
日本初演から半世紀以上、民族、信仰、家族、隣人へのかけがえのない絆の尊さを描き、どんなに世界が変わっても、変わらない家族の絆を描き続ける傑作ミュージカル『屋根の上のヴァイオリン弾き』が日本橋浜町の明治座で上演中だ(29日まで。のち4月5日~6日富山・オーバード・ホール 大ホール、4月11日~13日愛知・愛知県芸術劇場、4月19日~20日静岡・富士市文化会館ロゼシアター 大ホール、4月24日~27日大阪・梅田芸術劇場 メインホール、5月3日~4日広島・上野学園ホール、5月9日~18福岡・博多座、5月24日~25日宮城・名取市文化会館 大ホール。5月31日~6月1日埼玉・ウェスタ川越 大ホールで上演)。
ミュージカル『屋根の上のヴァイオリン弾き』は、1964年ブロードウェイで初演され、トニー賞ミュージカル部門の最優秀作品賞、脚本賞、作曲賞など7つもの賞を獲得し、72年まで8年間3,242回の当時としては記録的なロングランを達成した作品。
日本初演はロンドン初演と時を同じくした1967年。森繁久彌のテヴィエ、越路吹雪のゴールデ以下、豪華キャストが顔を揃え帝国劇場で初演。以降森繁テヴィエは通算上演900回を達成するまで再演を繰り返し、作品を日本に根付かせた。1994年からは西田敏行が登場。愛嬌たっぷりでありつつ、エネルギッシュな新たなテヴィエ像を創出。そして2004年から“21世紀版”『屋根の上のヴァイオリン弾き』と銘打ち、作品の一部を凝縮してブラッシュアップした公演で、市村正親テヴィエが華々しく登場。更に2009年の上演からは市村に「最強の女房」と言わしめた鳳蘭が妻・ゴールデに扮し、文字通りの名コンビによる愛の物語が展開されている。

【STORY】
1905年―帝政ロシアの時代。寒村アナテフカで酪農業を営むテヴィエ(市村正親)は、信心深く、お人好しの楽天家で、25年連れ添っている妻のゴールデ(鳳蘭)には頭が上がらないが、5人の娘たちを愛し、神様との対話を日課にして貧しいながらも幸せな日々を送っていた。
そんな夫婦の娘たちの中で、年頃の長女ツァイテル(美弥るりか)、次女ホーデル(唯月ふうか)、三女チャヴァ(大森未来衣)の最大の関心事は自分たちの結婚について。今日もアナテフカで仲人を一手に務めるイエンテ(荒井洸子)が訪ねてくると気もそぞろ。「姉さんが早く結婚を決めてくれないと、自分たちに順番が回ってこない」と言うホーデルとチャヴァだったが、当のツァイテルは重い気持ちを抱えていた。実はツァイテルは幼馴染の仕立屋モーテル(上口耕平)と相思相愛の間柄になっていたのだが、ユダヤの厳格な戒律と“しきたり”では両親の祝福が無ければ結婚は許されない。せめてミシンを買う資金が貯まるまで、ツァイテルと結婚したいとは言い出せないという、気の弱いモーテルの態度に、別の縁談が進んでしまうのではと、ツァイテルは気が気ではなかった。
案の定、イエンテが持ち込んだのは、金持ちで肉屋のラザール(今井清隆)がツァイテルを後妻に迎えたいと申し出ているという縁談だった。娘が使用人もいる家の奥様に収まれるとゴールデは大喜び。ラザールを好ましく思っていない上、自分より年上の男が義理の息子になることにはじめは躊躇したテヴィエも、酔った勢いで結婚に同意してしまう。けれどもツァイテルはこの縁談を断ってくれと泣いてテヴィエに訴え、モーテルも勇気を奮って自分たちは愛し合っていると告げる。結婚は親の決めた相手とするものという民族の戒律に従い、自身も結婚式で初めて顔を合わせたゴールデと家庭を育んできたテヴィエは、娘たちの新しい考えに驚愕し、しきたりと娘への愛情の間で懊悩するが、ついに愛情が勝り、若い二人の結婚に同意する。
だが帝政ロシアによるユダヤ人迫害の波は、アナテフカにもひたひたと近づいてきていて、ツァイテルとモーテルの結婚式の晴れの宴が最高潮に達したところで、ロシア人の巡査部長(廣田高志)が部下と共に現れ、会場はめちゃめちゃにされてしまう。
常日頃から人は全て平等であるべきだとの思いを抱き続け、下の娘たちに勉強を教えていた学生パーチック(内藤大希)は、その有様から遂に革命を起こす時だと決断し、仲間と共に蜂起する為アナテフカを去る。彼とその思想に心惹かれていたホーデルは、パーチックとの婚約を決意し、テヴィエに祝福を願う。それはツァイテルとモーテルの結婚以上に、テヴィエにとってしきたりから外れた申し出だった。更に、三女のチャヴァはあろうことかロシア人学生のフョートカ(神田恭兵)と結婚したいと言い出す。民族の絆を何よりのよりどころにしてきたテヴィエにとって、看過し難い出来事が打ち続き、娘たちそれぞれの恋がテヴィエのアイディンティティを揺さぶる中、遂にアナテフカのユダヤ人たちにも、生活の全てを奪われる出来事が降りかかって……

