【山崎静代×平田満×桑原裕子インタビュー】新国立劇場『ザ・ヒューマンズ─人間たち』全文掲載

――スティーヴン・キャラム作のこの戯曲について、桑原さんはどの部分に魅力を感じ、日本で上演したいと思われたんでしょうか?

桑原 この作品は、家族劇の体裁をなしていながらも、実は人間が抱える不安という“化物”についてのお話だと思っていて、それを演劇として表現するのはすごく難しいし、映像でも難しいと思うんですよね。私たちは常にその怪物を抱えているけれど、表に出すことはほとんどありません。それを表現しようとするということだから難しいし、面白いんだと思います。

とても大変な作業になるとは思うんですが、ご覧いただけたら、単なる家族劇だと思いきや、体感型の何か不安なアトラクションに取り込まれていくような感覚を覚えたり、自分自身の中にある不安と結びつくような体験をしていただけるかもしれません。そこが、この作品の核になるんじゃないかと思います。
 

――現代のアメリカを舞台にした物語であり、アメリカ人であれば共有・理解しやすい宗教観であったり、都市と地方に関する認識であったり、日本人の感覚では細かい部分で理解の難しいところもあるかもしれませんが、より普遍的な人間としての感覚という部分で、日本の観客も自分事として受け止められると?

桑原 そうですね、おっしゃる通り、宗教観であったり、地理的な感覚であったり、ニューヨークの中流階級の人たちというところを感覚的、知識的にわからないところはあると思うんですけれども、でも、実はそこで交わされている会話は私たちとものすごく共通しているし、この戯曲の魅力は、いわゆる翻訳劇っぽくないところだなというふうにも思ったんですよね。

その理由の一つは、ニューヨークの中でも、チャイナタウンの集合住宅が舞台になっているので、日本の団地文化とちょっと近いところがあるからなのかもしれないですね。例えば騒がしい上の階の人に気を遣って生きているところだったり、取り繕って空気を読んで、思ったことを言わないようにするみたいなところは、すごく日本人に近いなと思います。

あとはいまの日本の時世的に、過去の豊かだった時代を知っている私たちが、どんどんいろんなものを失っているというのは実感としてあって、そういう不安をヒシヒシと感じつつ、インターネットやSNSでイライラして他者に攻撃的になったりするところなど、すごくこの作品と通じていると思います。だから、ここで描かれている不安との向き合い方って、いま、まさに私たちが対面していることへの検証みたいなところもあるんじゃないかなと思っています。

――山崎さんは最初に戯曲を読まれてどのような印象を受けましたか?
 

山崎 最初にお話をいただいた時、戯曲よりも前に桑原さんと平田さんがご一緒というのを聞いて「やりたい」というのがありました。
最初にホンを読んだ時は、これがどういう話なのか? どういうことが起こって、どうなるのか? というのが、すぐにはわからなかったんです。

特に大きな何かが起こるわけではないし、はっきりと「これはこういう話です」というお話じゃないんだなと。(役者たちが)立って、立体的に動くことによって、家族が抱えているいろんなものが出てきたり、何かを取り繕ってるさまやったり、いろいろな葛藤やったりというのを含め、この人たちを“のぞき見”しているみたいな感覚になるんやないかと。なので、読んでいるときよりもこの作品を実際に演じることのほうが楽しみだなと感じました。

――平田さんが、この作品に魅力を感じたポイント、オファーを受けるにあたって、背中を押された点というのはどういうところだったんでしょうか?

平田 最初は登場人物がやたら多くないというところ。そういうのが好きなんです。今の自分は、主役がいて、端役がいて、通行人がいて……みたいなのはもういいやって思っていて。通行人だけにスポットを当てるようなものだったら面白いなと思うほうなんです。そういう意味で、この作品は、6人が6人とも魅力的で、かつそれぞれの関係性がもうグチャグチャに絡み合っていて…そういうところが好きですね。

あとは、確かに読んでもわからない(笑)。読んでて気が散るんですよ。(二層式の舞台装置のなかで)一階と二階で同時に会話がなされるので、「どっちに注目すればいいんだよ!?」 って。ハードルは高いかもしれないけど、稽古を重ねていくと面白くなりそうだというのは、勘ですけど、ありましたね。
 

それから、ミステリアスなところですかね。 「え? これ最後、どうなったの?」っていうところがあって、人間たちのドラマじゃないというか、ちょっと宇宙的な印象も感じて。そこで何かを発見できたら面白いし、あるいはお客さんの方に何か伝わるものがあったら面白いなと。最初から「あぁ、こういう話ね。うん、これが訴えたいんでしょ?」みたいなものじゃなくてね。

――現時点での演出プランに関して、どんな見せ方をしようと考えているんでしょうか?

