名匠ソンドハイムの代表作にして最大の問題作でもあるブロードウェイミュージカル『スウィーニー・トッド フリート街の悪魔の理髪師』(※以下『スウィーニー・トッド』)が、池袋の東京建物Brillia HALL(豊島区立芸術文化劇場)で上演中だ(30日まで。のち4月12日~14日宮城・東京エレクトロンホール宮城、4月19日~21日埼玉・ウェスタ川越 大ホール、4月27日~29日大阪・梅田芸術劇場メインホールで上演)。
ミュージカル『スウィーニー・トッド』は、2021年に惜しくも世を去ったスティーヴン・ソンドハイムの代表作のひとつ。実話に基づいているとの論説まで生まれた(現在は極めて論拠が弱いとされている)19世紀イギリスの怪奇小説に登場する連続殺人鬼伝説をもとに、1979年ブロードウェイで初演。トニ―賞8部門での受賞をはじめとした数々の受賞歴を誇り、2007年にはハリウッドで映画化もなされている。
日本では1981年の初演以来幻の作品となっていたが、2007年ソンドハイムと深い親交を持ち、同じソンドハイム作品『太平洋序曲』でブロードウェイにも進出を果たした宮本亞門演出×市村正親×大竹しのぶという、最強のタッグで26年ぶりの上演が実現。以来、2011年、2013年、2016年と再演を重ねてきた。今回の公演は8年ぶり5度目の上演で、唯一無二の存在感を誇るサイコスリラーミュージカルの、ひとつの到達点と言える舞台が登場している。
【STORY】
18世紀末のロンドン。フリート街で妻子と共に幸せに暮らしていた理髪師ベンジャミン・バーカー(市村正親)は、ある日、妻に横恋慕した悪徳判事ターピン(安崎求/上原理生・Wキャスト)によって無実の罪を着せられ流刑に処せられる。長い年月を耐え忍び、やっと脱出した彼は、若い水夫・アンソニー(山崎大輝/糸川耀士郎・Wキャスト)に助けられ、不吉な予言を吐く乞食女(マルシア)もたむろする、ロンドンのフリート街に戻ってくる。かつての自分の店を訪ねた彼は、その階下でパイ屋を営む昔なじみのミセス・ラヴェット(大竹しのぶ)から、妻はターピン判事に陵辱された果てに狂死し、娘のジョアンナ(唯月ふうか/熊谷彩春・Wキャスト)はそのターピンの養女となっているという事実を知らされる。怒りに燃える彼は、スウィーニー・トッドと名乗り、素性を隠して新たに理髪店を開いて虎視眈々とターピン判事や、部下のビードル(こがけん)に復讐する機会を狙う。その日々のなか、あるきっかけで手元に置くようになった孤児のトバイアス(武田真治/加藤諒・Wキャスト)がラヴェットを慕うようになったのをはじめ、多くの人を巻き込みながら、スウィーニーとラヴェットの奇想天外で荒唐無稽な復讐計画が進んでいき……
2007年にこの作品が、宮本亞門×市村正親×大竹しのぶという顔合わせで26年ぶりに上演されると聞いた時には、まず驚いたのと同時に膝を打つ思いがしたのをよく覚えている。復讐譚の代名詞ともなっている『モンテクリスト伯』同様の発端からはじまるこのミュージカル『スウィーニー・トッド』は、復讐の時を虎視眈々と待ちながら、次々に人を殺めていき、更に証拠隠滅の為に……という、非常にブラックな展開が続く作品で、映画版の日本上映ではR-15指定(15歳未満の鑑賞不可)を受けたほどでだったから「あの作品をまた上演するの?」という驚きと「この顔合わせならあり得る!」という腑に落ちる思いが、一度に押し寄せてきたのだ。
と言うのも、展開が展開だけに役者が生真面目な演技派だった場合、ただただ恐怖や、もっと言うとおぞましさが先行してしまい、極限の格差社会、階級社会のなかで搾取され続けてきた一般市民が「いま歴史が変わる、強い者が食べられる」と、究極の反撃に出る、謂わばダークヒーローの登場の部分が霞んでしまう可能性があったからだ。
だが、そのダークヒーローを市村正親が演じるのだ。言うまでもなく、日本で「ミュージカル俳優」というカテゴライズが出来上がる、はじまりを担ったレジェンドの一人の市村には、その存在自体の根幹にあくまでも前向きなものと、ペーソスさえもユーモアに変換できる明るさがあり、この作品の目指すところを最も生かす人材に思えたのだ。
一方の大竹しのぶは、役柄が憑依してくるという表現がぴったりの没入型の演技者だが、これがはじめてのミュージカル作品への出演で、大女優の新たな挑戦というやはり前向きな勢いがあった。
しかもその二人を軸に作品を紡ぐのが、日本に「ミュージカル」を根付かせた功労者の一人で、演出にスピード感と共に時代性を持ち込める宮本亞門という、非常に考えられたビッグネームの取り合わせが、期待感を高めていったものだ。
そんな顔合わせの妙が見事に奏功して、極端に白い肌色や濃いアイシャドウで病的な雰囲気を出す、ゴシックなヘアメイクを施し、幻想性を増した世界観の提示を含めて、ミュージカル『スウィーニー・トッド』を、再演を重ねる定番レパートリーへと作品を押し上げていったのは周知のことだが、8年ぶり5度目の上演になった今回の舞台は、その上演史のなかでもある意味の到達点に届いていると感じさせるものになっている。
