に、疑似母子の側面もあることが、歌と芝居双方からバランスよく表れたのが素晴らしい。一方の闘技場の女主人エヴァでは、元宝塚トップスターの空間掌握力と、ショーで魅せることに長けた強みを十全に発揮して場を盛り立てた。

また、世に言う「アンサンブル」を「様々な役を演じる俳優」と呼ぶ板垣演出らしく、闘技場で怪物と一騎打ちをするチューバヤの笠原竜司、ビクターやエレンへの偏見を隠さないヘッセン夫人の栗山絵美、その息子で母の意に反してビクターに憧れを抱いているウォルターの石川新太、ドラマに大きく関わる役柄を巧みに表す面々をはじめ、例えば役名は同じメイドでも、それぞれに見せ場も台詞や歌も異なり記憶に残る山田裕美子伊宮理恵吉田萌美の存在に端的に表れている、全員がどこかで必ず客席の目を引く場面がある、松村曜生三木麻衣子齋藤桐人宇部洋之宮野怜雄奈半澤昇荒木啓佑りんたろう松田未莉亜江見ひかる杉山真梨佳、荒川湧太田中真由、スウィングの大任も担う高木裕和大川永が各々の個性を発揮。これがあるからこそ一人ひとり異なる人格を持っていた人々が、一種の集団ヒステリーの状態で松明を持ち、裁判もなく他者を糾弾する群集心理の恐ろしさが強く浮き彫りになった。

またリトル・ビクターの鈴木琉音が、明らかに周りとは異なる少年の行動が、母を求める心から生まれていることを的確に表現。もう一人のリトル・ビクター下永龍正はもちろん、公演直前に変声期を迎え降板した古澤利空がその高い素養を活かし、ティーンエイジャー、更に大人の俳優としてまた活躍してくれることにも期待が高まる。リトル・ジュリアの森田みなも杉山穂乃果は、身長も個性も異なりつつ、ジュリアが抱き続けるビクターへの純愛をそれぞれに真っ直ぐ表現してくれた。

更に美術の乘峯雅寛、照明の髙見和義、衣裳の十川ヒロコ、ヘアメイクの宮内宏明などのスタッフワークが、作品の幻想性やトリッキーな構成をビジュアル面からもよく後押ししているし、音楽監督の島健、音楽監督・歌唱指導の福井小百合、音響の佐藤日出夫も、ミュージカルナンバーの迫力や、ゴシックホラーの世界観を音にして伝えてくれていて、初演から常に言われた「問題作」としての立ち位置を維持しながら、時を経て、新たな演者を得て、より深みにハマる、異形の輝きを放つ舞台になっている。

(取材・文・撮影/橘涼香)

公演概要

ミュージカル『フランケンシュタイン』
【東京公演】
公演期間:2025年4月10日 (木) 〜 2025年4月30日 (水)
会場:東京建物 Brillia HALL(東京都 豊島区 東池袋 1-19-1)

CAST:
中川晃教/小林亮太(Wキャスト) 加藤和樹/島 太星(Wキャスト)
花乃まりあ 鈴木壮麻 松村雄基 朝夏まなと

笠原竜司 栗山絵美 石川新太
松村曜生 三木麻衣子 齋藤桐人 宇部洋之 山田裕美子
宮野怜雄奈 半澤 昇 荒木啓佑 りんたろう 伊宮理恵
吉田萌美 松田未莉亜 江見ひかる
杉山真梨佳 荒川湧太 田中真由

SWING
高木裕和 大川 永

鈴木琉音 下永龍正
森田みなも 杉山穂乃果

CREATIVE:
音楽 ブランドン・リー
脚本/歌詞 ワン・ヨンボム
潤色/演出 板垣恭一
訳詞 森 雪之丞
音楽監督 島 健
音楽監督/歌唱指導 福井小百合
振付 黒田育世 当銀大輔
美術 乘峯雅寛
照明 髙見和義
音響 佐藤日出夫
衣裳 十川ヒロコ
ヘアメイク 宮内宏明
擬闘 渥美 博
指揮 田邉賀一
稽古ピアノ 八木淳太 森 俊雄 久野飛鳥
オーケストラ・コーディネイト 東宝ミュージック
振付助手 政岡由衣子
演出助手 髙野 玲
舞台監督 松井啓悟
制作 荒川ちはる 相見真紀
プロデューサー 塚田淳一(東宝)/住田絵里紗(ホリプロ)

オリジナルプロダクション ワン・ヨンボムプロダクション
製作 東宝/ホリプロ

<全国ツアー>
【愛知】
公演期間:5月5日(月祝)~5月6日(火祝)
会場:愛知県芸術劇場 大ホール

【茨城】
公演期間:5月10日(土)~5月11日(日)
会場:水戸市民会館 グロービスホール

【兵庫】
公演期間:5月17日(土)~5月21日(水)
会場:神戸国際会館 こくさいホール

小林亮太×島 太星インタビュー

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