「みんなでカンカン!」の熱狂が一大旋風を巻き起こした革命的なミュージカル『ムーラン・ルージュ! ザ・ミュージカル』2024年公演が東京・帝国劇場で上演中だ。(8月7日まで。のち、9月14日~28日まで梅田芸術劇場メインホールで上演)。
『ムーラン・ルージュ! ザ・ミュージカル』は、バズ・ラーマン監督によって2001年に製作されたミュージカル映画を、アレックス・ティンバース演出で更に煌びやかにパワーアップさせたミュージカル作品。2018年のボストン公演を皮切りに19年にオープンしたNY ブロードウェイ公演ではトニー賞最優秀作品賞(ミュージカル部門)をはじめとする10部門の受賞に輝く栄誉を得た。実在するパリのキャバレー、ムーラン・ルージュの大スター・サティーンと、自由奔放な生き方をするボヘミアンに憧れ、アメリカからパリのモンマルトルにやってきて作曲家を目指すクリスチャンとの恋を軸に、彼らと共に生きる人々を圧巻のダンスシーン、ビートルズ、マドンナ、レディ・ガガなど誰もが知る有名曲をリミックスして制作された、これまでの既成曲を使用したジュークボックス・ミュージカル(或いはカタログミュージカル)とは一線を画す、斬新な発想でマッシュ・アップされた楽曲と、劇場全体を作品の世界観にすっぽりと包み込んだ豪華絢爛な装置と衣装が彩るなか、ある意味オーソドックスで古典的なまでの「愛の物語」が展開されている。
※『ムーラン・ルージュ!ザ・ミュージカル』2023年公演より写真提供:東宝演劇部
サティーン役:平原綾香、クリスチャン役:甲斐翔真
サティーン役:望海風斗、クリスチャン役:井上芳雄
【STORY】
1899年、パリ。ナイトクラブ「ムーラン・ルージュ」では、今日も大スター・サティーン(望海風斗/平原綾香 Wキャスト)を中心にした、豪華絢爛なショーが繰り広げられている。
だが、その華やかなステージとは裏腹に、ナイトクラブの経営は破綻寸前の危機に見舞われていた。クラブのオーナー兼興行主ハロルド・ジドラー(橋本さとし/松村雄基 Wキャスト)は起死回生を図るべく、大金持ちの貴族デューク(モンロス公爵・伊礼彼方/K Wキャスト)にサティーンを引き合わせ、クラブのパトロンにしようと画策していた。
ところが、運命のいたずらでサティーンはいつか世界に羽ばたくソングライターになるという大望だけを持って、一文無しでパリにやってきたアメリカ人青年クリスチャン(井上芳雄/甲斐翔真 Wキャスト)をデュークと思い込んでしまう。クリスチャンはパリで出会ったボヘミアンの友人たち、才能溢れるがその日暮らしの画家トゥールーズ=ロートレック(上野哲也/上川一哉 Wキャスト)や、パリ随一のタンゴダンサー・サンティアゴ(中井智彦/中河内雅貴 Wキャスト)と共に、新しいミュージカルショーを舞台にかける為、サティーンの心をつかみ後押しをしてもらおうと「ムーラン・ルージュ」にやってきたのだが、そんな思惑を越えてクリスチャンは彼女にひと目で心を奪われ、二人はいつしか激しい恋に落ちていく。
一方、デュークは単なるパトロンとしてではなく、サティーンを含めた「ムーラン・ルージュ」のすべてを金で買い取り、所有しようと考える男だった。
大切な場所と家族同然の仲間たちを是が非でも守る決意と、クリスチャンとのめくるめく恋との間で懊悩するサティーンは……
(中央)サティーン役:平原綾香
2023年にこの『ムーラン・ルージュ!ザ・ミュージカル』が日本に初上陸した時の、あの熱狂の日々には今もなお忘れ難いものがある。劇場に一歩足を踏み入れた瞬間から、照明効果をはじめとした様々な仕掛けで深紅に染まる空間のなか、幾重にも重なるカーテンのドレープ。実際に光りを放ちながら回転している風車。エキゾチックな異空間を強調する巨大な青い象が目を奪い、開演約10分前からはじまる妖しくも美しい衣装をまとった、ボディ自体がまるで芸術品のような俳優たちによる無言劇に誘われ、自由を愛するボヘミアンたちと上流階級のセレブリティが交錯する、1899年のパリに誘われていく。