2001年に初演され、以後再演を繰り返し高い評価を得ている方南ぐみの代表作『あたっくNO.1』が、東京・俳優座劇場で上演中だ(10月1日まで)。
『あたっくNO.1』は、ドラマの脚本をはじめ、作詞家、漫画原作、小説家として幅広く活躍する樫田正剛が、実際に潜水艦内で書き綴った伯父の日記をきっかけに執筆した作品。2001年の初演以来、03 年、06 年、07 年。09 年、12 年、13 年、17 年と上演を重ね、日本が世界大戦へと突入していった“あの日”を語り継ぐ、貴重な舞台となっている。
【物語】
昭和16年、冬。広島県呉軍港に集合した男たちは、目的も行き先も告げられず潜水艦イ18 号に乗艦し、祖国を離れる。
出航後の艦内で彼らは、目的は「戦争」、行き先は「ハワイ真珠湾」であると知らされる。
そのとき男たちは「敵に不足なし」と叫んだ。勝つ気なのだ。
だが、潜水艦イ18 号には特殊潜航艇と呼称される二人乗りの小さな潜水艦が搭載されていた。果たして特殊潜航艇とはなんなのか。その実態が明らかになるにつれて、彼らのなかで、戦争とは、人生とは、祖国とは、という大きな問いが膨らんでいき……
とあるトーク番組で、第二次世界大戦時代が描かれる作品の主演俳優が「歴史ものに出演するのがはじめて」という趣旨の発言をしたのに驚いたことがある。全く個人の感想だが、「歴史もの」という表現はギリギリ徳川幕府300年の歴史が終わる、幕末の動乱期くらいまでで、それ以降、特に大東亜戦争、第二次世界大戦が起きた昭和の時代、所謂近代史の物語を「歴史もの」と思う感覚は全くなかったからだ。
けれども思えば時代は既に令和に入って5年。昭和20年の敗戦後から数えても既に78年が経過している。戦争を実体験として語れる人は年年歳歳少なくなっているのが現実だし、特に当時軍人として戦地に赴かなければならなかった年齢に達していた人となると、更にその数は絞られているだろう。戦争を描いた作品を「歴史もの」と考える年代の人々が現れても、実は不思議ではないのかもしれない。
けれども、それだけの長さ78年間に渡って日本が戦禍に陥ることを避けてこられたのは、どのような言葉も軽く感じられほどの惨禍を招いた、昭和16年から20年にかけての、現在のところ日本史のなかでは最後の戦争になっている大東亜戦争、第二次世界大戦への反省あってこそだ。この戦争をこれからも最後の戦争にし続ける為には、やはりそれがどんなに辛い記憶であり、記録であっても、この惨禍を語り継いでいく必要がある。
そう考えた時に、方南ぐみが上演を続けている『あたっくNo.1』という作品そのものに大きな価値があることが改めてひしひしと伝わってくる。脚本・演出の樫田正剛が、実際に潜水艦「イ18号」の乗組員であった伯父の日記に着想を得て書き下ろした作品には、例えば東京大空襲、例えば広島、長崎への原子爆弾投下という、日本が受けた被害を描く多くのドラマとは確実に異なる視線がある。「真珠湾攻撃」「特殊潜航艇」何よりタイトルになっている『あたっくNo.1』、ある年代以上の人にはバレーボール漫画を連想させるだろうタイトルに込められた真実。それらに接した時、思うことはあまりにも多い。特に休憩なし約2時間20分を駆け抜ける舞台の、体感としては三分の二ほどが、11人の乗組員たちの日常、他愛ないという言葉を使いたくなるようなやりとりで紡がれているからこそ、終幕に向けての怒涛の展開に強いコントラストが生まれている。「そこには、笑顔の青春があった」というキャッチコピー、この題材をエンターテイメントに落とし込んだ作劇が巧みだし、固定された舞台空間が、潜水艦のなかという極めて閉鎖的な室内と見事にシンクロするのも効いている。この出口のない空間で、男たちがぶつかり合い、思いの丈を語ることで、戦争が引き起こすものと、平和への希求が鮮やかに浮かび上がってくる。それがこの時代を「歴史」と感じている世代に、伝えるものの多さと尊さが強く感じられた。
そんな作品が新たなキャストを得たことで、より多くの観客に届けられていく今回の上演にも、やはり大きな意義があるのは間違いない。
日記を残した樫田の伯父をモデルにしている、作品の語り手でもある勝杜の小松準弥は、全体を俯瞰しつつ、潜水艦内で起きていることの一つひとつへの反応には、その時を生きている人物としての感触が濃い切り替えの巧みさで魅了する。特にクライマックスの問いかけには、様々な問題を抱えているいま、2023年の日本に住むすべての人々に通じる重さが込められていて胸打たれた。
タイトルの『あたっくNo.1』が作品のなかで持つ意味にこだわる寺内役の永岡卓也は、軍功をあげたいと切望する人物を熱量高く演じている。作品のなかで示す喜怒哀楽の幅が最も広い役柄でもあり、激しい言動も多いなかで、非も認められる潔さをきちんと表現したことが全体の感触を高めた。