『屋根の上のヴァイオリン弾き』は2025年2月28日、尊い使命を一旦終えた二代目帝国劇場が、「ミュージカル」というジャンルを日本に大きく根付かせることになる、きっかけのひとつを作った作品だ。初演から長くテヴィエを演じ続けた森繁久彌は、言うまでもなくスター芝居華やかなりし頃の大スターで、プロローグの「伝統の歌」の後、蹄鉄を弾き飛ばされた馬の代わりに自ら荷車を引いてテヴィエが登場する場面では、当然のように「森繁!」という掛け声が客席から飛んでいたものだ。だがその掛け声はいつしか「テヴィエ!」と変化していき、実は非常に示唆的な重いものを持ったタイトルを「森繁が屋根の上でヴァイオリンを弾く物語」と誤解されてさえいた作品は、ひたひたと日本に定着していく。学生パーチックの名前をテヴィエが「ピーチックさん」と言い間違える、日本語でなければ、森繁でなければあり得なかった、良い意味でベタなアドリブが、今も定番の台詞となっているのも、いつからか「日本式ロングラン」と呼ばれるようになった、長い年月をかけて断続的に再演を繰り返すことで、作品が日本の演劇界に根付いていったことの証のようでもあり、なんとも感慨深い。そんな大スターの集客力と、求心力と、遊び心に牽引された作品は、思えば、民族の対立と迫害が描かれる決して明るく楽しいだけのストーリー展開ではない。けれども作品を離れたスタンダードともなっている「サンライズ サンセット」を頂点とするミュージカルナンバーの数々によって、時に生き生きと弾け、時に心揺さぶる美しさに満ちたエネルギーに満ちた舞台は、「ミュージカル」というジャンルの持つ醍醐味を豊かに知らしめながら、西田敏行へ、そして市村正親へとバトンをつなぎ、帝国劇場から日生劇場へとところを変えつつ、胸を打つ普遍的な、家族の愛の物語として受け継がれてきたのだ。
そんな『屋根の上のヴァイオリン弾き』が、二代目帝国劇場閉館から僅かに1週間後、東宝が三代目帝国劇場竣工までの建設期間、提携を結んだやはりスター芝居の殿堂・明治座で上演される最初の作品として初日を開け、いま上演が続いていることは、ただの偶然とはとても思えない。実際、歌舞伎、歌手芝居、スター芝居、2.5次元、オリジナルミュージカルと、極めて幅広い演目を上演している明治座の劇場空間に、この作品の良い意味でプリミティブな香りは抜群に似合い、親から子へ、子から孫へと受け継ぎ、つないでいく絆の大切さを静かに説いているかのようだ。何よりも、民族同士の対立が激化を極める一方の2025年、ある意味では「迫害に合う悲劇のユダヤの民」というだけの解釈が難しくなっているいまの時代に、互いの宗教や文化や、何よりも誇りを尊重しつつ、異なる民族同士が認め合える未来を模索すること。極めて不安定な屋根の上ではなく、大地に立って伸び伸びとヴァイオリンを弾き、多くの民族が共に歌い踊れる日を、願う心だけはせめて忘れてはいけないとの想いを、テヴィエ一家が歩む未来への一歩が新たにしたのは、作品が歩んできた道のり、日本で『屋根の上のヴァイオリン弾き』が果たしてきた使命あったればこそだろう。
そんな作品で、2004年からテヴィエを演じ続ける市村正親は、個性派中の個性派として躍進してきたエネルギッシュさを長く魅力にしてきた人だが、テヴィエとしての初登場時から今日に至る道のりで、どこか軽やかに削ぎ落されたものを身にまといはじめていて、日々神と対話し、家族を愛し、恐妻家の面を持ちつつ、家長として、また民族の一員としての矜持を保ち続けるテヴィエを飄々と演じている。冒頭で「パパ、ママ、息子、娘」のあるべき姿をミュージカルナンバーとして提示している世界観のなかで、誇るべき「パパ」としてのアイデンティティが娘たちの恋によって崩れていくなか、どうしても譲れない一線があるテヴィエの苦悩には胸締め付けられる。それでもテヴィエが心の底では娘を変わりなく愛し続けていることを、無言で伝えてくる姿には涙を禁じ得ない。この作品と役柄に必要不可欠な愛嬌を持っている役者であることも、改めて貴重に感じられた。

