オリジナルミュージカルの鉱脈を掘り当てた全てがプロフェッショナルな作品 ミュージカル『ケイン&アベル』

2025年1月、鮮烈に登場した世界初演の大作ミュージカル『ケイン&アベル』が、東京・東急シアターオーブ公演を大盛況のうちに終え、大阪・新歌舞伎座公演の幕を開ける。

米国の大ベストセラー作家、ジェフリー・アーチャーの同名大河小説を原作に、日本でも多くの作品が愛され続けているミュージカル界のヒットメイカー、フランク・ワイルドホーンが音楽を。近年やはり日本で多くの演出作品が上演されているダニエル・ゴールドスタインが脚本・演出を務めるのをはじめ、歌詞にネイサン・タイセン、編曲にジェイソン・ハウランド、振付にジェニファー・ウェーバーと、それぞれ世界の舞台で活躍するクリエイター陣が集結。そこに美術の松井るみ、衣裳の有村淳、映像の西田淳ら、日本の舞台に欠かせない才能が加わり、日本人キャストによる、日本語で、世界に打って出ることを可能にするオリジナルミュージカルを生み出そうという画期的な挑戦は、いま大きな感動を呼び起こす舞台として結実した。

【STORY】
一人の女性、フロレンティナ(咲妃みゆ)がアルバムを手に家族の歴史を、引いては20世紀の歴史を回想して、物語ははじまる。

20世紀初頭——ボストンの名家ケイン家に生まれ、銀行家の父の跡継ぎとして祝福された人生を歩むウィリアム・ケイン(松下洸平)。幼くしてタイタニック号の事故で父親を亡くしたものの、その父が遺した「銀行家は、銀行と社会=人に尽くすべき」との言葉を胸に、父の名に恥じない銀行家になるべく学業に専念し、名門ハーバード大学に入学。卒業後はケイン・アンド・キャボット銀行に取締役として入行する。

そんなケインが生まれた奇しくも同じ日にポーランドの山奥で生を受けたヴワデク(のちの、アベル・ロスノフスキ・松下優也)は、貧困のなか劣悪な環境で育つ。やがて戦争によるロシア軍の侵略で孤児となり、幾度も生死を分ける苦難に見舞われながらも、移民としてアメリカにたどり着き、彼の勇気と英知を見込んで、息子と呼んでくれたロスノフスキ男爵が託した代々に伝わる銀の腕輪を拠り所に、アベル・ロスノフスキと名乗るようになる。

ケインは将来を嘱望される銀行家として着々と足場を固め、その過程で知己を得たケイト・ブルックス(愛加あゆ)と結婚。一方アベルはウェイターとして働きながら、持前の忍耐力と頭の回転の速さでコツコツと地盤を築く様を、ホテル王デイヴィス・リロイ(山口祐一郎)に認められ、ホテル経営に携わるなかで移民仲間のザフィア(知念里奈)と結婚する。

異なる場所で、それぞれの人生を歩んでいるかに見えた二人だったが、誰もが株投資に熱狂していたバブル景気は、突然の株価暴落により暗転。大恐慌に見舞われたニューヨークで、巨額の負債の返済を迫られたリロイは非業の死を遂げる。

アベルはこの事態を、リロイのホテルへの融資を断ったケインの非情な判断によるものだと深い恨みを抱き、ケインへの復讐を決意。二人は時代の荒波のなかで対立を深めていき……。

『ケイン&アベル』は、自身の半生での実体験を基にした第一作『百万ドルを取り返せ』の大ヒットにより、一躍ベストセラー作家へと躍り出たジェフリー・アーチャーが書き下ろした三作目の長編小説だ。上質のコン・ゲーム小説である『百万ドルを取り返せ』、大統領暗殺計画をめぐるサスペンス小説の第二作『大統領に知らせますか?』とはガラリと趣を変え、20世紀に起きた歴史上の大きな出来事を背景に、同じ日に全く異なる環境に生まれた二人の男の宿命を描いていく壮大なスケールの大河小説は、ジェフリー・アーチャーの作家としての本領を遺憾なく発揮したものだった。そんな歴史小説であり、ビジネス小説でもある長編を休憩込み三時間のミュージカルとして舞台化する為に、前述したクリエイター陣が定めたのが、作品の根幹を「親と子の物語」に置く視点だった。

