劇団5454(ランドリー)主宰、春陽漁介(しゅんよう・りょうすけ)は劇団を立ち上げて11年目になるものの、演劇業界にあまり顔が広くないと自負しているという。そんな春陽が鵜山仁(うやま・ひとし)氏と出会ったのは、2023年春、下北沢「劇」小劇場で行われた、若手演出家コンクール2022の最終審査の場であった。
最終審査に向けて生み出した中編『宿りして』は、コンクールを通した縁によって、2023年12月に札幌での再演が決定している。また劇団5454としては、11月10日から赤坂RED/THEATERにて、「出産」をテーマに描く挑戦作『結晶』の上演も控えている。春陽と劇団員は二作品の創作を行うこの時期に、現代において演劇をよく知り、第一線で活躍する人物から改めて、自分たちが身を置く演劇という世界の話を聞きたいと考え、鵜山氏へ対談をオファー。快諾の末、本記事の公開へと至った。
対談会場は、劇団5454のホームとも言える赤坂RED/THEATERの客席。
数々のシェイクスピア作品や井上ひさし作品、オペラやミュージカルまで幅広く手掛け、文学座を代表する演出者である鵜山氏から春陽が得た新たな見地とは? 意外とおしゃべりで端々に茶目っ気が溢れる鵜山氏との、ざっくばらんなトークをできるだけそのままにお届けする。
(文・堀萌々子(劇団5454)
演出「家」と、演出「者」
鵜山「今おいくつですか」
春陽「36歳になりました。そこそこいい年齢になりました。36ってどのあたりなんですかね? 若手ですか? 中堅ですか?」
鵜山「演出やってる分にはわりと若手な方かな。少なくとも40代ぐらいまで若手って言われているみたい」
春陽「なるほど。若手演出家コンクールや劇作家協会もそうなんですけど、『自分を若手と思う者』っていう応募条件があるじゃないですか。あれが未だによくわからなくて」
鵜山「どうしようもないですよね」
春陽「(笑)」
鵜山「大体演出家って、これもちょっと気取っているというか。僕、演出家って言われるのあまり好きじゃないんですよ」
春陽「え、そうなんですか。なんでですか?」
鵜山「なんかね、ちょっと『一家を構えてる』みたいだなって。もうちょっと何ていうかなあ、背後霊みたいな存在なので。『家(か)』って言うと基礎作ってお家建てて……みたいな感覚があるんだけど、そういうことは一切ないんで。僕文学座っていう劇団に所属してるんだけど、劇団でもちょっと浮遊してる感じだし」
春陽「そうすると、なんて呼べばいいんですかね?」
鵜山「だから本当はね、演出者とか。」
春陽「演出者か。なるほど。」
鵜山「作者とか役者とか、たまたまこの時はこういうポジションですよっていう感じが、なんかかっこいいなと思ってるんですけどね。それこそ赤坂レッドシアターで思い出したんだけど、僕、2012~3年辺りで2回レッドシアターでやってるんだけどね。『地人会新社』っていって文学座の先輩の、木村光一さんという昭和一桁台の演出者が元々おやりになってたプロデュース団体なんだけど、木村さんは大体あんまり、演出家って言うのがお好きでないって言っていて、『あ、確かに』って。例えば井上ひさしさんは自分を作家ではなく作者って言うんですよね。歌舞伎だと狂言方っていうけど、そういう風にこの役回りをたまたまやっているっていう方がかっこいいよなと。『俳優』って言うのはなんだかあれだけど、『役者』だとすらっと言えちゃうような感覚があるじゃないですか」
春陽「確かに。僕のぱっと感じた印象だと、『作者』はその作品を書いた人っていう風に作品に紐づいているイメージで、『作家』だと仕事にしてるっていうイメージがあるんですよ。けど、役者とか演出家で気にしたことはなかったですね」
鵜山「演出っていうのが、なんか職業として確立してると思えないんですよね。」
春陽「ああ、確かに」
鵜山「それなのに演出家とか、言ってていいのかって」
春陽「(笑)」
作・演出は分捕りすぎ?
