
2021年コロナ禍で僅か5公演のコンサートバージョンという形で上演されたミュージカル『イリュージョニスト』が4年の時を経て遂にフルバージョンとして登場した東京・日生劇場公演を打ち上げ、4月8日~20日大阪・梅田芸術劇場メインホール公演に向けての、確かな歩みを進めている。
ミュージカル『イリュージョニスト』は、スティーヴン・ミルハウザーによる短編小説『Eisenheim the Illusionist(幻影師、アイゼンハイム)』と、この小説を基に2004年に公開された映画『幻影師アイゼンハイム』を原作にピーター・ドゥシャン脚本。マイケル・ブルース音楽。トム・サザーランド演出で織りなす新作オリジナルミュージカル。前述した通り世界初演はコロナ禍のなか、変則的な形での上演を余儀なくされたが、今回は満を持した待望のフルバージョン上演で、海宝直人、成河、愛希れいか、栗原英雄、濱田めぐみの豪華プリンシパルキャストが再集結。演出のトム・サザーランドの個性が潤沢に表れた、謎とブラフと真実が交錯する、息もつけない物語が展開されている。
【STORY】
栄華を極めたハプスブルク帝国も今や斜陽の時を迎えている19世紀末のウィーン。世界中を巡業しているイリュージョニスト・アイゼンハイム(海宝直人)は、興行主ジーガ(濱田めぐみ)と共に訪れたウィーンでの公演中、偶然にも幼い頃恋心を寄せ合った公爵令嬢ソフィ(愛希れいか)と再会する。だが、ソフィはオーストリア皇太子レオポルド(成河)の婚約者となっていた。
傾国の危機を救うために、過激な思想に傾倒する皇太子の熾烈な正義感に疑念を抱いていたソフィは、アイゼンハイムの変わらぬ求愛を拒みながらも、ひそかに逢瀬を重ね、互いが心に秘めていた当時のままの愛を確かめ合う。だが皇太子はそんな二人の間柄を疑い、ウール警部(栗原英雄)に偵察させ、ついに密会の事実を知り、怒りのあまり剣を手にソフィの後を追い……
4年前にこの『イリュージョニスト』コンサートバージョンに接した時の衝撃はいまも鮮明に心に残っている。上演発表から結果としてのコンサートバージョン開演に至るまでにこの作品がたどった旅路はあまりにも過酷なもので、ある意味創作のドラマではとても描けないと思えるほどの紆余曲折を経ての開幕だった。それでも尚、どんな形であれこの舞台を届けるんだという、キャスト、スタッフ、関係者全ての想いが日生劇場の空間を覆いつくした、張りつめたという言葉ではとても足りない空気のなかで繰り広げられた舞台は、これをコンサートバージョンと呼んでよいのかと思うほど、演劇的想像力に満ちていた。客席も含めた全ての人々が、謎とブラフと「真実とは?」を問いかけてくる作品の目撃者であり、どこか共犯者でもあったようなあの感覚は忘れ難い。同時に、正直これほどレポートを書くのが困難だと思った作品も少なかった。どんな言葉も何かの暗喩になってしまいそうで、言えることはひとつもないような想いのなか、どれほど長くパソコンの前にいたか知れない。もちろん映画にもなっている作品だから、「結末は知っているよ?」という人も多くいたことだろう。それでも、まだ作品に触れていない人に結末を語ることは、演劇を愛する一人のライターとして許されない行為だという気持ちが強くあった(念のため、そう考えなかった人を否定する気持ちは微塵もない。あくまでも私はということだ)。これまでも例えに出したことがあるが、シャンソンの「思い出のサントロペ」を初めて聞いた時に、最後の展開で驚愕のあまり思わず声が出た瞬間や、初めて『検察側の証人』を観た終演後、客席でしばらく動けなかった感覚、生涯たった1度、作品とのファーストコンタクトでしか得られない衝撃を、奪う権利など私にはないと思っていた。
つまりはそれほど、困難に次ぐ困難を越えて幕を開けたこの作品が、いつか完全な形で上演される日がくると私は信じていたし、それによって多くの人に作品が届いて欲しいと願い続けてきた。だから、遂に2025年フルバージョンでの上演が実現すると聞いた瞬間には快哉を叫んだし、メインキャストが代わることなく揃ってくれた座組にも感謝した。それだけに梅田芸術劇場がこの世界初演となるフルバージョンのミュージカル『イリュージョニスト』に対して、#イリュージョニストネタバレ禁止 とのタグまで作って、大々的に「結末は語らないで下さい!」を全面に出した広報を繰り広げた心境も痛いほどよくわかった。それは大切な作品に対する敬意でもあったからだ。