物語全体を回想していくのは、アベルとザフィアの娘フロレンティナ。彼女が持つアルバムに貼られた「スナップショット」の1枚、1枚が激動の20世紀の歴史背景と、二人の男の人生が如何にして出会い、交錯し、反目しあっていくかを的確に示していく。もちろん舞台の尺に収める為に、原作小説とは設定を異にする部分も多くあるものの、見事なのはその原作知識での補完をこのミュージカルが全く期待していないことだった。つまり、こうした長大な原作ものの舞台化にしばしば見られる「これだけのベストセラーですから皆さんご存じですよね?」「詳しくは原作を読んで下さい」といった、ある意味物語を投げ渡す姿勢がひとつもなく、舞台を観ているだけでストーリーが理解できる。そこには、楽曲、歌詞、脚本、振付、箱型の装置に写し出される映像、照明効果などクリエイター陣の様々な英知の集結があるし、それに応えたキャストたちの深い芝居と歌唱と身体表現の結実がある。

特に大きな効果をあげたのが、親から子へと受け継がれる物語として作品を集約する為に、アベルにとっての生涯の恩人であり、第二の父でもあるという位置づけで登場するホテル王デイヴィス・リロイに、山口祐一郎をキャスティングしたことだ。役の重みは決して出番の過多に比例するものではないが、それでもミュージカル界の帝王たる山口の出馬を仰ぐには、デイヴィス・リロイの登場時間は如何にも短い。だが幼くして父親を失い、母親が再婚を考える相手との折り合いが悪いという事態には見舞われるものの、基本的にはボストンの上流階級の息子として恵まれた生活を送っていくケインに比して、アベルの少年期から青年期までの過酷な人生は、命を落とさなかったのが不思議なほどの波乱万丈で、彼がニューヨーク行きの船に乗るまで、ケインの人生と交互に描かれているとは言いながらも、新潮文庫版の小説にして約300ページが費やされている。だがこのミュージカルではその部分に至るまでがなんとプロローグと題された10分弱で進んでいくのだ。この怒涛の展開は『レ・ミゼラブル』を想起させもするが、同時に彼に家名と誇りを託す男爵の登場時間もピンポイントなものになっているし、何よりもアベルが生涯の仇敵としてウィリアムに憎しみを抱き、復讐を誓うのは、自分を一介のウェイターからホテル経営者へと引き上げてくれたデイヴィス・リロイへの思慕と恩義故だ。ここを凝縮された場面のなかで押さえる為に山口の存在は不可欠で、この極めて贅沢なキャスティングが、親から子へ、そして孫へと引き継がれる作品の軸を定める力になった。引いてはこれが、どこか乾いた筆致に魅力がある小説世界から、ヒューマンな色合いを抽出し、憎しみから家族の愛を取り戻すサーガとしてのエピローグが深い余韻を残すミュージカル『ケイン&アベル』の、演劇ならではの味わいを生む循環につながっている。

またケインのソロ「父の名に恥じぬよう」。ケインとアベルの対決の「命ある限り」「今が瀬戸際」。ザフィアが失意のアベルを鼓舞する「あなたならできる」等々、今後ミュージカルコンサートでも歌われるだろう力強いメロディーを書き下ろしたフランク・ワイルドホーンのキャッチ―で多彩な楽曲の数々はこの作品でも冴えわたっているし、西田淳の映像とのセッションを意識したという松井るみの、白い箱型の装置を回転させ、時に近づき、時に離して進められる転換が、映像を巧みに映し出しながら人力で行われることも、人の手の温もりに回帰する傾向が確実にあるいまの演劇界の潮流に添っていて、2025年に生まれたオリジナルミュージカルに相応しい。第二次世界大戦を俳優たちの動きだけで見せたのをはじめ、時代の特色を巧みに出したジェニファー・ウェーバーの秀逸な振付。同じく時代の変遷を視覚的に際立たせた有村淳の衣裳。ケインを青、アベルを赤のイメージカラーで表現し、鍵となるアベルの銀の腕輪を際立たせる高見和義の照明も非常に緻密で、作品の見どころを深めている。