その妻ゴールデの鳳蘭は2009年上演時から市村テヴィエと夫婦として舞台に立ち続けていて、これぞゴールデンコンビのベストマッチぶりで魅了する。特に豊かに動く表情で、テヴィエが恐れるのがわかる「ママが一番強い家庭は平和」というひとつの定説を体現している姿が何より印象的だった、これまでの上演での美点は損なわないまま、離れざるを得ない我が家の床を最後まで磨くと言い張り、何も知らず旅に出ることを喜ぶ下の娘たちに、ここはまだアメリカではないのだから、お行儀よくしなさい、と説く姿に、生まれ育ったアナテフカのユダヤの民であることへのゴールでの矜持がよりくっきりと表れるようになったのに目を見張った。同じ役を演じ続ける過程で、役を手の内に入れるのではなく、どこまでも深めていく大ベテランの真摯な姿勢に感銘を受けた。

彼らの三人の娘たち長女ツァイテルには初役の美弥るりかが扮した。宝塚の男役スターとして活躍したのち、ジェンダーに殊更こだわらず、表現者「美弥るりか」のアンテナに適う様々な役柄を演じていて、直近の明治座出演では燕尾服を着こなすミステリアな執事役を演じていたが、このツァイテル役では一転、両親を敬いつつも親の決めた縁談ではなく、幼馴染で愛を育んできた仕立て屋のモーテルと結婚したいという決意を秘めた女性を芯の通った柔らかさで表出して実に魅力的。特に大きな瞳が雄弁に思いを語る美弥の美点が、台詞のないところでのツァイテルの心情や、喜怒哀楽を十二分に伝えて、非常に見応えのある長女像になった。

次女ホーデルの唯月ふうかは、三女チャヴァとして初登場したのち、前回公演からホーデルを演じていて、これまでにホーデルを演じてきた歴代の俳優陣が持っていた、学生パーチックへの一途な愛に突き進む強さを、その歴代で最も少女性の強い個性のなかから表出していて、初役だった前回公演から長足の進歩を感じさせる。非常に美しいがキーが高く難曲としても知られる「愛する我が家を離れて」も盤石な歌唱で切々と聞かせ、娘の行動が納得できない気持ち以上に、進む道の困難が僅かでも少ないようにと神に願いを託す、市村テヴィエの深い愛情の表現がより強まったことも併せて、涙なくしては見られない名シーンをより深めた。

三女チャヴァの大森未来衣も今回が初登場。2024年オリジナルミュージカル『イザボー』で残した印象は鮮烈で、ミュージカル界で必ずや活躍してくれるだろうと思った通りの役付きを得て、穏やかで優しく、好奇心旺盛で本を読むのが好きという三女役を丁寧に演じている。大森の笑顔がより少女を感じさせることが、唯月ホーデルとの好バランスを生んだキャスティングの妙も光り、ついに民族の壁を超えるチャヴァのなかにあった、誰より強い信念を静かに表現した好演だった。チャヴァとロシア人青年フョートカの選択が、遠い理想に一歩でも近づく道標となることを祈りたい。

ツァイテルと結婚する仕立て屋のモーテルの上口耕平は、前回公演からの続投。初めてキャスティングを聞いた時には「パーチックではなく?」と軽い驚きを覚えたものだが、気が弱く思ったことをなかなか口に出せないモーテルが、ツァイテルへの愛故に遂に思いを爆発させ結婚の承諾を勝ち取る、おどおどとした態度からの豹変が見事だし、喜びを爆発させるソロナンバー「本当の奇跡」は、踊れる人ならではの躍動感に満ちて、モーテルとツァイテルが生み出す多幸感が劇場中を満たす名場面になった。物語全体を通じてもモーテルが成長していく姿がきちんと表れているのも素晴らしい。

人間はみな平等であるべきとの信念を持ち、革命に身を投じる学生パーチックの内藤大希は初登場。豊かな歌唱力を何よりの武器としている人だが、どこかのんびりとしたおおらかさがある持ち味を封印して、自分の信じるところにも、能力にも自信を持っているパーチックの高い自負心を表現しつつ、決して尖り過ぎないところに内藤ならではのパーチック像がある。時折見せるキリリとした表情も魅力的で、新たな内藤大希の魅力を観る思いがした。

三女チャヴァと民族を超えた恋をするロシア人学生フョートカの神田恭兵は、女の子の癖に本なんか読んで、と言われてしまう時代に、読書を愛好するチャヴァに心惹かれ、いつか声をかけたいと願っていたフョートカの心情を少ない出番で的確に表現している。テヴィエと肉屋のラザールがツァイテルの結婚について話し合い、大騒ぎの酒盛りに発展する大ナンバー「人生に乾杯」で、かつてはオペラ歌手が客演していたテナーのソロパートをフョートカの神田が受け持つようになって以来、祝い事を民族の分け隔てなく享受しようという展開も、フョートカのユダヤ民族を下に見ない心情もよりくっきりと表れるようになり、のびやかな歌唱と共に作品のテーマを深めている。