ただ、実際にこのフルバージョンが日生劇場での26公演を終えたいま、と言うよりも初日が開けて以降ずっと、私はこの「ネタバレ禁止」の概念と闘い続けて、再び何を書いていいかわからない状態に陥ったのもまた、偽らざる本音だった。それほどこのフルバージョンには多くの情報があり、ブラフがあり「その目に映るは、真実か幻か」のキャッチコピー通りに、どこからが真実で、どこからが虚偽だったのか?と考えれば考えるほど、ツボにハマる沼が広がっていたのだ。「あの台詞はつまりここにつながるんだよね?」とか「あそこ気づいた?そういうことだよね?」とか、とにかく語りたくて語りたくてたまらない。誰かの視線、誰かの仕草、誰かの行動、一度には咀嚼しきれなかったポイントに再見で気づいて「ということは、じゃあどこから?」とまた謎を確かめに行きたくなる。「既に観劇した人だけのサイト」や「ネタバレOKの小部屋」を作ったら大盛り上がりするんじゃないかと、真剣に「ネタバレサイト作りません?」と、ただでさえ誰もがいっぱいいっぱいの年度末にも関わらず、媒体に言い出しかけたことさえある。「再読できてこそ上質なミステリー」とはよく言われることだが、このミュージカル『イリュージョニスト』フルバージョンには、結末でびっくりするファーストコンタクトの後にある、そんな読み解く面白さが詰まっていた。
とは言え、この作品のSTORYから導き出されるものには、19世紀末のハプスブルク帝国を舞台にしていながら、非常に今日的なものがあるのが、第一義であることもまた確かだった。インターネットが普及し、あらゆる情報がたやすく手に入る一方で、検索履歴やクリック履歴を分析して学習するネット環境のなかでは、利用者が「見たいだろう情報」が優先的に表示されるようにできていて、例えば私のパソコンのトップページだけを見ていれば、世の中のほとんどの人がミュージカルに多大な関心を持っていると錯覚しかねない。けれどもそれは私がそうした記事を多く読むことで起きるフィルターバブルに過ぎないし、更にSNSの世界ではまさに「嘘も100回言えば真実になる」エコーチェンバーが日常的に起きていて、大国のトップさえもが積極的にその流れに与している。自分の耳に、目に心地よい意見しかない世界に閉じこもることはあまりにたやすく、だからこそ非常に危険でもある。そんないまの現実社会がまさに直面している問題と、この作品が提起しているものは完全にシンクロしているし、そこにトム・サザーランドがゼロからクリエイトした演出が加わったフルバージョンからは、作品の結末の後、世界に起こる歴史の事実が立ち上ってきて、ゾッとさせられるもする。ここには2016年に、ミュージカル『グランドホテル』のラストシーンを史実がたどる無残な悲劇と、それを回避する術を人々が持っていたなら、というある意味でより深い訓戒のなかにあった希望ある結末との2パージョンを用意して見せたトム・サザーランドの真骨頂が潜んでいる。
ただ、そうした相当に重いものを秘めていつつ、ここまで書いてきたようにこの作品からは、上質なサスペンスやミステリーの謎解きと同じ、エンターティメントの魅力が噴出している。特に舞台のどこを観るか?が観客の自由意志に委ねられている演劇だからこその醍醐味は一級品で、キャストが人力で動かしていく松井るみの回り続ける美術のなかで、二つ以上の出来事が舞台上で交錯していき、膨大な情報が提示されるなど、主人公であるイリュージョニスト・アイゼンハイムが繰り出す大小様々なイリュージョンと同時に、「演劇」という世界だけが持つイリュージョンが凝縮されている。入れ子細工のように展開されるピーター・ドゥシャンの脚本。美しくかつ非常に複雑でナンバーの1曲、1曲が多彩なマイケル・ブルースの楽曲と作詞、そして演出のトム・サザーランドを筆頭としたクリエイター陣の才能が提示した世界観を、十全に届けるキャストの力量が、一級のエンターティメントとして作品を結実させている。