春陽「日本の作・演出両方ともやる文化ってあるじゃないですか。演出だけやる人って本当に少ないし、演出家ってものが全然確立されてないような気は僕もしてるんですけど、そこについてはどうですか?」
鵜山「僕の年代より前は結構、演出をプロパーでやってる人って少なくなかったんですけどね。僕自身も翻訳はやることもあるので全く書かないわけじゃないんだけど、そうですね、やっぱりその……作・演出っていうのはちょっと分捕り過ぎなんじゃないかと」
春陽「分捕り過ぎ!(笑) やりすぎですかね(笑)」
鵜山「演劇ってどうせみんなで寄ってたかって、ごちゃごちゃ言ってるようなものだから……。(春陽に向かって)あれ、作・演出?」
春陽「はい、作・演出やってます(笑) 字面だけだと僕ばっかりが作っているような見え方になってますけど、劇団員もそうだし、その時関わってくれる役者からのアイディアをとにかく沢山もらって作っているんで……でも分捕りすぎかあ……。まあ確かに、とも思います(笑)」
鵜山「それはちょっと、根っから不当なことだと思ってる」
春陽「なるほどなるほど(笑)」
鵜山「人間同士のバランスに反するというか。そんなに権力というか、票数が一つところに固まってるのは、何か面白くないだろうっていう感じ」
稽古の準備で欠かせないこと
春陽「ご自身でオリジナル脚本を書くこともあるんですか?」
鵜山「うーん、何かね、ストーリーに全く興味がないんですよね。人の書いたストーリーに『なんでこれは面白いんだろう』って逆撫でするのは好きなんだけど。たまに戯曲審査とかの役目が回ってきても、ストーリーってほぼ興味もないし覚えてもいないし……」
春陽「そうなんですか(笑)」
鵜山「実際に自分が演出っていう仕事をやっていても、ちゃんと本を読むのは立ち稽古の前日から。一応一週間くらい読み合わせするんですよ、新劇系だから。真面目に聞いてはいるんですけど、『なんでここがこういうことになるのか』とか、ちょっと神経質に考えるのは本当に立ち稽古の前日っていう感じで」
春陽「一応自分の中でピックアップはしていくってことですね。稽古場で初めて『なんでだろうな』っていうことじゃなく」
鵜山「そうですね、試行錯誤みたいなことはある程度。特に小道具をどっから出すかっていうことは考えてから行かないとえらい目に遭うんですよ」
春陽「先に小道具というか、ミザンスを考えていく」
鵜山「大道具のこととかって役者がほぼ気にしてないじゃないですか。だけど、小道具のお金は財布から出すのか、箪笥から出すのか、っていうのは大問題だから。箪笥を置けないような設定にしてたらもう地獄ですよ。役者が上手から出るか下手から出るかということは大したことじゃないんだけど、お金をどこから出すかっていうのは大問題」
春陽「なんだか意外です。稽古が進んでいって『じゃあこっから出すか』ぐらいの感じじゃないんですね」
鵜山「多少役者が強い劇団にいたからっていうこともあるのかな。『これどっから出すんだよ』って役者に言われて、『空中から出します』みたいなコンセプトか『引き出しから出します』みたいなコンセプトか、事前に持っているかどうかで全然違うじゃないですか」
春陽「確かに、確かに」
鵜山「だからそこは、『空中から出してもいいんだ』っていう腹で稽古場へ出ていくか、行かないかっていう違いが大きいですね」
「シカゴ」と裏声と親孝行
春陽「鵜山さん、昔は役者を目指していた時期もあったんですね」
鵜山「そうなんです。僕、舞台芸術学院っていうところを出てるんですけど、東京に18歳で出てきて大学を普通に卒業してから2年間舞芸にいて。そこまでは当然役者やるもんだと思ってた」
春陽「当然役者」
鵜山「でも授業で僕が演じてるとこう、なんか、同期生たちが引いていくのがわかるんですね。どんどん空気が冷たくなっていく」
春陽「そこでなんか違うなって感じたんですか?」
