【新着ニュース】新国立劇場、2025-26海外招聘公演『鼻血-The Nosebleed-』。作・演出でキャストでもあるアヤ・オガワへのインタビュー到着!

撮影:阿部章仁

1月に新国立劇場 小劇場で上演される、米国の劇作家、演出家、パフォーマー、アヤ・オガワの作・演出による『鼻血 -The Nosebleed-』。

本作は2017年から長いディベロップメント期間を経て創作され、21年秋にニューヨークのジャパン・ソサエティにてワールドプレミアを迎えたアヤ・オガワの自伝的な作品です。描かれるのは、亡き父親との関係。無口で冷たい昭和の父親と移民としてアメリカで育ったアヤの間に横たわる文化的、世代的なギャップや確執、「失敗」と向き合うことで、赦しへと昇華されていく──その過程が観客への大きな問いかけにもなる、ほろ苦く優しくユーモアに満ちた『鼻血 -The Nosebleed-』。「作家のアヤに紹介された4人の俳優がそれぞれの『失敗談』を語る。やがて彼らはそれぞれ『アヤ』を演じながら観客に問い始める」というユニークな劇構造も興味深い本作について、アヤ・オガワ自身に話を聞いた。


取材・文=功刀千曉

<あなたが「アヤ」だから>

──「失敗」をテーマにした本作が生まれたいきさつからお聞かせください。

2015年に上演した私の作品に対する「これは失敗だ」という批評。そこから「失敗」について考え始めましたが、自分一人では答えが出せず、スタジオにコラボレーターを呼んで「失敗」について話し合うことにしました。このように、まずコラボレーターと実験的に始めるのは、私のいつもの創作のスタイル。それが2016年11月のことです。

最初の「実験」の日を前に、アメリカ大統領選挙でトランプが当選。演劇の仲間、子どもたちが通う学校の保護者たち、日系人コミュニティなど、私の周りの多くの人の間で「根っこにあるなにかが壊れた」という空気が広がりました。意図せずして、「失敗」というテーマと深く向き合わざるを得ない状況でのスタートとなったのです。

──「実験」はどのような形で行われましたか。

週に一度、決まった時間にスタジオを開放し、集まった仲間と、軽いものから深いものまで、各々の「失敗談」を共有し、それをもとに物語を演じてみることにしました。その際に、話した本人とは別の人がその話(人)を演じる、つまり「失敗」と「当事者」をずらすことで、自分の失敗を客観的かつ温かい目で見つめられることを発見。さらにそこに招いた観客から、「他人の失敗談によって自分の失敗に向き合うことができた」というフィードバックを得たことで、これは絶望感が漂うコミュニティの癒しにもつながるのではないかと。こうして実験から、作品の輪郭と目的が見えてきました。

一方で、実験の過程で新たな課題も生じました。「あの人の話は、どこまでがフィクションなのか」という観客からの疑問です。私は、観客にそこにとらわれてほしくなかったので、私、アヤ・オガワの人生をキャンバスに一人の人物を「過去の自分(アヤ)」「未来の自分(アヤ)」など複数に分解し物語を構成することにしました。私が語る、フィクションゼロの話です。

── “ずらし”と“分解”という手法によって、アヤさんを4人の俳優が演じるスタイルになったのですね。この戯曲を渡したときの俳優の反応は。

最初は「アヤの姿勢や、しゃべり方を観察して演じればいいの?」と聞かれましたが、私は「そうじゃない。あなたが自分を出してくれさえすれば、もうそれが“アヤ”だから」と答えました。

4人は、それぞれ違うアイデンティティを持っていますが、みんなに私と重なる部分があります。その重なるところ/重ならないところがあるからこそ、さまざまなバックグラウンドや価値観を持つ観客にも響く、誰もが自分ごととして感じられる作品になりました。私にとっても大切な人たちですし、みんなも私を大切に思ってくれるカンパニーです。