桑原 いま、美術プランを考えてるんですけど、例えばリビングにあたる場所を少し目立たせる場所に置いて……などと考えていると、リビングでは特に重要なことが起きていない時に、二階の端っこで、ものすごく大事なことが行われていたりするんですよ。逆に二階でものすごくエモーショナルなことが起きて、お客さんがそっちにフォーカスを当てそうになると、下の階で誰かがジュースをひっくり返したりしていて、常に「こっちにもいますよ!同時並行で物事が動いてますよ!」というふうに知らされるんですよね。だからこれは演出上「この場面に注目してください」という、従来のやり方ではないんだなと。

――わかりやすくその部屋だけを明るくするとかいうことではなく?

桑原 そうですね。スポットというものを、あくまでもお客さんが選択できるように作らなきゃいけないと思っていて「はい、ここです!ここです!」と誘導していくのも、本来は自分の仕事だと思っているんですけど、でも、どこを見てもいいという状態を前提として作っておいて、その上で、自然とお客さんの目がどこに向いてしまうのか? をキャストと一緒に探っていく作業になっていくのかなと思います。

――キャスティングの狙いについてもお聞かせください。

桑原 まず「どこにでもいそうで、どこにも同じ家族はいない」というのが家族だと思うんですけど、「あるある!」というやり取りがいっぱい繰り広げられるので、作り込んだ家族じゃなく、当事者感、つまりお客さんが自分自身を重ねることができるキャストがいいなと思ったんですね。だから、あえて整理されてない感じがありながら、まとまった空気感も出せたら面白いんじゃないかなと思ってキャスティングをスタートしました。結果、それぞれ個性がちゃんと強くあって一見まったく似ていないのに、ありふれた家族の空気感も出せる、そんな力のある人たちに集まっていただけたと思っています。

平田さんに今回のオファーをして、お話をした際におっしゃっていたのが、「従来のいわゆる“翻訳もの”を『頑張って、僕たちが考えてやりましたよ』というふうにはしたくないよね」ということ。「自分たちがいま、この物語で生きてそこにいるという当事者的な形でやるんだったら、これは面白くなるかもしれない」とおっしゃった言葉がすごく心に残っていて。その当事者性というものを出せる俳優さんたちばかりだと思っています。

しずちゃんは、以前から映画や映像作品で拝見していて、「この人が演技してるのをもっと見たいな」という気持ちがあって、勝手に何かそそられるなと思ってたんですよね。微笑んでいるのに、泣き出しそうにも見えたりとか、でも「絶対泣かないだろうな」、「いや内心ムカついてるのかな?」とか、内側が簡単に読めないからこそこちらが想像を駆り立てられる人だなと。「いつかご一緒できたら」という思いは、頭の隅にずっとありました。

長女のエイミーが父親と二人きりで話をするシーンがあるんですね。エイミーが傷ついていて、そんな彼女をお父さんが慰めるシーンを読んだ時に「あ、これをしずちゃんで見たい」って思ったんですよね。

普段、そんなふうにボロボロっと崩れるような表現をお笑いの世界では見せないじゃないですか。だからこそ、心がグラグラ揺れたときに、どんな表情になるんだろう? ちょっと特別な感覚になるんじゃないかな? と思って、隠れている脆さみたいな部分とか、そういうものを抱えながらも奮い立とうとする強さとか、そういうしずちゃん独自の強さと弱さのバランスに私はすごく興味があって、お願いしようと思いました。

私はもともと、お二人にユーモアのセンスというものが強くあると思っていて。でもお二人とも「どうでしょう? 面白いでしょ?」というタイプではないところが魅力なんですよね。この物語も、家族を和ませようとして笑わせたりはするけど、誰かが「面白いことを言いますよ」と言ってお客さんのほうを向く瞬間はなくて、基本的には家族がお互いに気遣って過ごしているだけなんだけど、その微妙な緊張が崩れることによって笑いが起こるんですよね。

そういう意味で、お二人ともストレートに“笑い”をしないというところに逆に期待をしています。お父さんが良いことをしようとした瞬間にツルっと足元が滑ったり、エイミーがみんなを落ち着かせようとして放った皮肉が「え? そんなに響く…?」というくらい意外とみんなの心にグサッと刺さったり、そういうところでのお二人の立ち位置に期待しています。

――山崎さんはいま、演劇のお仕事に関して、どういうところに魅力を感じているんでしょうか?