鵜山「うん、違うなって。そんな先生もあんまりいないと思うんだけど、『君はその、芝居をやっていくのはいいけど役者はやめた方がいい』ってちゃんと言ってくれる人がいて」
春陽「そんなにちゃんと……でもいい人ですね、それは」
鵜山「そこから紆余曲折あるんですけど、結果文学座を受けた時には、演技部と演出部とではっきり分かれてるんでね。僕らの時代は演技部十何倍とか、下手すると二十倍とかそういう倍率だったから、到底入れないだろうと思ったし。だから演出部から演技部へ転科しようなんていう目論見の奴も少なからずいたんですよ。僕もともかく演出部を受けてみようっていうことで、そこからは一応演出をするんですけど、途中で一回だけ東宝のミュージカルに出たことがあって」
春陽「へえ!」
鵜山「これ、さっきちょっと上野で親戚と会ってたんで、その時話したばっかりの話なんですけど」
鵜山「カウンターテナーの役だったんです、裏声で歌う役。僕がそういう声が出るって知ってる音楽監督が東宝にいて、オーディションに行くことになったら、『これをオクターブ上で歌ってくれ』っていうから『えーっ』と思って、ちょっとしばらく練習してきますって。その頃母親が具合が悪かったんで実家で看病をしてたんだけど、裏声で「Ha〜~」ってやってたら、田舎だし筒抜けで。『あそこはお母さんは重篤な病だし、息子はあんな声で歌うたってるし……』みたいなそういうことがあってね。それで尚且つ僕、これ自慢なんですけど、帝劇にも出て名古屋で中日劇場に出て、大阪で梅田コマ劇場に出て」
春陽「めちゃめちゃすごいじゃないですか」
鵜山「穴埋めだったから二人(ダブルキャスト)だったんだけど、僕は奈良出身だから大阪の梅コマでやったときに……なんでこんな話してるんだろう?」
春陽「役者目指してたっていう話ですね(笑)」
鵜山「そうそう。それで母親が結局その後死んじゃって、母親の姉がね、僕の叔母が梅コマに観に来たんだけど、その時の僕の役が女装して裏声で歌って、衣裳の引き抜きで最後に男だってことがわかる結構儲け役で」
春陽「面白いですね」
鵜山「『シカゴ』っていうミュージカル。そしたら、本番が終わって楽屋へ来た叔母が泣くもんだから何でか聞いたら、僕の母親に『ふくらはぎがそっくりだった』って。叔母の死んだ妹に」
春陽「随分ピンポイント」
鵜山「これは珍しいな、親孝行だったなって」
春陽「それは確かに親孝行でしたね」
鵜山「いやあ、そんなところを見てるんだなと思ってちょっとびっくりしてね。それでなんていうかなあ、現実の個人的なモノの見方っていうのとフィクションとがこう、ぐちゃぐちゃになってるじゃないですか芝居って」
春陽「はい」
鵜山「だから、メタシアターってよく言われるような、『宿りして』みたいに演劇自体について自己言及するタイプの芝居がやっぱりすごい好きなんですよ。ふくらはぎが似てるっていう現実がフィクションの世界とどういう関わりがあるんだろうっていうね。『宿りして』は最初っから夢と現実っていう部分についてのテーマをバーンと出してきて、そのまま最後までずっと繋がっていくのが、いろんなセンスとかもあるんでしょうけど、すごく面白かった」
春陽「嬉しいです」
舞台の虚飾と目の前のリアル
鵜山「初めて見た翻訳劇っていうのが、高校に入ったばっかりの頃で。大阪まで行って観に行ったんだけど、『劇団雲』っていう今の『演劇集団円』の前身みたいな団体だね。それで初めて翻訳劇を観たら、なんだかイタリア語で「来い、ベルトルド」とか言ってるわけですよね。ご多分に漏れず僕も『なんていう世界なんだ』と思って。やっぱりおかしいよね」
春陽「そうですね(笑)」
鵜山「しかもそれが神聖ローマ帝国のヘンリー四世を演じてる宮廷を演じてるイタリア人の……っていうなんだかややこしい構造で、しかもそれを大阪で観ている日本人の僕っていう。そういう虚飾に、虚構に満ちた世界の中で、吸ってる煙草の煙だけはすごいリアルなんですよ。それと兵隊、番兵みたいなのがいてね、サンダルみたいなの履いてて。あの日結構近いところから観てたのかなあ。そっからはみ出てる太ももが妙にリアルなんだよね。このリアルと嘘っぽい世界の対比は一体なんなんだろうと」