しかもそこで披露されるのは、ひたすら華やかにショーアップされた煌びやかな場面、場面のなかに流れていく驚くほどシンプルな愛の物語だった。おそらく多くの人が思い出しただろう、古典オペラの『椿姫』に通じるサティーンとクリスチャンの、障壁が多いからこそ燃え上がる恋と、迎える結末から、どこかでふわりと飛翔している「みんなでカンカン!」の熱狂。日に日に上がっていく客席のボルテージが頂点に達した千穐楽のあと、降り注いできたハート型の紙吹雪をそっと拾い上げながら、ここは本当に日本の帝国劇場なのかとさえ思ったのをよく覚えている。それほど『ムーラン・ルージュ!ザ・ミュージカル』は革新的な、LIVEコンサートとショーアップが芝居をくるみこんでいくミュージカルだと感じられた。
(中央)サティーン役:望海風斗
それから1年、同じカンパニーで2025年建て替えによる一時休館が決まっている現帝国劇場クロージングラインナップのひとつとして、『ムーラン・ルージュ! ザ・ミュージカル』が帰ってくる期待には更に大きなものがあったし、実際に迎えた自分の初日には、あーこの深紅の世界に帰ってきた!という喜びが弾けたものだ。だが、同時に非常に驚かされたのが、作品の見え方が大きく違っていたことだった。そこにあったのは初演のショーアップのなかに物語がくるみこまれているという感覚ではなく、純粋に「ミュージカルを観ている」という確かな感触に他ならなかった。
海外ミュージカルの上演では、この作品のように脚本、楽曲だけでなく、演出、美術などをまるごとパッケージとして輸入する形と、演出や美術は日本のスタッフが新たに日本版として構築する形とが存在する。ただ、そのいずれの場合でもスタッフからよく聞こえる言葉に「日本の観客は物語を好む方が多い」というものがあった。思い切って簡単に書けば、ストーリーが少々飛躍したり、つじつまが合わない部分があったとしても、ここ一番の大ミュージカルナンバーや、ショーアップシーンがあれば十分楽しめるLIVEショー的な見方よりも、ストーリーの起承転結を追って鑑賞することを好む観客が日本には多い、ということだ。もちろん作品の観方は観る人の数だけ自由だから、あくまでもそうした傾向を感じるという意味だが、その「物語重視」に『ムーラン・ルージュ!ザ・ミュージカル』がシフトしていることには、名状し難い感動を覚えた。それはこの歌の何小節までで、この位置に動いていること、までが定められているパッケージ作品のなかで尚、鮮やかな日本版『ムーラン・ルージュ!ザ・ミュージカル』が生まれ出ていることを意味したからだ。
その変化の要因のひとつには、初演千穐楽でクリスチャン役を務めた甲斐翔真が、客席が揺れていると感じられたほどのボルテージ、あまりの熱狂ぶりを目の当たりにして「これを来年の初日まで保っていてください」という趣旨の挨拶をしたことに端的に表れている、作品に接する客席が初演で十分に温まっていたことがあっただろう。どんな作品でも変わらないが、特にこのLIVEパフォーマンス要素が強い『ムーラン・ルージュ!ザ・ミュージカル』に於いては、観客が作品を盛り上げる、共にのっていく要素が不可欠で、観客を温めていく為に音楽のビートを強調し、ショーアップシーンをより華やかに盛り上げることに、注力している感覚が初演には顕著にあった。
だが、作品が熱狂を持って迎えられたのちのこの再演では、そうした下地は既にできあがっていて、いわゆる客席を「煽る」必要がない。だからいまも少しずつ調整は続いているようだが、初演とは明らかに音楽と歌声のバランスが変化していて、やや音楽の強さが後退し歌が前に出たことによって、歌詞が非常にクリアに聞き取れるようになった。これが作品の物語性を深める力になっている。というのも、有名楽曲を細かくつなぎ、重ね合わせるマッシュ・アップという方法論で作られているこの作品の楽曲では、精緻なメロディーのつながりにまず耳を取られがちだが、それはつまりキャラクターが「何を歌って(語って、或いは訴えて)いるのか?」と楽曲のマッチングをはかった故だということが、歌詞を通して強く感じられるのだ。特に観客側が温まっているもうひとつの利点として、元々があまりにも有名な楽曲だけに、新たなモチーフが歌われるごとに「えっ?ここでこの曲!?」とある意味びっくりしていた感覚が遠ざかり、一つひとつの楽曲を『ムーラン・ルージュ!ザ・ミュージカル』のナンバーとして、すんなりと聞けるようになっていることも奏功していて、キャラクターの心情が音楽マジックを通してしっかりと伝わってくる効果には、想像以上のものがあった。
