2024年度の商業演劇作品で、大きな成果を挙げたスタッフ、キャストに贈られる第50回菊田一夫演劇賞の授賞式が、5月21日都内で晴れやかに開催された。

「菊田一夫演劇賞」は、日本の演劇界に偉大な足跡を残した菊田一夫の業績を永く伝えるとともに、氏の念願であった演劇の発展のための一助として、大衆演劇の舞台ですぐれた業績を示した芸術家(作家、演出家、俳優、舞台美術家、照明、効果、音楽、振付、その他のスタッフ)を表彰する目的で毎年選考されている、世に広く知られた演劇賞。
2024年度の受賞は、節目となる第50回の歴史を刻んだ栄えある機会となり、演劇大賞を受賞した栗山民也、演劇賞を受賞した明日海りお、長澤まさみ、甲斐翔真、上田一豪、特別賞を受賞した伊東四朗、林与一が登壇。菊田一夫演劇賞選考委員会の委員長・中川敬、委員の水落潔、矢野誠一、萩尾瞳、山口宏子、小玉祥子が揃うなか、正・副賞の授与ののち、受賞者全員が、喜びを語った。
演劇大賞を受賞したのは、演出家の栗山民也。対象となったのは、青年貴族から女性へ変貌し、30代から年をとらず16世紀~20世紀を超えて生き続けたオーランドの数奇な人生を描いたヴァージニア・ウルフの同名小説を舞台化した『オーランド』と、1930年代日本統治下の京城(現在のソウル)を舞台に、母国語を奪われた文学者たちの葛藤と闘いを描いた韓国創作ミュージカルの日本初演『ファンレター』。この二作品をはじめ、2024年度の演出の成果に対してという栄えあるもので、栗山は自身が「演劇の力」を感じた瞬間の思い出を語ってくれた。
栗山民也「今日ここで何を話そうかなとずっと考えていたのですが、これしかないと思い浮かんだ思い出話をしたいと思います。35年くらい前ロイヤル・ナショナル・シアターで稽古に参加していました。そこでやっていたのがテネシー・ウィリアムズの『やけたトタン屋根の上の猫』という現代劇で、おじいちゃん役としてエリック・ポーターという、80歳のシェイクスピア俳優が参加していました。彼は5年前くらいに『リア王』を演じていて、久しぶりの現代劇に参加するということで、そういう新しいことをやる俳優や、しばらく舞台を離れていた俳優が、新たな自分を発見する為に通うコースに3ヶ月通い、現代劇を学んでから稽古に臨んでいた訳です。
初めての通し稽古で、1幕に彼は全然出てこないのですが、ト書きに“おじいちゃんの叫びが聞こえる”と書かれていまして、その場にいた30人から40人が、固唾を飲んでエリックの第一声を待っていた訳です。そしてその時が来た時、舞台奥から「うおぉぉぉぉ~」というエリックの声が聞こえました。その瞬間稽古場は大爆笑になって、青ざめて出てきたエリックに演出家が「エリック、それはリア王だよ」と言ったんです。彼はずいぶんがっくり来ていましたが、それから3週間ほど経った頃、若手だけの場面がうまくいかない時に、演出家がエリックを呼んでそっと耳打ちをしたんです。そうしたら何もない空間の中にエリックがふ~っと歩いていって、舞台の真ん中で振り返って「ここは海です」とひと言言ったんです。その時、稽古場にいた30人~40人の全てのひとたちが、そこが海だと思ったと思います。演劇の力と、演劇の本質に出会えた瞬間でした。
何故こんな話をするかと言いますと、該当作品1本目の『オーランド』は、360年生きた女性詩人オーランドが、自分が詩を書くことによって世界を振り返った様を描いたもの。もうひと作品の『ファンレター』は日本統治下の母国語を奪われた、韓国の若き文学者たちの物語です。この二つは演劇の力によって、世界の在り方を問い続けた作品だと思います。本当にひとつ一つの言葉に勇気を受けました。
ノーベル文学賞を受賞された韓国の作家ハン・ガンさんが、新しい作品を創る時にはこの問いを自身につきつけるそうです。「どうやったら世界を抱き締めることができるのか?」これから僕も何年、或いは何本できるかなと思いますけれども、どの作品でも世界を抱きしめるという気持ちを持ちながら、もうしばらくがんばってみたいと思います」