春陽「うんうん」
鵜山「あと、さっき話に出てきた叔母が実は声楽家だったんだけど、僕が四つか五つの頃大阪で叔母の発表会を観に行ったら、こんなひらひらした服着た結構重量感のある女性たちが出て来て」
春陽「重量感のある(笑)」
鵜山「『Ah〜〜』って歌ってる世界が奇妙で、大人ってなんでこんな奇妙なことやるんだろうって」
春陽「確かに」
鵜山「そういうところからしか、劇的だって感じられなくなっちゃってる。今でもそうなんですけど」
春陽「いや、奇妙ですよね。舞台っていうか物語って、基本的にお客さんに嘘をついてもらう部分がいくつもあるじゃないですか。嘘じゃないものを見せたい、けど嘘をつかなきゃいけないしお客さんにも嘘をついてもらうっていう。シェイクスピアとか、日本人が外国人を演じるお芝居って観ている側からも嘘をつきに行かなきゃいけない気がして、なかなかノれないな、見づらいなって思うことが多かったんですよね。でも、この前鵜山さんの『夏の夜の夢』を観させていただいて、その嘘が無理しなくて済む嘘というか、何だか不思議な感覚で。『シェイクスピアの良さを見せる』とか『シェイクスピアを理解しなきゃいけない』じゃなくて、目の前で起きていることを一緒に『面白いだろう?』って言ってくれてるような新しい感覚だったし、すごくわくわくして観続けられた要因の一つだなと思います」
鵜山「ありがとうございます」
春陽「『宿りして』でも、お客さん自身が作品を信じてくれる、ということについて描いていて、お客さんが客席から見てわかっていることが舞台上の登場人物たちにはわからないっていう、舞台と客席の優位性を変えたいというか。お客さんの方が上にいるっていう感覚を、しっかり使ったお芝居が作ってみたいなと思ってたんです。演出家コンクールだったらそれが面白いんじゃないか、審査されるからこそこれができるんじゃないかと思って作った作品だったので、今日のお話を聞いていると『ヘンリー四世』と『宿りして』が繋がっているような気がして、なんだか面白いですね』
シェイクスピアの言葉の呪力
春陽「『すごい良い台詞』ってあるじゃないですか。言葉だけ切り取って『あ、この台詞いいな』って思うことはよくあるんですけど、この作品はこの台詞から始まったな、で、このタイミングで言ったら効果がないから段階を経るためにこのシーンで言ったな、っていうのがわかると、すごく良い台詞だからこそ残念というか、冷めちゃうことがあって」
鵜山「ありますね」
春陽「それよりも、その登場人物が一つ前の台詞をきっかけに思わず言ってしまった言葉がすごく腑に落ちるってことが多々あって」
鵜山「はいはいはい」
春陽「もし台本上で見たら『この人なんで今これ言ったんだろう?』って思うであろう台詞が、舞台で見ると言うべくして言った言葉になっている時に、すごく心に刺さるなという感覚があるんですよね」
鵜山「すごくありますよね。それとは逆に、その台詞を言うためにこの場面があるっていうような、話者が計算でやっている場合もある。要するに、そのリアリズムのレベルのままで、最終的にその台詞に行き着くための紆余曲折がちゃんとしていれば、逆にその台詞が生きるみたいな面もありますよね。シェイクスピアはすごく面白いんですよ、そのあたりが」
春陽「シェイクスピアと現代劇の違いについてもお聞きしたかったんです」
鵜山「そうだなあ。シェイクスピアは、多分特徴の一つに字数がかなり多い……って言っても、例えば野田秀樹君だって字数多いし一概には言えないんだけど。要するに、色んな関係性を全部言葉で言っちゃうから多くなる。『おお、陽が昇ってきた』みたいな、今だったら照明が変われば済むことを全て言葉で言っちゃってるって面もあるんだけど、なんというか、世界の捕まえ方がアナログなんですね、すべからく」