サティーン役:望海風斗
サティーン役:平原綾香
もうひとつ大きいのは、キャストが同じ役柄で続投している点で、俳優陣それぞれが役柄に馴染み、より深め、己のものとして演じている深化にゾクゾクさせられる。これによって作品はその物語性をより強く輝かせてきた。
歌姫・サティーンの望海風斗は、初演の後ポピュラーミュージックの歌唱に力を注いだという効果が強く発揮されていて、初演から備わっていた芝居力に楽曲本来の色合いをより加味できるようになり、『ムーラン・ルージュ!ザ・ミュージカル』が求めるサティーン像の輝きを増している。その上で望海サティーンの魅力は、サティーンの感情が決して一面的ではないことで、クリスチャンとの運命の恋が真実であるのと同時に、悲惨な境遇から己一人の才覚を武器に昇りつめてきたサティーンにとって、デュークも決して嫌悪するばかりの存在ではない、という人間である以上当然の綾が出ることだった。何故サティーン初登場時のナンバーが「THE SPARKLING DIAMOND」なのかと、自分のものになると示された邸宅を見つめる瞳のなかに、巧まずしてこぼれ出る憧憬とがつながっていくからこそ、そのサティーンがクリスチャンを選ぶ信念が涙させるほど胸に迫ってくる。そんなより人間味を強めたサティーンに出会えたのは嬉しいことだった。
もう1人のサティーンの平原綾香は昨年歌手デビュー20周年、今年ミュージカルデビュー10周年を迎えたというそれぞれの節目の年に出会ったサティーン役を、自らが呼吸するのと同じように自然に演じている。ライブステージでも、ミュージカルでもセンターに立つ自分だけではなく、演奏者にも表には見えないスタッフにも拍手と歓呼を共有しようとする姿勢が極めて強い平原と、ナイトクラブ「ムーラン・ルージュ」とその仲間たちをなんとしても守り抜こうとする、自らを「ママ」と称するサティーン像との相性の良さがまず抜群。さらに舞台上での早変わりを含めて様々な所作事の多い役柄に馴染み、余裕が生まれていることがサティーンの姉御肌でコケティッシュな面も表出するようになり、だからこそサティーンが純粋な恋をした喜びや戸惑いもより強まったのが頼もしい。どんなジャンルの楽曲も歌いこなす見事さは言うまでもなく「FIREWORK」の絶唱は初演から変わらぬ聞きものだった。
(左)ロートレック役:上川一哉、(中央)クリスチャン役:井上芳雄、(右)サンティアゴ役:中井智彦
(左)ロートレック役:上野哲也、(中央)クリスチャン役:甲斐翔真、(右)サンティアゴ役:中河内雅貴
クリスチャンの井上芳雄は、まず何よりも去年より更に瑞々しいと感じさせるクリスチャンとして登場してきたのに驚かされた。作品の初日が開いた頃は、敢えてミュージカルファンには伝わるだろうという表現に抑えさせていただくが「遂に列に入るのでは?」が盛んに囁かれていた時期だったが、あくまでも個人の見解だが「マリウスでいいじゃないか」と思ったほどで、俳優に対して、役柄と実年齢をひと並べにすべきではない、という思いを強くした。それほどこれだけのキャリアを積み、今や押しも押されもせぬ「ミュージカルキング」の井上が、どんな人生もつかみ取れると信じている若さだけが頼りの役柄を、まったく拗らせずにすんなりと演じているのは、井上のなかでそれだけクリスチャンがしっかりと根付いた証だろう。自然体で明るい雰囲気も増していて、爆発する歌唱と共に闇に堕ちていく後半とのコントラストが見事な井上のクリスチャンが屹立していた。