山崎 何回も何回も同じことをするっていうところですかね。お笑いをやっている人たちってほとんど稽古をしないんですよ。1回か2回くらいで、あとはアドリブで「この部分は本番でやるから」みたいな感じで、ローテンションで稽古しておいて、本番で急にテンションが変わるみたいなことが多いんです。だから最初は演劇は一カ月も稽古をするってことに戸惑って、「え? そんなにやるの?」みたいに思ったんです(笑)。

平田 みんな思います(笑)。

山崎 でも、何回もやらせてもらう内に、ご一緒した演出家さんがみなさん素敵な方ばかりで、いろんなことを教えてもらえたりもするし「一カ月って必要なんや」って思うようになりました。

本番が始まってからも、ずっと同じことをやるので、漫才とかもそうですけど、毎回新鮮にやるっていうのが、やればやるほど難しくなっていくんですよね。でも、その場でお客さんを肌で感じながら…というのは、お笑いも一緒で、お客さんの反応を何となくこっちの耳とか空気で感じながらセリフを発したり、ちょっとした自分の間とかで、変わったりもするし、相手の喋り方がちょっと変わったら、こっちも変わるし、そういうものが生で行われることが面白いなって思います。

――平田さんは、妻を演じる増子倭文江さん以外の方とは今回、初共演ですね?

平田 初めてです。みなさん、お名前は知っていましたが、ご一緒したことはなかったです。だから、きっと先入観なしに「お願いします」で始まって、だんだん打ち解けて、お芝居ではちょっと本音でぶつかったりして、日常生活ではできないところまで行くんだと思います。そういう関係が芝居の醍醐味であり、面白さでもあるので、期待はありますね。かえって、もう既に関係性がカッチリとできている方よりも、そういう(初共演の)方たちがだんだん家族になっていくのが良いなと思います。

――ブロードウェイ初演の映像などを見ると、家族のやりとりで、驚くほど客席から笑いが起きているシーンもありました。家族の会話劇としての本作の面白さについて、少し詳しくお聞きできればと思います。

桑原 私もブロードウェイ初演の映像を見て驚きました。正直、日本ではこんなに笑うってことはないだろうと思います(笑)。

ただ、この家族のやりとりで面白いのは「この関係、もう終わっちゃうんじゃない?」というくらいの辛辣なことを誰かが言って、「これもう崩壊したな…」と思えるような状況に陥ったとしても、1分後にはハグし合って急速に取り繕われていったり、“愛”というものによって補完されたりして、また再生するんですよね。この波の激しさというのは、見ていてすごく面白いところだなと思います。

あとは、家族って「わかり合えている」という“幻想”が強いぶん、噛み合わない時のイライラというのがすごく面白かったりするんですよね。例えばお父さんが、良かれと思って言ってることが、娘たちの癇に障ったり(笑)。平田さんが良かれと思って言ったことに、しずちゃんたちが「キー!」ってなるという加減が面白くなりそうだなっていうのは、これまでいっしょに舞台をつくらせていただいた経験からも楽しみです。

姉妹のやりとりも「わかる!わかる!」という部分はすごくあると思います。どちらかが破綻したことを言うと、もう片方がバランスを取ろうとしたりして、うまくやろうとするんですよね。フォローし合ったりするんですけど、そこで妹のボーイフレンドが空気を読めずに間の抜けたことを言ったり(笑)。そうやって、なんとか感謝祭を成立させようと、みんながバランスを取ろうとする、そのやりとりは“ワッ!”というテンションの笑いとは違うけど、ユーモアとして楽しめるんじゃないかと思っています。

――平田さんと山崎さんは、いまの時点で、ご自分の役に対して、どんなイメージを持たれているか教えてください。

平田 共演者のみなさんとの兼ね合いでできていくものなので、いまの時点であらかじめ「こうだから」と言うのは難しいところなんですけど、ギクシャクしているところの多い本なので(笑)、そこを面白くできたらいいなと思いますね。

山崎 いろんなことをいっぱい抱えていて、すごくつらい状況にいるということと、そんな中でも家族のギクシャクしているところをなんとか取り持とうとしたり、バランスを取ろうとしている存在なんだなと思います。