<観客のエネルギーの交換が重要>

──本編に入る前にキャストや観客が「失敗談」を話す、ライブ感満載の始まりもユニークです。

初演時は、まず私が作家として話し、キャストが自分の「失敗談」を披露してからすぐに本編に入りました。「失敗談」のシェアは、いわば作品に入るための“儀式”のようなもの。だったら次からは、観客にもそこから参加してもらおうと、観客の代表者が「失敗談」を話す、今の形になりました。毎回、出たとこ勝負の怖さもありますが、それは作品にとって大事なプロセスです。また冒頭に限らず、最初から最後まで観客との関係性“パフォーマーと観客のエネルギーの交換”が重要な作品なんです。

“The Nosebleed”ワシントンD.C.公演 ©️ DJ Corey Photography

<アメリカから日本へ>

──日本の観客とどのような関係性が生まれるのかも気になるところです。

そうなんです! 今は楽しみより、恐怖ですが(笑)。アメリカでは、観客と作品との距離感は人それぞれ、アヤを演じる俳優のバックグラウンドが多様であることがバラバラな観客をまとめる手法としてうまく機能しています。それに対して、日本の観客層は今までの観客とは全く別の角度からこの作品を観るでしょう。移民の私がアメリカでマイノリティとして苦しんだことをどのくらい理解してもらえるか。自分の醜いところも描いていますし、父親のこともあまり美しくは描いていない。それらを受け入れてくれるだろうかという怖さです。私がアメリカに住み、両親も他界しているという距離感があるからこそできた作品を日本にもってくることで、その距離感が変わり、なにをもたらすのか。新国立劇場での公演から私が学ぶべきことは、そこにあると思っています。

撮影:阿部章仁

そんな恐怖も感じているものの、日本で作品を上演したい気持ちはあったので、今回の上演の機会をいただけたことを嬉しく思います。小川絵梨子さんとは、絵梨子さんがニューヨークにいたころからの知り合いでしたが、いろんなご縁でここに繋がったことに感謝しています。

──カンパニーが来日しての公演。英語上演、日本語字幕となりますが、翻訳を手掛ける広田敦郎さんとはどのようなやり取りをされていますか。

広田さんには、私の英語の台詞に対して直訳的な日本語をあてるのではなく、日本の観客に伝わりやすい言葉や言い回しを選んでほしいと伝えています。

──カンパニーのみなさんは日本での公演に向けてどんな様子ですか。

楽しみにし過ぎていて心配になるくらいです。観客と出会ってはじめて完成するこの作品。カンパニー一同、日本の観客との出会いを楽しみにしています。

                   

“The Nosebleed”ワシントンD.C.公演 ©️ DJ Corey Photography

<過去と未来、世代を超えて>

──ここからは作品の内容について伺います。物語の主軸となるのがアヤさんとお父様との関係です。

「あなたの失敗はなんですか」という問いを自分自身に向けたとき、父親との関係が思い浮かびました。父が亡くなってから10年以上経過していましたが、その間あまり考える機会もなく、亡くなったときはお葬式もあげなかった。あれはやっぱり失敗だよねと思ったんです。

──先ほどのお話にも合った、自分や家族の嫌なところもさらけ出す本作、とても勇気のある作家だと感じました。

この作品に関しては、ほかの手段がなかったんです。自分を出すしかない(笑)!アーティストとして抱えていた問題に対して、私の解決法はこれしかなかったので。うん、しょうがない(笑)。

──この作品を創作、上演することによって、アヤさんご自身の中でお父様との関係は変わりましたか。

21年秋のワールドプレミアで、ジャパン・ソサエティの芸術監督が「あなたは本当にいい娘ね。お父さんはあなたを誇りに思うでしょう」と言ってくださったんです。実はそれまで、父がこの作品を観てどんな感情を抱くかを考えたこともなかったのですが、彼女の言葉でそのことを考えました。誇りに思ってほしくて創ったわけでもないですし、父の悪い面も描いているので、ちょっと不思議な気持ちがしました。父自身はあのような最期、葬儀は想像していなかっただろうけど、作品を通して、これで勘弁してくださいという感じです。今は「彼もまた一人の人間だったんだ。死が怖かったのだろう」と思います。

──タイトルにもなっている「鼻血」を出した息子さん(次男さん)の反応は?