一方の甲斐翔真は非常に逆説的にはなるが、生の自分と役柄がベストフィットした、俳優としての強運を感じさせる適役中の適役に巡り合っている輝きが眩しいほど。ある意味、俳優という仕事の奥深さを二人のクリスチャンが照射しあっていて、これだけ面白いWキャストもそうはないと思わせる。甲斐が舞台で立ち、話し、笑い、泣き、歌う。その全てがそのままクリスチャンである尊さには、同じ時代に客席にいられる幸福を感じるし、帝国劇場のセンターに立つこと、空間を掌握する力が格段に増していて、サティーンを思うあまりに壊れていく後半に、凄みと共に強い悲しみを感じさせる。おそらく本人も大歓声のなかクリスチャンを演じることを満喫しているのだろう。初演よりも様式的な「ここはキメる」という動きが増えたのが、ナチュラルさに振れた井上との好対照ぶりを更に引き立てていて、この若さにして代表作を得ていることを更なる力に、駆け上っていって欲しい。
そんな二人のサティーン、二人のクリスチャンの組み合わせをこの時点で観劇し終わっている予定だったのだが、スケジュール変更にぶつかり残念ながら望海サティーン×井上クリスチャン回が未見となり、前評判も高く、開幕以降の好評も伝え聞くだけに残念だが、きっと初演とはまたひと味違った安定感を見せてくれていることだろう。
サティーン役:望海風斗、クリスチャン役:井上芳雄
サティーン役:平原綾香、クリスチャン役:甲斐翔真
という訳で、観劇できた三組、望海サティーン×甲斐クリスチャンは、所属事務所も違い、互いにプロデュース公演に出演を続けている俳優同士としては極めて珍しく、共演が続いている間柄だけに、最早阿吽の呼吸と感じさせる息のあったコンビぶりで魅了する。恋に落ちた二人の感情の機微が刻々と伝わってくるし、サティーンの楽屋ではじめて二人きりになった時の勘違いからくるやり取りの可笑しみも絶妙で、恋愛ものを観たという思いが最も強くでるコンビだった。互いがそれぞれの局面で自分を見てくれ、という思いも切ない。
平原サティーンと井上クリスチャンは、初演以来の歌唱面の相性の良さも健在だが、両者が共にこの再演で役を演じる自由度を増していることで、芝居のキャッチボールのテンポ感もぐっとよくなり、物語性を増した再演に相応しいメリハリの良さを感じさせた。特に後半激情を増していく井上と、自らの運命と対峙する為に、むしろ能面のようになっていく平原の表現が役柄の心情をくっきりと浮かび上がらせていて、大きな見応えがあった。
そして、平原サティーン×甲斐クリスチャンは、ハッピーエンドを信じているクリスチャンを悲しませたくないサティーンの情愛が強く前に出るコンビ。井上が平原に対して膝を曲げて目を合わせるのに対して、更に身長差の大きい甲斐は平原を上から包み込むんでいく形が多い。だが、それが決して「上から」にならず、夢も恋も未来もバラ色だと信じられる、世の中にすれていないクリスチャンの素直さを想起させ、そんなクリスチャンを守らなければというサティーンの思いの深さにつながる効果になっていた。
と、何しろ主役コンビだけで、それぞれの魅力と見え方がまるで違い、片方を観るともう片方が観たくなるという、恐ろしい沼が広がっている作品なのだが、さらに舞台を闊歩するそれぞれのWキャストの面々も更に趣を増していて、どうしていいかわからないほど。
(左から)中井智彦、望海風斗、上川一哉、井上芳雄、橋本さとし、伊礼彼方
(左から)中河内雅貴、平原綾香 、(奥)甲斐翔真 、(手前)上野哲也 、松村雄基、K
その筆頭、ムーラン・ルージュのオーナー兼興行主ハロルド・ジドラーの橋本さとしは、こうした華やかにひと目を引き、かつ全体を締める役柄はまさに独壇場で、経営破綻寸前の「ムーラン・ルージュ」を守ろうとする厳しさのなかにも、きちんと情があるジドラーにひたすら視線を奪われる。リハーサルシーンで演出家のトゥールーズ(ロートレック)に軽くあしらわれたあとのふくれっ面で、これだけ笑わせてくれるのは橋本くらいのものだろう。いつもながら俳優の業が服を着ていると思わせる存在だ。