自分も姉と弟がいるんですけど、やっぱりそれぞれ違うんですよね。“役割”を決めたわけじゃないけど、自然と「この人がこういう役割で、こっちがそれをフォローして…」みたいになるもので、私も真ん中なのでバランスを取る役割を担っていると自分で勝手に思ってるんですけど(笑)、そこはエイミーと重なるかもしれないです。

――先ほど、父親の良かれという思いで発せられた言葉に娘たちが傷ついたり、怒りを覚えたりという描写が出てくるという話がありました。山崎さんは、お笑い芸人、ボクシングなど、女性が居場所を見つけるのが決して簡単ではない分野で活躍し、道を切り拓いてきましたが、ご両親はおそらく、応援する気持ちも娘を心配する気持ちもあったかと。

山崎 「お笑いをやる」と最初に言った時は反対されました。もともと、前にバーンと出るタイプじゃなかったので、他人を押しのけてでも行くぞ! みたいな人じゃないと芸能界なんて無理だろうと。それでも「私はやりたい」と言って、その中で今度は「ボクシングをやりたい」と言い出して、やっぱり親は、娘が殴られるのなんて見たくないとすごくイヤがっていました。でも、お笑いにしても、ボクシングにしても、結局は応援してくれて、母は試合にも毎回来てくれていました。あとで聞いたら、会場には来たけど、ずっと見てはいられなくて、席を外して、また戻って…みたいなのを繰り返していたらしいです。

そんな思いもありつつ、でもやっぱり、ずっと味方でいてくれたし、つらい時はほぼ毎日、母親に電話していました。何でもないことも含めて、母にだけは何でも話せたし、今日あったことをとりあえず母に伝えて、それが私の癒しにもなっていました。心の拠り所であり、助けてくれたのが母でしたね。

――最後に本作に向けての意気込みをお願いできればと思います。
 

平田 大きなことは何も考えてないですが、(この家族は)もう既にみんな、頑張っているし、あがいているんですよね。そういう部分はすごく好きだし、みんなで頑張って、あがいて、作家や桑原さんの求めるものが出てきたらいいなと思っています。

山崎 まずはセリフをちゃんと覚えないといけないですけど(笑)、あとは先輩方に付いて行けるように、その場の空気にちゃんと反応できるようになれたらと思っています。

――桑原さんからも楽しみにされている人たちに向けて、こんなところを見せられる作品にできればという思いを最後にお願いします。

桑原 単なるホームドラマとかヒューマンドラマだと思っているとケガするよ…という作品になると思います(笑)。そう思って観ていると、途中で「これはいったい何を見せられてるの…?」という気持ちになる瞬間が来ると思うんですよ。さっき、しずちゃんも言っていたように、話がどう展開していくということでもなく、起承転結もはっきりしないところにジリジリさせられると思いますが、そのジリジリこそが、いま見てもらいたい体験なんですよということで、こらえて楽しんでほしいですし、その“先”のところまでお付き合いいただければと思います。きっと予想してないところに連れて行ってくれる作品だと思いますので。「こういう話なんだ」というところから、さらに裏切られたもう一歩先を楽しんでいただければと思います。

取材・文=黒豆直樹
撮影=田中亜紀

<あらすじ>

眠れぬ夜を過ごしているエリック(平田 満)は、感謝祭の日、フィラデルフィア郊外から、妻ディアドラ(増子倭文江)と認知症の母モモ(稲川実代子)を連れ、次女のブリジット(青山美郷)とそのボーイフレンド、リチャード(細川 岳)が住むマンハッタンのアパートを訪れる。そこに長女エイミー(山崎静代)も合流し、皆で夕食を共にする。雑多なチャイナタウンにある老朽化したアパートでは、階上の住人の奇怪な物音や、階下のランドリールームの轟音がして、祝日だというのに落ち着かない。そんな中始まった食事会では、次第にそれぞれがいま抱える人生の不安や悩みを語り出し、だんだんと陰鬱な雰囲気を帯びてくる。その時、部屋の照明が消え、不気味な出来事が次々起こり……。

公演概要

シリーズ「光景─ここから先へ─」Vol.2『ザ・ヒューマンズ─人間たち』

【作】スティーヴン・キャラム
【翻訳】広田敦郎
【演出】桑原裕子
【キャスト】山崎静代、青山美郷、細川 岳、稲川実代子、増子倭文江、平田 満

【会場】新国立劇場 小劇場
【公演日程】2025年6月12日(木)~29日(日)
【料金(税込)】A席 7,700円/B席 3,300円/Z席(当日)1,650円

【一般発売】2025年4月12日(土)10:00~

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