2021年の初演時は9歳。描かれているのは4、5歳の彼なので、その時は「なんであんな風に描くの?僕はあんなに泣き虫じゃないよ」って(笑)。でも、そこから再演を繰り返すうちに「この作品は僕の話。ママの成功は僕のおかげだということを忘れないでね」なんて言うようになりました(笑)。

──自伝的な作品、家族史として息子さんたちに残す、伝えるという意味合いもあるかと思います。

この作品は私の人生を描いています。私の人生における大きな問題、70〜80年代に日本からアメリカに移り住んだ人たちには「自分の文化的なアイデンティティを大事にする」という発想はありませんでした。とにかく白人文化に自分を順応させることが必要で、アジア人であることが嫌だとか、なんで白人として生まれなかったのかと思った時期もあります。私に限らず、当時は同じような気持ちの人が多かったと思います。私は子どもにはそういう思いを絶対にしてほしくありません。自分のアイデンティティ、歴史を知ることが自分の力になる。また、同じ人であっても環境によってアイデンティティは変わります。

撮影:阿部章仁

例えば息子を日本に連れてくればアイデンティティは変わる。息子たちは日本が大好き、きれいで静か、全てのシステムがうまくいっているように彼らには映るようです。そんな時、私は「あなたは男の子でアジア人の顔をしているし、日本語が話せるから、日本に来れば優位な立場の存在になる。環境によって自分の立ち位置が変わることを経験するのも必要なことだけど、そのことがママにとっては息苦しさにもなった」と。彼らの思いを否定しない形で、見えない問題もあると話しています。実際のところ、どうやら彼らのやり方で、彼らなりに理解しているようです。15歳になる長男は私よりも日本語も上手ですし、台湾系の私のパートナーの母親は中国語と台湾語を話すのですが、パートナー自身は中国語を全然話せません。でも長男は中国語を学び祖母とも中国語で会話するなど、彼なりのアイデンティティを育んでいます。

──まさに次世代ですね。その父親と次男をアヤさんが演じるというのも面白いです。ちなみに本作のタイトルを『鼻血』にしたのは。

2018年、最初に戯曲を書き上げたときのタイトルは『Failure Sandwich(失敗サンドウィッチ)』でした。その後、ワールドプレミアに向けて、プロデューサーからタイトルの再考を提案されました。理由は「面白いタイトルだけど内容が伝わりにくい」ことと「タイトルに失敗という言葉は入れないほうがいい」って(笑)。『鼻血』にしたのは息子が鼻血を出すというカオスの場面をきっかけに話が大きく変わるからというのと、もうひとつは親と私と子ども、それをつなぐのは血、血縁。それが鼻血という形で可視化されると同時に、誰もが経験したことのある原体験としての素朴さがあるから。特別なことではないけれど、それで結ばれている象徴として『鼻血』というタイトルにしました。

──劇構造や導入部などがとても独創的で、観たことのない人にはイメージしにくいところもあると思いますが、未知なる観劇体験になりそうでワクワクします。

演劇がお好きな方はもちろん、舞台を観たことない人でも楽しめ、意味のあるものになると思います。みなさん、オープンハートで観にきてください!

公演概要

海外招聘公演『鼻血―The Nosebleed―』

公演期間:2025年11月20日(木)~24日(月・休)
公演会場:新国立劇場 小劇場


【作・演出】アヤ・オガワ
【字幕翻訳】広田敦郎
【出演】ドレイ・キャンベル、アシル・リー、クリス・マンリー、アヤ・オガワ、塚田さおり、カイリー・Y・ターナー


【あらすじ】
作家のアヤに紹介された4人の俳優がそれぞれの「失敗談」を語る。やがて彼らはそれぞれ「アヤ」を演じながら観客に問い始める。
「『バチェラー』という恋愛リアリティ番組を見たことがありますか?」
番組で描かれる男性とその父親の難しい関係。その関係にまつわる「失敗」がアヤ自身の親として、そして子どもとしての失敗を思い出させる。面白おかしく、ほろ苦い失敗の数々。しかし、一番大きな失敗は、父親が亡くなった時にお葬式もあげなかったこと。
次々に観客へ投げかけられる問いを通して紐解かれていくのはアヤと、無口で冷たい昭和の父親との相いれなかった親子関係。亡くなってしまった父との関係はこのまま「失敗」としてアヤの中に残り続けるだけなのか……

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