その寺内にライバル視されている古瀬役の上田堪大は、他の乗組員たちと笑い合い、時には馬鹿もやりながら、注意深く目配りをしていることを、ひとつの台詞、ひとつの視線で伝えてドラマの展開を支えている。特に寺内と激しくぶつかる場面以降の、決して諦観ではない思いの表出が印象的だった。
乗組員のなかでも、非常に貧しい家の出である横川役の吉澤要人は、海軍で得たものに深い感謝を持っている青年の笑顔に、無垢と言いたいほど澄んだものを感じさせて役柄の存在感を稀有なものにしている。演技力ももちろんだが、吉澤要人という俳優が己を熟知している力もきっと大きい好演だった。
寺内に与しているようでいて、焚きつけてもいると感じさせる北役の安西慎太郎が、容易に好悪のわからない複雑な人物として、北を描いていたのも非常に面白い。近年ますます役幅を広げている人らしく、北という乗組員を、ひとつの記号のなかで表現しなかったことが、役の人間味を高めた。
容易に人物像が読めないということでは、大滝役の山田ジェームス武も同様で、出番の度に残すインパクトが強いだけに、何を考えているのだろうと目を引く存在。11人の乗組員の個性の違いをよく表現していた。
また、船内での服装からして異彩を放っている永井役の横尾瑠尉は、場の空気を変えていく役どころ。一見主筋とは異なる地点にいるだけに、かなり難しい役柄だと思うが、適度な軽みを持って役の筋を通して、与えられた役割りをよく果たしている。
一方、アメリカと日本の国力の違いを熟知しているが故に、現代の目から見れば最もまっとうな発言を繰り返す二本柳役の別府由来は、冒頭から上官が手をあげることに異議を唱える二本柳の、『あたっくNo.1』に燃える他の乗組員たちとは異なる視点を持つ役柄が抱えるジレンマを、硬い表情や姿勢からも伝えて、こちらも大きな存在感を放った。
彼ら若い乗組員たちが繰り広げる様々な事柄を、別の視点から見つめているベテラン乗組員・宇津木役の水谷あつしは、積極的に彼らの仲間に入ろうとして笑わせる前半から、情の深さを噴出させる後半のコントラストを、きちんと一人の人間のなかに起こることとして筋を通した、これぞベテランの妙で惹きつける。
同じように、ひとつ違う立場にいる船医の村松役の牧田哲也が、町医者である出自に対する誇りと、命への思いの深さからくる葛藤を、登場する度に船内の状態が変わっているなかで巧みに表して涙を誘う。
更に、厨房を預かる渡久保役の朝倉伸二が、どこか飄々としたたたずまいから、全てを飲み込み、旨い飯を食べさせることで乗組員たちの士気を高められると信じ、職務を全うする様が渡久保という人物の信念を感じさせた。
何よりも、戦争を真っ直ぐに描きつつ、「if」を持ち込んだドラマとしての結末のつけ方が重くなり過ぎずに、戦争と平和を考えさせる舞台を築き上げていて、貴重な時代の証言である実在の「日記」に最大限の敬意を表した幕の下ろし方も実に真摯。樫田をはじめとしたスタッフと、キャスト全員が紡いだ、多くの語り継ぐべきものを届ける舞台を、新たな観客に目撃して欲しいと願ってやまない。
(取材・文・撮影/橘涼香)
方南ぐみ企画公演『あたっくNO.1』
■公演日:2023年9月22日(金)〜10月1日(日)
■会場:俳優座劇場(〒106-0032 東京都港区六本木4-9-2)
■あらすじ:
昭和16年。冬。広島県呉軍港に集合した男たちは、目的も行き先も告げられず潜水艦イ18号に乗艦し、祖国を離れた。
出航後の艦内で行き先と目的を知らされた。
行き先は「ハワイ真珠湾」。目的は「戦争」。
そのとき男たちは「敵に不足なし」と叫んだ。
勝つ気なのだ。潜水艦イ18号には特殊潜航艇と呼称される二人乗りの小さな潜水艦が搭載されていた。
戦争とはなにか。人生とはなにか。祖国とはなにか。
男たちの青春グラフティーが潜水艦の中で繰り広げられる。
■脚本・演出:樫田正剛
■出演:朝倉伸二 安西慎太郎 上田堪大 小松準弥 永岡卓也 別府由来 牧田哲也
水谷あつし 山田ジェームス武 横尾瑠尉 吉澤要人(原因は自分にある。)
※五十音順
■スタッフ: 音楽 三沢またろう 照明 石塚美和子 音響 井上直裕(atSound)
舞台監督 清水スミカ 衣装 杏吏
キャスティング協力 今橋叔子 秋山真太郎(STAND FOR ARTISTS)
宣伝美術 沼口公憲 票券協力 カンフェティ
制作 井口淳(オレガ) 岩瀬ろみ 柴田幸枝
■協力:アービング / オフィス ピー・エス・シー / オレンジ / サンミュージックブレーン /
スターダストプロモーション / ホリプロ / GFA / G-STAR.PRO(五十音順)
■企画・製作・主催:方南ぐみ
■チケット:チケット 一般 : 8,000円 U-18チケット:4,000円