続いて、演劇賞の受賞者のスピーチとなり、トップバッターは元宝塚花組トップスターで、退団後も舞台を中心に精力的な活動を続けている明日海りお。日本でも繰り返し上演されてきた古典と言えるミュージカル『王様と私』の演出家小林香による新演出、新翻訳、訳詞での上演で演じたシャム王の王子、王女たちの家庭教師を務めるイギリス人女性アンナ役。そして、雲田はるこの人気コミックスを小池修一郎がオリジナルミュージカルとして初演した『昭和元禄落語心中』で、兄弟弟子の落語家二人と深い関わりを持つ芸者・みよ吉役。受賞理由となった二つの役柄と、更に2024年の舞台を振り返り、深い舞台愛を語った。
明日海りお「この度は菊田一夫演劇賞という素晴らしい賞を第50回のメモリアルイヤーにちょうだいすることができまして、本当に光栄に思っております。今回評価をしていただいた、昨年演じましたミュージカル『王様と私』のアンナ役、そしてミュージカル『昭和元禄落語心中』のみよ吉役は、私にとりましても、演劇人生でこのタイミングで出会えて良かったと思える役でした。その役として舞台に立った時の思いはもちろんですが、その役を創り上げる過程で色々な方々と出会ったり、意見を交換しあいながら創った時間、すべてを愛おしく思って、心の宝箱にしまっていたものでした。今日こうしてその宝箱を堂々と開けられる機会をいただけて、本当に嬉しく思っています。
昨年は実は、その二役の他にも上田一豪さんとご一緒にミュージカル『9 to 5』という作品を上演致しました。私は本当に舞台が大好きで、人と関わりながら作品を創っていくことが生きがいで、何よりも愛しているので、1年の間にそれだけたくさんの舞台に関われたことが幸せでございます。これからも好きな仕事をずっとずっと続けていけますよう、いつも支えてくださる周りの方に、また劇場に足を運んでくださるお客様に感謝の気持ちを忘れず、私らしく精進を続けていきたいと思います」
映像を中心に多彩な作品で大活躍を続ける長澤まさみは、野田秀樹作・演出でロンドンでも上演されたNODA・MAP『正三角関係』で演じた唐松在良/グルーシェニカ役の二役が高い評価をうけた。19世紀ロシア文学を代表するドストエフスキーの最高傑作『カラマーゾフの兄弟』を入口に、「日本のとある場所のとある時代の花火師の家族」、「唐松族 からまつぞく の兄弟」という新しい物語を創り上げた、野田ならではの作品に臨んだ日々を、「演劇学校に通っているんじゃないか」と例えながら語ってくれた。
長澤まさみ「この度は菊田一夫演劇賞をいただき、とても嬉しく思っております。ありがとうございます。昨年『正三角関係』という作品で、スタッフ、キャストと一緒にひとつの作品を創る機会をいただきました。演劇学校に通っているんじゃないかと思いながらの稽古の日々でした。私は映像からお芝居をはじめましたので、演劇を遠い存在のように感じていた頃もありました。でも「演劇の舞台に立ってみたい」と思い切って1歩を進める勇気を出したことが、今こうして自分自身に返ってきているなと感じる日々を過ごしています。
賞をいただいたことに対して、自分が何をできたんだろうか?と問いかけると、まだまだやらなくてはいけないことがたくさんあるなと思います。ですがこうして素晴らしい賞をいただいたことをこれからの糧に、勇気に変えていまも舞台に立っています。最後まで演じきれる役者であれるように精進していきたいと思います。すべてのキャスト、スタッフに感謝を伝えたいです」
ミュージカル界次世代を担う期待の星の1人甲斐翔真は、帝国劇場を深紅に染めた日本初演のマッシュアップミュージカル『ムーラン・ルージュ!ザ・ミュージカル』で、己の才能だけを信じてほぼ無一文でパリに出てくる若きソングライターのクリスチャン役。双極性障害の母親とその家族の苦闘の日々を描いたミュージカル『next to normal』のゲイブ役。という、双方再演を重ねた人気作品でありながら、全く趣を異にした二作品での評価への感謝と共に、パンデミックに揺れた2020年に初舞台を踏み、今日に至る生の舞台のあるべき姿に思いを寄せた。