一方の松村雄基が初演から長足の進歩を見せていて、「みんな大好きハロルド・ジドラー」と自ら名乗る登場シーンから、生き生きと舞台で躍動している姿に感嘆しきり。カンパニーを率いる興行主としての厳しさ、割り切りの早さも強く出るようになり、闇の世界と自ら称する興行の世界で生き抜いてきた人物像を表出していた。今後も是非様々なミュージカルシーンで活躍して欲しい人だ。
世界に名を残す画家、トゥールーズ=ロートレックの上野哲也は、恵まれた環境に生まれながら、幼くして障害を持った身の上からくる反骨精神を、敢えて表情を変えずに目力で伝えるなどをはじめとした、静かなる炎の姿勢がさらに強まった。サティーンへの愛にも達観をにじませているが故にむしろ切なさがあって、心情を訴える短いソロが耳に残る。
もう一人のトゥールーズ上川一哉は、そこからすると天才故のエキセントリックさが前に出るのは初演以来だが、サティーンへの愛とクリスチャンへの友情、更に自身の才能に対するプライドなど、感情の機微がより深く伝わって胸を打つ。「僕のミューズ」「私の天才」というサティーンとのやりとりは涙なくして聞かれず、作品のなかに描かれる様々な愛の形を感じさせた。
全てを支配しようとするデュークの伊礼彼方も、まさに代表作と言える役柄を手にした一人。特にこの再演で役柄の持つ敵役としての描き方のなかにも、この人がこうした思想を持つに至った経緯はなんだったのかを知りたい、と思わせるデュークになったのが作品の彩を深めた。特に、サティーンに対しては言葉とは裏腹に真実の愛情を抱いているのでは?とも思わせる綾が面白く、待ち合わせに遅れた相手に対して「カルティエで腕時計を買ってあげないと」とサラッと言ってのける台詞を、買われたら怖いよ……ではなく、人生で一度は言われてみたかったな、と瞬間夢想させる、ロマンス小説の登場人物のような完璧なデュークだった。
その一方で、Kのデュークが初演から飛躍的に伸びていて、むしろ伊礼のデュークより冷徹さを湛えてきたのが再演の大きな進化のひとつ。自分を裏切った女性の恋人の喉を切り裂き、女性の顔に酸をかけた、というこうして書くと更に半端ではない役柄の闇の部分に真実味を持たせたデューク像で、敵役としての存在感十分。映画版とはおそらく異なる結果になっているのではと思わせる、この物語が終わったあとのデュークが何を考え、どう生きていくのかに思いを馳せたくなる、こちらも非常に面白いWキャストになった。
タンゴダンサー・サンティアゴの中井智彦は、初演よりもどこか可愛いなと思わせる造形が目にたち、堂々とした体躯の迫力とのギャップの魅力が現れてきたのが面白い。クリスチャン、トゥールーズ、サンティアゴのトリオのなかで、バックボーンが最も書き込まれていない役柄だけに、こうした個性が投影されるのは効果的で、ジゴロでありつつどこかではニニに振り回されているのでは?という感覚が生まれれているのも微笑ましい。
もう1人のサンティアゴの中河内雅貴は、2幕冒頭の全員を率いるダンスシーンを見事に決めるだけでなく、ニニとの恋模様にラテン系の役柄ならではの明るさがあって、ある意味作中で最もあっけらかんと恋をしているカップルとして、サティーンとクリスチャンの障害だらけの恋を照射する役割りを果たしている。ちょい悪男のジゴロらしさもよく出ていて、中井のサンティアゴとの違いがそれぞれに良い。
(左から3番目)ニニ役:加賀楓
(中央左奥)ニニ役:藤森蓮華
サンティアゴと恋をするニニの加賀楓は、幼さが残る表情と微かに肉感的な色も見せるボディとのアンバランスが実に魅力的なニニ。サティーンへの対抗心よりも、シスターとしての情愛が強く出るのも加賀ニニの魅力で、この作品ののちダンス留学をするとも伝え聞くが、是非研鑽を積んでまた表現の世界に戻ってきて欲しい。