 そんな優れたスタッフワークのなかで、躍動する俳優たちが近年のこうした大作ミュージカルには珍しい全員シングルキャストの布陣で、役柄と作品を日々円熟させている。

 その筆頭、ウィリアム・ケインの松下洸平は、映像でも大活躍を続けている人でミュージカルへの出演は久々とのことだったが、舞台のセンターに位置する姿が大きくダンス場面も軽快そのもの。あくまでも演じるという上に於いては、幸福な人生の方が人物を立たせるのが往々にして難しいものだが、父を尊敬し銀行家の使命に誇りを持って誠実に生きるケインの、うちに秘めた喜怒哀楽や情熱の表現が巧みでありつつ端正で、松下洸平という俳優が持つスター性と演じることに真摯な姿勢が美しい。前述した「父の名に恥じぬよう」も静かな歌い出しから思いを込めていくクライマックスの歌い上げまでの声量の変化に感情が乗っていて、いまの時代にもこんな銀行家がいてくれたらと思わせる演じぶりだった。

もう一人の雄、アベル・ロスノフスキの松下優也は、男爵の跡取りとしてポーランドの城と領地を取り戻すという内に秘めた故郷への想いが、リロイを巡るケインとの確執で手段を選ばない野望に変わっていく様を噴出するパワーで演じていく。その迸るエネルギーには圧倒されるし、凝り固まった憎悪が説明のつかない意地になっていることをどこかでは気づいているのに、頑なに見ないようにしているアベルに、なんとか幸せになってもらいたいという気持ちを引き起こさせる出色の出来だった。長く観劇を続けていると、俳優が階段を駆け上がる、所謂「化ける」瞬間に立ち会えることがあるが、まさに松下優也にそれを感じた。このアベル役は彼のキャリアのなかで長く語り継がれるものになるだろう。年齢を重ねていく表現も自然で、娘のフロレンティナを深く愛する父親としての顔も魅力的だった。

その娘、フロレンティナの咲妃みゆは、作品全体を俯瞰していく語り部としての明晰な台詞回し、特に「スナップショット」のひと言が物語を進めていく力強い響きが大きな効果になっている。そこから成長したフロレンティナとして現在進行形の物語のなかに入っていく瞬間のチャーミングさもなんとも印象的で、ザフィアのナンバーのリプライズである「私にはできる」に至る終幕まで壮大なサーガをある意味で司って見事。持ち前の豊かな芝居力にますます磨きがかかっている。

アベルの妻となるザフィアの知念里奈は、原作設定よりもアベルとの関係が密な妻であるザフィアの生きる力の強さが、パッショネイトな歌声にきちんと反映されていて、作品の貴重な一角を占めている。これまで様々なヒロインや重要な役柄を演じてきたキャリアのある人だが、生命力に溢れたザフィアは現時点でのベストアクトを感じさせた。

ケインと結婚するケイト・ブルックスの愛加あゆは、まずケインがひと目で心を動かされることに説得力のある美しさと、こちらも芯の通った歌声で魅了する。ビジュアルにある愛らしさとクレバーな演技のギャップの魅力が大きい役者だが、それに加えたヒロイン力がケイトをより印象的に見せてくれた。

アベルと共にアメリカにやってくるジョージ・ノヴァクの上川一哉は、このミュージカルでのアベルの片腕としての描かれ方に相応しい誠実な演技が、真に信頼に足る人物だとストレートに感じさせて深い。その上で得意のダンス力も含め、造形に軽妙さがあるのが作品の良いアクセントになっていた。

ケインの親友マシュー・レスターの植原卓也も、この舞台で大きく飛躍した一人。クールな風貌の二枚目俳優だが、ある時期から温かなものが前に出るようになってきた効果がマシュー役に集約されている。ケインがあくまでもマシューと共にとの思いを手放さないことをポイントの出番で納得させる存在だった。

ケインの息子のリチャード・ケインの竹内將人は、2幕中盤からの登場だが、竹内が出てきた!と目を引く存在感を既に獲得していることが、この出番だからこそ鮮明になった。ロミオとジュリエットが現代に生きていたら、こうして二人だけの道を切り拓いていけたんだな、が心に沁みる役柄を実直に見せてくれた。