春陽「世界の捕まえ方」
鵜山「つまり、自分が感じたことや目に見えたことをすべて共有するために、もう一回自分の身体を、台詞を言っている身体のフィルター通すってことをしないと世界を受容できないみたいな、そういう感覚があった時代だと思うんです。今は一瞬でその世界のビジュアルがわかっちゃうから。作られた風景との会話だけで、その風景の奥に何があるかっていうことはリサーチしなくてもよくなっちゃうけど。だからシェイクスピアの台詞は『呪文』なんですよね、多分」
春陽「呪文ですか」
鵜山「そういう時代というか、『ジュリエットは太陽だ』って言ったときに太陽がぐーっと近づいて、太陽の熱を感じられるかどうかっていう。例えば、「ジュリエットを太陽たらしめよ」みたいなとことを言って、舞台の上で『太陽ちょっと出てくれませんか』みたいな感覚をやりたかったんですよ。だから比喩が比喩じゃないっていうかね」
春陽「……ちょっと、どういうことかわからなくなっちゃいました(笑)」
鵜山「(笑) 『バラの花のように美しい』って台詞で言った時に、バラの花とその美しい当人が逆転しちゃうぐらい肝を入れないと駄目だっていう話」
春陽「なるほど。その一人の役者が思い込むっていう話……ではないですよね……?」
鵜山「まずは、相手役と芝居のキャッチボールをした時に、バラの花が背後に1,000本見えるって思っちゃうことですよね」
春陽「思っちゃうこと」
鵜山「うん。要するに音だから。言葉というよりも音声というか音だから言われた方もそんな気がしたり、言った方もイメージをちゃんと持っていると相手と共有ができて、バラの花1,000本ぐらい出現するから。相手と共有できると、お客さんも共有してくれるっていう」
春陽「なるほどなるほど」
鵜山「また話が変わりますけど、『台詞が聞こえない』っていうすごく本質的な駄目出しがあると思うんだけど、一番厄介なのはお客さんに嫌われてること。嫌われると台詞が聞こえないんですよ。滑舌が悪いとか声が小さい大きいとか、劇場の条件とか、色々な原因があることにはあるんだけど、そんな諸々の条件をすっ飛ばして、お客さんに好かれると台詞が聞こえるし、好かれないと聞こえない。じゃあ好かれるためにどうしようかっていうと、身内の人ばっかり集めて芝居やるのもいいけどね(笑)そうじゃなかったらやっぱり、相手役とキャッチボールすることですかね。何かその辺の演劇教師みたいな話になっちゃって恐縮なんだけど」
春陽「いや、僕もそういうものだと思います」
鵜山「だからどういう台詞であれ、それを相手やお客さんと共有するってことができれば世界はどんどん広がるし、このレッドシアターが宇宙になるってことも、当然のようにある」
春陽に期待すること
春陽「最後に、春陽に今後何か期待していただけることってありますか?『宿りして』の記憶だけでこんな質問恐縮なんですが」
鵜山「そうですね。今日のことがあるからもう一回動画で見直したんですけども」
春陽「すみません、ありがとうございます」
鵜山「最後の15分ぐらいからやっぱり結構薄いんですよ。これ何でなのかなと思ったんだけど、何となくね、そこまでは相手役とのキャッチボールがすごく活きてるんだけど、それがだんだんと薄くなっていく感じがあって。作品の最後まで、どこまでキャッチボールできるかっていうことを追求すると、何か別の結論というか別のワールドが見えてくるんじゃないかなと思いました。春陽君にっていうことじゃなく、あの作品に限って言えばまだ伸びしろがあるのかなと」
春陽「ありがとうございます。本当にどの作品でもそうなんですが、セットアップの時間、作品の世界観が出来上がるまでがすごく好きなんですよ。お客さんと一緒に『この話ってここがルールだよね』とか、『リアリティラインはここだよね』とか、『こういう出来事が起こったら次こういうトラブル起きるよね』とか、そういう部分を共有する作業がめちゃめちゃ好きで。その中で登場人物に変化があって、キャラクターが動き出すっていうのが好きなんですけど、後半というか物語の結末のところにはほとんど興味ないというか(笑) そこへの情熱がどんどん他へ割かれちゃうんですよ。だから、仰っていることはすごくわかります、というか刺さりますね」
