「特定少年法」「デジタルタトゥー」「トー横キッズ」「貧困」など、いま、現実に起きていることだが、意識しない限りはなかなか日常にあることとして実感できない問題を鋭く描き出した舞台『#オーバーラック』が、東京恵比寿のシアター・アルファ東京で2日開幕した(11日まで)。
舞台『#オーバーラック』は、脚本・演出の吉村卓也とTie Worksのプロデューサー熊坂涼汰がタッグを組み、本年1月に上演した『カッコウの雛に陽は当たる』に続く第二弾となる舞台作品。
インターネットの発達のスピードの速さに法整備が追いつかず、モラルを頼みにしているだけでは、到底現代社会の様々な問題を解決できないジレンマが続くなかで、そのインターネットが掌のなかにあって当たり前の時代に生まれた若い世代が、直面している数々の社会問題をまっすぐに描いたノンストップ90分の舞台になっている。
【STORY】
犯罪者の息子として息の詰まる生活をしていた 17 歳の少年。
世間から逃げ惑う日々に疲弊した少年の母は、少年を残し自殺。
一人取り残された少年は、ニュースで見たネオンに包まれた繁華街を訪れる。
「ここは全てが軽そうだったから…。」
そんな時、同じ17歳の少女に出会う。
−私が殺してあげる−
そう言われ連れて行かれた先はとある廃墟で
搾取され居場所を失くした子供たちが
独立国家を作り生活をしていた。
段々と明らかになっていく、繁華街で生きる
少年少女たちの刹那的で綱渡のような人生…。
世間から見た少年少女は加害者なのか、被害者なのか。
この作品に接してまず驚くのは、情報量の多さに比してストーリーが極めてわかりやすく進んでいくことだ。劇中では「全てが軽そうだった」と称される繁華街の一角は、巨大なゴジラ像が目を射抜く、新宿歌舞伎町の旧新宿コマ劇場の跡地に建築された、新宿東宝ビル周辺の路地裏をモチーフにしている。そこには様々な事情で家にいられない、いたくない、居場所がない少年少女たちが集まってきていて、この作品は「トー横キッズ」とも「トー横界隈」とも呼ばれている彼、彼女たちの一人ひとりが、決してひとくくりにはできない経験や思いを重ねていることに丁寧な目を向けていく。
家に帰らないのではなく、帰れなくて、未成年であるが故に自立の道はないに等しい登場人物たちが、何を思い、何を夢見て「独立国」を宣言した廃墟のなかに生きているのか。背負っているものも違い、ある日突然引き下げられた「18歳」で成人するという意味が、身を寄せ合って生きている彼らのなかでさえ、全く異なっていることが明らかになっていく時間のなかで、ストーリーが決して途切れない作劇と演出が見事だ。
特に近年大きな問題になっている「デジタルタトゥー」と呼ばれる、プライベートな画像や動画、知られたくない過ちや、家族が起こした問題が、ひとたびネットの海に流されたら最後、完全に消去することができない現実に、どれほど少年、少女たちが縛られ、傷つけられているか。そのことがあらゆる角度から描かれていく様には、誰もがいつ当事者になるかもしれない恐怖が横たわっている。
俳優たちが目の前で生きている役柄の誰が良い人で、誰が邪なのかを軽々しく言う気持ちにならないのは、そんな切実さ故だ。しかも、脚本の吉村卓也がこの物語を紡ぐ間には、俳優たちのことをさほど詳しくは知らなかった、というのが信じがたいほど、まるで当て書きとしか思えない役柄と俳優のシンクロぶりが、舞台に強い切迫感をもたらした。
久美子役の伊藤純奈は、犯罪者の息子という烙印を押された少年を「独立国」に迎え入れる少女を、あくまでも明るさを持って演じていく。思い出したくない過去から逃れて新しく生き直すための「独立国」を維持しようとする彼女が、快活に振舞い続けるからこその、どうしようもない悲しさが伊藤から迸ることによって、作品の色が決まったと言って過言ではない芝居に惹きつけられる。
その久美子に誘われた優弥の小川優は、この作品のなかで描かれるあまたの問題のなかでは、非常に古くから横たわっていた「犯罪者の家族」に対する、この国の理不尽な視線を背負って出てくることの意味を、うつむきがちな姿勢を含めた全身で表現している。登場人物のなかで、ある意味長く続く常識から生まれた価値観を持っている優弥が「独立国」にたどり着いたことでもたらす意図なき波紋と、冒頭の意味を忘れさせない存在感が貴重だ。