甲斐翔真「名誉ある賞を『ムーラン・ルージュ!ザ・ミュージカル』そして『next to normal』僕の大好きなこの二作品でいただけたことを、本当に光栄に思っております。何を話そうかなと考えていたのですが、とにかく僕は舞台への“愛”を伝えたいなと思います。
僕自身舞台にはじめて立ったのが2020年、コロナ禍だったんです。他の機会にも話していますが、自分のなかでは「ド根性シアター俳優」というような気持ちがありまして、お客様も声を出すことや心から笑うことが制限されている、生の舞台にとってはあるまじき、生の空間を制限するというなかで舞台に立ってきました。この『ムーラン・ルージュ!ザ・ミュージカル』ではコロナ禍がだんだん落ち着いてきて、日本のミュージカル界、演劇界に新たな炎を灯したような作品だと思っております。あぁ、やっぱり僕は舞台が、生の空間が好きなんだと改めて感じた作品でもありました。
この二作品に関わった全てのスタッフ、キャスト、関係者の皆様に心から感謝を申し上げたいと思います。これからも生の舞台、“真実の空間”に身を置くということをより多くのお客様とカンパニーの皆様と共有できたら嬉しいなと思っています」
演劇賞最後の1人は演出家の上田一豪。オリジナルミュージカル『この世界の片隅に』と、日本初演の海外ミュージカル『HERO THE MUSICAL』、それぞれに緻密な家族や隣人への愛を綴った作品を繊細に演出した成果を、作品に携わったすべての人の代表としていただけた賞だと思う、との真摯な想いと共に、自身がこの道に進んだ経緯を、ユーモアを交えて語ってくれた。
上田一豪「このような素晴らしい賞をいただきまして本当に感謝しております。僕も何を話そうかと色々考えていたのですが、甲斐翔真くんの演劇愛の話とちょっとかぶってしまったので、いま話すことがなくなって困っているのですが(笑)、僕は子供時代に児童劇団に入っていました。その初舞台でカーテンコールを迎えた時に、こんなに素晴らしい気持ちになるんだ!と思って俳優になりたいと思いました。ただ俳優になるというのはとても大変なんだろうなとも思っていて、舞台に携われる仕事に就ければ人生が満たされるだろうと思い演劇活動を続けてきました。
その時僕の憧れは鹿賀丈史さんで、いつか『レ・ミゼラブル』に出るんだ!と思って上京して、オーディションに臨み、二次審査で皆様にはお会いできたのですが、うまくいかず、でもそのおかげでいまここに立てていることを思うと、(初演演出の)ジョン・ケアードさんに感謝ですね(会場笑い)。
そのあと「東宝」という会社に入り、舞台の片隅に、演出部で仕事を始めたのですが、まだ諦めきれず『モーツァルト!』のオーディションで、ヴォルフガングという役があるのですが……主役ですね(笑)。そのオーディション会場に行きまして、帝国劇場の9階稽古場で「影を逃れて」という歌を唄ったのですが、やはり残念ながら落選したので、(演出の)小池修一郎さんありがとうございます(会場更に笑い)。
そのような感じで演出家になった訳ですが、今回受賞しました『この世界の片隅に』『HERO THE MUSICAL』はもちろん、どんな作品でもキャスト、スタッフの皆様の力を大いに借りていて、演劇作品というのは1人で形にするのは本当に難しくて、クリエイティブスタッフの方、出演者の方々、現場と劇場スタッフの方々みんなで、先ほど翔真くんも言いましたけれども、Liveの空間、生の空間を創るというのは、誰一人欠けてはならないものだと思っています。ですからこの賞は本当に皆さんと一緒にいただけたんだと思っています。お客様にもありがとうございます」
