建て替えるには惜しいくらいの良い響きを誇る初代国立劇場 最後の文楽公演は『菅原伝授手習鑑』を全段通しで上演

 今年10月末の閉場を前にした「初代国立劇場さよなら特別公演」もいよいよ終幕。一足先に9月公演が最後となる文楽公演では、名作『菅原伝授手習鑑』を5月公演に続いて全段通しで上演。これは極めて稀なことで、国立劇場でも51年振りだという。

 舞台では人形遣いが登場人物の人形を操るが、物語からセリフまでの全てを太夫が語り、三味線が情景や心情を描写する。なかでもクライマックスである「切場」を担当する太夫は「切語り」と呼ばれ、太夫の中でも最高位とされる存在。竹本千歳太夫は昨年昇格し、現在居る4人の中で1番若い「切語り」だ。今回の公演では三段目の切場「桜丸切腹の段」を語る。

千歳太夫「この作品はいわゆる天神様、菅原道真公のお話です。道真公は敵対する藤原時平の企みによって大宰府に左遷されるのですが、三段目はそこからの物語です。桜丸は三つ子の兄弟の1人で、図らずも道真公が左遷される原因を作ってしまった舎人。その桜丸が切腹するシーンです。師匠(四代竹本越路太夫)が平成元年にこの段を勤めて引退されました。私にとっては大切なお役です。登場する人々の情にあふれた語り甲斐のある一段です」

 その千歳太夫の横で三味線を弾くのが豊澤富助。もう長いこと千歳太夫との組み合わせで舞台を勤めている三味線方だ。

富助「覚悟を決めて切腹する桜丸、動転して泣く女房八重、そして悲しみの中に息子の覚悟を受け止める白太夫、そういった三者三様の心情をわきまえて、三味線弾きが息で表現しないといけません。千歳太夫くんとは相性がいいのか、ずっと一緒にさせてもらっています。この場面も何度かご一緒していますね。僕は若い時分に全部の太夫さんに総当たりしましたから(笑)。その中で劇場さんの意向もあって(千歳太夫と)組ませて貰っているんだと思います」

千歳太夫「切場は長いですから、長い期間同じ三味線で語るからこそできあがることもあるんです」

富助「三味線弾きから言えば、太夫さんはそれぞれ体格や息の長さ、声の善し悪しなど個人差がありますから。だから同じ相手と何度も演奏することによって、手の内が解るようになりますね」

 そんなお2人はそれぞれ今の国立劇場には深い想い入れをお持ちのはず。

富助「僕は初舞台がここなんです。まだ東京の高校に通っていましたから、特別扱いで東京公演だけ出るようになったんです。1972年のことですね。だから想い出深いです」

千歳太夫「僕は富助さんより後で、初舞台は大阪でしたが、その後すぐに国立劇場でした。ここは本当にいい劇場なんです。響きも良いですし。出来る事ならホールの中身はそのまま残して貰いたいですね」

 太鼓判を押す響きの良さを、閉場前に体験してみたいものだ。

(取材・文:渡部晋也 撮影:山本一人(平賀スクエア))

勝負の日に身に着ける、勝負色はありますか?

竹本千歳太夫さん
「特に色はありませんが、床に上がる時は右足から、素浄瑠璃で舞台に上がる時も右足からと決めています。左足から上がった折、あまり出来が良くないように思い、ここ2、30年は右足から上がっています」

豊澤富助さん
「文楽の太夫三味線人形は一年間に150回以上の舞台を勤めますが、紋付の下は、全員白い襦袢に白い腰巻きを身につけて舞台へでます。これは“死装束のつもりで舞台に上がる為”と先輩から伺いました。私だけでなく毎回の舞台を真剣に勤めている文楽の座員の勝負色だと思っております」

プロフィール

竹本千歳太夫(たけもと・ちとせだゆう)
東京都生まれ。子供の頃から芝居好きの伯母の影響で歌舞伎や文楽に触れ、中学2年生の時に生で聴いた竹本越路太夫の語りに感激して、1978年、縁があって四代竹本越路太夫に入門する。翌年、竹本千歳太夫と名のり、7月に大阪・朝日座で初舞台。2005年1月、八代豊竹嶋太夫の門下となり、2022年4月、切語りに昇格。

豊澤富助(とよざわ・とみすけ)
大分県生まれ、東京都育ち。1971年10月、16歳で文楽協会三味線部研究生となり二代野澤勝太郎に入門、野澤勝司と名のる。1972年に国立劇場で初舞台。1984年4月、五代豊澤富助と改名。国を越えた素浄瑠璃の普及にも力を注ぎ、五代目豊竹呂太夫が1996年に創設した「義太夫節を世界に広める会」にて活動を展開。2000年に呂太夫が亡き後、後を引き継ぐ形で「詁傳の会」と改称。千歳太夫とともに素浄瑠璃の公演を積極的に行う。

公演情報

令和5年8・9月文楽公演

日:2023年8月31日(木)~9月24日(日) ※9月7日(木)・15日(金)は休演
場:国立劇場
料:1等席8,000円 2等席7,000円
  学生 1等席5,600円 2等席4,900円(全席指定・税込)
HP:https://www.ntj.jac.go.jp/kokuritsu
問:国立劇場チケットセンター tel.0570-07-9900(10:00~18:00)

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