そんなキャストでは、イリュージョニスト・アイゼンハイムの海宝直人が、もうこと改めて言うことではないとわかりながら、多くのソロナンバーでなんという歌唱力だろうと感嘆させられる力量を縦横無尽に発揮している。しかも声が美しいとか、声量が豊かだというだけではない(その魅力ももちろん大きいが)、歌うことと演じることが完全に地続きになった表現力の深化には目を瞠るものがある。幼い頃心を寄せ合った、身分違いの公爵令嬢への恋情を持ち続けているイリュージョニスト、という役柄であることは紛れもない事実だが、ただ恋に殉じるヒーローではない複雑なものを持ち合わせたアイゼンハイムの、底知れない片鱗の覗かせ方が絶妙で、まず何をおいても歌の人だった海宝の、芝居面の充実を如実に感じさせた。

皇太子レオポルドの成河は、登場してきた瞬間から全ての他者を下に見ている、傲岸不遜な雰囲気を醸し出して、作品が求める皇太子像を的確に示している。斜陽の時を迎えているハプスブルグ帝国の皇太子という設定でありつつ、その名がルドルフではないこと。明らかにもう一人の人物も投影されている役柄だけに、全ての行動が意味深長で、導き出されるものに呆然ともさせられる。何も語れないからこそ、語りたいキーパーソンでもあり、ゼロからクリエイトしていくことを愛する成河が、皇太子を演じ、歌っている意義には大きなものがある。この作品を是非2回以上観て欲しいと思わせる理由の筆頭格だった。


アイゼンハイムとかつて心を交わし合ったが、身分の差によって引き裂かれ、いまは皇太子の婚約者になっている公爵令嬢ソフィの愛希れいかは、こちらも非常に難しい役柄を凛とした身のこなしと、押し殺した感情が尚こぼれ出る複雑な表情で見事に演じている。こうした役どころでの完璧なドレスの着こなしや、何より圧倒的なヒロインオーラが、アイゼンハイムに長い年月思われ続けるソフィの存在に説得力を与えていて、「サヨナラはもう」の絶唱がいつまでも耳に残った。

皇太子の命を受けてアイゼンハイムとソフィの仲を探り、自らの警察官としての良心も手伝って起きていることの真相を確かめようとするウール警部の栗原英雄は、観客にもっとも近い視点の役柄だが、これもまたそう簡単に括っていいのか?という一筋縄ではいかない人物像に、どこか飄々とした風合いを与えているのが栗原ならでは。とてつもない難曲のソロナンバー「疑い」にさえもとぼけた味わいを残す、トム・サザーランドの信頼厚い理由が凝縮されたウールだった。

アイゼンハイムを当代一のイリュージョニストに育ててきた興行主ジーガの濱田めぐみは、客席に語り掛けてくる冒頭から劇場の空気を鷲づかみにする存在感が圧倒的。子役時代の海宝と長く同じ舞台に立ってきた互いのバックボーンが、アイゼンハイムとジーガの関係性に巧まずして生きていて、恋愛とはまた違う家族のような愛情をアイゼンハイムに持っているジーガの母性と、厳しい時代を生き抜いてきた興行師としての強さのバランスが非常に良く、ソロナンバー「すべては無駄」の求心力には頭を垂れる気持ちにさせられた。
またアンサンブル陣にも、個性とビジュアルが多彩なメンバーが選ばれているのも大きな特徴で、ちょっとギリギリの表現になっているかもしれないが、彼らひとり一人が様々な役柄を演じることを当たり前だと思わずに注目していくと、更に見えてくるものが増えること請け合い。アイゼンハイムとソフィの若き日を演じる東間一貴と井上花菜の切なくも美しい恋模様の瑞々しい表現をはじめ、池谷祐子、今村洋一、植木達也、岡本華奈、伽藍琳、柴野瞭、仙名立宗、常川藍里、藤田宏樹、湊陽奈、安福毅、柳本奈都子にも、それぞれに見せ場があり、スウィングの大任を担う晴音アキ、松谷嵐を含めたフルバージョンオリジナルキャストが繰り広げる「演劇のイリュージョン」の魅力を横溢させている。だからこそ、東京公演千穐楽の海宝直人の挨拶を借りれば「大阪は目と鼻の先」だから、東京で観たという方にも再見も心からお勧めしたいし、もちろん関西方面の方々にも一度と言わず、二度目の観劇からの沼にハマって欲しい。そうして叶うなら大千穐楽後に、ミュージカル『イリュージョニスト』を語る集いを開けたらどんなにいいだろう。そんな衝動に駆られる、あまりにも多くのものを内包した、4年の時を待った甲斐のある舞台だった。


取材・文・撮影/橘涼香
【公演情報】

ミュージカル『イリュージョニスト』
脚本:ピーター・ドゥシャン
作詞・作曲:マイケル・ブルース
原作:ヤーリ・フィルム・グループ制作映画「幻影師アイゼンハイム」 スティーヴン・ミルハウザー作「幻影師、アイゼンハイム」
演出:トム・サザーランド
出演:海宝直人 成河 愛希れいか 栗原英雄 濱田めぐみ ほか
3月11日~ 29日◎東京・日生劇場(※公演終了)
4月8日~20日◎大阪・梅田芸術劇場メインホール
企画・制作・主催:梅田芸術劇場
お問い合わせ梅田芸術劇場【大阪】 Tel 06-6377-3800(10:00~18:00)
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