ここから「永年の舞台における功績に対して」の特別賞の受賞者、伊東四朗と林与一が順番にスピーチ。俳優であると同時にコメディアンとしても知られる伊東は、66年の芸歴を笑いも交えながら。関西歌舞伎出身の林は、授与式の際に受け取る楯に扇を添える仕草がとりわけ優美で、それぞれの出自と誇りを感じさせる語り口が強い印象を残した。
伊東四朗「今回の受賞本当にびっくりして、こんなに嬉しかったことはありません。“長年の舞台に対して”ということが、とても嬉しかった。この世界には舞台人になろうと思って入れていただいたので、舞台に対していただけたということが嬉しいんです。芸歴は66年です。どのくらい舞台をやってきたのかとちょっと調べたのですが、その66年間の間、確実に1年に1回は舞台をやっていました。20代の頃は特に400日続けて舞台をやった記憶がございます。それほどですから、舞台は絶対に忘れられません。いま(壇上に上がる時に)手を借りたりしておりますが、舞台に出るとそんなことはすっかり忘れて飛んだり跳ねたりしているので、「あいつ詐欺師じゃないか」と(会場笑い)思われるような、舞台にはそんな魅力があります。
そして66年の半ばに入っては、東宝の(旧)宝塚劇場でずいぶんお世話になりました。浜木綿子さん、八千草薫さん、植木等さんの舞台に出していただいて。中でも一番うれしかったのは三木のり平さんの『雪之丞変化』に出していただいた時です。演劇の、笑いの芝居のやり方を徹底的に教えていただきました。それが後々本当にわたしの役にたったんです。そこから劇団「東京ヴォードヴィルショー」の佐藤B作さんの紹介で「三谷幸喜という若者がいるから観てきてくれ」と言われて、その芝居にびっくりして、その後ずいぶんやらせていただきました。これもわたしにとっては嬉しいことだったんです。そして三宅裕司という人に「座長をやってみないか」と勧められ、座長をやったこともございます。まだまだ元気でやっておりますので、どこかで転んでいるのを見たら助けてください(笑)。
何より嬉しかったのは選考委員の皆さんがわたしを選んでくれたということです。長年舞台を観にきてくださった皆さんのおかげです。皆さんは“伊東家の誇り”です」
林与一「まずわたくしを選んでくださった選考委員の皆様ありがとうございます。わたくしは昭和32年に大阪の関西歌舞伎で初舞台を踏みまして、昭和36年から1年間菊田一夫先生の側近の方から「東宝にこないか」というお誘いを受けました。その時『がめつい奴』という作品がロングランをしておりまして、健太役をやらせるから、というので東京までわざわざ観に来て、この役だったら面白いなと決めた時には『がめつい奴』は終わっておりました(笑)。
昭和37年から色々な舞台に出ましたけれども、菊田先生には褒められたことがなくて、必ず怒られる対象だったので、わたしと同じに怒られている俳優仲間と「菊田先生のことをこれからは“親父”と呼ぼうぜ、そうしたら怒られないんじゃないか」などと話していたほどでした。
わたくしは30年ほど前に菊田一夫演劇賞をちょうだいしております。この度は特別賞ということで、演劇賞というものは良い作品、良いお役に恵まれていただくものですが、伊東さんもおっしゃいましたが、長年役者稼業をしておりましての特別賞というのは「今まで一生懸命頑張ったね、これからも頑張りなさいよ」という激励の賞であり、私個人にいただいたものと思って喜んでいるわけでございます。人生100年、200年に寿命が延びようとしております。ますます精進致しまして、あと100年は頑張って舞台に立ちたいと思います。ありがとうございました」
受賞者たちは、上田一豪の演出作品への関わりが深い明日海りお、甲斐翔真が揃ったこともあって、晴れやかさのなかにも和気藹々の雰囲気。何よりもそれぞれの演劇に対する誠実さ、深い愛情が伝わる言葉の数々が深い余韻を残していて、生の演劇、Liveが持つ力と愛があふれる贅沢な時間が過ぎていった。受賞者の今後の活躍はもちろん、こうした演劇愛が珠玉の作品を生み出し、演劇を観る喜びが1人でも多くの人に伝わって欲しい、そう感じられる授賞式だった。
取材・文・撮影/橘涼香