一方、抜群のダンス力で目を射抜かれるもう一人のニニの藤森蓮華は、スターになる為ならなんだってすると言い切るニニのギラギラとした野心と、それを越えた情の深さの双方に全く齟齬がない演技で惹きつける。適役を得たことを力に、更に様々な役柄での活躍を観たい人だ。ひとつ、これは加賀・藤森の問題ではなく翻訳なのだが、サンティアゴに対する台詞が「ブタ」に変更されているが、初演の「バーカ」の方が状況的にはあっているように思えるので、一考を願いたい。
(左)ニニ役:加賀楓
(左)ニニ役:藤森蓮華
ニニと共に、シルエットで登場しただけで客席から大歓声があがる「ムーラン・ルージュ」で活躍する三人、ラ・ショコラの菅谷真理恵は歌声の力強さと共に、「ムーラン・ルージュ」の先行きをシニカルに言い捨てるニニをまぜっかえす台詞の間が抜群で、何度聞いても場を和ませてくれる。同じくラ・ショコラの鈴木瑛美子は、初演から再演の間に経験した舞台でつけた力が如実に表れていて、ソロだけでなく舞台上のどこにいても強い存在感を放ちラ・ショコラの魅力を高めている。アラビアの磯部杏莉は、クールな強さがより際立つようになり、四人の異なる個性をしっかりと感じ取れる舞台ぶりが小気味いい。一方、MARIA-Eのアラビアはコケティッシュさを増していて、セクシーであり艶やか。そんな怜悧さと可愛さのなかからダイナミックな歌声が飛び出す二人共にギャップの強さも効いている。ベイビードールの大音智海は物語性が増した再演のなかで、押し出しの良いステージ場面と、不安を強く感じさせるバックヤードでのベイビードールの心情の差異が目を引き、サティーンの為に神に祈る姿に真実味がある。他方、シュート・チェンのベイビードールは、四人のなかで誰よりもキュートというベイビードールの「ゴージャスなレディ」ぶりが愛らしく、デュークによって変身したサティーンに対する憧憬に、みじんも暗さがないのが良いアクセントになっている。
(中央)ニニ役:藤森蓮華
(中央)ニニ役:加賀楓
また、初演から再演までの期間に海外の『ムーラン・ルージュ! ザ・ミュージカル』に招聘され舞台に立ったメンバーもいる極めてレベルの高いアンサンブルの面々、ICHI、乾直樹、加島茜、加藤さや香、加藤翔多郎、酒井航、杉原由梨乃、仙名立宗、高橋伊久磨、田川景一、田口恵那、富田亜希、平井琴望、三岳慎之助、宮河愛一郎の面々も様々な役柄を縦横無尽に演じていて、作品の充実度を高める存在。スウィングとしてクレジットされている篠本りの、茶谷健太、堀田健斗、米島史子、ロビンソン春輝、和田真依も、次々に舞台で躍動していて、ある意味一つひとつの公演が一期一会。何よりもこの再演で「日本版・『ムーラン・ルージュ! ザ・ミュージカル』」が鮮やかに生まれ出たことが嬉しく、暑い夏を駆け抜ける熱い舞台が生み出す、真実、美しさ、自由、そして愛を多くの人に体感して欲しい。
【取材・文/橘涼香 『ムーラン・ルージュ!ザ・ミュージカル』2023年公演より 写真提供/東宝演劇部】
公演概要
『ムーラン・ルージュ!ザ・ミュージカル』
公演期間:2024年6月20日(木) ~ 2024年8月7日(水)
会場:帝国劇場(東京都 千代田区 丸の内 三丁目1番1号)
■出演者
サティーン:望海風斗/平原綾香 クリスチャン:井上芳雄/甲斐翔真
ハロルド・ジドラー:橋本さとし/松村雄基
トゥールーズ=ロートレック:上野哲也/上川一哉
デューク(モンロス公爵):伊礼彼方/K
サンティアゴ:中井智彦/中河内雅貴
ニニ:加賀 楓/藤森蓮華
ほか
※各役Wキャスト/50音順
※キャストスケジュールはこちらにてご確認ください。
プリンシパル https://www.tohostage.com/moulinmusical_japan/castsche.html
アンサンブル https://www.tohostage.com/moulinmusical_japan/castsche_e.html
■スタッフ
演出:アレックス・ティンバース
脚本:ジョン・ローガン
■チケット料金
【平日】
S席:17,500円
A席:15,000円
【土日祝日・初日・千穐楽】
S席:18,500円
A席:16,000円
(全席指定・税込)