夫を亡くしたケインの母と結婚しようとするヘンリー・オズボーンの今拓哉は、全編を通じてケインとアベルに関わる重要な役どころ。高貴な人物の造形も得意とする俳優だが、腹に一物あり、出る度に状況が変わっているアクの強い役柄を的確に見せて、さすがはベテランの技だ。

銀行家としてケインの前を行き、時に壁ともなるアラン・ロイドの益岡徹は、原作のいくつかの役柄が集約されている関係で、各場でのケインへの対応に難しさもあったと思うが、それを矛盾ではなく、のちにつながる台詞としてきちんと聞かせたのに、今と同じくベテランの妙味を感じさせた。

そして、アベルの才能を見出すホテル王デイヴィス・リロイの山口祐一郎は、前述した通りアベルの人生の舵を大きく切り、このミュージカルが原作から抽出して核とした「親から子へ受け継がれる物語」を支えて盤石。存在感がとてつもなく大きいのに、芝居が重くなり過ぎないのが山口の個性でもあって、愛すべき大スターの風格が役柄を大きく押し上げている。初登場時に一人娘のメラニーとレストランのテーブルについている様が、若い恋人との密会風に映るのだけは、或いは少し色気があり過ぎるかもしれないが、それだけの魅力を持ったまま、こうした役どころで要の役割りを果たしている山口の貴重さを改めて感じた。

他にも、様々な役柄を演じる面々が実力派揃いで、ケインの父の榎本成志の高潔な精神、ケインの母の島田彩の誰かに縋らずにはいられない脆さ、ロスノフスキ男爵の萬谷法英がアベルに託す願い、リロイの娘メラニーの遊びと本気は別のシビアさ、思い込みを大きく見せて笑わせるエミーの咲良等々、重要な役柄を的確に表現したキャストをはじめ、飯塚萌木加藤翔多郎古賀雄大佐渡海斗徳岡明富田亜希中村ひかり廣瀬喜一堀部佑介本田大河町田睦季宮内裕衣宮田佳奈森下結音森山大輔米澤賢人がいずれも芝居、歌、ダンスに穴がないことがミュージカルとしての作品の魅力を高めている。スウィングの大任を務める磯部杏莉後藤裕磨、更に遠く離れた異なる国で生まれたケインとアベルの少年時代をどこか雰囲気の似ているキャストに任せた味わいも感じた子役たち有澤奏小暮大智髙橋輝萩原ゆめの古澤利音山口亜美菜の活躍にも拍手を贈りたい。

総じて全てにプロフェッショナルを感じさせる仕上がりで、日本から世界を目指すオリジナルミュージカルの、一番近いところにいるのは日本が誇るコンテンツであるアニメーションや、コミックスの舞台化だと長く信じていたことが、良い意味で強烈に裏切られたのが嬉しい驚きだった。世界的ベストセラーを、国を越えた英知を集めてオリジナルミュージカルにすること。ここにもまた日本発世界への鉱脈があったと強く感じさせる、傑出した新作が生み出されたことを喜び、多くの人の記憶にとどめて欲しい舞台になっている。

文:橘涼香 写真提供:東宝演劇部

公演情報

ミュージカル『ケイン&アベル』

■日程:
1/22~2/16◎東急シアターオーブ(公演終了)
2/23~3/2◎新歌舞伎座

■出演:松下洸平 松下優也
咲妃みゆ 知念里奈 愛加あゆ
上川一哉 植原卓也 竹内將人
今拓哉 益岡徹
山口祐一郎 ほか

■スタッフ:
原作:ジェフリー・アーチャー
音楽:フランク・ワイルドホーン
歌詞:ネイサン・タイセン
編曲:ジェイソン・ハウランド
振付:ジェニファー・ウェーバー
脚本・演出:ダニエル・ゴールドスタイン

プロデューサー:仁平知世・田中利尚(東宝)
アソシエイト・エグゼクティブ・プロデューサー:北牧裕幸(キューブ)
エグゼクティブ・プロデューサー:池田篤郎(東宝)

製作:東宝/キューブ

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