またパー役の草川直弥は、好きになった相手にとことん一生懸命で、仲間とあまりに脆い基盤の上に立っている「独立国」を守ろうとする、役柄の健気さや良い奴の香りを自然に醸し出して、終始応援したい気持ちを起こさせる。
そのパーが思いを寄せ続けるユメの宮花ももも、これが初舞台とは思えぬ自然体の愛らしさを振りまきつつ、簡単に口車に乗りそうでいてそうではないユメの、単純な可愛さ、幼さではすまない、経てきたものの重さを感じさせた。
一方、彼らの、特に久美子の前に立ちはだかるアキラ役の少年Tは、一見人好きのする笑顔に、ぞっとするほど醒めたものを宿していて、なぜアキラがこうした行動に出るのかまでを考えさせる、加害者と被害者を単純に分けられない物語の奥行きを深くする芝居力で目を引く。
それはユメから「大好き」と言い続けられるショウ役の高士幸也も同様で、搾取しているかに見えて、またされている側でもある。ひとつの不幸や貧困から生まれる連鎖のなかで、苦しんでいるシュウの複雑な立ち位置をよく示していた。
反して、自身の動画チャンネルに耳目を引くことに熱中するあまり、独善的な正義感に溺れていくリョウの中島弘輝が、劇中最もストレートな人物を造形したことも強いアクセントになっている。
また、この街の路上で生きているトクさん役の樽見ありがてぇは、作品に明るさをもたらす微かにドタバタチックな演技もこなしつつ、トクさんがここで生きていくに至った家族の在り様が明かされたのちも、その芝居が決して浮かないペーソスをにじませたのが秀逸。
少年、少女たちを補導して、家なり施設なりで更生させるべきとの警察官らしい正義感を発揮する坪倉役の林田真尋が、おそらく観客の思考にもっとも近い役柄をキビキビと演じてくれることで、ものごとが決してそう簡単には進まない現実を伝える力になった。
その意味でも大きかったのは、少年・少女たち、更にはトクさんが抱える事情を知っているからこそ、結果として傍観している形になる警察官・富田役を柳下大が演じていること。
舞台経験の極めて豊富な柳下が、この繁華街に集まる人々への深い理解を持つ故に、なすすべをなくしている警察官の哀感と忸怩たる思いを噴出して、作品のやるせなさ、深いテーマを届ける役割を果たした力が絶大だった。
そんなこの街に生きる人々の描写は、もちろん最初から最後まで暗く沈んでいるわけではなく、明るく弾ける瞬間も多々あり、それが一層彼らの辿る厳しい道のりに暗澹とした思いを抱かせる。正直、せめて誰かに幸せになって欲しい、報われて欲しいという気持ちを抱くのも正直なところだ。けれども敢えて登場人物たちに救いの手を差し伸べないことで、この舞台が描いているのが、現実社会に直結している世界なのだと理解して欲しい。
その理解と関心こそが、少しでもこの状況を変えると信じている、という趣旨をプログラムの作者言で語った脚本・演出の吉村の思いはそのまま、生の舞台の力を信じる、吉村やTie Worksの熊坂の舞台作りへの原動力でもあるのだろう。
しかも不思議なことに、深い暗転の闇から、様々な役柄で活躍した浅野郁哉、安堂大空、得田澪花、平野紗貴、山本望を含めた全員の姿を舞台上に見出した時、諦観に飲み込まれがちのいまのこの社会のなかで、みんなが幸せになる道を模索することを諦めてはいけなのだという思いが募った。それは同じ空間で、全員が生きた役にシンパシーを感じる舞台芸術の持つ底力に思われた。
そうしたあまりに多くのことが描かれる『#オーバーラック』から、何を受け取り、何が心に残るのか。それはきっと観る人の数だけ異なる、大切な思いに違いない。その思いを探しに、是非シアター・アルファ東京の濃密な空間のなかで、彼らが生きていく姿を体感して欲しい。
(取材・文・撮影/橘涼香)
舞台「#オーバーラック」
公演期間:2023年6月2日 (金) ~2023年6月11日 (日)
会場:シアター・アルファ東京
作・演出:吉村卓也
出演者
伊藤 純奈
小川 優
草川 直弥(ONE N’ ONLY)
少年T
宮花もも
(五十音順)
高士 幸也
林田 真尋
樽見ありがてぇ
中島 弘輝
柳下 大
(アンサンブルキャスト)
浅野 郁哉
安堂 大空
得田 澪花
平野 紗貴
山本 望