まず難曲で知られるソンドハイムメロディーの、どこか摩訶不思議なハーモニーの充実度が非常に高く、音楽の色合いが心地よく伝わってきて、まるでオペラのように感じられる。宮本亞門が、ソンドハイムから直接聞いてきた音符一つひとつ、そこから生まれる、リズムやハーモニーの趣旨を、カンパニーにあますところなく伝えたという稽古期間が、如何に有意義なものだったかがわかるし、これは石井雅登、榎本成志、小原和彦、下村将太、高田正人、高柳圭、俵和也、茶谷健太、山野靖博、岩矢紗季、川合ひとみ、北川理恵、鈴木満梨奈、髙橋桂、永石千尋、福間むつみの、様々な役柄でコーラスを担う面々の地力あってこそ実現した音楽面の確かさだと思う。
更に、やはりメインキャスト、特に「この作品をもう一度やりたい」と自ら熱望したという市村が、理髪師ベンジャミン・バーカー=スウィーニー・トッドの飽くなき復讐心をマグマのように湛えつつも、その根底には引き裂かれた妻への深い愛があった、という様々な道具立てのなかで、最後に残る一筋の愛の物語のポイントを際立たせていることがある。これによって、血まみれのサイコスリラー、という作品全体の印象が異なって感じられてきたのは、美しい発見だった。
もちろん、大竹のミセス・ラヴェットとの、実はとてつもなく怖い会話を、ブラックユーモアで聞かせる互いの掛け合いのテンポの良さ、早速いまニュースを賑わせている政界の時事ネタも盛り込んで、虐げられたものが搾取している者に牙を剥く部分に痛快さも込めているのも効いている。特に名優大竹が、この役柄とミュージカルナンバーを前にすると、ふとした瞬間に一生懸命さを覗かもせるのも、ベンジャミンが残した剃刀を含めた理髪師としての商売道具を、売り払うこともせず大切に保管していた、ミセス・ラヴェットの心根に思いを馳せられる効果になっている。
また、今回の上演にはWキャストを含めて、多くの新たな顔ぶれが集まっていて、新キャストが多い回を観たが、乞食女のマルシアの存在感が非常に大きく、おそらく初見の観客にも強烈にアピールしているだろうことが、作品の余白を高めている。
ミュージカル俳優としての期待株が多くキャスティングされてきたアンソニーの糸川耀士郎は、自分の恋に一途で周りが見えなくなっている青年の間の悪さも、恋は盲目の猪突猛進に変換していて面白い。情熱のなかにほの昏さも織り交ぜられる山崎大輝が、どんなアンソニーを造形しているかも楽しみだ。
実の父親の宿敵ターピン判事に育てられているジョアンナの熊谷彩春は、澄んだ美しい声と持ち前の愛らしさで、軟禁同様の状態で育ったジョアンナの外の世界への憧れが、アンソニーとの出会いで噴出する、ただ単に可哀想な女の子ではないエネルギーの発露を見せた。抜群の歌唱力と共に、この役柄の経験者である唯月ふうかが、更に役柄を深めている様にもきっと大きな見応えがあることだろう。
この人が憎々しくないとドラマが成立しない、ベンジャミンの妻に横恋慕した悪徳判事ターピンの上原理生は、理想に燃える革命家を多く演じ続けてきた正義派のイメージから大きく飛翔した、役柄のひたすら自分本位な部分をインパクト強く演じている。やはり経験者の安崎求が、ラスボス感をどう表出しているのかにも期待が高まる。
その部下のビードルのこがけんは、お笑い芸人として著名な人だが、近年舞台作品にも積極的に出演していて、小悪党のいじましさと相手を見下した表現のバランスが非常に良く、芝居カンの良さを強く印象づけている。
更に、舞台のキーパーソンの一人でもある孤児のトバイアスは、2007年の宮本亞門版初演から、全ての公演に出演している武田真治のイメージが強烈なだけに、注目度も大きかった加藤諒が全く新たなトバイアスを表出していて、これはキャスティングの勝利。悲惨な目にあってきた孤児をストレートに演じても、どこかでユーモラスなものも残る、加藤持ち前の個性が生きた、見比べる妙味の多いWキャストになっている。
何よりも、陰陰滅滅になっても不思議ではない筋立てに、格差社会への強烈な警鐘と風刺の持つエネルギー、更に最後に残る「愛」を思い起こさせる舞台になっていて、宮本×市村×大竹、以下スウィングの西尾郁海、大倉杏菜、安立悠佑を含めたスタッフ、キャストのこのカンパニーが放つ高い熱量を感じさせる、完成度の高い舞台になっている。
※下記スライド写真の中に一部センシティブな表現(流血)が含まれております。ご了解の上、ご覧ください。
(文・撮影/橘涼香)
ミュージカル『スウィーニー・トッド フリート街の悪魔の理髪師』
■期間:2024年3月9日(土)~3月30日(土)
■会場:東京建物Brillia HALL(豊島区立芸術文化劇場)
■キャスト:
スウィーニー・トッド:市村正親
ミセス・ラヴェット:大竹しのぶ
乞食女:マルシア
アンソニー:山崎大輝/糸川耀士郎(Wキャスト)
ジョアンナ:唯月ふうか/熊谷彩春(Wキャスト)
ターピン:安崎 求/上原理生(Wキャスト)
ビードル:こがけん
トバイアス:武田真治/加藤 諒(Wキャスト)
石井雅登、榎本成志、小原和彦、下村将太、高田正人、高柳 圭、俵 和也、茶谷健太、山野靖博、
岩矢紗季、川合ひとみ、北川理恵、鈴木満梨奈、髙橋 桂、永石千尋、福間むつみ
スウィング:西尾郁海、大倉杏菜、安立悠佑
■スタッフ:
作詞・作曲:スティーヴン・ソンドハイム
脚本:ヒュー・ホイラー
演出・振付:宮本亞門