ツァイテルに思いを寄せる肉屋のラザールとして、久々に作品に帰ってきてくれた今井清隆は、テヴィエより年上の立場で、ツァイテルを後妻に迎えたいと申し出る金持ちの肉屋を、どこか愛嬌を持って演じているのが今井の持ち味を感じさせる。この縁談話が壊れた以上に、元々テヴィエとは反りが合わないという設定だが、それでも故郷を同じくする同胞として、彼らが互いを認め合っていることが伝わる絆に心を打つものがあるのは、今井清隆という俳優の根底にある温かさ故だろう。

そんなテヴィエ一家と、色濃く関わる人々を中心にした作品のなかで、アナテフカのユダヤ人たちに長く役柄を演じ続けている俳優が多く、その存在が『屋根の上のヴァイオリン弾き』を観たという思いを深めてくれる。中でも、仲人を生業としているイエンテの荒井洸子が、人と人を結びつける仲人という役割の大切さを信じる心が、ある種のアクの強さ以上に前に出てきたのが歴史を感じさせる。噂話好きなアブラムの石鍋多加史、ロシア人巡査部長という立場上、しなければならない行為ほどには残酷な人間ではないものの、民族に対する差別意識に悪気がないからこその怖さを感じさせる廣田高志、ツァイテルとモーテルの結婚を許可してしまったテヴィエが、ゴールデを説得する為にでっちあげる悪夢のエンターテイメント性を存分に高めるフルマセーラの園山晴子、ラビの息子としての気位の高さを自然に見せるかとりしんいちら、お馴染みの展開を支える面々が頼もしい。なかでもこれまで得意のダンス力を生かし乞食のナフムを持ち役にしていた山本真裕がユダヤの民が敬愛するラビ、司祭役として初登場し、オリジナルキャストの益田喜頓をどこかで彷彿とさせるとぼけた可笑しみが好印象。ラビとして確固たる信念を示す場の強さが前に出るとより役柄が引き締まるだろう。期待したい。
またモールチャの祖父江進が自然に醸し出すミュージカルらしさをはじめ、日劇ダンシングチームがダンス場面を担っていた、日本のミュージカルの黎明期から「ミュージカル界」を支えてきた真島茂樹の振付がいまも生き続け、品川政治、谷本充弘、加藤 楓、大森輝順、佐々木誠、附田政信、鈴木結加里、真記子、楢原じゅんや、真田慶子、飯田一徳、竹内晶美、飯塚杏実、大山五十和、井坂泉月、西口晴乃亮、清水錬、吉井乃歌、宮島里奈、東菊乃らが見事に踊り継いでくれていることも嬉しい。

極めて重要なヴァイオリン弾き役を怪我の為休演している日比野啓一の一日も早い回復を祈ると共に、代役を見事に務める下道純一の献身にも敬意を払いたい。全体に、長く日本版演出を担う寺﨑秀臣の決して奇をてらわず、古典であり、現代にも通じる家族の物語をシンプルに届け続ける姿勢も美しく、新たな時代へも連綿と引き継がれていく誇りを持った、記念すべき年のはじまりに相応しい『屋根の上のヴァイオリン弾き』だった。

(取材・文・撮影/橘涼香)
ミュージカル『屋根の上のヴァイオリン弾き』

■台本:ジョセフ・スタイン
■音楽:ジェリー・ボック
■作詞:シェルドン・ハーニック
■オリジナルプロダクション演出・振付:ジェローム・ロビンス
■翻訳:倉橋健
■訳詞:滝弘太郎・若谷和子
■日本版振付:真島茂樹
■日本版演出:寺﨑秀臣
■出演:市村正親 鳳 蘭
美弥るりか 唯月ふうか 大森未来衣 上口耕平 内藤大希 神田恭兵 今井清隆 ほか
<東京公演>
2025年3月7日(金)~29日(土) 明治座
〈全国ツアー〉
2025年4月5日(土)~6日(日) 富山・オーバード・ホール 大ホール
4月11日(金)~13日(日) 愛知・愛知県芸術劇場
4月19日(土)~20日(日) 静岡・富士市文化会館ロゼシアター 大ホール
4月24日(木)~27日(日) 大阪・梅田芸術劇場 メインホール
5月3日(土)~4日(日) 広島・上野学園ホール
5月9日(金)~18日(日) 福岡・博多座
5月24日(土)~25日(日) 宮城・名取市文化会館 大ホール
5月31日(土)~6月1日(日) 埼玉・ウェスタ川越 大ホール
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