鵜山「今はまだ興味がないということなのか、どうなのかわからないけどね。そこをもう一つ行くとその先に、何だか変な世界が見えたりするんじゃないかっていう気がしたんですよね」
春陽「ありがとうございます。札幌での上演に向けて、頑張ります」
鵜山「いえいえ」
プロフィール
鵜山仁(うやま ひとし)
慶應義塾大学文学部フランス文学科卒業。
舞台芸術学院を経て文学座附属演劇研究所に入所(17期)/1982年、座員に昇格。
ウィット溢れる演出術で俳優の意外な一面を引き出す手腕と、言葉から着想される膨大なイメージをあらゆる表現・素材を使って劇空間に現出させる力に定評がある。
2004年、第11回読売演劇大賞の大賞・最優秀演出家賞を受賞。その後も休む間も無く傑作を生み出し続ける。2007年6月~2010年8月、新国立劇場の第四代演劇芸術監督を務める。
主な代表作に『グリークス』(第25回紀伊國屋演劇賞団体賞)(文学座)、『コペンハーゲン』(新国立劇場/第9回読売演劇大賞優秀演出家賞)『父と暮せば』『円生と志ん生』(以上こまつ座)『ヘンリー六世』(新国立劇場)またオペラやミュージカルなどの演出も手懸ける。
2020年、紫綬褒章受章。
春陽漁介(しゅんよう りょうすけ)
日本大学芸術学部出身。イキウメ前川知大氏に師事し劇作を学ぶ。 劇団5454の全作品の脚本と演出を担当。
外部の活動では、アミューズ製作 舞台『青春cm2』、MMJ企画『プロパガンダゲーム』など多数の商業演劇他、 映画やアプリゲーム、WebCMの脚本、またEvery Little Thingsの20周年 アルバム豪華版にて、持田香織の歌詞を物語にする「リリックストーリー ブック」を執筆するなど、舞台に限らない。
その他、芸能事務所の俳優養成所や高校演劇部の講師、俳優業やラジオ構 成作家、FMヨコハマのラジオDJなど多岐にわたり活動中。
若手演出家コンクール2022にて優秀賞を受賞し、その際に書き下ろした中編『宿りして』は、札幌で開催される『弦巻楽団 秋の大文化祭!2023』にて上演予定。また、11月10日から赤坂RED/THEATERにて出産をテーマにした新作『結晶』を上演する等、精力的に新作発表を続けている。
公演情報
◇鵜山仁
シェイクスピア、ダークコメディ交互上演
『尺には尺を/終わりよければすべてよし』
2023年10月18日 (水) ~11月19日 (日)
新国立劇場(中劇場)
https://www.confetti-web.com/detail.php?tid=73908
こまつ座 第148回公演
『連鎖街のひとびと』
2023年11月9日 (木) ~12月3日 (日)
紀伊國屋サザンシアター
https://www.confetti-web.com/detail.php?tid=73894&
・劇団NLT
『二階の女』
2023年12月13日 (水) ~12月17日 (日)
博品館劇場
http://www.nlt.co.jp/stage/nikainoonna2023/index.html
◇春陽漁介
劇団5454
『結晶』
2023年11月10日 (金) ~11月19日 (日)
赤坂 RED/THEATER
https://www.confetti-web.com/detail.php?tid=74362
・弦巻楽団 秋の大文化祭!2023 『宿りして』(札幌公演)
2023年12月1日(金)、2日(土)
生活支援型文化施設コンカリーニョ
https://tsurumaki-gakudan.com/aki23lp/